Gear-4 チュウモンとレストラン
番条探偵事務所はビルの二階を占領している。たった一人の女探偵が浮気の調査や迷子のペットロボット探しをしているだけにも関わらず、だ。フロア丸々持ち物とは、どこかでやましい依頼主と繋がっているのではないかとカナタは一瞬警戒した。しかし、今頼ることができるのがミサキしかいないという現実にぶち当たってしまい、その考えは一旦否定せざるを得なくなる。疑っていては共に行動などできない。
スイの背中にあるぜんまいをぐるぐると回してあげてから、カナタは席に着く。仕事場の奥にある台所。そこそこな広さがあり食卓テーブルが置かれている。二つの丼が置かれたテーブルを挟み、カナタとミサキは向かい合っていた。丼の中で揺れる細麺と汁を見て、カナタが生唾を飲み込む。イーハトヴで人気のある冷麺である。
ミサキが両掌を合わせて目を閉じた。
「いただきます」
それを見て、カナタは手にしていた箸を置き、同じように合掌する。
「い、いただきます」
ちゅるちゅるとミサキが麺を啜り始めたのでカナタも食事を始める。冷麺を啜りながらミサキが点けたラジオからは、音楽番組のトークコーナーが流れていた。
『最近涼しくなってきましたね。秋も深まるこの頃、みなさんいかがお過ごしでしょうか』
チューニングをして、国営放送の周波数に合わせる。ジジッという音が鳴った後、徐々に声が聞こえてくる。
『一昨日来花したワンダーランドのアルジャーノン王子は、大型ロボット工場や国営鉄道の見学をし、工業高校で体験授業を受けられました。充実した視察の後、皇太子様とのお食事会が行われました。お食事会、対談を終え、イーハトヴ時間今夜九時には帰国の途に着かれます』
「王子様だって。きっとカナタみたいなちんちくりんじゃなくて格好いいんだろうねえ」
「ちんちくりんじゃありませんよ!」
「トランプの王子様かあ。どんな子なんだろうね」
来花とは、異国からイーハトヴへやって来ることである。この国の正式名称は、漢字を用い花ノ宮帝国と表記する。なので、来花だ。隣国のワンダーランドは大陸の中央に位置しており、イーハトヴを含む六つの国に囲まれている。広大な国土と軍事力を誇る王国であり、先の大戦でもその力は大いに示された。また、国内に人間ではない者達が住んでいるという噂もある。それらと区別するために国民達はトランプを自称するのだという。
ズズッと麺を啜ってから、カナタはラジオをチューニングする。「あ! ニュースが」とミサキが声を上げたが、お構いなしに普段聞いている民放に合わせた。満足している様子のカナタをミサキが睨みつけるが、当のカナタはラジオに集中していて気が付いていない。流れてくるいつものパーソナリティの声に聞き入っているようだ。女性パーソナリティが先日我が身に起こった悲劇を面白おかしく語っている。カナタは笑っているがミサキの顔は引き攣るばかりだ。
「君、こんな顔も知らない女の話を聞いて楽しいのか」
「毎週聴いてますよ。それに、前にラジオ局のイベントで顔見ました。かわいいわんちゃんでした」
「犬派か」
「一応」
ミサキが再びラジオをチューニングして国営放送に合わせる。
「あ、酷いですよ」
「これは私のラジオなんだよ」
『ここ数日の連続殺人事件は、いまだに詳しいことが分かっていない状況です。警察への取材では、現在重要参考人の少年の行方を追っている……』
カナタはラジオの電源を切った。
「君のことだな。すごい、有名人だ」
「笑い事じゃないですよ。どうすればいいんでしょう僕は」
丼に口を付けて、全て飲み干す。そうしてミサキはにやりと笑った。
最初の殺人事件の現場となった工場近くの路地。ロングスカートを穿いた長身の女と、それより少しだけ背の低いキャスケットを被った少年が並んで立っていた。
「まさか朝も冷麺だとは思いませんでしたよ」
茹で過ぎたんだ。と語るミサキに伸びに伸びた昨夜の残りを出された時、カナタはこれからがとても不安になった。しかしこの女から離れるとその瞬間即逮捕確定のような気がして、仕方なくへんてこな雰囲気になってしまった冷麺をもじゃもじゃと食べたのだ。
「冷麺はイーハトヴのソウルフードだろう、君」
「僕は蕎麦がいいです」
「なるほど、じゃあ今日の昼食は蕎麦にしよう」
