3日目 4:00〜5:00 早朝の来訪者
3日目
4:00
俺は、パオラを後ろから抱きしめながら、彼女の手を取った。「ーーネイルしないの❓」
「しないわ。邪魔臭いし、娼婦っぽい」
「綺麗な指だ」
「そう❓」
「ネイルしても似合うと思うけど、今のままの方が好き」
パオラは、ベッドから出ると、服を着始めた。「ルーブルの中にレストランがあるみたいなの。そこでランチしましょう」
俺は頷いた。
ベッドから出て、俺も服を着る。「明日、パリを出るのか❓」
パオラは頷いた。「そっちは❓」
「もう少しパリに留まろうかなって」
「わたしは、多分ベルギーに行くかな。それか、ドイツかも」
「そこら辺は、今安全なのか❓」
「多分ね。どこで何が起こるかなんて予測できない。怯えてちゃ旅行なんてできないわ」
「タフな君と出会えて、本当に楽しかった」
「わたしも。日本人は変態かオタクか堅物しかいないと思ってたわ」
俺は肩を竦めた。「色んな奴がいるさ。朝飯買ってくる」
「あそこのブーランジェリーの店主好きじゃない」
「パリのブーランジェリーの店主が好きな奴なんかいるもんか」俺は言った。「説教する司祭を好きな奴がいるか❓」
「イケボなら話は別」
俺は笑った。
その時、ドアに、鍵が差し込まれた。
俺は、首を傾げた。
この部屋の持ち主か❓
俺は、パオラを見た。「誰か来る予定❓」
パオラは首を横に振った。「その時は連絡があるはず」
ドアが、静かに開かれ、チェーンロックに寄って、止まった。
「バッド持ってる❓」
「当然」パオラは、スーツケースからバッドを取り出した。
俺はそれを受け取り、部屋を出ようとしたが、どうしても気になったので、パオラを見た。「なんでバッドなんか持ってるの……❓」
「寄越せって言ったのはあんたよ」パオラは、スーツケースに手を突っ込み、中をゴソゴソした。
「いや、それにしたって……、普通旅行カバンにバッドは持ち込まないよ」
「この状況でそれを話そうっての❓」パオラは、スタンガンと特殊警棒を取り出した。スタンガンをポケットに入れ、特殊警棒を、できるかぎり音を立てないように、カチッ……、カチッ……、カチッ……、と、少しずつ伸ばした。
ドアに何か、硬く重いものが勢いよくぶつかる音がした。
どん、どん、どん。
相手は、どうやらチェーンカッターを持っていないらしい。
どん、ばきっ。
ドアが壊れる音がした。
俺は、寝室の入り口のすぐそば、パオラは扉の裏に立ち、武器を構え、耳をすませた。
足音は1人。
体重はそれほど重くはない。
女性、あるいは、小柄な男性、革靴、あるいはパンプス、底の硬い靴、極限まで殺した足音、訓練を受けている、香水の香りがしない、女性特有の香りも、男性の香りもしない、匂いを消す何かをつけているのだろう、足音が消えた、立ち止まっている、ドアを開ける音、向かいの部屋、クローゼットを開け、しゃがみ込み、ベッドの下を覗く、テラスへのドアを開け、テラスに出る。
俺は、パオラに指で合図した。
1人で大丈夫だ。
パオラは、頷き、首を振って、俺に、廊下を見て来いと、合図をした。
俺は、マジで❓ と、顔で訊いた。
マジよ、と、両手を使ってこちらに訴えかけてくるパオラ。
君が行けよ、俺は、戯けるようにして、顔と指でパオラに言った。
パオラは、笑いながら、さっさと行けっ! と、親指で、GO! と、命令した。
俺は、しょーがないなぁ、と、首を振りながら、バッドを握り締めて、ドアから出た。
通路に充満する外の香りと、街の音。
相手は、向かいの寝室のテラスにいるはずだが、扉が閉まっていて、中の様子はわからない。
ドアを蹴り破るなどという荒っぽいことをするということは、目的は普通のものじゃない。
強盗だろうか。
銃かナイフを持っている。
家主が留守だと知っている、あるいは、家主から獲物がここにいると聞いている。
俺は、バッドを床に転がし、右手に意識を向けた。
手の中に魔力を集める。
魔力は銃に形を変え、実体を持った。
俺は、銃身に人差し指をかけ、銃を構えた。
マガジンには、ゴム弾を模した魔力の弾丸。
小口径だが、速度の出る5.7mm弾。
人間を超える身体能力に、人間を超える動体視力と反射神経を誇る魔法使いに対しても有効な弾丸だ。
玄関のドアから伸びる廊下、玄関に入ると、4mほど先にキッチンがある。
廊下には、扉が、左右に2つずつ。
物置とバスルーム、寝室が2つ。
俺は、キッチンに移動し、ドアの影に隠れ、銃を構えた。
人影は、銃を構えて、廊下に出てきた。
俺たちがいた寝室、パオラが隠れている寝室の扉に手をかける。
「動くな」俺は、英語で言った。
女だった。
年の瀬は、20歳前後。
パンツスーツに身を包み、ブーツを履いている。
身長は160cmほど。
ボブヘアー。
美しい女性だった。
口の形から、フランス語を日常的に喋っていることが窺える。
目と髪の色がわからない。
顔は、隠していなかった。
「動くな」俺は、もう一度言った。「銃を落として、こっちに蹴れ」
女は、銃を落とした。
銃を、爪先で小突くように、こちらに蹴ってくる。
その時、予想外の出来事が一つ起こった。
銃が、弾丸のような速度でこちらに飛び込んできたのだ。
爪先で小突いただけでは、この速度はあり得ない。
魔法使いだ。
それに気づいた時、俺はすでに、飛んできた銃を腹で受け止めていた。
呼吸が止まった。
見れば、女の手の平が俺の顎に向かって伸びていた。
痛みを感じるまもなく、顔が下から上に弾かれる。
天井を向いた次の瞬間、横面を弾かれ、よろける。
視界がぐるりと回ると同時に、体が横に揺れる。
銃声が響き、体が、肩を小突かれたように揺れた。
銃弾に肩を殴られたようだ。
俺が最後に見たのは、身をひねる女、俺の顔に向けて振り回されるパンプスの底だった。