ままならない気持ち
リリカはいつものように晩餐の後、家のサロンでお茶を飲んでいた。出禁になってから、付き合いのある貴族家の茶会も夜会も出席することができなくなっていた。
毎日がつまらなく、ため息が出るが仕方がない。しかも今夜は夜会があった。最悪なことにオスニエルが婚約者を披露するためのものらしい。
行きたくはないが、行かないと次の手が打てないのも本当だ。ウォーレンにもオスニエルにも拒否されたが、ブレンダがいるのだから諦めるのは早い。家族が帰ってきたら夜会の話を聞こうと思っているため、いつもよりも遅い時間になっても起きているのだ。
「そう言えば、ブレンダ様から手紙は届いていない?」
謹慎になってから何度か手紙を出しているが、一度もブレンダから返事がない。今までなら二、三日で返事が来ていたのに、一度も返ってこない。
「本日も届いておりません。王太子妃殿下も謹慎中と伺っております。もしかしたら制限がかけられているのでは」
幼いころから仕えている侍女が如才なく答えた。もっともな話なので、リリカは納得する。
「そうかもしれないわね」
お茶を飲み干すと、カップをテーブルに置いた。
「今日はもう下がっていいわ」
「わかりました」
彼女は手早くカップを片付けると、ワゴンを引いて出ていく。
一人サロンに残されたリリカはため息をついた。一カ月の出禁はどのような噂になっているのか気になってしまう。母や兄は社交界でさほど話は広まっておらず、気に病むことはないと言っていたがどこまで信用していいものか。
もっともリリカは王太子妃であるブレンダと懇意にしているので、表立って悪口を言う人間もいないのだが。ぼんやりと今後のことを考えていると、乱暴に扉が開いた。
驚いて顔を上げれば、父であるドーソン伯爵が凄まじい形相でやってきた。突然現れた機嫌の悪い父を見て、リリカは目を見張る。どうしたのだろうと、立ち上がった。
「お父さま? どうしまし……」
「リリカ! なんてくだらないことをしてくれたのだ! おかげで恥をかいたではないか!」
強く肩をつかまれ、リリカは息を呑んだ。肩の痛みに、父の手を外そうと体を捩る。それが気に入らなかったのか、強く揺さぶられた。
自分がどうしてこれほどまで父の怒りを買ったのかがわからない。元々手の早い人だ。激しい怒りが早く過ぎてしまうようにと祈る。揺さぶられ、言葉を出せずにいればドーソン伯爵は感情的に怒鳴った。
「お前が! オスニエル殿下の婚約者に虫入りの茶を出すから、我が家のお茶は虫入りのものだという噂が立ってしまったのだぞ!」
「え……」
確かに王太子妃であるブレンダの茶会でオスニエルの婚約者となったシェリルに嫌がらせをした。社交界なら日常的によくある出来事。
高潔な人間なら嫉妬によるつるし上げに眉を顰めるだろうが、この程度の嫌がらせは誰でもやっている。特に女性社会は特別な理由などない。ただ気に入らない、そんな気持ちが少しだけ集まれば嫌がらせなどすぐに起こる。
今回はブレンダからの強い希望もあり、リリカはドーソン伯爵家の特産である茶葉と虫を用意した。ブレンダはリリカにとって絶対的な相手で、伯爵家は王太子妃のお気に入りとして十分な恩恵をもらっている。だから、ブレンダの希望を聞かないことはない。
「しかも王太子殿下がこのようなお茶は好みではないとまで言い切った。契約を見直すとまで言われた」
「え? ブレンダ様がそれを認めたというの?」
信じられない事態にぽかんとしてしまう。王城への出禁という処罰をもらったが、それだけで終わりだと思っていた。
「馬鹿か、お前は。王太子夫妻が仲の悪いことなど知っているだろうが! 我が家はいいように利用されたのだ」
「そんな……」
「謹慎が解け次第、王太子妃殿下に取り成しをお願いしてこい。そして王宮に下ろす茶葉の契約を継続させてくるんだ」
父の言いたいことはわかるが、リリカは非常に不安だった。もしあの茶会のことでブレンダも追い込まれていたら八つ当たりされる可能性がある。ブレンダはリリカを可愛がってくれているが、それも利益があるからこそ。
それでも。
第二王子であるオスニエルに近づくにはブレンダの力を借りるしかない。ここで接点を切られても困る。
リリカは表に浮き上がってきた不都合を潰すようにぐっと手を握りしめた。
◇◇◇
