6、待っていてくれる人
徹夜明けの仕事は厳しい。ましてやそれが夏のクソ暑い日となると尚更だ。今日は今年の最高気温を更新して、炭鉱では倒れる人も出たくらいだ。そんな中がんばり切れたのは多分、彼女が『いってらっしゃい』と言ってくれたからなのだろう。だけど、さすがに親方は暑さが堪えたのか、仕事の後、日課である花火職人は表向き休業と言う事になった。一応、鍵を預かっていた俺は了承をとって工房の中で花火の試作品を作りつつ、彼女の事を思い出しては、おそらく時差一時間の範囲の人達に見える花火をどうやって作ろうかと思案していた。別に彼女にどう思われたいとか、何かをして欲しいとかと言う考えは無かった。ただ、彼女の為に何かしてあげたくて、そんな衝動が収まらなくて、もてあましていたからだ。一時間程作業をしてから、帰り支度がてら工房の中を片付けていると、親方の娘が線香花火をつくってくれと言ってきたので鉄の粉を使った簡単な花火を五・六本作ってやると、今度は、一緒にやらないかと言い出してきた。俺は腹も空いて来ていて、早いところ晩飯でも食いたいと思っていた所だったのだが、まぁ、家に急いで帰ったところで彼女との無線が始まるまでには時間があったし、そのまま親方の娘につきあうことにした。手を引かれるまま娘について行くと、親方が家の外にテーブルをだして早くも出来上がっていた。横には冷えたエールの瓶が氷の中でひしめき合っていて、酒が飲めない俺でもさすがに美味そうに見えるほどだった。そして、脇にはもう十本近く飲み干されたエールの瓶が転がっていた。相変わらず酒が好きな人だ。
「おう来たか、まぁいっぱい付き合っていけよ」
「いや、エールはどうも苦手で……」
「ばかやろう、酒の味が分からねぇガキにアルコールなんかのませるかよ」
そう言って氷が詰め込まれたジョッキに炭酸飲料をダクダクと注ぎ込む。あふれる程に注ぎ込んだジョッキをズイと俺に差し出して親方は言った。
「まぁ、ぐいっと行ってくれ。おい、かーさん、こいつにも何か喰う物をだしてくれや」
「あ……俺は別に」
気持ちは嬉しいのだが、さすがに人の夕食をご相伴にあずかるほど俺は図々しくない。奥さんの料理は確かに美味いが、さすがに今から俺の分も作らせるとなると何となく申し訳ない気がして遠慮せざるをえなかった。
「兎に角、俺は花火やったらすぐ帰りますし」
「いいじゃないか、アンタ、この人に付き合っておくれよ。久しぶりにアンタも加えて家族団欒といこうじゃない」
奥さんが言いながら、次々と料理が並べられていく。
「おい、おめぇ、ここまで料理だされて帰るってこたぁねえよな」
「ああっ……いやぁ、すいません親方……折角なんでいただかせてもらいます」
「礼なんかいらねぇ。おめぇは黙って喰ってろってんだ。ホラ、ジョッキが空いてねぇぞ、まず飲め。それから喰え。人生の半分はメシと酒で出来ているんだぞ」
俺は進められるままにジョッキを飲み干すと生き返った心地になる。無理も無い。工房はなんだかんだ言って暑かったし、汗もそれなりにかいていた。にも関わらず、水も飲まずにずっと作業していたのだ。喉が潤うと、今度は腹が尚更空いた。
「じゃあ、ご飯を食べたら花火をしようか」
親方の娘にそう言って、俺はテーブルについた。娘はちゃっかり俺の横に座って、次から次と料理を取り分けた。小さいながらもしっかりしている。この子を見ていると何となく妹を思い出す。
「そう言えば親方、例の高光度の火薬なんですけど」
「ん、どうした」
「いや、アレってどの位明るいものなんですか」
「んー、どの位って衛星間での連絡用に使われる位だから、メチャクチャ明るいんじゃねーかな」
「は?」
「ぶっちゃけ分からん。が、とにかく打ち上げ花火においての普通の高度で使ったら、そこら辺に居る連中の目がつぶれるほどだって言う話だから、メチャクチャあかるいんだろうな」
