表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

天使と終末心中

作者: 桐生透子

 天使に会った名も知らぬあなたへ。

 この手紙を読んでいるということは、あなたも死のうと考えていて、天使に会ったことと思います。

 わたしはもう死んでいると思うので、あなたの先輩にあたる者です。

 わたしも天使に会いました。天使に会って、この手紙を書くことにしました。

 あなたはなぜ死のうと思いましたか?

 わたしは死ぬ理由を遺書に残さなかったので、せっかくだから先輩の身の上を読んでください。

 遺書に残さなかった理由ですが、死ぬ理由を書いてしまったら、残していく家族に禍根が残るだろうと思ったからです。今、初めて禍根という漢字を使いました。なんとなく読める漢字ではありますが、日常生活では使わないものなので、スマホで変換したものを見ながら書きました。スマホは便利ですね。

 話がそれました。

 死のうと思った理由は、仕事です。

 わたしは、公務員です。地元の市役所で働いています。

 大学まで出してやったんだから、先生になるか役所で働かないと許さないと母から強く言われて、最初は先生になりました。

 でも、先生の仕事は予想以上にハードで、しんどくなって一年で辞めました。夜は眠れないのに昼間は眠くて、食欲が常にあって、食べても食べても満足できなくて、マックのチーズバーガーセットにファミチキ、カルボナーラパスタ、ツナマヨおむすび、かつサンドを毎晩食べて、ペットボトルのロイヤルミルクティーを飲んでは吐いていました。

 一年足らずで先生を辞めたわたしには、家は針の筵でした。

 むしろとは、こういう字を書くんですね。これも今、スマホで変換したもの見ながらを書いています。

 先生を辞めたわたしには、公務員試験に合格するしか、許される道はありませんでした。

 派遣やフリーターをしながら、三年かかって公務員試験に合格しました。

 配属されたのは、役所の中でも忙しいと言われる部署でした。

 公務員なら九時五時で帰れるだろうと母は思っていましたし、実際口にも出していましたが、そんなことはありません。

 残業はありますし、休日出勤もあります。また、あまりにも残業時間が多いと上司から、夜八時以降の残業や、休日に出勤した場合は申請しないように言われました。

 それでも、一年目は我慢しました。

 休日出勤はあるし残業も多いしその残業も過少申請しないといけませんが、上司も先輩も、性格は穏やかなひとばかりだったからです。

 二年目になって、直属の上司が移動になり、四月に新しい係長が着任しました。

 有名な係長でした。

 職員つぶしとして。

 わたしは、職場で無視されたり、理不尽に怒鳴られたり、ひとりでは処理不可能な量の仕事押しつけられて現実的でない短い処理期限を言い渡されたり、という経験を、初めてしました。

 先輩からは、最近表情がない、声に元気がないと心配されましたが、よくわかりません。

 係長は、後輩や部下を今まで何人も休職に追いやったり退職に追い込んだりした、悪魔のような人間だから、気にしてはいけないと周囲に何度も言われましたが、どうしたら気にしないようになれるのか、よくわかりません。

 出勤時間が近づくとと涙が止まらなくて、職場に着くとほとんど毎朝トイレで吐いていました。

 そんなとき、新聞記事のコピーが重要回覧として職場で渡されました。そこにあったのは、二年前に自殺した若手職員の遺族が市を相手取って起こした裁判の結果で、遺族の、市側に公務災害認定を求める訴えを、認めたものでした。

 数年に一回は自殺者が出るものだから、いちいち裁判してもしょうがないのにと先輩が教えてくれたのはそのときでした。

 その手があったか、とわたしはひざを打ちました。目の前がひらけたような気持ちでした。

 大学まで出してもらって、先生か公務員しか許さないと母に言われているので、先生は辞めてしまったし、ここでまた、一年ちょっとくらいで公務員まで辞めたら、わたしの許される道はもうないのです。

 もはやこれくらいしか道はないのです。

 ただ、仕事が苦しかったと死ぬ理由を遺書に残すのはやめようと思いました。

 自殺した若手職員の裁判は、二年もかかっています。大学まで出してもらったのに、裁判までしてもらったら、親に申し訳がありません。これが禍根が残ると思った理由です。

 数年に一度、自殺者が出るなら、遺書なんて残さなくても、よくあることとして処理されるでしょう。

 ただ、それをいつするのかは重要な問題でした。お葬式にはお金がかかります。わたしは非正規で働いていた期間が長いので、貯金がありません。これは比喩ではなく、本当に口座の残高は千円もないのです。