謹慎が解けた日にリリカはブレンダへの面会を申し込んだ。いつもならブレンダから招待状をもらうので、このような事務手続きなどしないのだが、今回ばかりは仕方がない。
慣れない様子で書類に必要事項を書き込み、受付に提出する。
「申し訳ありません。王太子妃殿下へのご面会希望は現在受け付けておりません」
「え?」
驚いて声を上げれば、受付の担当者はひどく気の毒そうな顔になる。
「王太子妃殿下は公務で忙しく、訪問者との時間が取れないのです」
「公務」
リリカは茫然として呟いた。公務と言われてしまえば仕方がないことではあるが、今までその公務も手伝ってきた。まさか公務という理由で会えないとは思わなかったのだ。
「しばらくすればまた面会可能になるかと思います」
「あの、わたし、リリカ・ドーソンと言います。お会いしたいとブレンダ様にお伝えすることだけでも」
王宮に勤めている人ならばリリカがブレンダと親しくしていることは知っているはずだ。そんな思いで言ってみたものの、担当者は首を左右に振った。
「規則ですので、取次ぎはできません」
「そうですか」
リリカは途方に暮れながらも、その場を離れた。意気消沈して王宮の外を歩く。気が付けば、騎士団の側までやってきていた。通いなれた騎士団の訓練場をそっと覗く。何人かの令嬢達が見学をしており、騎士たちはそんな熱い視線を気にすることなく決められた訓練を行っていた。
公開訓練では基礎的なことしか行わず、雰囲気は非常に和やかだ。本来なら騎士になりたい人のための開かれた場所であるが、今はまだ婚約者のいない令嬢と騎士との出会いの場になっている。騎士に見初められたいと見学にくる令嬢たちは皆、美しく着飾っていた。もちろんデイドレスなので夜会のような華やかさはないが、それでも花が咲いたように明るく賑やかだ。
リリカは騎士たちの中に目的の人物を見つけて、胸が高鳴った。
体格のいい騎士たちの中に入っても遜色のない逞しい体、騎士服を身に着け、腰には大きな剣を佩いている。
リリカの憧れたその人はいつもと変わらずとても綺麗だった。淡々としていてにこりともしないが、艶やかな黒髪に冷ややかなアイスブルーの瞳を見ているだけで幸せになれる。
そして空想する。
あの冷ややかな目が自分を見つけた時に甘く溶ける瞬間を。
リリカは他の令嬢のように身分や見た目だけでオスニエルを好きになったわけではない。リリカにはオスニエルに助けてもらったという過去があった。
デビュー前の茶会で、子供の付添に来ていた貴族に言い寄られて中庭に連れ込まれようとしていた時に助けてもらった。怖くて、恐ろしくて、巧妙に誘い出されてしまった自分の行動を後悔していた時に差し伸べられた手。彼がいたから、リリカは意図しない相手と関係を結ぶことなくいられた。
自分を助けるオスニエルにリリカは恋に落ちた。彼を見かけるたびに、その気持ちは大きく育つばかり。
オスニエルが騎士を相手に剣を交える。見せるための訓練のため、軽い手合わせであるがそれでも剣さばきには無駄がなく、目が離せない。オスニエルの相手をしている騎士も相当の実力者なのだろうが、どうしても人々の目はオスニエルに向かう。
「オスニエル殿下はいつ見てもステキね」
「そうね、婚約してしまって本当に残念だわ」
そんな会話が聞こえてきた。リリカははしたないと自覚しながらも耳を攲てる。
「夜会ではすごく大切そうに抱えて、蕩けるような笑みを見せていて……ここで見る顔とは全然違ったわ」
「お二人が並ぶと一枚の絵のようでため息が出てしまったわ。あらを探すつもりが、見とれてしまって」
「宝飾品も見た? 素晴らしい宝石だったわね」
「あれは独占欲よね。ああいうのを溺愛というのでしょうね」
ぎりっと手を握り締めた。茶会の時の二人を思い出す。淡々とした表情しか見せないオスニエルがシェリルを大切そうに抱き上げていた。
何もできない弱そうな令嬢。
オスニエルの庇護がなければ、一人で歩くこともできない。
それなのに、やっかみを受けながらも仕方がないと認められる。
ふと、茶会で当たり前のように言ったシェリルの言葉が思い出される。
――魔力の相性が良ければ、婚約者候補になれたと思います。
許せなかった。
自分よりも劣った令嬢なのにたったそれだけでオスニエルの正妃に選ばれる。
魔力がそれほどまで重要なのか。
リリカの心にあった希望がどす黒く塗りつぶされた。