Gear-15 キイロとハチドリ
真っ赤な目をしたハチドリのロボットは沈黙を保っている。部品と部品の間は錆び付いており、歯車が回る音も蒸気機関の駆動音も聞こえない。すなわちそれは、死体だった。
「その子、もう……」
カナタはゆっくりと体を起こしてレイに向かって手を伸ばした。
「小さい頃に父に買ってもらったものなんだ」
レイから受け取ったハチドリはひんやりとしていた。くるくると回して見てみるが、カナタの技量で直せるようなものではなさそうだった。壊れてしまってから随分と経っている。
レイに返そうとして、カナタはハチドリの翼の付け根に刻印が押されていることに気が付いた。そこにははっきりと『ポーラ博物館』と書かれている。昨日ミサキと訪れた時に博物館に売店があったことを思い出し、もしやと思ってレイを見上げる。
「これ、ミュージアムショップのお土産品ですか」
「そう。だから君の連れているカワセミのように本格的なものではないんだ。あくまでおもちゃ。……小学生くらいの頃かな、博物館へ行って一目惚れだった。飛行船や飛行機も好きだけれど、動物のロボットも好きなんだ」
博物館のガイドロボットであるパーゴ君にべったりだった姿を思い浮かべながらカナタは頷く。このハチドリもとても大事にしていたのだろう。
カナタからハチドリを受け取り、レイは冷たい背中を撫でる。
「立派なロボットに見えたんだ、当時は。いや、もちろん今出会っても大切にするよ。けれど、『ああ、あれはおもちゃのロボットだ』って思うんじゃないかな」
ほら、例えば金色のものって特別に見えるだろう? とレイは問うた。
「金色の……黄色のトマトがあるだろう。それを初めて見た人はどう思う? 突然黄色のトマトが庭先に生えたら? ああ、黄金が庭に実った。これはとても貴重なものだ。そう思うかもしれないよね。どうしても欲しいものや見てみたいものがあって、手元にお金が無かったら。そう、子供だったら、その黄金のトマトを手に出かけてしまうかもしれない。けれどそれでは何も手に入らないよね。でも、その子にとっては黄金色のトマトはとても珍しく価値のあるものなんだ」
「なるほど」
「それと同じ。僕にとってはおもちゃのペットロボットが特別に見えたんだよ。真っ赤な瞳の美しいハチドリがね」
今はもう動かない壊れたハチドリは、元気だった頃の名残を映し出すかのように瞳だけを真っ赤に煌めかせていた。スイがカナタの肩の上でそれをじっと見つめている。翡翠の名の通り翡翠をちりばめたようなスイの翼、それと同じように青く光る瞳の視覚機能はハチドリを捉えている。
黙ったままのスイの様子を見て、カナタはハチドリをもう一度見る。叔父がくれたカワセミ型ロボット。布の奥から姿を現した時、どれだけ嬉しかっただろうか。作っていると言われた時、どれだけ待ち遠しかっただろうか。ロボットを作ってあげようと設計図を見せられた時、どれだけ喜んだだろうか。もしもスイが壊れてしまったら――。
その時自分は何を思うのだろう。
カナタの手に無意識に力が入り、シーツに皺が寄った。レイは過去のことだと語っているが、ハチドリが壊れた時には随分と悲しんだはずだ。
「大事なもの……。ごめんなさい、ボクには直せないです……」
スイを撫でながら顔を伏せるカナタを見て、レイは少し驚いた表情を見せた。
「えっ、いやいや、大丈夫だよ。この子がもう直らないことは分かっているんだ。使い捨ての機関で動くおもちゃだからね。でもありがとう。博物館に置いていた小物を直してくれただけで十分だよ」
眼鏡の奥で笑うレイの目を見て、カナタも少し笑みをこぼす。まだまだ体はだるかった。元気よくは笑えない。もう少しレイと機械や乗り物の話をしたかったが、次第に瞼が重くなってきた。
「カナタ、カナタ。大丈夫カ? 眠いイノ?」
「ああっ、待って蟹沢君」
ハチドリを机に置き、それと入れ替えるようにしてレイは盆を手にやってくる。ベッド脇のサイドテーブルに置かれた盆には茶碗が載っており、粥が薄っすらと湯気を昇らせていた。
「お粥、食べて。お医者さんが薬出してくれたからお粥食べて薬飲んでから寝よう」
「あ、ありがとうございます……」
×
蟹沢オトヤは腕の立つ研究者である。
「おとーさん、おとーさん!」