俺は親方の言葉に俄然期待せざるを得なかった。彼女に見える花火の目処が立ったからだ。高度さえ何とかなれば、話通りの光度なら、時差一時間程の範囲なら花火の大きさはどうあれ、とりあえずは見せることが出来るからだ。
「そうだな……次の、夏の終わりの花火大会までには何とか仕上げたいもんだがな」
親方がそう言うと、おもむろに椅子から立ち上がり、線香花火に火を付ける。親方の娘は、それを見て、隣で線香花火を構えた。親方がライターの火を付けてやると、二つの線香花火が火花を散らす。シンプルな作りではあるが、それなりに花火の体を成している。この夏に入って何本も作らされた成果だろう。
「何とか仕上げる……じゃねぇな。絶対仕上げねぇとな……」
親方が線香花火の火を見る目が優しかった。
親方の家で夕食をごちそうになっている時はそうでもなかったが、家に帰ると徹夜の疲れがどっと吹き出した。すぐにでも眠りたい気持ちはあったが、それ以上に彼女の声を聞きたくて、俺はいつもよりも濃いめのコーヒーを淹れて無線機に向かう。
「こんばんは。今日はもう大丈夫なのかい」
「こんばんは。はい」
彼女の声を聞く限りはいつも通りだったが、やはりあんな出来事があった後で、体を気遣わずにはいられず、今日は早めに切り上げようかなと考えていたときだった。
「あの……今日もいつも通りにしていただけますか。気を遣わないで欲しいといいますか……」
「でも……」
「お願いです。せめてあなたといるときは普通の女として接していたいですし、あなたにもそういう風に扱って欲しいの。おねがいです……」
「……わかった。だけど、俺は男しかいない中でそだったから、女性とのつきあい方を上手く心得てないんだよな。まぁ、今更こんな事いうのもなんなんだが……」
「いえ……いつも通りでいいです。わたしは何時ものあなたがいいんです」
胸が高鳴った。彼女の声でそんな事を言われたらいやがおうにも舞い上がってしまう。
「どうしました」
「……いや、君は時々、ドキッとすることを言うね」
「そうですか?でも、私だってあなたと話しているとずっとドキドキさせられて……あっ……」
「ん?」
「いえ……何でも……ないです……」
彼女は恥ずかしそうに消え入りそうな声で言った。
「あっ……あなたと話していると楽しくて……」
「俺もだよ」
「そっ……そうじゃなくて……んーっ、なんて言ったら良いのかなぁ……うううぅ……」
突然やってきた沈黙。彼女はオルゴールを回して何時もの曲をかけた。
「やっぱり恥ずかしいから言いません」
「……はっ……おっ……おう。そうか……なんか、その……おう……」
彼女がクスクスと笑った。耳の奥底がむず痒くなるような、それでいてとても心地良い、胸の奥から暖かくなるような笑い声だった。
「聞かれる前に言いますと、わたしがいる所はサナトリウムなんです。二年前までは大きな病院で入院生活だっんですが、少しずつ体力も戻って、それで今に至ります」
「そっか……大きな病気でもしたの?」
「はい……病院には四年程いましたから、多分大きな病気だったんだと思います」
「思いますって……」
「実はですね……入院してから三年程はわたし、眠らされていまして、その間に病気が殆ど治まってしまったみたいなんですよね。だから病気をしたと言う自覚がないと言いますか……よくわからないんです。病気の事」
「なるほど」
「ただ、完治まで時間がかかるので、今の所で生活をするようにって、そんないきさつですね。あなたの住んでいる所はどんな所ですか」
「んー、まぁどこにでも良くある田舎だよ。内陸の盆地に出来た街だから、夏は暑くて冬は寒い、当たり前と言っちゃ当たり前だけど、暑さとか寒さの具合がすごく極端だな。地理的には割と高地で、俺の家から少し行ったところに、この地方では一番高い山がある」
「へぇ……じゃあ、辺り一面見渡せる訳ですね」
「うん。見渡せる……が、あまりに何も無くて田舎っぷりにあきれるほど、何も無い」