 公務員は高給取りだというひともいますが、若手は実際、それほどではありません。去年、仲のよい友だち数人で遊んだときに給与の話になりましたが、民間に就職した子はわたしの二倍もらっていて、びっくりした覚えがあります。

 話がそれました。

 わたしは、お葬式を上げるのに十分なお金がないのです。家族葬でもそれなりにかかるようです。しかし幸いにして、六月三十日にはボーナスの支給があります。基準日は六月一日です。条例を調べたところ、職員が六月三十日の前に死亡した場合でも、六月一日に在籍していれば、満額支払われるそうです。給与も、末日締めの当月払いなので、一日に在籍していれば、途中で死亡しても満額支払われるとのことでした。

 給与と、ボーナスを合わせれば、お葬式は上げられそうです。奨学金の支払いがまだ終わっていませんが、奨学生が死亡した場合は支払いが免除されるようなので、大丈夫でしょう。またこれも幸いなことに、大学を卒業したときに購入した車のローンも、三月に払い終わったところです。

 そういうわけで、六月一日が過ぎるのを、わたしは楽しみに過ごしていました。

 今日は六月に入って初めての土曜日です。天候は小雨です。お昼過ぎまでは休日出勤している先輩たちがいましたが、雨で肌寒いから早めに帰ると言って、みんな帰りました。

 絶好の機会です。神さまが味方してくれているのでしょう。飛び降りは、落下したときの衝撃で飛び散るから掃除が大変だと聞いていたので、ごみ袋も持ってきました。これを頭からかぶって、あとはジャンプするだけです。

 書き忘れていましたが、わたしの配属先は八階にあります。この高さなら間違いないでしょう。今、初めて、いい職場だと思いました。

 八階の非常階段のドアを開けて、頭からごみ袋をかぶろうとしていたときでした。

 わたしは天使に会いました。

 あなたも会っているのでわかるかと思いますが、天使の頭にはわっかが、背中には羽根がついていて、白い服を着ていて、一見して、それとわかる特徴を備えています。ちなみに、顔はわりとふつうの日本人のような感じでした。あなたの会った天使はどうでしたか?

 わたしの会った天使は、この世界はわりと脆く、滅亡の危機が頻繁にやって来ていると教えてくれました。

 そして、今まさに世界は滅亡の危機に瀕していて、わたしが死ねば、明日の世界滅亡を防げると。

 天使は、わたしにどうするか尋ねました。

 世界が、命ひとつで救えるとはおどろきでした。

 世界を救えるうえに、わたしはこれ以上苦しい思いをしなくて済むなんて一石二鳥です。もう一羽の鳥のほうが大きくてびっくりですが、もともと死のうと思っていたので、渡りに船です。ところで渡りに船の使い方は合っているでしょうか。違っていたらすみません。

 うなずいたわたしに、天使は、わたしより先に世界を救ったひとが書いた、これから世界を救うひとにあてた手紙を読ませてくれました。

 そのひとは十代の男の子でした。いろいろ苦しいことがあったようでした。その子も天使に会って、世界を救うことにしたようでした。

 読み終わって、わたしもこれから世界を救うひとあてに手紙を書こうと思いました。

 天使にお願いすると、どこからかペンと便箋と封筒を出してきました。

 そういうわけでこの手紙を書きました。

 この手紙は、天使に次の救世主に渡してくれるように頼むので、きっとこれを読んでいるあなたが次の救世主ですね。

 手紙を書きたいと言ったとき、天使は泣きそうな顔をしていました。わたしの死を悼んでくれるのかもしれません。さすがは天使です。

 ただ、泣きそうな顔をした天使は、なんだか十代の男の子のように見えました。

 それでは、わたしはこれから世界を救います。

 長くなりましたが、お元気で。

 いえ、これから世界を救うあなたに、お元気で、というのは変ですね。

 全世界のひとに代わって、世界を救ってくれるあなたにお礼をします。ありがとうございます。

 では。


 次の救世主のあなたへ

     前の救世主のわたしより




 手紙から顔を上げると、天使は俺に尋ねた。

 世界を救いますか?

 俺がうなずくと、天使は泣きそうな顔をした。その表情は、二十代後半くらいの女性に見えた。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