まだ血痕が薄っすらと残る場所で今日の食事について相談を始める二人。通りを行きかう人々が怪しそうに見ては目を逸らしていく。
「さて、ここが第一の現場なわけだが。ふむ、これはかなり酷いな」
「腹部を抉られていたそうです。こう、がっぱり」
カナタは右手を突き出して、空中を掘るように動かす。
「詳しいな、やはり君が犯人?」
「なわけないでしょう。僕が務めていたのは新聞社ですよ。それくらいのことは分かっています」
冗談だよ。とミサキはからから笑う。
「殺された作業員について調べてみようか。後の二つの事件についてもね」
「共通点の一つや二つ、あると思ったんだけどな」
三人の被害者についてそれぞれの職場に話を訊きに行ったが、有力な情報は得られなかった。周囲からの恨みを買っているだとか、最近怪しいうわさがあっただとか、そういうことは一切なく、三人の共通点なども見つけられなかった。
頭上でぎらぎら光る太陽に手を翳し、ミサキは目を細める。もう秋も深まる頃だというのに、夏のような日差しだ。
「時々ありますよね、こういう年。気候の変化なんて、例年通りなんかないですって」
「天気を操ることができればいいのにな。カナタ、魔法でどうにかできないか」
「魔法なんて物語の中だけですよ」
カナタの肩に留まるスイが「オ昼!」と声を上げた。
「お、もうそんな時間か。昼食にしよう。蕎麦だったな」
「蕎麦にこだわっているわけではないですが」
「じゃあ、あそこのレストランでいいか。すぐそこだし」
ミサキが指差したのは、車道を挟んで反対側にあるレストランだ。大きくもなく小さくもなく、街の雰囲気に溶け込んでいて好印象を受ける。わくわくとした足取りで車道を渡ったカナタは、店の看板を確認する。
『にゃんにゃん亭』
肉球マークが店名のお尻にくっ付いていた。
「猫なんですかね」
「猫をコンセプトにした店か、それとも猫が営んでいる店か、どちらだろうな」
「前者がいいです」
店先のショーウィンドウにはメニューのサンプルが並んでいる。どれにしようかとカナタが吟味していると、パトカーが蒸気を上げながら走って来た。キャスケットを深く被り直し、スイをバッグにしまう。
「すみません。この辺りで十代半ばの男の子を見ませんでしたか」
「さあ、知らないな」
「丁度その子くらいの」
「この子は私の妹なんだ」
えっ、と小さく声を出すカナタ。警察官が探るように見て来たので、裏声で対応する。
「そ、そうなの! お姉ちゃんとお出掛け楽しいわ!」
「そうかそうか。お姉ちゃんも楽しいよ!」
仲睦まじい姉妹の様子を見て、警察官はにこにこしながらパトカーを発進させた。角を曲がって見えなくなってから、カナタは大きく息をついた。
「ああ、びっくりした」
「逃走犯だな」
「僕は犯人じゃありません」
「なかなかかわいい声が出るんだな、君は」
「喉が死ぬかと思いましたけどね」
注文を確認してから、二人はにゃんにゃん亭に入る。すると、そこにはもう一枚ドアがあった。ドアの横にコルクボードが掛けられており、メモ用紙が貼り付けられている。
『いらっしゃいませ! 当店ではお客様にいくつかお願いがあるんだにゃん』
『ネズミさんはお断りだにゃん! 店内にネズミ型ロボットを放すのは禁止だにゃん!』
『ご了承いただけたら次のドアを開けるにゃん!』
ドアを開けると、再びドアがあった。黒板があり、チョークで何やら書かれている。
『マタタビの持ち込みは禁止だにゃん! 持ってる人はそこの棚に置いてからお願いするにゃん!』
『ご了承いただけたら次のドアを開けるにゃん!』
ドアを開けると、更にドアがあった。ミサキが眉をひくつかせる。
「何だこの店は、さっさと飯を食わせろ!」
「注文が多いですね……」
ドアの横には壁に直書きされた文字があった。
『覚悟はあるにゃんか? 覚悟があるならこのドアを開けるにゃん!』
「覚悟も何もあるか! 私達は食事をしに来たのだから!」
勢いよくドアを開ける。中はいたって普通のレストランである。先程までの謎の注文との差にカナタとミサキは顔を見合わせた。
「じゃっじゃーん! お客様あ! いらっしゃいませだにゃーん!」
二人の前に店員が現れる。ふりふりのエプロンを纏うそれは、紛れもなく猫だった。