エピローグ
――数ヶ月後
真っ黒に塗りつぶされた闇の中で、青く光る天体が輝いていた。月に降り立って最初にした事は、故郷の星を見上げる事だった。宇宙空間での花火は、時限式の発火装置を取り付けた物を設定した座標に置いてくると言う計画で、一応、無事にミッションをこなした俺達には数日ほど自由な時間が与えられた。シャトルを降りる際に渡されたネームプレートと階級章を身につけると、俺はすぐさま靜かの海にあるサナトリウムへと足を向けた。彼女と会うために……
化学工場からモノレールに乗り込み、医療施設が多く建ち並ぶ区画へと入ると、スキャンと消毒の連続にウンザリしながらも、ようやく中に入る事を許可された。サナトリウムはそこから更に専用車両で少し行ったところにある隔離区域にあった。ここでもウンザリするほどスキャンと消毒の洗礼を受け、ようやく中に足を踏み入れる。ここが彼女の生活空間……そう思うと胸が高鳴った。白塗りの大きなロビーに人は誰も居なく、時折消毒と清掃を兼ねたロボットが見当たるだけで、全くと言って良いほど殺風景だった。とりあえずはロビーの受付に向かったものの、彼女の事で知っているのはあのオルゴールと言ってくれた言葉だけだ。俺は少し考えた後、考えても仕方ない……と、院内を歩く事に決めた。犬も歩けばなんとやら……だ。ロビーを抜けると右手に食堂、そしてそこからレクリエーションルームへ抜ける廊下があり、左手にはサナトリウムの居住区への通路があった。とりあえずは人の集まりそうな場所へと思い、食堂へ向かう。それ程広くは無かったが、それでもおかみさんのレストランほどの大きさはあった。早速だれか居ないものかと辺りを見回すも、誰もいない。調理場と思われるところは人が調理するような厨房は無く、代わりに大きな機械が横たわっていた。次に、レクリエーションルームの方へと向かうと、ピアノの音が聞こえてきた。少し足早に音の方へ向かうと、ガラス張りの部屋の中で、小さな女の子がつま先を伸ばし、辛うじてペダルを踏みながらピアノを弾いていた。俺は、邪魔をしては申し訳ないと思い、演奏が終わるのを待って少女に声をかけた。
「こんにちは。その曲は何て曲なんだい?」
俺の問いかけに少女は返事をせず、ただ黙ってまっすぐな目で俺を見返す。
「ちょっと人を探しているんだけど……」
そう言ったとき、俺は彼女の喉から服の中まで続く手術痕を見つけ、ハッとした。少女は目線からそれを見られた事に気付いたのか、胸元を隠し、首をすくめた。俺から目を反らした。すとんと少女は椅子から降り、何処かに走り去ってしまう。しまったと思ったときには既に遅く。少女を完全に見失ってしまっていた。積みかけの積み木を眺めながら大きなため息が思わずこぼれた。まさか居住区を一部屋一部屋を見て回るわけにも行かないし、仮にそれをしたとして、時間がいくら有っても足りないくらいだ。とりあえず俺は考えるのを止めて居住区の方へと足を向ける。考えていたってしようがない時はとりあえず動く。コレに限る。居住区に入ると、左手が一面にガラス張りになっていて、右手にはずらっと部屋の入り口が並んでいる。彼女が言っていた中庭なんて物はおおよそ見当たらず、俺はもしかしたら違う施設へ来てしまったのかと不安になった。とりあえずゲートをくぐると、さっきまで感じる事のなかったアルコールや薬品の匂いで辺りが満たされていて、改めて自分がどれだけ場違いな所へ来てしまったのかと言う事を痛感した。とりあえずは突き当たりまで進むと、曲がり角になっていて、曲がり角を曲がった先にはまた同じ風景が目に入る。真っ白な壁、どこまでも続くような同じ構造。おおよその話は聞いていた物の、いざその中に踏み込むと、健康に自信のある俺ですら、何となく具合が悪くなるような錯覚に陥る。この中で彼女は何年も生活してきたのだ。それを思うと故郷の山野草を思って言っていた彼女の言葉が殊更重く感じられた。
