8、自分の気持ち(2)
ひどい砂嵐ノイズの中に、どこかの国の言葉が微かに聞こえた。その言葉を遮る様にどこかの国の脳天気な音楽が流れ、そして、それらをかいくぐるかの様に聞き覚えのある爆撃音、人の叫び声がかすかに紛れていた。普通の状態での無線通話ではまず無い事だったが、そんなことを気にする余裕は俺には無かった。一瞬だが彼女のコールサインを聞いた気がしたからだ。チューナーを微妙に回しながら、彼女の声が大きく聞こえる方へとメーターが少しずつ進む。はたとノイズが途切れると、一瞬の静寂の後、彼女の良く通る声がスピーカーから響いた。
「今日はすごいノイズで、何度かコールを返したんですけど聞こえましたか?」
「いや、結構スピーカーの音量は上げていたんだけど、俺の方はとにかく混線とノイズが酷くて全く聞こえなかったな。無線の調子でも悪かったのかな」
「そんな……ああ……でも言われてみれば確かに……壊れてしまったら私、どうしたらいいのかしら」
彼女は心細げな声でつぶやいた。
「そうだな……その時は俺が花火でモールス信号でも送ろうか」
「モールス信号ですか……でも、私はあなたの声が聞きたいです……」
「い……いや、もしもの話だ。そんなしょんぼりしなくても大丈夫だと思うが」
「あっ……いえ……あのそういう意味では無くて……じゃなくって……」
「……うん……俺も君の声で君の言葉が聞きたい」
言った後で俺は何だかとんでもないことを言った気がして気恥ずかしくなる。
「あ……そ、そうだ、君の部屋ってどんな感じなのかな」
「はい?」
「あ……いや、その、今日俺、部屋掃除してて、なんていうか、見えて無くても綺麗にしなきゃって、君がそんなことを言っていたから、俺もまねしてみようかなって……あああ……じゃなくて……」
彼女がクスクスと笑っていた。
「その……今日部屋を掃除していたら、君の部屋はどうなのかなって、サナトリウムって言ってたし、殺風景なのかな……とかさ、君の使ってる家具はどんななのかな……とかさ、色々考えちゃって……」
「嬉しい……」
そう言って彼女がまた笑った。
「私の事をずっと考えて居てくれたんですね……」
「あっ……うん、まぁ……」
「ふふっ……実は私も、お昼に、あなたは何を食べているのかなぁって、朝ご飯は何を食べたのかなぁって」
そして彼女はためらいがちに言った。
「あなたは今、どうしているのかな……って、って、変ですよね……私。まだ知り合ってそれ程経って居ないと言うのに、図々しいっていうか……」
「それはお互い様じゃないか」
何だかしどろもどろになっている彼女の様子が可笑しくて、俺は言った後で思わず吹き出してしまった。
「……でも俺も君と同じだ。そう思ってくれるなんて、何だかうれしいね」
「図々しい女だと思いませんか」
「そんなこと無いよ。誰かが自分の事を思ってくれている。そう考えただけで何ていうんだろうな……うん……元気が出るきがするんだ。君がそう思ってくれているのなら尚更……俺は……」
「良かった……私もです……あなたがそう言って下さるなら私は……えっと……その……うん、そう……そう言えばあなたのお部屋はどんな感じなのかしら」
「俺の部屋はそんなたいした物じゃないさ。壁は木の板が貼り付けてあるだけだし、歩けば軋むし……そうだな……うーん、南の窓際に机、で、俺がそこに座っているんだけど、背中の方にベッド。これは親方のお古だな。あんまり大層な物じゃ無いけど……ベッドの下には本来洋服を入れる様に棚がついてるんだが、今は花火の設計図しか入ってないかな」
「フフフッ……本当に花火が好きなんですね」
「うん。大好きだよ。で、ベッドの脇は人が通れるくらいの隙間を挟んで洋服ダンスと、本棚。どれも古い木製だからすすけちゃっているけど、使いではいいね。手入れさえ忘れなければ見た目以外文句は無い。で、ベッドの足下にこの部屋の入り口がある。俺の部屋はそれくらいかな」
「良いですよね。木製の家具って。暖かみがあって、良いにおいがして。サナトリウムで使う物はどれも消毒しやすい物だったりして、凝った細工の物とかはあまりないんですよ。ベッドにしたってそう……鉄製のパイプを組み合わせた物だし、家具とは言えませんけど、唯一、このオルゴールだけですね……自然の素材で作られた物と言えば……」
「そう言えば、君の部屋には台所とかあるのかい?この前コーヒーを淹れていたみたいだったけど」
「ええ、一応簡単な流し台と、お湯を沸かすためのポットはありますけど、うーん、やっぱり台所とは言えないかも。そうだ。あなたのお部屋のカーテンは何色かしら」
「カーテン?カーテンは付けてないよ」
「ええ?カーテンですよ」
「だから、そのカーテンは付けていないな。今言われて思い出した位だ。そう言えばここに越してから、いつか付けようと思ってすっかり忘れていたなぁ」
