招かれざる訪問客
オスニエルから何度も何度も注意を受けていたのもあって、心の準備もそれなりにしていたつもりではあった。だから夜会からすでに一ヶ月以上経ってから、突然やってくるとは思っていなかった。
「先触れもなくごめんなさいね。オスニエル殿下にいくら申し入れをしても許可をもらえないから……来てしまいましたわ」
悪いことなど少しもしていないと言った晴れやかな笑顔でコーデリアは挨拶をした。シェリルは内心の動揺を隠しながら、なんとか笑顔を浮かべる。
「そうでしたか。申し訳ないのですが、来客中ですの。本当ならばお断りするところですが、折角出向いていただいたのでご用件だけでもお伺いしますわ」
「ええ、それで十分よ。無作法をしているのはわたくしの方だから」
わかっているなら来てほしくないと、心底思う。
避けることの難しい関係で、自分の思い通りに推し進めようとする人はほんの少し受け入れた方がいいと、訪問を告げられた時に一緒にいたイゾルデ夫人に忠告された。だからいつもなら家令に頼んでお断りしているところ、わざわざ玄関まで出向いてきたわけだ。
とはいえ、彼女は辺境伯令嬢であり、このまま玄関で立ち話をしてもいいものかとちらりと家令を見やる。彼はいつもと変わらない涼しげな表情でそこに立っていた。
家令が動く気配を見せないので、ここで話すことにした。背筋を伸ばし、イゾルデ夫人直伝の柔らかな笑みを浮かべる。
コーデリアは値踏みするようにシェリルを見ながらも、お手本のような美しい笑みで切り出した。
「用件というのはこれからについてなの。わたくし、ウォーレン殿下かオスニエル殿下の妃になりますわ。場合によってはシェリル様には不愉快な結果になるかもしれません」
「……まあ」
「決してシェリル様が悪いわけではないから、お気を落とさないでくださいと事前に伝えたかったのです」
シェリルは驚きすぎて、ただただコーデリアを見ていた。何と言ったらいいのかわからないので、とりあえず先を促す。
「それで?」
「今ならわたくしはまだ一令嬢にすぎません。ですから、何を言っても咎めませんわ。言いたいことがあればどうぞ」
よくわからない。
どういう発想をすればそのような言葉が出てくるのか本当に不明だ。理解を超える事態に頭が考えることをやめそうになる。
あちらこちらに飛んでは固まる思考を無理やり動かし、落ち着くために息を小さく吐いた。よくわからないことに意見を言うことは不安だ。そのため、当たり障りのない答えを返した。
「申し訳ございませんが、言いたいことなど何も思いつきません。まだ未来のことはわかりませんから、そういう事態になった時に改めて考えます」
「つまらない方なのね。少しは悋気を見せたらいいのに」
思ったような反応を得られなかったせいなのか、バカにしたように鼻で笑う。シェリルにしてみればまた何も決まっていない現状なので、コーデリアの態度の方がおかしい気がして仕方がない。オスニエルが彼女の申し入れを拒否している理由は、やや普通から外れている考えをしているせいかもしれない。
「オスニエル様はお優しい方なので、もし他の方と結婚することになっても誠実に対応してくださると思います。まだ何も決まっていないコーデリア様に何か言うことはありません」
チクリと棘を潜ませると、コーデリアがほんの少しだけ怒りを滲ませた。彼女が口を開きかけた時、家令が声を割り込ませた。
「シェリル様。そろそろ……。これ以上お客様をお待たせするのは」
「ああ、ありがとう。コーデリア様、お会いできて嬉しかったわ」
シェリルとしてもさっさと彼女を追い返したくて、別れの挨拶をした。家令は丁寧にコーデリアを外へと誘導する。その後姿を見送ってから、ほっと息を吐いた。
「これはなかなか手ごわそうなご令嬢ね」
「イゾルデ夫人。いつからそこに?」