次の曲がり角を曲がると、ガラス張りの壁から別館への通路を望む事が出来た。俺は誘われるように別館の通路へと足を踏み入れると、遠くにあったカメラが俺を追って角度を変える。入り口は相変わらずのガラス戸だったが普通のガラス戸とは比べものにならない程の厚さだ。入り口の前には守衛室があり、さっきとは比べものにならないほど警備が厳重になっている。それでも俺はその先で誰かが呼んでるような気がして、次第に足早になった。入り口に立つとやはりというか何というか、自動ドアは開く気配が全く無い。俺は守衛室をノックすると、目つきの厳しい壮年の男が窓口に顔を出す。
「身分証を……」
無愛想にそう言って胸にぶら下がっているネームプレートを見て察した様に軽くため息をつくと、
「申し訳ありませんが、貴方の階級ではここをお通しする事は出来ません。どうかお引き取りを」
「ちょっと待って下さいよ。ここには俺の知り合いが居るんです」
「では……お待ち合わせを?」
「待ち合わせてはいないですけど……でも、約束したんです」
「申し訳ありませんが、相応の身分を示す物、もしくはこちらに住んでいる方の知り合いである事を証明する物などが無ければお通しする事はできないのです」
「そんな……」
「申し訳ありませんが、こちらに住まわれている方は皆、それなりの身分をお持ちの方々ばかりですので、そこら辺をどうかご理解願います」
男はサナトリウムの住人を気遣って静かにそう言ったが、同時にその声には殺意めいた強い圧力が込められていた。どうしても諦めきれずにガラス越しの病棟に目をやると、奥の方からもう一人の守衛が慌てて駆け寄ってきた。
「す……すいません。こちら、まだ何も知らない新入りでして、貴方の様な方に無礼な振る舞いをした事、どうか、容赦願いたく」
俺は何のことか分からず辺りを見回して見たが、俺以外、誰も居ないし、目線から俺の事を言っている様だったが何のことかさっぱり分からずに固まっていると、続けざまに後から来た守衛は言った。
「おい!おまっ!おまえ!この指輪の紋章もしらんのか!」
「指輪?あっ!」
指輪と言われて俺はおかみさんから貰った指輪に目をやる。コレがどうしたというのだ。
「申し訳ありませんでした。今、開きますのでどうぞお通り下さい」
よく分からないまま俺は分厚いガラスのゲートを通り抜けると、背後から守衛が青ざめた顔で言った。
「どうか……どうかこのことはご内密に……」
泣きそうな顔をしていたが、俺は何のことか分からない。分からないがとりあえずうなずくと、なんとなくばつが悪くてそのままその場を後にした。通路を抜けるとピアノを弾いていた少女が兎の人形を抱えながら目の前に立って俺をじっと睨むように見つめていた。俺はさっきの事をわびるために片膝をついて少女に目線を合わせる。
「さっきはゴメンな。悪気は無かったんだが、もしかしたら俺は君に凄く失礼な態度をとってしまっていたのかもしれない。だから、あやまらせてくれ。この通り、ゴメン」
暫く頭を垂れ、少女のつま先に目を落としたまま、許しを待った。どれほど待っただろうか、今すぐ俺は彼女を探すために走り出したい気持はあったが、見られたくない傷を凝視されて不快な気分にならない人は、例えそれが少女であったとしても居ないはずは無いと思ったからだ。彼女はようやく俺の肩を叩くと、俺はゆっくりと顔を上げる。表情こそ乏しいが少し微笑んでいるようだった。
「ありがとう。それと、一つ聞きたいんだけど、中庭への行き方を知っているかな?」
少女はコクリと頷く。
「出来れば、俺を案無いして欲しいんだが、白いカーネーションの咲く中庭へ……」
俺がそう言うと、少女はしゃがんで俺の手をとると、ぐいと引っ張る。『どうしてそこへ行きたいの』と聞かれた気がした。
「そこで、俺の大切な人がまっているんだ……」
