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Gear-3 アナタはダァレ

 研究所に入ってきた警察官達は、中がもぬけのからになっているのを見て顔を見合わせた。


「蟹沢アカヤはどこだ」

「何もないぞ」


 そこは空っぽ。カナタの姿もない。




 はあはあと息を荒げて、カナタは通りを走っている。


 研究所の壁の中には無数の歯車が回っており、スイッチを押すと仕掛けが作動するようになっていた。カナタが押したスイッチは隠し扉を開けるスイッチである。そこから外に出て、行く当てもないのに走っているのだ。


 物心ついた時、既に母の姿はなかった。死んだのか、別れたのか、父が語ることはないままだった。育ててくれた父も失い、頼れるのは叔父だけ。しかし、今はもう叔父もどこかへ行ってしまった。新聞社へも、社員寮へも帰ることはできない。人気の少ない通りをこそ泥のように滑りぬけて、カナタは進む。汗で濡れた顔に煤や埃がくっ付くが、拭うこともせずに進み続ける。


「蟹沢君、やっと見付けた」


 聞き覚えのある声にカナタが立ち止まると、路地裏から若い男が姿を現した。声を上げようとして、路地裏に引きずり込まれる。


「大変なことになったな」

「そ、園原警部」


 捕まるのか。カナタは悟ったような顔になる。しかし、園原警部が手錠を出すことはなかった。


「君はいい先輩や同僚を持ったな」

「え、どういう意味ですか」


 警部はいたずらっこのように笑う。そうしていると、年相応の若者のようである。


「あれは俺が仕組んだことだ。そうでもしないと君が捕まってしまうからな」

「は?」

「社員の皆さんに御協力をお願いして、君の逃走劇を開始させた。俺は君が犯人ではないと思っている。刑事の勘だけどな」

「はあ……?」

「上には俺の不注意と言うことで怒られてしまったが、君を逃がすことには成功したんだ。よかったよかった」

「あの、よく分からないのですが」


 詳しいことは今は言えないんだ、と言って園原警部はウインクする。


「どうか逃げ延びて。真犯人は俺が見付ける。それまでどうにか」

「あの。僕、僕も知りたいです。誰がこんなこと……」

「しかし、君一人では……。ああ、そうだ」


 園原警部は通りの向こうを指差す。体の向きを変えた際に軋むような音がしたが、カナタはそれに気が付かない。スイだけが小首を傾げた。


「あっちに確か、凄腕の探偵がいるって話だ。聞いてもらえるかは分からないが行ってみる価値はあるのではないかな」

「なるほど」

「俺はあくまで警察官だから、目立った動きはできないし表向きには君を追う。けれど、見付けたら必ず逃がして見せるから」


 遠くから聞こえてくる「警部ぅ」という声に「いなかった―!」と答えながら園原警部は去って行った。残されたカナタは通りの向こうに目を遣る。スイの頭を撫でて、小声で指示を出す。すると、スイは大きく羽撃いて通りの向こうへ飛んで行った。


 スイは蒸気式ではなくねじまき式であり、駆動機関は旧式とも言える。しかし、内蔵されている思考機関は最新式のものなので外見以上の働きをする優れものである。カナタの指示通り向こう側まで行って、様子を見てから戻ってくる。


「向こうに警察は」

「イナイイナイ」

「ありがとう」


 カナタが追われているということは、一時も離さずに連れ歩いているスイの存在が目印とされるのも時間の問題だろう。周囲の偵察に使えるのも今の内だと自分に言い聞かせて、目視で再確認してからカナタは路地を出た。


 園原警部の言っていた探偵はどこにいるのだろう、と建物を一つ一つ確認して、カナタは足を止める。隣国から伝わってきたといわれる、パブという酒場があった。その上の階、そこに『番条ばんじょう探偵事務所』と看板が掲げられている。


「ここかな」

「ココカナ」

「入ってみようか」


 スイが「ピ」と鳴く。カナタは二階の玄関へ続く階段に足を掛ける。すると、一段目が踏み込まれた途端に壁に張り巡らされた歯車がごろごろと回りだした。天井から『ようこそ』『ようこそ』と横断幕が飛び出てくる。そして、オルゴールの音が遠くの方から聞こえてきた。


 この先にいるのは随分と酔狂な探偵のようである。派手な出迎えを受けながらカナタは階段を上っていく。


 事務所の前に辿り着き、一応ノックをしてからドアを開ける。


「すみませーん」


 カナタを待っていたのは目を疑う光景だった。強盗でも入ったのか、部屋は激しく荒らされ、ゴミも書類も散乱している。そして、西日の差し込む部屋の中央に女が倒れているのだ。これまでのこともあり、最初は死んでいるのかとも思ったが、女の体は呼吸に合わせて上下している。息があるのを見て、カナタはほっと胸を撫で下ろす。