サロンで待っていたと思っていたのだが、イゾルデ夫人の様子からずっと見ていたようだ。
「のぞき見してごめんなさいね。ちょっとどんな方か気になっていて」
「どうでした? エルザ様に似ていますか?」
「そうね。雰囲気はかなり違うけれども、容姿はよく似ているわ」
似ていると断言されて、シェリルはほんの少しだけ憂いを見せた。エルザがどれほどオスニエルの心にいるのかはよくわかっている。容姿が似ているからと言って彼女を選ぶとは思えないが、やはりどこか不安が残る。
「コーデリア様がどちらかの王子と結婚するのは決まったことなのかしら……」
「わたしは聞いていないわね。もしかしたら秘密裏に検討されているのかもしれないけど」
まだ王太子夫妻に子供がいないことから、その可能性はないとは言えない。でもその場合はウォーレンの側室になるわけで、シェリルはあまり関係ない。
「わざわざ言いに来るぐらいだから、もしウォーレン殿下の側室になれなかったら、オスニエル様の正妻になるつもりなのかもしれません」
自信に満ち溢れたコーデリアを思い浮かべ、情けない表情になる。
「想像だけしても仕方がありませんわ。もし気になるのなら、オスニエル殿下にお聞きしてみたら?」
「それが一番なんですけど……」
少し困ったように首を傾げた。
「何か問題があるの?」
「ここしばらくオスニエル様が忙しくて、お会いできていないのです」
「朝も?」
イゾルデ夫人は驚いたように声を上げた。
「あ、でも。夜は覗いてくれているようで、いつも枕元にメッセージが」
「それもどうかと思うのだけど……。婚約者だからいいのかしら?」
淑女の寝ている部屋にこっそり訪れることが気になったようだが、シェリルは恥ずかし気にしながらも嬉しそうに笑う。
「わたし、オスニエル様を信じています。もし政治的にこの婚約が解消されたとしても、オスニエル様はきっと誠実な対応をしてくれるはずです」
「先ほども言っていたわね。それだけ強く信じられるのは素敵なことだわ」
「それだけオスニエル様はわたしに寄り添ってくれましたから」
婚約者だと知ってこの離宮に連れてこられて。
それからのオスニエルはシェリルとちゃんと向き合ってきた。戸惑うシェリルを労わり、少しずつでいいからとお互いの時間を持つ。そして具合が悪くて寝込んでいれば、自ら看病をしてくれる。
なかなかできることではない。だからこそ、何も言われていない今、話を聞かずに疑いたくはなかった。それに政治的な判断があれば、オスニエルにはどうしようもないことなのだと初めて実感した。
「シェリル様はオスニエル殿下を愛していますのね」
「愛、ですか?」
ピンと来なくて、何度か瞬いた。イゾルデ夫人は嬉しそうにふふふと笑う。
「ええ。何があっても信頼する。愛があるからとわたしには思えますよ」
「なんだか恥ずかしい」
自分の態度がそう見えてしまうことに恥ずかしくなる。熱が全身に込み上げてきて、誤魔化すように歩きだした。
「サロンの方を用意してきます。ゆっくり来てくださいね」
「反応が可愛らしいわ」
揶揄う声を聞きながらシェリルは慌ててジェニーと一緒にサロンへと向かった。サロンはすでに準備ができているが、こうして一人になる時間を持つことで気持ちを落ち着かせるつもりだ。それがわかっているのか、イゾルデ夫人はゆったりとした足取りで歩く。
「ご案内します」
いつの間にか戻っていた家令がイゾルデ夫人に声をかけた。ちらりと彼の方を見てから、シェリルの後姿に視線を戻す。
「あの女を放っておくことはできないわね」
「もちろんでございます。オスニエル様はシェリル様以外のご令嬢と結婚するつもりはございませんから」
「オスニエル殿下には?」
「すでに連絡しております」
イゾルデ夫人は家令の返事に満足そうに笑顔を浮かべた。