そう言った俺の言葉に、少なくともそう言う話しに興味がある年頃なのか、少し少女の手が温かくなるのを感じた。俺は少女に手を引かれながら、真っ白く塗りつぶされて、入り組んだサナトリウムの居住区の中を進んでいく。こんなにも入り組んでいるのは恐らく一部屋ずつ違う形をしているからなのだろう。なんとも贅沢な作りだが、あの警備や、相応の身分を要求された事から考えれば、そういう事が許される階級の人達なのだろう。この、少女もまたしかりだ。そうして、ガラス張りの庭らしき物が見えてくると、少女は立ち止まって、俺の腰に手を添えた。俺は少女の方に目をやると、期待に満ちた目で俺の事を見ながら腰を軽く押した。ここから先は一人で行けと言う事なのだろう。
「ありがとう」
俺は一言だけそう言うと、少女の元から歩き出す。心臓が高鳴っているのは長い距離を歩いた為だけで無い事は分かっていた。ようやく庭を見渡せるところまで来ると、中央の噴水の周りは白いカーネーションで埋め尽くされていて、噴水の縁には誰かが腰掛けている。その周りで小さい子供達が歌を歌っていた。俺はその様子を歌が終わるまで眺めていた。長い髪を揺らしながら、細くて白い手で指揮を執る姿はどことなく楽しげだった。歌が終わると子供達はちりぢりになり、中庭には彼女だけが取り残された。散っていった子供達は多分、もう少しで始まる花火を見るために大きなガラス張りの部屋へ移ったのだろう。誰も居なくなった中庭で少し寂しそうな彼女は、天窓の真下まで来て、恋しそうに青い星を見上げた。俺は、中庭の戸をそっと開くと、彼女はあのオルゴールの曲を口ずさんでいた。それを聞いた瞬間、駆け出しそうな自分を抑え、驚かせないようにゆっくりと彼女に近づく。噴水の水が噴き上げるのを止めると、俺の気配に気付いたのか、彼女は目尻を拭ってゆっくりと俺の方を向いた。開け放した中庭のドアから吹き込む風で彼女の長い髪と、白いワンピースが揺れる。白いカーネーションが風になびいて波の様にうねる度、優しい香りが辺りに立ちこめた。
「はじめまして」
俺がそう言うと。
「はじめまし……て……?」
戸惑いながら、小さいけど良く通る声。
ああ……彼女の声だ……
あれほど聞きたかった声が、その声の主が……そう思った瞬間、足が止まった。胸が熱くこみ上げる物で一杯になる。俺は辛うじてそれを何とか押さえ込むと最初に言うべき言葉を探した。彼女は未だに事を把握していないのか、目を反らしたまま、まともに俺の方を見てくれようとさえしない。もしかしたら俺が違う人に話しているのかも知れない。いや、俺には確信があった。一度も逢った事は無くても、目の前に居る女性が彼女だと言う事に。
「CQは……もう……いらないな……」
俺がそう言うと彼女は信じられないと言う表情で、口を押さえながら大粒の涙を流した。
「ゴメン……随分またせてしまったな……」
彼女は倒れ込むように俺の胸に飛び込んでくると、子供のように俺にきつく抱きついた。彼女の熱がじわりと体に伝わってくる。俺はポケットの中で彼女に渡そうと握りしめていた向日葵の種を手放すと、その華奢な腰に優しく手を回し、ゆっくりと優しく抱きしめた。それから程なくして、不意に空が明るくなった。どうやら俺達の花火が始まったらしい。
「最後の一つは君の為に作ったんだ。どうか見てくれないか」
「私の?」
「そう……君の為だけに作ったんだ」
天窓から次々に炸裂する花火を見るときも彼女は子供のように抱きついて離れなかった。俺はそんな彼女が愛しくて堪らなくて、彼女の瞳の中をのぞき見る。少し潤んだ瞳の中に、次々と花火が写し出されていき、そうして、最後の花火が炸裂した。色とりどりの花をモチーフにした、彼女の為の花火だ。彼女はそれを見届けると嬉しそうに微笑んだ。おかみさんや、親方の奥さんが見せたどの微笑み方とも違う、何か特別なものを見た気がした。何時しか俺は彼女に手を延べてその頬から顎へとゆっくり手を滑らせる。紛れもなく彼女がこの腕の中にいた。
そして、彼女は瞳を閉じてゆっくり踵を上げる。俺は、ゆっくりと唇を重ねた。空いてしまった彼女との時間を埋めるように、多分、月の歴史が始まって以来の一番長いキスを交わした。
――了




