プロローグ
日が沈む頃、山を登り切ったあぜ道の中をひた走る車の中、泥臭いジャズが車のラジオから流れていた。まるで殴り合いの様なセッション。ボロボロの車の剥がれかけた鉄板はカタカタと音を立て、時々ジャズに合わせるようにして悪路の石に乗り上げ、ガタンと音を立てる。灰皿の横にあるシガーライターがかちんと音を立てた。親方はタバコを咥えシガーライターを引き抜いて真っ赤に焼けたニクロム線をタバコに押しつけ、プカプカと二・三度ふかし、カスが着いたままのライターをソケットに戻した。ドアのハンドルを回して窓を少し開けると、煙は外へ吸い込まれる様に流れ出していく。親方は車のライトを灯すとラジオのボリュームを少し絞った。
「どうした、酔ったか」
「いえ……」
確かに長時間、車に乗り続けて少しは疲れがあった物の、何となく話をする気になれない俺は、無精で伸びっぱなしの髪をかき上げて窓の外に目をやった。髪の毛は邪魔ではあったが、散髪するのも面倒だし、表情を読まれたくない時はうつむくだけで事足りる。切る理由も無かったモンだから、今に至る。もっとも両親が居てくれた頃はそれなりに身なりもきちんとしていたし、髪だって母さんが切ってくれた。下の妹二人は着る物にはうるさくて、自分の事で無くても俺の着こなしがどうとか、俺より随分子供の癖にやたら口をだしてきていたっけ。今となっては懐かしい思い出だ。敗戦後、真っ先に故郷へ戻った俺の目に広がったのは、何も無い焼け野原。小さな街だったというのに、たった一度の空襲で、たった一発の爆弾で全てが蒸発してしまったらしい。俺の家があった場所に行ってみると、そこには母さんが肌身離さず付けていた指輪が溶けて歪な形になりながら、玄関があった場所に転がっていた。終戦直前に、父さんの所属していた部隊が壊滅の報告を受けて、故郷に帰ったらこの有様。頭の中は真っ白になってしまっていた。悲しみとか憎しみとかそんな感情すら沸かない程に。辺りを見回すと、俺と一緒に帰郷した同胞達が、隠すように涙を流していたが、俺は、その行為すら理解出来ないほどに、文字通り唖然としてしまっていたのだ。所属する部隊の本部に戻りベッドについたとき、ようやく俺は何が起こったかを理解し、夜中にも関わらず部屋の中で暴れ散らした。そんな俺を殴りつけ、諫めてくれたのが当時俺の上官だった親方だ。未成年の俺は親類の元へ預けられる予定だったが、親類は誰もいい顔をしなかった。無理も無い。敗戦国の戦後がどれほど酷いかなんて言うまでも無いだろう。だから俺は施設へ行く事を希望していたのだが、それから暫くして親方が突如、自分が引き受けると言い出した。生き方を教えてやると。そう言って、半ば強引に俺の保護者となってしまったのだ。そうして諸々の手続きが終わると、強引にオンボロの車に乗せられ、一週間程こうして車に揺られながら親方の故郷を目指す事となった。帰路の途中では爆破工作員だった俺達が落とした橋や、建物を倒壊させて道をふさいだ痕跡を見る度、複雑な気持ちにかられる。特に激戦区となった地区では親方は俺以上に無口になっていた。一言も言わなかったが、親方は俺等がやるはずだった汚い仕事を一人でこなしていたのだ。俺等少年兵の手を汚すまいと、自らの手を血に染めて。それを知っていた少年兵達は親方に厚い信頼をおいていたし、だからこそ、親方が危険な目に遭ったときは、親方の盾になって次々とみんな命を散らしていった。俺もその中の一人には間違い無いが、偶然生き延びてしまった。背中には未だに銃創痕が十カ所以上有るのだが、この状態で良く生き延びれたなと、呆れを通り越して笑い話になっている。俺にしてみれば、家族が居なくなった今、あの時に死んでいればとも思ったが、それを言ったら親方に死ぬほど殴られて考えを改めさせられた事があった。もう一人、少年兵で生き延びたのは女子だったが、他の上官と行動を共にしているときに両手を失い、終戦前に退役させられていた。親方の故郷が近づくにつれ、そんな昔の事を思い出して、少しだけ、感傷に浸っていた。
「どうした?」
「いえ……いや、少佐……いや、親方はどうして俺を……」
渋い顔をしながら親方はタバコをふかして、火種を灰皿に擦りつけ、深く煙を吸い込む。そして、少し何かを考えてから、ゆっくりと煙りを吐き出し、言葉を選ぶ様にしてこう言った。
「おめぇとは長くつるんでるからな……それに施設に行ったってまともな人間にはなれねぇ。おめぇには俺が人としての生き方を教える義務がある」
俺から目をそらしたまま、まっすぐ前を見つめながらそう言った親方の目は何とも言えない悲しい光を宿していた。俺と同時期に入隊させられた少年兵は殆ど死んだ。その事に心を痛めていると言う事は確かだったが、今の俺に、それ以上の事を親方の表情から察する事は難しかった。
