表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
15/40

ゆったりとした時間


 体が重い。


 シェリルは少しだけ目を開けた。部屋は薄暗く、灯りがともされていた。眠っていたシェリルに配慮しているのか、明るさは絞られていた。


「気が付かれましたか?」

「ジェニー?」

「はい」

「今何時かしら?」


 茶会の席からオスニエルに部屋に連れてきてもらい、汚れを落とした後から記憶が途絶えている。まだ夕方には早い時間であったはず。部屋の様子から、すっかり夜になってしまっているようだ。


「もう真夜中でございます」

「そう。だいぶ寝ていたのね」

「起きられますか? 食べられるようでしたらスープをご用意いたします」


 スープぐらいは食べられるかもしれない、とシェリルは頷いた。ジェニーは部屋の外に控えていた侍女に伝言するとすぐに戻ってきた。


「さあ、まずはお水を飲んでくださいませ」

「ありがとう」


 助けを借りて上体を起こせば、すぐに背中にクッションを沢山挟んでくれた。柔らかなクッションに体を預ける。食事ができる様にと用意されているのをぼんやりしてみていれば、扉が開いた。


「調子はどうだ?」

「オスニエル様」


 スープを運んできたのはオスニエルだった。シェリルは慌てて姿勢を正そうとするが、それを手で止められる。


「そのままでいい。ジェニー、後は俺が見るからもう休んでいいぞ」

「わかりました。それでは下がらせていただきます」


 ジェニーは丁寧にお辞儀をすると、静かに出ていった。二人きりになってしまってシェリルは緊張してくる。オスニエルは寝台用に合わせたテーブルを運んでくると、そこに食事を用意した。

 目の前に美味しそうな匂いを漂わせるスープが置かれた。よく煮込んであるのか、固形物は見えない。美味しそうと思った途端にお腹がくうっと小さく鳴った。


 その音に恥ずかしくなり、思わず俯いてしまう。


「すみません。行儀が悪く……」

「気にすることはない。お腹が空くのはいいことだ。ゆっくりと食べるといい」


 そう勧められて、シェリルはスプーンを手にした。シェリルが食事をしている間、オスニエルは色々な話をした。

 いつもよりもゆっくりとしているせいなのか、それともほの暗い部屋に二人きりでいるためなのか。滅多に見せない柔らかい表情で外の話を聞かせてくれる。


 気晴らしによく執務室を抜け出して愛馬で近くの森まで駆けてくることを話す時、目がほんのわずかだけ輝いた。外に出るのがとても楽しいようで、普段よりも言葉が多い。


 オスニエルの楽しげな様子にシェリルの胸がひどく落ち着かない。自分の心の動きを誤魔化すように言葉を紡ぐ。


「……王都には素敵な場所が沢山あるのですね」

「馬に乗ったことは?」

「残念ながらありません。馬車も病気になってからは王都に出てくる時ぐらいで」


 馬車での移動を思い出し、思わず表情が歪んだ。気分の悪い時の馬車程、最悪な乗り物はない。規則正しい揺れは気分の悪さを増幅し、胃がひっくり返りそうになる。


 シェリルの嫌そうな顔から、馬車移動がどんな様子であるかわかったのだろう。彼は気の毒そうな色を浮かべた。


「そうか。では元気になったら、一緒に馬で出掛けよう」

「馬でですか? わたしは乗れませんけど……」


 とても魅力的な誘いだが、短期間で乗れるようになるとは思えない。練習する過程を考え、思わず視線を落とした。


「心配はいらない。俺が一緒に乗る」

「それなら出かけてみたいわ。でも、お仕事は大丈夫ですか?」

「いくらでも調整は可能だ。俺の副官はとても優秀だからな」


 本当だろうか。


 オスニエルの仕事が寝る間も惜しむほど忙しい状態であることをシェリルは知っていた。毎日朝食前に仕事を片付けており、仕事を持ってくるメイソンが申し訳なさそうにシェリルに謝ってくる。

 仕事の忙しさを考えれば朝に一緒に取る朝食を断った方がいいような気がするが、折角のお誘いである。悩みながらも、自分の要求を優先した。


「ではお言葉に甘えてしまってもいいですか?」

「もちろんだ。だから、早く良くなってほしい」

「わかりました」


 初めての二人での外出の約束がとても嬉しくて、思わず笑みが浮かぶ。飛び跳ねる気持ちを隠すように残りのスープを食べた。


◇◇◇


 馬で出かけようと約束した五日後。


 シェリルは乗馬用のドレスを身に纏い、緊張した面持ちで立っていた。すぐ側には綺麗な栗毛色の美しい馬がいる。もちろんよく躾られていて暴れるようなところはないのだが、初めての馬は想像していたよりも大きくて圧倒されてしまっていた。


