Gear-2 ジケンのハジマリ
一人の作業員が死んだ。
朝刊を配り終えたカナタが新聞社へ戻ってくると、社内は喧騒に満ちていた。準備をして出発する取材部。夕刊の紙面構成を練り直す編集部。
「あの、何かあったんですか」
留守番組らしい取材部の女性社員に訊ねると、彼女は少し言いにくそうに口を開いた。
「殺人事件があったんだって。それで、みんな大慌てで」
「殺人事件?」
カナタの肩に乗ったスイが「ピピ」と鳴く。
現場は国内でも大きい工場の近くで、出勤して来ないのを不審に思った同僚が探したところ、路地裏で冷たくなっているのを発見したのだという。腹部には抉られたような痕があり、遺体の周りは壁も地面も赤黒く染まっていたとのことだ。社に戻ってきた取材部によると、亡くなった作業員は仕事熱心で真面目な人物であり、同僚との関係も良好、後輩に慕われるいい先輩だったそうだ。
話に耳を傾けていたカナタは、取材メモを手にした男性社員が黙ってしまったことに首を傾げる。男性社員はカナタに申し訳なさそうな顔をしながら、そっと耳打ちをした。
「蟹沢君のお父さん亡くなってるんだよね」
「え、はい。五年前に」
「あのさ……」
ファイルを開いて、男性社員は写真を見せる。現場で撮影して来たものだろう。警察の制止を振り払って撮影したものなので、紙面には使えないそうだ。写真のほとんどを埋める赤にカナタは目を逸らしかけたが、そこに写っているものに目を留める。
緑色の玉が光る歯車のペンダントだった。
カナタは息を呑む。
「何で、これが……」
社員達を押し退けて男が二人フロアに入ってきた。男性社員がファイルを閉じる。
「蟹沢カナタという男はいるか」
やってきた男の片方が何かをスーツの内ポケットから出して言った。手にあるのは警察手帳である。顔写真と共に『園原ユウスケ』と名前がある。
「あ、僕、です」
「ちょっとお話いいかな」
会議室でカナタは園原警部と向かい合って座っていた。警察に話を聞かれるのはもちろん初めてのことで、カナタはどぎまぎしながら部屋中に視線を走らせている。スイは肩に乗ったままだ。園原警部はまだ若いようで、部下の方が年上なのか警部の方が丁寧な言葉を使っている。
「さて、蟹沢君。これは君のお父さんのものだね」
部下から受け取った袋を掲げて園原警部は言う。緑色の玉が光る歯車のペンダント。
「名前があるんだ」
ひっくり返して、ペンダントの裏側を見せる。確かにそこには『O.Kanisawa』と彫られている。
「父のものです。あの、父は五年前に死んでいるんです。どうして父のものが……」
「それが知りたくて来たのだけれど、君も知らないのか」
「事故の後、それだけどこを探しても見つからなくて。それが何で今になって殺人現場になんて」
カナタは椅子を大きく鳴らして立ち上がった。驚いてスイが飛び上がり、会議室の中を飛び回る。しばらくカナタとスイは追い駆けっこをしてから、元の席に戻った。ペットロボットと飼い主のやり取りを園原警部も微笑ましそうに見ている。
「あ、あの。それで、どうして」
「だからそれを調べていると言っただろう?」
「ああ、そうですね。ごめんなさい」
「知らない、とのことだったね。ありがとう」
小さく礼をして、園原警部は部下を連れて会議室を出て行った。残されたカナタは擦り寄って来るスイを撫でる。
五年前の事故の際、父のペンダントはどこへ行ってしまったのか。五年間どこにあったのか。そして、なぜ今になって再び姿を現したのか。しかも殺人現場に。カナタの頭は疑問でいっぱいだった。微かに浮かぶ、父の笑顔――。
二日後、先の作業員と同じような殺され方をしている炭坑夫が鉱山の近くで発見された。遺体の傍らには白い象の人形が置いてあったという。一件目の事件で名前の挙がった蟹沢博士は白い象の事故で命を落としている。再び新聞社に園原警部が現れたが、カナタには何が起こっているのか分からない。
更に五日後、これまでの二件と同じような殺され方をしている機関士が国営鉄道の線路上で発見された。今度の遺体の傍らには蟹沢機械研究所のロゴマークが描かれた来館記念メダルが置かれていたそうだ。それは現在は使用していないものであり、父が亡くなってからはカナタも長いこと見ていないものだった。三度新聞社を訪れた園原警部に尋問されたカナタだったが、ますます何が起こっているのか分からなくなるだけだった。
