夜会の準備
しなやかさと上品な光沢をもつシルクサテンを贅沢に使ったドレスを纏う。
オスニエルが選んだドレスはベージュピンクを基調にしていて、ドレストップには繊細な花の刺繍が施されていた。華やかな装飾と最強装備である補正下着が女性らしい魅力的な胸のラインを作り上げる。
シェリルは鏡の中の自分の胸元に視線を落とした。そこにはあり得ないくらいの存在感があった。大きく開いた胸元を飾るネックレスもどことなく誇らしげに見える。
「すごい。補正下着、神だわ」
「女性の悩みを解決する素晴らしい逸品です」
「みんなが欲しがるわけね」
イゾルデ夫人の紹介でやってきた商会長は女性でとても感じのいい人だった。初めは矯正下着など気休めだから必要ないと思っていたシェリルであったが、一度、身に着けてしまえばそんな思いも消えてしまう。
商会長の気遣いで、侍女たちの注文を受けてくれたのも好感度を上げた。イゾルデ夫人の人の繋がりの強さにシェリルは貴族女性の在り方を知った。
一通り、矯正下着の出来栄えに感心した後はドレスが気になってきた。スカートを摘まみ、ひらりと広げてみる。
美しい色合いだ。手に入りにくい上質なシルクで作られたサテンは光沢が素晴らしく、しかもしっかりとした厚みもある。流れるようなドレープも美しい。スカートの裾は同じ色の糸で刺繍されており、本当に贅沢な作りだ。
唯一の欠点と言えば、この色合い。
色白で全体的に華奢なシェリルが着ると儚さが強調されてしまい、オスニエルを狙う令嬢たちに見下されそうだ。
イゾルデ夫人には付け入らせないように背筋を伸ばして、余裕を崩さないようにと注意されている。ところがこのドレスは意気込みの後押しにはなりそうにない。
「この色のドレス、不本意ながら儚げに見えるわ」
「とても庇護欲をそそられます」
「……それでいいのかしら? イゾルデ夫人のアドバイス通りもっと強い色味にして、意志が強く見せたほうがいいと思うけど」
眉を寄せそんな悩みを呟けば、ジェニーは腕を組んで唸り始めた。
「わたしもドレスの色は色々と思うところがありますが、どうしてもこの色がいいと殿下からの指定がありましたので」
「オスニエル様が? では、弱々しい方がいいという事?」
できるならば茶会の時に着たオスニエルの瞳の色のドレスが良かった。でもわざわざ指定されたと言われてしまえば取り替えることもできない。きっと何か考えがあるのだろうと、不満な気持ちを飲み込む。
「その色で問題ない」
難しい顔をしてジェニーと鏡を見つめていれば、扉が開いた。振り返ればオスニエルが小さな箱を持って立っていた。
上質な黒の詰襟の正装した姿に思わず目を見張る。
詰襟と袖口には銀糸で繊細な柄の刺繍が施され、右肩から伸びる銀色の飾緒と共に黒一色の正装に華やかさを作り出し、オスニエルの体格の良さと相まっていつも以上に硬質な雰囲気にしていた。
さらに普段は下ろされている前髪も綺麗に後ろに撫でつけられ、精悍な顔立ちが露わになっている。
シェリルは彼の正装姿に瞬きを忘れて食い入るように見つめた。頬を染めてぼうっとしているシェリルにオスニエルは目を細め口元を緩めた。
「そんなにも見つめなくても、いつもと変わらないぞ」
「え、だって。すごく似合っていて……かっこいい」
素直に気持ちを口にすると、オスニエルが驚いた顔をする。目元が少しだけ赤くなるのを見て、シェリルはなんだか嬉しくなった。普段と違う雰囲気にドキドキしているのは自分だけではないというのが何ともまたくすぐったく感じる。
「オスニエル様も照れることがあるのね」
「……人間だからな」
「称賛されていることに慣れていそうなのに」
「俺は男だ。容姿を褒められて喜ぶ気持ちはない。だがシェリルに魅入られるのは嫌じゃない」
照れを隠すようにやや不機嫌そうに告げられて、シェリルは胸に彼への愛おしさがこみあげてきた。
「ジェニー、彼女のネックレスとイヤリングを外してくれ」
「わかりました」
ジェニーは指示された通りに宝飾品を外した。ドレスに合わせて選んだネックレスがなくなるだけで、ひどく寂しい感じになった。
「これを付けてもらいたくてそのドレスの色にしたんだ」
箱をテーブルの上に置き開けると、そこには息を飲むほど素晴らしいネックレスとイヤリングが入っていた。
冬の氷のような薄い青の大きな宝石を中心に、徐々に濃厚な色合いになるように青い宝石が配置されている。銀細工も素晴らしく、宝石たちをより美しく見せる。イヤリングの宝石も薄い青色で、雫型をしていた。
「少しの間じっとしていて」
オスニエルはネックレスを手に取ると、シェリルの後ろに立つ。てっきりジェニーがつけるものだと思っていたシェリルは予想外のことに固まった。
ネックレスを手早く首にかけると、留め金を嵌める。長い指が少しだけうなじに触れた。その温かな指先に思わず体が震える。耳飾りも丁寧につけてくれる。
「ああ、やっぱりよく似合う」
「素敵……」
ふわっとした優しい色合いに存在感のある青がとても映えていた。自分の胸元を見つめた。彼の独占欲のような色の宝飾品と柔らかなドレスの色を思い、むず痒くなる。
「今夜は絶対に俺の側から離れないようにしてほしい。定期的に行われている兄上主催の夜会だが、不愉快な存在がそれなりにいる。何を聞かれても答える必要はない」
「わかりました」
オスニエルの言葉に素直に頷けば、手を差し出された。大きな手に自分のを預けると、すぐに握りしめられた。やや強めに手を引かれ、彼のすぐ側に抱き寄せられる。そして、不意打ちで額にキスが落とされた。
「これはおまじないだ」
「……」
シェリルは恥ずかしさに顔を真っ赤にして両手で顔を覆った。
「シェリル?」
「やり過ぎです。これから夜会に出席するのに。いつも以上にかっこいいのですから、そんなことされてしまうと恥ずかしい……」
「恥ずかしい? キスは初めてではないと思うのだが」
オスニエルは不思議そうに首をかしげる。シェリルは少しだけ顔を覆った手を離すと恨みがましくオスニエルを睨みつけた。
「そうなんですけど、そうじゃなくて」
「キスは嫌だったか?」
「……その質問はズルいです」
彼のキスは嫌じゃない。
でもあまりにも直接的に思えて好きと答えることもできず、シェリルは唇を噛んだ。こうした触れ合いがあるたびに、シェリルの気持ちはどんどんオスニエルに傾いていく。
シェリルだけが好きな気持ちを大きくしているようで不安になる。
「さあ、行こうか」
「はい」
シェリルは自分のまとまらない気持ちにとりあえず蓋をした。今日は大事な夜会なのだ。余計なことを考えずに、乗り切ることだけを考えることにした。