「えぇ……すてきじゃないですか。私が街にいた頃は少し外に出ると建物がひしめき合ってて、とても窮屈で、だからなんでしょうね。私が野原で走り回ったりするのが好きだったのって……だからそういうのに憧れます」
「そういうモンなのかねぇ……」
「はい……憧れるというか、今はそういうのがとても恋しいです」
「そっか……」
「ちょっと失礼して良いですか?喉が渇いてしまって……」
「うん」
「えっと……あなたは今何を飲んでいるんですか」
「コーヒーだよ。暑い日には熱い物が良いってね。俺は何時もホットでコーヒーを飲んでいるよ」
「そうですか……じゃあ、わたしもコーヒーにしようかなっ……では少し失礼しますね」
彼女はそう言うとマイクの前を立った様だった。遠くから湯を沸かす音と彼女の鼻歌が聞こえた。あのオルゴールの曲だ。俺はふと緩んだ緊張感と彼女の甘い声で歌う鼻歌で押さえていた眠気が一気に押し寄せて来たのだろう。強い意志をもって睡魔に抗っていたのだが、ほんの少しの間だけ机に頭を預けるつもりで伏せた俺は、それきり安らかな眠りの世界へと落ちていった。
暗闇の中で彼女の声が聞こえた。歌っていた。何時ものオルゴールのあの、懐かしくて暖かい旋律が彼女の声でそれをなぞると、まるで別物の様に切なく甘い恋の歌にも聞こえる。彼女の声は俺の心を揺り動かすのには十分過ぎるほど魅力的で、何かをささやく度に俺の耳はやたらと敏感に反応する。顔も名前も知らない人なのに俺は何をここまで心を乱されるのだろうか。ただ一つ言えることは、今の俺の渇きの様なこの気持ちは、彼女の言葉によってしか潤すことが出来ないと言う事なのだろう。
「セイレーンってしってるか」
彼女の歌声が途絶えた。
「あの、物語に出てくる歌声で人を誘い出して……ってお話のですよね」
「うん……駄目だとわかっても、その声を聞いたら引き寄せられずにはいられない。セイレーンの犠牲になった人の気持ちが分かった気がする」
「うーん……どういうことですか」
「もうちょっと君の歌声を聞いていたかったかな……」
「あっ……聞いていたんですか」
「うん」
「あ……え……と、何だか恥ずかしいな……じゃなくて……へ……変じゃありませんでしたか」
「いや。よかったよ。おかげで目を開けるのに何度躊躇したことか」
「あっ……そういえば、大丈夫ですか?随分お疲れの様でしたので、今日はもう止めにした方が」
「いや……逆に、その、ゴメン。眠ってしまって……その、今日も最後まで話がしたいから、このままで……」
彼女がクスリと笑った。
「かわいい寝息でした」
言われて現実に引き戻される。寝息だけならまだ良いが、いびきをかいていなかっただろうか。歯ぎしりはしていなかっただろうか。そんなことが頭を回った。
「あ……俺、いびきとかかいてなかった」
「はい。それはもう、部屋中に響き渡るほど男らしくて豪快ないびきでした」
淡々と語る彼女の口調に、やってしまったと思った。いびきを事もあろうに彼女のまえでかいてしまうとは、一生の不覚をとってしまった。格好付けた後に、醜態を暴かれるのはこれほどむごいことはない。
「ご……ごめん。あの、ちょっと疲れてたって言うか、何時もはいびきをしないっていうか」
「冗談です」
言って彼女は笑った。
「あなたの寝息が可愛くて、正直、あなたの寝息をもうちょっと聞いていたかったきもします」
「あーそれって、俺が子供っぽいってこと」
「フフッ……さぁ、どうでしょう」
「でも、本当にゴメンな。なんか居眠りなんかしてしまって……スマン……」
「いいんです。それに、あなただって今朝までずうっと待っていてくれたじゃ無いですか。分かりますか。待っていてくれる人がいた時のうれしさ。私、どんなに言葉を尽くしたとしても……多分、あなたには伝えきれない位……嬉しくて……」
彼女のかみしめるような一言一言に俺は言葉に詰まった。
