border of novelistー30ptー
30ポイント。
たったそれだけで、僕の世界は変わった。
相互評価。
ネット小説家たちにとっては、絶対にしてはいけないとされる禁断の行為。唾棄すべき悪行。
しかし、それに手を染める者は、後を絶たない。毎月、毎年のように、不正に関する報告が運営から悲しみを持って伝えられ、更には、SNSでこれらの相互評価疑惑を持ち出すことによって、少なくない人数が過激なネット社会で火に炙られている。
そして僕──ペンネームを「紫亜」という──も、そんな影でこの禁断の行為に手を染めている、悪人。
今日も、僕は不正に作った別アカウントで、相互評価グループに所属しているメンバーの作品に、5点をつける。物語に5点、技能に5点。最高点だ。
でも、本当は、この人たちにこんなに高い点数をつけるほどでもないと思っている。意外と思われるかもしれないけれど、僕は相互評価グループのメンバーたち6人の小説を、最新話まで読み続けている。
多分、こんなことをしているのなんて、僕ぐらいだろう。
はっきりいって、雑。一言で評するなら、2点もつけられればいいと感じるような、そんな作品たち。
それでも5点をくれてやる。だって義務だから。代わりに自分のも評価されるから。
そうすることで自分はやっと、上位の作家と対等に渡り合えて、きっと世間に認められるから。そして──。
「小説なんてやって何の役に立つの」
「そんなことより試験はどうしたの」
「今の時代、趣味に生きるなんてそんな優しい時代じゃないのよ?」
「あなたのことを心配しているの。あなたには幸せになって欲しいの」
ネット小説サイトで小説を連載していることが親にバレた後、僕は両親から繰り返しそう言われた。
両親は苦労人だった。誰もが華やぎを持って過ごしたバブル期ですら、ハローワークを彷徨っていたような、社会の底辺層。ようやく見つけた就職先も、明日もしれない派遣労働。そんな中で、僕は生まれた。贅沢はできなかった。けれど、両親は、できる限りの幸せは、僕に与えてくれた。
だから、そんな両親の言葉は、ある程度呑み込めた。自分と同じ道を歩ませてはいけない。どうせ歩むにしても、それは落ち着いてからにするべきだと。
幸せを願う、父と母の気持ちだった。
しかし、僕はそれでも、小説家になることを諦めきれなかった。趣味に生きれるのなら、そうしたいし、何よりも、小説を書いている時間が、一番満ち足りていると、感じていたから。
だから、認めさせる必要があった。
確かな実績を持って、父と母に見せつければ、きっとあの二人も分かってくれると、そう僕は信じている。
だから、僕は禁忌に手を染めた。
ネット小説の世界は、厳しかった。書籍化や、アニメ化、映画化なんてされる作家など、ほんの一握り。十人にも満たない勝利者の下には、何十万の屍が転がっているのだ。
そして、その屍には、陽の目すら当たることすら、ほぼ絶無。
読者は良質な作品を求める。だから自然と、高評価な作品を優先的に読み漁る。ランキングに載るか載らないか。それだけで、勝ち組と負け組が決まる。
その決め手が、ポイント評価なのだ。
僕の書いている小説のジャンルは、ローファンタジーだった。地球を舞台にした、非日常的な空想世界。ハイファンタジーよりも手頃で、地球をベースにしているから、初心者の僕でも書きやすいジャンルだった。しかも、完全異世界を舞台にするハイファンタジーよりも、競争はそこまで熾烈ではなかった。
ローファンタジーで、日刊トップテン入りするには、最低でも30ptは必要だった。週刊入りするには、最低600pt必要だった。月刊入りするには、もっと必要だった。
そんな継続的な評価の獲得など、ゼロから始めた自分には、到底無理な数字であることは、自明の理だった。
でも、だからといって、ここで諦めれば、自分は自分を裏切ることになる。自分の幸せから、遠ざかることになる。
それだけは──避けたかった。
相互評価。禁忌に手を染めてでも、自分は自分でいたかった。夢を諦めたくなかった。
午後十時。
相互評価を終えた僕は、家を出て「ミクロバーガー」というファストフード店にいた。
机の上に広げられているのは、アップルパイとコーヒー、そして文字が書き込まれた大学ノートと、中学の時から愛用している、シャープペンシル。
僕は執筆をする時、いつもこの「ミクロバーガー」をこの時間に利用していた。アップルパイが美味しいのと、人が少ないこと、なによりここだと、執筆が進む。そんな理由だった。
大学ノートには、文字の羅列。アイデアたちだ。
「魔法」「スライム」「詠唱」「キリル文字」「剣のイメージ図」「ダンジョン見取図」「ヒロインの性格」「名前」「使えそうなもの」「マンホール」「ビル」「鍵」「タッチペン」「信号」「ヤンデレ」「駄目」「クーデレ」「キツめより柔め」「ラスボスはタコ」「クラーケン」「能力の副作用」「寿命は300年」「絶倫」「ハーレム」「十二等分のヒロイン」「お茶会」