俺の言葉を聞いて彼女は笑った。
「もぅ……うーん……そうですね……フフフッ……では私がレースのカーテンを編みましょう」
「いや嬉しいけど、すごい大変なんだろ、レース編みって……いいよ別に」
「いいえ。わたし、レース編み得意なんですよ。自分の部屋のカーテンもそれで作りましたし……わたしの部屋って、何もかも白くて、だから模様だけでも……と思って、そうして色々作っているうちにいつの間にか編み物は得意になったんです」
「そっか……じゃあ頼もうかな。でも……いや……うん、頼もう」
俺は、彼女が無理をするのでは無いかという心配が頭をよぎったが、それを口にすることは止めた。その代わりに、とりあえず窓の大きさを気持ちばかり小さめに彼女に伝えた。
「分かりました。このくらいのサイズだと、二枚で……うーん、多分年は越さないと思いますけど、寒くなる前には……どうかなぁ……雪が降る前にはきっと出来ると思います。その時にあなたの住所を教えて下さいますか」
「ああ、かまわないよ。でも、レースか……俺の部屋と釣り合うだろうか……」
俺はそう言って辺りを見回すが、どうも想像がつかない。
「レースは割とどんな環境にも合うと思うので大丈夫だと思いますよ。出来れば外側にはきちんとした厚めのカーテンがあった方が良いと思いますけど」
「そうかなぁ……俺は別に無くても……」
「いいえ。あった方がいいですよ。夏の直射日光を防いでくれますし、冬は部屋の暖かみが抜けにくいですし……」
「なるほど……分かったよ。じゃあ、明日早速買いに行ってみようかな。いや今日……か、そうだ、君は何色がすきなのかな」
「わたしですか?そうですね……若草色が好きです。純粋に緑……という感じの色より少しだけ柔らかな感じがして」
「なるほど……じゃあ、若草色にしようかな。うん……木の茶色に若草色は悪くない組み合わせだな」
「お買い物ですか……うらやましいですね」
「君は買い物は好きかい」
「ええ……でも、今は外に出ることもままなりませんから、でも、街にいた時は良く母に連れられて色々なお店を回ったものです。でもお母様ったら、何を買うにも毎回、選ぶのに時間がかかって、それだけはどうしてもわたし、苦手でしたけど」
「へぇ、君は何か買う時すぐ決めれるほうだったり?」
「だと……自分ではそう思いますけど、でも……お父様には良く長い買い物だとあきれられてましたね」
「ははは……なるほど……」
俺は何となく彼女の父親が困った様子が分かる様な気がして、思わず苦笑いを浮かべた。
「あっ……もうこんな時間……」
彼女の声に俺は時計を見上げる。そろそろ通信が途切れる時間だった。
「もし……」
俺はたまらず言いかけた言葉を飲み込んだ。二人の時間が終わる、そう思うだけで、今日に限ってそう考えただけで胸が締め付けられたからだ。
「どうしました?」
彼女は不思議そうに言った。
「もし……俺が君に会いたい……っていったら……君は……君はどう思うだろうか」
我ながら情けないと思った。自分の弱気がそうさせたのか、どこか及び腰になった言葉に対して言わなければ良かったと言う後悔が、口にしたすぐ後でふつふつと沸き上がる。スピーカーの向こうの彼女は何も言わない。俺にはその沈黙がただただ怖くて言った言葉を撤回しようとしたその時だった。
「わたしは……その……わたし……なんか……きっと、あなたが思うほど綺麗では無いと思いますし……わたしは……」
「俺は、君に会いたい。迷惑ならそう言ってくれ。君がどう思っているのか、それだけが知りたい」
「わたしなんかで……いいのかなぁ……」
彼女の言葉にノイズが乗り始める。
「あっ……まって……ど……どうしよう……でも、あなたに嫌われたら……わ……わたし……」
「ご……ごめん……いや、もういいよ。いいんだ。すまない……君がそんなに悩んでしまうとは思わなかったから……今日、言ったことは忘れてくれ……」
ノイズが激しくて、果たして俺の言った言葉が彼女に届いたかは分からなかった。だけど、俺は色々な音が入り交じる混沌の中で確かに彼女の声を聞いた。
彼女は言っていた。
「会いたいです……」
と。しかし、ノイズが治まり、通信が途絶えてしばらくした後で気づいた。俺は彼女の居場所を知らないのだ。知っていることと言えば時差一時間の範囲と言う事だけ。だけど明日がある。明日、彼女に住んでいる場所を聞けば良いことだ。自分にそう言い聞かせながら、半ば見切り発車的に走り出した気持ちを落ち着かせる。しかし、カーテンの事を思い出し、二人で決めた色のカーテンを明日買いに行くと思っただけで再び胸の鼓動が高鳴った。俺は結局その日眠るのを諦めて、恐らくは彼女も見上げて居るであろう空を見上げる。部屋から見上げた空にはいつもより大きく見える月が煌々と輝いていた。




