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4、花火と向日葵と彼女

 空を見上げると、あれだけ分厚かった雨雲は、少しだけ高い湿気と、ちぎれてまばらに散った雲を幾つか残してどこかえ消え去ってしまっていた。昨日、サボったことを親方にさんざん咎められ、今日は人一倍働くようにと言われて、その通りにしたものだから、帰路につく頃にはクタクタで、文字通り足を引きずって我が家へとたどり着く。今日は晴れることを知っていたから、窓を幾分か開け放して仕事にでたのだが、それでも外気との気温差に、うんざりしながらベッドにたどりつく。机の上に置きっぱなしのカップには、朝、残したコーヒーが一センチほどの茶渋をつけながら、カップの中に三分の一程残っていた。俺はそれを飲み込むとあまりのまずさに咽せそうになりながら、何とか喉を通す。夜空を見上げると、雲の端から月がヒョッコリと顔をだして、それを見た俺はとりあえず気を取り直すとシャワーを浴びて椅子に座り、無線機の前で彼女の呼びかけをまった。遠くの空はまだ少し白けていて、早いかなと思いつつも、そうせずには居られなかった。空の隅々まで星が瞬く頃、俺は我慢できなくて自分から呼びかける。もしかしたら、他の人に電波を拾われるかもしれないけど、その時はその時だ。でも、なぜだか彼女が俺の電波を拾うそんな気がして何度もコールを繰り返す。三度めのコールの時だった。


「こんばんは。また逢えましたね」

「うん。何となく君が拾ってくれると思って、コールしてみたんだ」

「わたしも、何となくあなたが居てくれるような気がして、少し準備にてまどっちゃいました」

「準備って」

「はい。髪を結って、薄くですけどお化粧を……」

「見えないのにかい」

「あれ?おかしいですね……わたしにはあなたの顔がみえてるんですけど」


彼女はそう言った。俺は想像していなかった彼女の言葉に驚いて、椅子をひっくり返して部屋のなかに視線を走らせる。どういう原理か分からないが、気の抜けきった今の自分の顔を見られていたかと思うと、やってしまったと言う絶望感が頭をよぎった。彼女にだけは間抜けな顔を見られたくない、まして、シャワーを浴びてそのままの無様な自分を見られていたかと思うと、後悔しても仕切れなかった。


「み……みたの?」

「はい。しっかりみました」


彼女は楽しんでいるかの様にそう言った。こんな姿をみられたら、もう話してくれないのでは無いか。スピーカーの向こうにいる人がまさかこんなにだらしない格好でいるとは、彼女だって夢にも思わないはずだ。と、思ったとき、スピーカーから彼女の笑い声が聞こえた。


「冗談です」

「ほ……ほんとに?」

「ほんとうですってば。でも、すごい音でしたよ。だいじょうぶですか。まさかそんなに驚くとは思っていなかったので……」

「だっ……大丈夫だよ。それにしても君も人が悪い」

「ふふっ……でも、お化粧をしていたのは本当です」

「見えないのに」

「はい……とは言っても薄化粧ですけど、この機械の向こう側に誰かが……あなたが居ると思えば、やはり、わたしはどんな状況であっても、少しでも……その……綺麗にしていたいと……おもいまして……」


 恥ずかしそうに言う彼女の声がなぜかとてもかわいらしくて、愛おしくて、思わず俺は吹き出してしまう。


「笑わないでください……もう……あなたのせいなんですよ……」

「おれの?」

「あ……あなたがわたしの声を綺麗だって言ってくださったから、わたし、みなりもきちんとしなければって思って……ああ……わたし何を言ってるのかしら……」

「でも、そう言ってくれると俺としては嬉しいよ。俺ももう少し気をつかわないといけないな」

「そうですよぉ……お化粧なんて久しぶりで、正直に言いますと、スピーカー越しにあなたの声を聞いているはずなのに、すごく近く感じて、あの……実を言うと緊張しています……変ですよね……でも、すぐそこにいるかもしれないと思ったら、わたし、もしかしたらと思ったら……」

「うん。今日は特に君の声、すごく近くに聞こえる」

「……あの」

「うん?」

「わたしも、あなたの声、好きです。優しくて、でも、どこか力強くて、こんな事言ったら変かもしれないですけど、あなたの声を聞くと落ち着くんです。昨日、あなたはあれだけ沢山話してくださったのに、わたし、返事しか出来なくて、あなたの声をずっと聞いていたくて」

「あ……あの、そう言われると嬉しいって言うか、何か、こう……うーん……」


 俺は、気恥ずかしくて茶化したかったのだが、何となくこの場の雰囲気がそれをさせなかった。それは、多分、彼女が気恥ずかしさを精一杯我慢して言ってくれた言葉だと思っていたし、俺はそれを素直に嬉しいと受け止めるべきだと思ったからだ。