なんのつながりもない。アイデアたちの巣窟。これは僕にしか分からない世界だ。なにかの間違いで世界が滅んだ後、これはきっと怪文書扱いされるだろう。かの有名なヴィオニッチ手稿も、案外誰かのアイデアノートだったりして。
そうやって僕はノートに新しく世界を刻む。かりかり。かりかり。シャープペンシルで作られる文字の輪郭。世界の輪郭。誰も邪魔するものはいない。僕だけの世界。
かりかり。かりかり。
かりかり。かりかり。
シャープペンシルの二重奏。
いやそうじゃない。両手シャープペンシルとか漢字5000字とかいう正気とは思えない夏休みの宿題限定だし。
顔を上げると、横で一人の女の子が、同じようにシャープペンシルを動かしていた。僕よりも小さかった。多分小学生くらいじゃなかろうか。ていうか待て。こんな時間にうろつくのは違法じゃないのか?もしくは条例違反。
「お客様?」
そらみたことか店員きたじゃないか。どうするんだよ。つまみ出されるぞ。
「あの……大変申し訳ございませんが、この時間帯の未成年の外出は「すみません、僕の妹なんで。あと僕は19歳なので条例違反じゃないです」
割り込んだ。何やってんの俺と内心思ったけどもう遅い。ちなみに僕は高校生だ。19歳なのに高校生というのは……察してほしい。仕方ないんだよ!英語とか理解できないからぁ!というか今それどころじゃないんだって!
店員が階段を降りていったことを確認して、僕は声をかける。ちなみにここは二階。
「なにしてんのさ」
「別に……勉強をしてるだけよ」
その割には彼女の机には教科書類は全く見当たらなかった。ていうか原稿用紙だし。季節外れの夏休みの宿題でもないとすればこれはどうみてもアレだろ。
「ダウト。それどうみても小説だろ?」バレバレだがな。
「ちち違うもんこれは夏休みの宿題で」いや冬だから。
「ちょっとみせてみ!」「あっ!」
僕は原稿用紙を取って読み始める。
「返して!」「はい今深夜だからうるさいよ」「知るか!」「……」
黙々と読み進める。彼女も、観念したのか、黙る。
どこにでもいるふつうの女の子。しかしある日トラックに轢かれて重傷を負った。生と死を彷徨った彼女は、神様から魔法の力を授かる。そして、オカルトが一蹴された現代に再び蘇った彼女は──人助けのために、魔法を使う。
要約すれば、こんな話だった。文章はまだ拙かったし、文法もところどころめちゃくちゃだった。
でも──そこに僕は懐かしさを覚えた。あの頃の僕と、とてもそっくり。ただがむしゃらに、自分の熱意だけをぶつけていた、小学生の頃。
「君、小学生か?」
「なによ、悪い?」
僕は、素直に感想を言う。
「面白いと思うよ。だからさ、完結したら、僕にまた、見せてくれないかな」
え……、と彼女は虚を突かれたような表情で、その一文字を紡ぐ。
「これ、ほんとうに、面白いと……思いますか?」
恐る恐る、という感じで、彼女はいう。
「うん」迷いなく。僕は告げる。だって本当に面白いんだもの。
「実は私……友達に見せたら、笑われたんです。なにこれダッサ。って。でも、私は、いつか誰かが認めてくれるんじゃないかって……ううん……私は、私の世界を、描きたかった。それだけなの……」
あぁ。やっぱりか。ほんと、どこまでも僕とそっくりなやつだ。
「うん。面白いと思うよ────だからさ、僕と一緒に、これから毎週金曜日、ここに集まって、小説を一緒に書こう?そうすりゃ、条例違反にはならないからさ」
こうして。僕と彼女は、一緒に小説を書くようになった。
彼女は「テトロ」という名前をペンネームにしていた。フグ毒からかよ。見かけによらず発想が怖いわ。と当時の僕は思ったが。
まぁ「ああああ」、四つのあ、四あ、「紫亜」ってペンネーム由来の僕も、人のこと言えないけどね。
ネット小説からは、引退した。相互評価もぱったりやめた。
僕は、テトロちゃんに見てもらえれば、今はそれで幸せだから。
ありがとう────テトロちゃん。
***
「紫亜」がネット小説界から唐突に姿を消したことは、ある種の驚きをもって迎えられた。ローファンタジーのランキングで五本の指に入る有名小説家だったからだ。
そして、読者たちは驚愕の情報を知ることになる。
「紫亜」のランキング入りは、相互評価によるものだったことを。
そして「紫亜」は、SNSで、ネット世界で、吊るされた。
過去の悪行を、彼ら、彼女らは、正義感と、少しの嫉妬と、遊び心と暇つぶしでもって、断罪する。
そして────。
『伊都市で投身自殺。男子高校生と女子小学生、合わせて二人が死亡』
翌日の新聞の朝刊の隅に、一つの自殺が報じられた。
(了)