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ダンスの練習


 壁一面に張られた鏡張りの部屋でシェリルはくるくると回っていた。飾り気の少ない練習用のドレスが回るたびに空気を含み柔らかく広がる。


 ワルツのステップは何とか覚えたものの、実際に踊っていると次のステップが抜けてしまったり、方向を間違えたりして優雅とは言い難い状態だ。


 しっかりと覚えたつもりでいても、実際にやってみると足がもつれた。ターンするたびに方向性が失われ、体がぐらつく。

 回転する時に視点を固定すると言われても、どこを見たらいいのかがわからない。何度も何度も練習するが、いつまでたってもパートナーの足を踏み、脛を蹴ってしまう。


 失敗するたびに体が硬くなってしまい、さらに失敗するという悪循環。きっとダンスは向いていないのだろう。


 練習に付き合わせている護衛騎士のデイヴィットは嫌な顔をせずに相手をしてくれているが、本当に申し訳ない気持ちでいっぱいになる。今度こそ、と思い練習に励むが……。


「あ……」


 何度目かのターンで足が引っ掛かった。バランスを崩したシェリルをデイヴィットがしっかりと支えた。


「そろそろ休憩しましょう」

「ありがとう」


 情けなくて仕方がないが、もう足も限界だ。立っているだけでも、体がグラグラしていた。デイヴィットは気遣うようにシェリルの顔色をうかがう。


「今日はここまでに致しましょう」

「ごめんなさい。練習が足りなくて……」


 肩を落としたシェリルにイゾルデ夫人は安心させるように微笑んだ。


「基礎は出来ているので心配しなくても大丈夫です。最初の一曲だけ乗り切れれば問題ありません」

「それができるかが不安です」


 心の内を吐き出せば、イゾルデ夫人とデイヴィットが顔を見合わせた。


「もう少し体を預けてもらえたら、スムーズに動けるかもしれません」


 パートナー役を務めるデイヴィットが言葉を選びながら告げた。イゾルデ夫人も納得しているのか、頷いている。


「そうですね。ダンスは一人で踊るものではないので、パートナーに頼るのもいいと思います」

「私では難しいかもしれませんが、オスニエル殿下に甘えるような感じで体を寄りかからせてしまえば力が抜けて、いい感じになるかと」

「甘える? 寄りかかる?」


 意味が分からず、思わず繰り返した。イゾルデ夫人は少し考え込んでから、ぽんと手のひらを叩いた。


「この後の練習はオスニエル殿下にお願いしましょう。その方が言葉よりも分かりやすいかと」

「え? あの、それは迷惑だから……」

「では、オスニエル殿下に連絡を入れます」


 会話の流れについて行けず、戸惑っているうちにデイヴィットは部屋を出て行ってしまう。止めることもできずにその後姿を見送った。

 イゾルデ夫人はくすくすと笑いながら、シェリルを部屋の隅にある椅子へと誘う。勧められるまま腰を下ろせば、どっと疲れが体に襲い掛かった。


 ジェニーがシェリルにカップを差し出す。少しぬるめのお茶を口に含めば、のどがカラカラになっていることに気が付いた。


「オスニエル様が来てくれてもちゃんと踊れそうにないわ……」

「シェリル様。今回の夜会、失敗は許されません」


 やや厳しめの言葉にシェリルがたじろいだ。いつも朗らかなイゾルデ夫人はあまり強い言葉は使わない。シェリルの体調を見て色々な勉強を進める人だ。そんな彼女がひどく真剣なまなざしを向けてくる。

 

「今回の夜会はとても重要なのです。今後、オスニエル殿下が側室を持つ可能性があるかどうかの判断に使われます」

「側室……」


 側室、と聞いてはっと目を見張った。少しもその可能性を考えたことがなかった。オスニエルはシェリルには優しいが、女性嫌いで通っている王子だ。今までだって浮いた話はないと聞く。


「シェリル様が夜会で失敗した場合、その役割を担うという名目で令嬢達がやってくるでしょう。オスニエル殿下にはそのつもりがなくても、娶る必要が出てくるかもしれません」


 役割を担う、その言葉にどきりとした。


 シェリルは離宮からほとんど出ない。体調を気にしてというのもあるが、とにかくオスニエルが外に出したくない様子を見せるからだ。元々、部屋から出ない生活をしていたので、広い離宮の中を自由に動き回れるだけでも窮屈感はない。


 閉じこもっていればいいと言われて、その通りにしてきたが動けるようになれば気になるのが王子妃としての社交だ。一度だけ、王太子妃であるブレンダとの茶会をしたが、それもまともにこなしたとは言い難かった。