「あのぅ、すみません。ここって番条探偵事務所で合ってますか? 相談に来たんですけど」


 カナタが呼びかけると、倒れていた女が体を起こした。若い女のようである。その動きに合わせて豊かな胸が僅かに揺れ動く。そんな胸元まである黒髪を掻き上げながら、女は眉間に皺を寄せてカナタを睨みつけた。


「すっ転んでまで出迎えようとしたのに、子供じゃないか」

「失礼な、僕はもう十五ですよ」


 女は立ち上がり、ロングスカートに付いた埃を払う。ムッとした顔のまま、カナタは訊ねる。


「探偵の番条さんはどちらにいらっしゃるんですか」


 質問に答えずに女は書類を拾い集めている。「秘書さん?」と訊いても、スイが「ピ」と言うだけだった。返事がないのでカナタは女の様子を見守る。書類を拾い、倒れていた椅子を起こし、それに座る。すらりとした足を振り上げて机に載せて、女は胸を反らした。


「私がここの主。番条ミサキだ」

「女探偵さん?」

「そうだ、悪いか」

「いやあ、悪くはないです」


 そう言われてミサキは嬉しそうに微笑み、もっと褒めろ称えろと大きな胸を反らした。


「仕方ないから話くらいは聞いてあげるよ。まず、名前を教えてくれるかな」

「蟹沢カナタです」

「あ、外で警官達が探していたね。君、犯人なのか」

「違いますよ!」


 ごめんごめん、とミサキは笑いながら謝る。誠意の感じられない態度に、カナタは再びムッとした顔になる。すると、ミサキは足を振り上げて椅子をぐるっと回した。回転する椅子から飛び降りて、カナタに歩み寄る。身長はカナタより少し高いだろうか。豊かな胸元が目の前に迫って来て、カナタはそろそろと視線を逸らした。


「それで?」

「凄腕の探偵だという貴女に依頼を」

「子供の依頼は受けられないな。さっさとお帰り」

「そんなっ」


 向き直ろうとするが、赤くなってやっぱり変な方を向いてしまう。それが面白いのか、ミサキはカナタの前で反復横飛びのように左右に動いた。彼女の動きに合わせてカナタも顔の向きを変える。しばらくの攻防の後、それはカナタの「遊ばないでくださいよ!」で終わりを告げることとなった。


 おもちゃが壊れた、とでも言いたげな顔でミサキはこうべを垂れる。


「相談に乗ってくれるんじゃなかったんですか」

「話を聞くとは言ったけれど、依頼を受けるとは言っていないよ」

「そんなあ」

「冗談だよ。受けるかどうかは中身を聞いてからだね」


 偉そうに椅子に座り直したミサキは、向かいの小さな椅子に座るようカナタを促す。腰を下ろすとぎぎっという今にも壊れそうな音がした。


「何があったのかな」



 カナタは今回のいきさつをミサキに話す。ふんふんと頷きながら聞いていたミサキだったが、「殺人犯を匿うことはできないな」と一蹴りしてしまった。


「僕の話聞いてました? 僕は人なんて殺してません」

「それを証明できる?」

「だからここに来たんじゃないですか。一体誰がこんなことをしたのか、僕は知りたいんです。お願いします」

「高くつくよ」


 ミサキは人の悪そうな笑みを浮かべる。探偵というよりもそれこそ犯人か何かのような顔に、カナタは少したじろぐ。日の傾いた探偵事務所の中で向かい合う女と少年。無言の時間が続く。


 ピヒャ。というスイの鳴き声が沈黙を破った。


「僕、あまりお金は」

「体で払ってくれればいいよ」


 頬杖を突いてミサキが言った。長い睫毛が軽く伏せられ、柔らかそうな薄桃色の唇が小さく動く。頭に浮かんでしまったよこしまな考えを振り払い、カナタはミサキを見る。


「え、か、体で……?」

「私の助手にならないか」

「は」


 力が抜けるとともに、カナタの腹の虫が大きな鳴き声を出した。昼食を摂っていないのだ。腹が鳴ったこととよからぬ妄想をしていたことに赤面するカナタに、ミサキは立ち上がって手を差し伸べる。


「面白そうだ、乗った。一緒に謎を解いて行こうじゃないか、カナタ」

「番条さん」

「ミサキでいいよ」


 はい、と答えようとした代わりに再び腹の虫がぐううと返事をした。


「ひとまずご飯にしようか」

「あ、手伝いますよ」


 スイを椅子の背もたれに引っ掛かると、カナタはミサキの後を追って台所へ向かった。









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