「ありがとう。そう言われるのは初めてだから正直、驚いてるけど、君に言われると殊更嬉しく感じる」


 そう言うと、彼女は小さな声で嬉しそうに笑った。


「そういえば、あなたは何をなさってる方なのですか?」

「俺は、たいした事はしてないよ。人様に言えるほどたいした仕事をしてないっていうか」

「それでも聞きたいです。あなたの事、聞きたいです」

「うーん、鉱夫をやってるんだ。石炭掘ったり、鉱石掘ったり、宝石掘ったり」

「……すてき」

「すてきって……泥まみれの仕事だぞ」

「でも、石炭は日常生活に欠かせない物ですから大切な仕事だと思いますよ。それに、宝石なんて夢があるじゃないですか」

「そりゃそうだけど、それと、親方と花火を作ってるよ。季節の節目節目……って言っても、まだ二回しかあげてないけどな」

「花火ですか」


 花火という言葉に彼女は興味を引かれたのか、その声には若干興奮の色が見られた。


「花火……と言いますと」

「うん、打ち上げ花火を作ってる最中なんだ。今も手元に設計図がある」

「打ち上げ花火の設計図ですか」

「うん、他はどうやって作っているか分からないけど、俺と親方はとりあえず図面に火薬のレイアウトを書いたり、色々試行錯誤しながらつくってる。所詮素人仕事だから今のところ思ったようにうまくいってないけど」

「でも、打ち上げ花火ならきっと喜んでくださる人も沢山居るのでしょう」

「まぁ、多分……喜んでくれてるのかな。そう信じて次はもっと上手く行くように色々考えてる最中なんだけど」

「きっと喜んでくれてると思いますよ」

「うーん、そうだと良いんだけど。それに、今度はもう少し規模の大きな花火が作れそうなんだ。新しい火薬が手に入って、それで、今までよりずっと明るい光が辺りを照らすことになると思う」

「どこまで照らすことが出来るのかしら」

「想像がつかないよ……だけど、そうだな、君の住んでいるところまで届くような、そんな花火を作れたらいいんだけどな」

「すてき……」

「君に、見せられるかな」

「わたし、見たいです。きっと見せてください。実を言うとわたし、花火を見たのは七歳の時でしたから……そうですね、もう七年以上見ていないことになりますね。あの時みた花火がすごく綺麗なのを思い出しました。見せていただけるのでしたら是非もう一度みたいですね……出来ればあなたが作った花火を見たいです」

「そこまで言われちゃ、がんばるしかないってもんだな。花火職人としての腕が鳴る」

「ところで、あなたの所は今、何時頃なのでしょうか」

「ああ……今は……零時五十分か、そういえばそっちの方は」

「わたしの所は今二十三時五十分を過ぎたところです。だいたい一時間位の時差ですね……」

「明日忙しいのかい?」

「いいえ、何時も零時頃に電波が途切れるので、お休みの挨拶をしていなかったなと思いまして……それと……出来れば、あなたにお休みの言葉を……その……言ってほしい……です……」


 恥ずかしげで、どこか切実な思いがこもった声で彼女はそう言った。『おやすみ』、そんな誰でも、誰にでも言うであろうその一言が、彼女に関して言えば特別な言葉の様に思えて、まだその言葉を言うべき時間までは早いのに胸の鼓動が高鳴った。


「いいよ」

「あっ……でも、まだ、もう少しこうしてていいですか?」


 そう言って彼女はオルゴールのねじを巻いた。


「最後に……わたしと一曲つきあってくださいな」

「よろこんで」

「そういえばこのオルゴール、音楽が鳴るのと一緒に中の人形が踊るんですよ」


 彼女がねじを回し終わると、軋んだ音と共に、今日は曲の頭からメロディが流れ出す。


「花畑の中を、白いドレスを着た淑女と、グレーのスーツを身にまとった紳士が二人で、クルクル回っているんです。花畑の花は……ひまわりと言うのだそうです」

「ひまわりか、そっちは珍しいのか?」

「え……あ……はい」

「そうか、まぁ、俺の所にはひまわりがウンザリするほどはえてるんだ。まぁ、花は俺も嫌いでは無いけど、枯れた後の後片付けが中々骨の折れる作業でな」

「もぅ、夢の無い事を言わないでください。わたしの所では珍しいんですよ」

「ああ、そうだったな、すまない」

「もぅ……いいですけど……」


 俺の声を聞いて彼女が笑った。時計の針が少しずつ俺たちの時間の終わりを告げる位置に近づいてくると、彼女も俺も、自然と口数が減っていった。いつの間にかスピーカーから流れる音にノイズが乗り始める。


「今日も楽しかったです」


 彼女が言った。


「俺も楽しかった」

「うん」


 彼女の返事の後、わずかな時間、沈黙が訪れたのは、照れくささのせいでは無かった。意識することも出来ないような小さな不安と、彼女とのつながりが断ち切られたくない、そんな気持ちが言葉を詰まらせていた。


「おやすみ。明日も君と話せたらいいな」

「うん。わたしも貴方とお話したいです……おやすみなさい」

「……」

「……」

「なぁ…」

「はい、なんでしょうか」

「スイッチ切らないの」

「その……名残惜しくて……ご迷惑だったでしょうか……」

「いや……俺も何だかその……」


 言いかけたとき、スピーカーから流れ出す音声が聞き取れないほどのノイズが乗り始める。


「じゃぁ……あらためて、おやすみ」

「おやすみなさい」

「通信が途切れるまでこのままにしておこうか」

「そうですね」


 彼女が言い終わってほんの少しの沈黙の後、激しいノイズがつながりを断ち切った。俺は知らない間にスピーカーに手を当てていた。


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