「大人しい馬だから大丈夫だ。ほら、手を貸して」

「え、ええ」


 オスニエルに後ろから支えられるようにして、馬に横乗りになる。そのバランスの悪さに内心焦っていた。落ちないように必死に鞍に掴まっていると、後ろにオスニエルが乗ってくる。


 馬上の高さと不安定感にがちがちに体を固まらせるシェリルをオスニエルは後ろからしっかりと抱きかかえた。


「落とさないから大丈夫だ。体から力を抜いて」

「十分抜いています」

「後ろに寄りかかればもう少し楽になる」


 言われた通りに後ろに寄りかかれば、何故かほっとした。ほっとしたのがよかったのか、自然と体から力が抜ける。


「どこに行くの?」

「着いてからのお楽しみだ」


 馬が動き出した。ゆったりとした歩調なので、思っていたほど怖くはない。慣れてきた頃、周囲にも目を向ける余裕が出てきた。

 オスニエルは森の中をどんどん進んでいく。管理がしっかりしているようで道はきちんと整備されていた。残念なことに王都の地図はほとんど頭の中に入っていないため、どこを目指して進んでいるのかはわからない。


「王都にも森があるのね」

「ここは王城に一番近い王領になる。少し離れているが、気晴らしに出かけるには丁度いい」


 こうして景色を楽しむことは初めてで、あちらこちらに視線を動かした。

 移動には馬車を使っているが、いつだって気分が悪く眠ってやり過ごしている。そのため、移動中に外を見ることはほとんどない。


 馬車とは違い、風も匂いも日の光さえ心地よい。


 シェリルの興味がようやく落ち着いたころ、オスニエルは馬を速歩(はやあし)に変えた。突然の変化に驚きながらも、怖いとはもう感じなかった。


「わあ!」


 思わず淑女らしからぬ声を上げてしまった。目の前には鏡のように空と木々を映し込む湖が広がった。初めてみる美しい光景に思わず見とれる。


「綺麗だろう。王領になっているから、管理人しか来ないんだ」


 オスニエルが馬から降りると、シェリルも下ろされた。護衛達がすぐに荷物を下ろして、休憩できるように支度を始める。


「この間、すぐに助けに入れなくて悪かった」

「お茶会のことですか?」


 突然の現実的な話に内心驚いた。


「そうだ。あの後、兄上が処罰した。義姉上はしばらくの間、謹慎になった。令嬢たちも当分の間王城への立ち入りを禁止だ」

「えええ?」


 思わぬ話に唖然とする。

 どうしてこう綺麗な景色を見ながら、あまり愉快ではない話をしているのか。

 まじまじと少し離れたところに立つオスニエルの顔を見る。


「伝えるかどうするか悩んだが、伝えたくなった」

「……その話、戻ってからでもよかったのでは?」


 ぽろりと本音が転がりだす。彼は考えるように眉間にしわを寄せる。


「来る前に伝えたら興ざめだし、戻った後に伝えても雰囲気をぶち壊す。だったらここで言ってしまった方がいいかと思ったんだ」


 ちらりと護衛達の方へと視線を巡らせれば、彼らも苦笑気味だ。オスニエルの言いたいことも分からなくもないが、やはりシェリルも女だ。素晴らしいところに二人で出かけてきたのに、いらない情報だと思う。


 女性嫌いで距離をとっているという噂があるぐらいだから、女性への気遣いを期待してはダメなのかもしれない。彼にして見たら誠実に結果を伝えようとしてくれたのだから、と何とか飲み込む。


「わかりました。その話はここまででいいですか?」

「ああ」

「では、折角ですので湖を楽しみたいわ」


 そう宣言してから、もう一度湖の方を見つめた。風がないため、湖面は鏡のように世界を映し込んでいる。


「気に入ったようでよかった」


 ――エルザもここがお気に入りだった。


 最後の言葉は、本当に小さな小さな声だった。

 護衛達には聞こえない、もしかしたらオスニエル自身も声に出したつもりはないのかもしれない。だからこそ、その呟きはシェリルの胸を苦しくした。


 これは政略結婚で、シェリルは魔力だけで選ばれた。

 オスニエルは伯爵家の娘として何一つ満足に振る舞えないシェリルにいつだって優しい。

 接点がまるでなかったから、少しずつ近づこうと努力してくれている。それは愛情からでも恋情からでもなく、結婚せざるを得ないから。


 ちゃんとわかっているのに、どうしてこんなにも苦しいのだろう。

 無意識に前の婚約者のことを思う彼がとても嫌だった。


 そっと彼の横顔を盗み見た。懐かし気に目を細めている彼は隣に立つシェリルのことなど忘れてしまっているかのようだ。


 先ほどまでの楽しい気持ちが萎んでいくのを感じた。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