夕刊の配達を終えたカナタは社員寮を目指して人の溢れる道路を歩いている。
「カナタ、元気ナイ」
「大丈夫だよ」
叔父のアカヤに相談に行くと、彼もまた警察に話を訊かれたと言っていた。訳が分からないぜ! と笑う叔父の姿にカナタも小さく笑い声を漏らした。
道行く人々は皆帰路を急ぐ者達で、彼らもこの国を回す歯車の一つ一つである。横断歩道を渡っていた時、向こうから歩いてきた誰かにぶつかった。謝って、カナタは社員寮へ歩き続ける。
毎日毎日、歯車は同じ動きを繰り返す。少年もまた、そんな歯車の一つ、のはずだった。
翌朝、カナタはいつも通り社員寮から出勤する。受付にいる守衛さんに社員証を見せようとしてバッグに手を突っ込んだカナタは動きを止める。「どうしたぁ、蟹沢君。顔パスはやっちゃだめだからさあ」と守衛さんはからから笑っているが、笑い事ではない。社員証が見当たらないのである。
笑っていた守衛さんの顔が怪訝そうに歪んでくる。カナタも焦る。
「蟹沢君、もしかして社員証なくした?」
「い、いや、そんなはずは……」
まさか、昨日ぶつかった時に落としたのでは? カナタのこめかみを汗が伝った。
「蟹沢君、ちょっとちょっと」
校閲部の男性社員が呼びかけてきたので、守衛さんも仕方なくカナタを通す。
「何ですか」
「君、人を殺してなんかいないよな」
「え? ……え。ええ!?」
男性社員は真剣な顔をしている。冗談ではなさそうだ。一階にいた社員達がそろってカナタを見ている。
「今、警察の人が来ててな、また事件があったんだって。それで……」
社員達がざわめく。階段を下りてきたのはもう顔馴染みと言ってもいい園原警部である。カナタの姿を確認して、スーツの内ポケットから袋を取り出す。袋に入っているのは見間違えようのない蟹沢カナタの社員証である。ただの社員証ではない。赤く染まった社員証だ。
「蟹沢カナタ君。これは君のものだね。今回の件……」
「僕じゃありません」
「残念なことに、現場から君の指紋も見つかっているんだ」
カナタの瞳が大きく揺れる。
「そんなっ、知りませんよ」
「今までの事件で現場に残されていたのは君のお父さんのものだ。そして、今回は君の……」
どこからか「蟹沢逃げろ!」という声がした。社員達が警部とカナタの間にどんどん流れ込んでくる。
「逃げろ!」
「蟹沢!」
「カナタ君!」
キャスケットを深く被り直して、カナタは新聞社を走り出る。が、玄関前に蒸気を上げるパトカーが停車していた。どうしようかと迷っているところに守衛さんから声がかかる。
「おいで、カウンターを飛び越えろ。守衛室は外に繋がってるんだ」
言われるがままカウンターを飛び越え、守衛さんに言われたドアから外に出る。
「ありがとうございます」
「へへへ、この新聞社も殺人犯を逃がしたとなったら終わりだな」
守衛さんは乾いた笑い声を漏らした。深く一礼して、カナタは社員寮へ戻る。しかし、そこにもパトカーが停まっていた。寮母さんに入ってはいけないと言われ、仕方なく踵を返す。
「カナタ、カナタ」
「どうしようどうしようどうしよう! 何で!? 何でこんなことになってるんだ!?」
証拠が揃い過ぎている。自分は、父は、何かの術中にはまっているのだろうか。抜け出せない。見付かれば疑いを晴らすことはできない。逃げなければ捕まるし、逃げても捕まるのだ。注意をする交通整理ロボットを無視して、赤信号の車道へ躍り出る。クラクションの中を潜り抜け、カナタはひた走る。
通りを何本も越えて、寂れたビルの地下へ向かう。
「叔父さん!」
たった一人の肉親は、希望となり得るのか。
しかし、蟹沢機械研究所はもぬけのからになっていた。脱皮で剥がれた蟹の抜け殻のように、中はまっさらだ。
「アカヤイナイ、アカヤイナイ」
実験器具も、ロボットの材料も、何もない。
「叔父さん? 何で? 何で叔父さんがいないの」
激しくドアを叩く音と、「蟹沢アカヤさん、警察ですが。お話いいですかね」という声が聞こえてくる。このままではドアを蹴破られて万事休すか。カナタは壁にくっ付いているたくさんのスイッチから一つを選び、強く押す。
大きな音がして、研究所のドアは蹴破られた。