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王太子の執務室


 オスニエルはシェリルが穏やかな表情で眠りにつくのを確認してから離宮を出た。向かう先はウォーレンの執務室だ。

 あの部屋はいつも忙しくてバタバタしていて、迂闊に近寄らないようにしている。顔を出して予定外の仕事を請け負うことになるのが嫌なのだ。だが、今日ばかりは礼を言うつもりでいた。


 ウォーレンの執務室の前に来れば、扉を守る護衛騎士が二人いる。彼らに挨拶をすれば、扉が開かれた。オスニエルがやってくることを見越して、すでに許可は出ていたようだ。


 扉から覗く部屋の様子に、思わず帰りたくなった。山のように積まれた書類が今にも雪崩を起こしそうになっており、早めに切り上げようと心に決める。足を踏み入れることに躊躇っているうちに、ウォーレンがオスニエルに気が付いた。

 ウォーレンは嬉しそうに立ち上がった。その拍子でいくつか書類が雪崩を起こしたが、気にせずにこちらに寄ってくる。大歓迎の兄の様子にいつも以上の面倒臭さを感じた。


「やあ、オスニエル! 丁度いいところに来た。今日は執務日和だと思わないか? 君にぴったりの仕事を取っておいたよ」

「……兄上、他の補佐官たちはどうした?」

 

 ちらりと執務室の様子を窺えば、珍しいことに一人しかいない。いつもなら四、五人は詰めて仕事をしているはずだ。


 残っている補佐官は自分の机に向かい、顔色悪くしながらも一心不乱に書類を捌いていた。明らかにオーバーワークだ。いつもは髪一本の乱れもないのだが、ズボンにしわが寄り、シャツは上のボタンが外されていた。髪も乱れており、なんといっても目の下のクマが……。その割には目だけが異様にギラギラとしていた。


 騎士団とはまた違った鬼気迫った雰囲気に、圧倒されてしまう。


「ほぼ全滅した。ここしばらく泊まり込みで処理をしていたのだが、流石にミスが多くなってきて休みを取らせた」

「忙しい中、声をかけてくれたのか?」

「可愛い弟のためなら当然の行動だろう! 決して仕事から逃げたわけじゃない」


 逃げたんだなと兄の心中を察した。確かにこの仕事量は逃げたくもなる。ただこれだけ山積みになる仕事というのがよくわからなかった。軽薄そうに見えてもウォーレンは頭の回転が速く状況判断も的確だ。ここまで山積みになること自体が不思議だった。


 ウォーレンは弟に長椅子に座るように勧め、自分も座り心地の良い椅子に腰を下ろす。真正面から兄を見れば、やや疲れが滲んでいた。先ほどはシェリルのことばかりに気を取られていて気が付かなかった。後回しになってしまったことを申し訳なく思いながら、兄に提案する。


「兄上、もし仕事が多いのなら父上に捌いてもらってもいいのでは?」

「父上もいっぱいいっぱいのはずだ。仕事を増やしたのが私だから仕方がない」

「増やした?」


 事情が分からないオスニエルは眉を寄せた。うっかり口を滑らせてしまったことに気が付いたウォーレンは気まずそうにほんの少しだけ視線を逸らした。


「いや、オスニエルは心配いらないよ。ちょっとだけ書類を持って行ってくれればそれで」

「兄上、隠し事はなしだ。潔く教えてほしい」

「あー、失敗した」


 誤魔化せないと思ったのか、ウォーレンは天井を仰いだ。聞き耳を立てていた補佐官が書類から顔を上げ、楽しそうににやにやしている。


「殿下も疲れているんですよ」

「そうかもな。お前も切りのいいところで帰れ。今日はしまいだ」

「ではあと少しだけ」


 そんな主従の会話を聞いて、ウォーレンが普段以上に根を詰めていることに気が付いた。


「……何を調べているんだ?」

「もう少しはっきりしてからお前に頼もうと思っていたんだけど」

「いいから、しゃべってしまえ」


 うだうだと言い訳して濁すウォーレンに乱暴に促す。誤魔化せないと諦めて、ウォーレンは肩を落とした。


「少し前のことなんだが、ある村で病気が発生してね」

「病気?」

「辺境伯の領地のことなんだが、年寄り、働き盛りの成人、それに子供でも関係なく発症して大変なんだ」


 ウォーレンはここぞとばかりに、その惨状を語った。百人ほどの集落で、二十世帯が住んでいたらしい。そこの住人たちがある時病気にかかり、動けなくなった。辺境伯の耳に届いた時にはすでに遅く、救援が村に到着した時には、ほとんどの住民が亡くなっていたそうだ。