「……わたし、社交をもっとした方がいいのでしょうか?」

「本来ならば。王族の女性には義務がありますから」

「そうですよね」


 自分が如何に甘えていたのか、知ってしまえば気持ちが沈んだ。イゾルデ夫人は大きく息を吐く。


「オスニエル殿下が囲ってしまいたくなる気持ちも分からなくはないのですが」

「誰がなんだって?」

「オスニエル様!」


 イゾルデ夫人の呟きに、尖った声が飛んできた。シェリルが驚いて顔を上げれば、オスニエルが不機嫌さを隠すことなく立っていた。

 シェリルは慌てて立ち上がり、オスニエルの方へと近寄った。オスニエルは近くに来たシェリルの額にキスを落とす。


「そうイライラしないでください。本当のことではありませんか」

「シェリルを外に出すつもりはない」

「子供の様なことを。危険も知らせず、武器も持たせず囲うばかりの男なんて最悪です」


 遠慮なく言い放つイゾルデ夫人にシェリルは驚いた。オスニエルは苦々しく唇を曲げている。雰囲気が悪くなってきて、シェリルは注意を引くようにオスニエルの腕に触れた。


「忙しいのにごめんなさい」

「え、ああ。ダンスの確認をしたいんだったな」


 気持ちが逸れたのかオスニエルは何度か瞬きをすると、大きな手をシェリルに差し出した。


「沢山練習をしていたと聞いた。疲れているだろうから、少しだけ」

「ありがとうございます」


 その手に自分の手を乗せた。ぎゅっと強く握りこまれたがすぐに力が弱まった。オスニエルは練習場の中央にエスコートする。音楽が奏でられた。


 背中に回された手に意識が向く。背中に感じる手の温もりが恥ずかしくて思わず視線を彼の胸元に落とした。ステップを踏み、彼のリードについて行こう必死に頭を回転させる。


「シェリル」


 名前を呼ばれたが、それに応えるだけの余裕はない。少しだけ視線を上げたら困ったような顔でこちらを見ていた。


 やっぱり下手過ぎた。


 その気持ちは彼女の足を止めた。呆れられたという気持ちが膨れ上がり、彼女の胸を圧迫する。息苦しさに視線が次第に落ちた。オスニエルはそんな彼女を宥めるように、背中に回した手で優しく撫でた。


「ダンスは楽しむものだ。細かなステップなどドレスの裾で見えやしない。ただ楽しいと俺を見ていればいい」

「楽しむ余裕なんて……」

「シェリルはまだ動けるようになって数か月だ。今回の夜会は必要だから急いでいるが、俺以外の男と踊る必要はないし、夜会など必要最小限でいい」


 甘やかす彼の言葉に縋ってしまいたい。でも、先ほどのイゾルデ夫人の言葉が彼女を簡単に頷かせなかった。ぎゅっと唇を噛みしめた。


 いつもと違うシェリルの態度に、オスニエルの表情が険しくなった。


「シェリル? 他に何が気になっているんだ? 心配事は隠さず言ってほしい」


 シェリルは大きく息を吸った。シェリルが出しゃばっていい話ではないから、側室のことは言えない。それに劣等感ばかりの気持ちも見られたくなかった。


 笑顔を無理やり浮かべて彼の目を見た。


「……オスニエル様に恥をかかせてしまうのが嫌なの」

「そうか」


 納得していない様子であったが、シェリルはそれ以上を言うつもりはない。その強い意志を汲み取って、彼は無理に気持ちを聞きだすことはしなかった。


「では、俺に任せてもらっていいか? 何も考えずに引っ張っていく方向にステップを踏めばいい」

「はい」


 難しいことはわからないが、それぐらいなら期待通りにできそうな気がした。音楽が始まり、エスコートするように彼が動いた。その動きに合わせて自然と足が動く。細かなところは気にしなくていいと言われていたから、あまり考えない。


「シェリル、こちらを見て」


 俯き加減だったのを注意され、視線を上げる。オスニエルの瞳が彼女をじっと見つめていた。


「名前を呼んでくれないか」

「オスニエル様」


 名前を素直に呼べば、彼は違うと首を左右に振った。


「様はいらない」

「オスニエル……様」

「もう一度」

「……」


 シェリルはリードされながらステップを踏み、今の一連の流れを反芻した。よく理解できなかったが、次第に何を求められているのか理解して、顔を真っ赤にした。


「む、無理です、無理、無理です!」

「君がうっとりとした顔で俺を見つめて、オスニエルと囁くだけでいい」

「ええ!?」

「見せつけるための夜会だからな。ダンスが多少失敗しても問題ない。誰もが忘れることができないほどの熱烈なキスを贈れば解決だ」


 しれっと恥ずかしいことを言われて、シェリルの頭は理解するのをやめた。


「……ダンス、頑張ります」

「それは残念だ」


 どこまで本気かわからないが、すっかり気負いがなくなってしまったシェリルは自然とステップを踏めていることに気が付かなかった。


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