「さ……もう着くぞ……」
親方がそう言うと、おもむろに視界が開ける。山向こうには未だ夕日がその名残を残しているのにも関わらず、盆地の底の方はすでに夕闇につつまれていて、街の明かりが灯り始めていた。
田舎にもかかわらず激しい襲撃を受けたこの町は、人は少ないものの復興に向けて活力に満ちている。炭鉱や鉱山で生計を立てているこの町は、戦時中、火器や爆発物をよく扱っていた俺たちの知識や経験をほしがる業者は多く、仕事に困ることは無かったが、それだけでは……と、親方はかつての知識を生かし、花火職人を始めた。否応なしに俺も労働力としてかり出される羽目になったのだが、なかなかどうして、この花火と言うのは奥が深い。それに、炭鉱や鉱山を爆破しても、喜ぶのは業者だけだが、この花火ってヤツは無差別に人を喜ばせる。
元々、誰かを傷つけたり、何かを破壊したりすることより、普通に暮らしている人を守るために、自ら志願して軍に入隊した俺にとっては、こちらの方が性分にあう。だから俺は自分の職業を名乗るときは、鉱夫よりも『花火職人』の肩書きを好んで使う。
花火と言えば実物を最後に見たのは俺が小学生になった年だ。当時は宇宙船に乗せる画期的な新しいエンジンが開発され、後二・三年もすれば現実的な値段で月面基地へも行けるだろうと言うニュースで沸いていた時期でもある。そんな時勢で時代遅れの花火なんかを目にする事はもはや珍しい事となっていたのだが、俺にはあの時見た花火が未だに忘れられない。花火が打ち上がる度、皆が皆、一様に空を見上げ、色とりどりの火花が辺りを昼の様に明るく照らす。光に照らされた人々の顔は一つ残らず笑顔で、子供心に俺は花火職人になると誓った物だった。それがまさかこんな形で叶うことになるとは当時の俺は想像しなかっただろう。
「おい!注文が入ったぞ」
親方が工房の奥から叫んだ。俺は何時もこの瞬間が待ち遠しくてたまらない。予算から出来うる最高の花火をどうやって作るのか。俺は、注文を聞く前から鼓動が高鳴るのを感じた。
「線香花火二十本、娘の友達からだ」
意気込んではみた……が……まぁ、現実とはこんな物だ。本当の所を言うと、打ち上げ花火を打ち上げた実績はある物の、実際は失敗作と言っても過言では無い、えらく安っぽくて悲しくなるほどの……いや……あれは失敗作だった。確かに見た人は喜んではくれたが、それはあくまで素人が作った物だったからの反応で、花火職人として飯を食うにはあまりにもお粗末な物だった。だから、俺たちの工房に入ってくる注文は良くて吹き上げ花火程度の物だ。
「しっかり魂込めて作ってやれ」
親方がゲキを飛ばすが、以前、挑戦的な線香花火を作って苦情が来たのを俺は忘れない。あれはひどい物だった。どこから仕込んだのか分からない謎の火薬で、火花がはじける度に爆竹の様な音がする、なんともエキセントリックな物だった。親方は魂が込もってて爽快感があって良いと気に入っていたが、俺にしてみれば騒音以外の何物でも無い。そもそも、魂を込める場所が違うんじゃないかと突っ込みを入れたくもなった。
「いわれなくとも……」
俺はそう言って、薬棚から必要な火薬をいくつか選んで作業机に向かう。いつもながらこうやって薬瓶を並べ、机に向かうと何とも言えない高揚感につつまれる。どんな花火にしようか、とか、それを実現するにはどういう風に仕込もうかとか、考えるだけでも胸が高鳴る。その積み重ねが何時か大きな打ち上げ花火を作る為に役に立つと思えば、妄想で暫くは手が止まる事もよくあったが、今日は無事、任務を遂行できた。夏本番に突入する前のこの時期は、この地域特有の強めの風が時々吹くから、少し堅めにしあげて、火花を散らす火の玉は簡単に落ちないように何時もより粘りけが出るように仕上げた。出来上がった花火を丁寧にまとめ、五本ごとに竹串の部分を紙紐で軽く結び、箱に収める。外に出て余分に作った花火に火をつけると、考えていた通りの花火に仕上がっていて、俺は軽く満足感の様な物を感じた。遠くから親方の娘と友達がそれを見つけ、慌てた様子で駆け寄って来ると、片時も目を離さずに花火が燃え尽きるまで見届けた後に、可愛らしい感嘆の声が沸き上がる。どうやら今年初めての線香花火はこの子達のメガネに叶ったらしい。
「さて……と、こちらがご注文の商品です」
かしこまりながら、そう言って親方の娘に渡す。
「ありがとうね。おにーちゃん」
俺の元を親方の娘が走り去ると、家の庭にその友達が小さな円陣を組んでしゃがみ込んだ。親方はその真ん中にバケツを置いて、中にろうそくを立てると、次から次へと線香花火に火が灯る。花火が終わる頃にはすっかり暗くなり、気がつくと蛍がそこかしこで夏の訪れを告げていた。