「繋がらないかもしれないって思っていましたから、半ば諦めていたんですけど……あなたったら、朝まで起きてるんですもの……」
「そりゃあ……」
心配したってのが本音だったが、彼女はあまりそういうのを好まないみたいだったのを思い出し、俺は言葉を飲み込んだ。
「そりゃあ、寝る時っていうか、通話を終える時は『おやすみなさい』って決めたじゃ無いか。君がそう言ってくれないと、俺はどうやら寝付けなくなったらしい」
「ふふっ……でも、居眠りをなさってたじゃありませんか」
精一杯格好付けたつもりだったが、彼女にはそんな言葉は通用しないみたいだ。まぁ、確かに居眠りをかました後で言う言葉では無かったが、表面上だけ取り繕う言葉は彼女に掛ける言葉として相応しくないと思った俺は、正直な所を言わざるを得なかった。
「いや……訂正。訂正だ。本当は、正直な事を言うと俺ももしかしたらって思ってた。君と繋がるかもって……半分諦めていたけど……」
彼女はおもむろに笑い出した。君と会いたいって言っている様で、顔から火が出るほど恥ずかしかったが、彼女が求めているのは多分、本当の言葉……本音なのだろう。どこか安心している様な笑い声に、俺はそう思った。
「私達ってそういう所、似ているかもしれないですね。あきらめが悪いって言うか……」
「そうだな……」
「それにしても、ほんと……こうしているとすぐそばにあなたが居るみたい。可愛い寝息も、コーヒーのカップを置く音も、こんなに鮮明に聞こえているのに……」
会いに行こうか……そう言いかけて止めた。
「そうだよ……俺はここに居る」
彼女が今、必要としているのは多分、会うことでは無く、誰かがそこに居る実感だ。俺は気の利いた言葉は言えない。だからそのままを語ることしか出来なかった。
「スピーカーの先の電波、その先のマイクの前に俺は居る。俺は、君の声が出てくるスピーカーに手を当てて、何時も君の声を聞いているんだ……じゃ……なくて……あーくそっ……上手く言えねぇ……」
「なんか、今のいいです……」
「あ……なんて言うか……そのー……スピーカーの振動って、尚更、声を感じられるというか……だな……」
「ホントだ……あなたが少し近くなったかも……」
そう言って彼女がクスクスと笑った。
「あなたもスピーカーに触れていますか」
「ああ」
「じゃあ、もう一つ、私からの提案。月を見上げてください」
「うん。何かあるの」
「私も空を見上げて、あなたも同じ空を見上げる。そう考えただけで尚更距離が近づく気がして……」
確かに時差一時間の距離は並大抵の物では無い。だけど、彼女の言うとおりにする事で、不意に彼女がえらく近くに居る様に感じられた。もちろん、気のせいなのだが、辺りを見回さずには居られなかった。見回して、彼女がどこにも居ないことを改めて認識すると、今までに感じた事が無い程、ひどく寂しい気持ちがわき上がってくる。
「……そういえば、今思ったんですけど……なんか私、待っているのが好きかなのもしれません……」
不意に彼女は言った。
「明日も、わたし……待っています。あなたが来て下さることをきっと待っていますね」
悪い気はしなかった。俺は別に家が無ければ無いで、野宿なりなんなりすれば良い。どうせ待っている人は居ないのだから、そう思っていたし、そういう生活をある時期はしていた。だから、誰かが待っていてくれるなんてここ一・二年を改めて思い返してみても心当たりは無い。この街に来る頃までは、そんな人は居なくても良いだとか親方の前では言っていた……と言うか、強がって居たが、実際の所は失った沢山の物を思い出したくなくて、自らそこに近づかなかっただけだ。彼女の一言はそんな俺の今までを否定して、あっさりと新しい価値観を俺に植え付けてしまった。いや、多分、それは言うまでも無く、初めて彼女と会話を交わした日にそうなってしまっていたのかもしれない。いずれにしても、俺はこの日、彼女に心を救われた気がした。