 ちいさい村が病で全滅するなどあってはならないことだが、辺境伯領は広く、行き届かないところもあるのだろう。特に病であれば神経質になるのも分からなくはない。ここで放置していて、国全体に蔓延したりしたら大変なことになる。


「ひどく辛い出来事だが、それと兄上の異常な忙しさはどうつながる? 病の流行は担当部署も決まっているはずだ。薬の調達……と言いたいところだがそれもないな」


 よほど手に負えないほど流行しているもしくは治療薬の入手が困難ということでない限り、ウォーレンの仕事がひっ迫するまで積みあがることはない。


「あれ、誤魔化されていない?」


 へらりと笑顔を見せられて、青筋を立てた。怒りの表情を見たウォーレンは慌てて続きを説明した。


「ちょっと単純な話じゃないんだ。オスニエルにはもっとしっかりと情報を整理した状態で一瞬だけ手を貸してもらいたいんだ」

「ウォーレン殿下、素直に話してくださいよ。そろそろこちらだって限界なんです。今すぐにでもオスニエル殿下に手を貸してもらうべきです」


 残っていた補佐官が呆れたように促してきた。ウォーレンはいつもの軽薄さを消し、ぐるぐると唸る。


「……結果的にはオスニエルの力が必要なことだとはわかっている。だけど危険は最小限にしてもらいたいというのが兄としての気持ちというのか」

「兄上、往生際が悪い」

「うっ……」


 誤魔化せないと項垂れたウォーレンを見て、オスニエルは補佐官の方へと声をかけた。


「お前、知っているんだろう?」

「ええ、もちろん。私から話してもいいのですか?」

「俺が許す」


 反論しようとがばっと顔を上げたウォーレンを制して、オスニエルが許可を与えた。補佐官はあっさりとオスニエルの知りたいことを口にした。


「薬ですよ」

「は?」

「だから薬を知らない間に飲まされていたんです」


 意味がとらえきれずにオスニエルは首を傾げた。ウォーレンは諦めたようにため息をついて補足した。


「つまりだ。禁忌とされている薬草がその小さな村の井戸に投げ込まれていて、知らずに長期間、それを飲んだ住人たちが魔力異常を起こしたんだ。今、辺境伯が全力で投げ込んだ人間の特定をしている」

「何の薬草だ」


 嫌な予感が背中を撫で上げた。その気持ち悪さにオスニエルは表情をこわばらせた。でも聞かないわけにはいかない。ウォーレンは静かに答えた。


「魔力草の一種だと思う。まだ確定していないが、似たような効能があるようだ」

「魔力草の一種? 魔力草は国が管理しているだろう? 簡単に手に入らないはずだ」

「だから使われたのは違う品種だ。でもそれは禁止になっている魔力草と違って、飲んだからと必ずしも深刻な被害があるわけじゃない」


 ウォーレンは疲れたように椅子に体を預けた。補佐官がオスニエルに書類を差し出した。オスニエルはその書類を受け取り、表紙をめくる。目を通していくうちに、表情が険しくなっていく。


「読んでわかる通り、持ち込まれた薬草は人によって反応が違うんだ。今、他国の状況を調べてもらっている」

「わかっている薬草の輸入を禁止にしているんだろう?」

「まあ、わかっているものは。だけど、それで終わりにするわけにはいかない。恐らく……辺境伯領で起こったことは誰かにとって実験なんだと思う」


 ウォーレンの吐き出した言葉にオスニエルは絶句した。込み上げてきた苦い感情をかみ砕くように奥歯を噛みしめた。



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