カナタの記憶に残る父の姿はどれも格好いいもので、真っ白な白衣もよれよれの白衣も油で汚れた白衣も格好良かった。いつかは自分も父のようになるのだと意気込むカナタのことをオトヤは優しく見守っていた。同じ年頃の子供には難しい機械工学の本を読み漁り、設定した通りに動く旧式駆動のおもちゃを作った時にはアカヤと共に大いに喜び、カナタのことをこれでもかと褒めちぎった。
偉大な父の胸元には、いつも緑色の玉が美しい歯車のペンダントが光っていた。母が贈ったものだ。
カナタの母、蟹沢ツキコは穏やかな女性であった。とても穏やかで、穏やかすぎてそのまま溶けて消えるようにいなくなってしまった。カナタは母のことをあまり覚えていない。気が付いた時、そこに母の姿はなかった。死んだのか、別れたのか、それをオトヤが語ることはなく、カナタも訊ねなかった。
薄っすらと思い出せるのはベッドの上で微笑んでいた姿だ。しかしそれもぼんやりとしていて、笑っているはずの顔はぼやけていた。
ツキコが贈った歯車のペンダントを揺らしながら、オトヤはカナタに設計図を見せる。
「お帰り、カナタ」
「おとーさん! 見て! テスト百点だった!」
「すごいなー。お父さんよりもすごい発明家になるかもな」
「えへへー。……これは? 象さん?」
設計図を見て訊ねたカナタにオトヤは頷く。そこには真っ白な象が描かれていた。内部構造を記した紙がデッサンの後ろに束ねられている。
「乗り物に使うような中型機関を使って大型のロボットを作るんだ」
帝も注目しているという『白象計画』を嬉々として語るオトヤにカナタは羨望の眼差しを向ける。が、幼い顔が強張る。
「お父さん、やめた方がいい」
「え?」
「だって、父さんはこのロボットにくしゃくしゃに潰されるんだ」
小さな姿が、現在の十五歳の姿へ変わっていた。
「駄目だよ、父さん」
止めるが、父は笑って設計図をぱらぱら捲るだけだ。
「父さん、父さん」
×
「父さんっ……!」
薄れ行くオトヤに手を伸ばして、カナタは目を覚ました。息は上がっており、じっとりとした汗が体を伝う。
「っ、あ……」
天井へ向けられていた腕が布団の上に下ろされる。額に載せられている手拭いはすっかりぬるくなっていた。枕元で待機モードになっているスイのねじまきを巻き、カナタはゆるりと起き上がる。窓の外は夕日でオレンジ色に染まっていた。学校帰りらしき子供達が歩いているのが見える。
薬を飲んで寝て、それからずっと眠り続けていたのだろうか。随分と時間が経ってしまったようだ、と外の様子を見て思う。しかし今のカナタの頭ではそれ以上を考えることはできなかった。まだ調子はよくないらしく、赤みの強い瞳は落ちてくる瞼で時折隠れてしまっていた。
うつらうつらと窓の外を眺めているカナタの耳にドアがノックされる音が届く。返事をする間もなくドアが開いた。
「カナタ。起きていたのか」
「ミサキさん」
ミサキは水の入った桶を持っていた。水の中では手拭いが揺れている。
「調子はどうだい」
「まだちょっと……」
「そうか」
サイドテーブルに桶を置き、しぼった手拭いをカナタに渡す。代わりにぬるくなっていた手拭いが桶の水の中に入れられた。ミサキは椅子に腰を下ろす。
「金星への連絡は不要だと久坂さんに伝えたよ。そして今晩は泊めてくれるそうだ」
「そうですか」
ひんやりとした手拭いを手にカナタはミサキを見る。宿泊場所を探す手間が省けて助かった。しかし、ミサキは思案顔だ。ううむ、と唸って眉間に皺を寄せる。
「貴重な一日が潰れてしまった」
「す、すみません……」
「もう少ししたら夕食を持ってくるよ。それまでゆっくりお休み」
「はい、ありがとうございま……」
「明日は遅れを取り戻さなければならない。ロクロウ君のいる食堂へ行くからな。それと、後は……。うん、まあ明日になってからだな。早く元気になってくれよ、少年」
額に手拭いを載せて横になったカナタの頭を撫でて、ミサキは部屋を出て行った。
リビングに入ったミサキを出迎えたのは買い物帰りのレイだった。鞄を下ろし、ラジオの電源を入れる。
「お疲れ様、久坂さん。ありがとう、君のおかげでもうしばらくこの街で調査できそうだ」
「いえいえ。探偵さんに協力するなんて、まるで物語の中みたいでわくわくしますよ。ポーラでのお仕事が終わるまでいてくれても構いませんよ。なんて、ふふ」
買って来たものを鞄から出すレイの傍らで、ラジオからは連続殺人事件についてのニュースが流れていた。未だに重要参考人の少年は見つからず、挙句、逃走に協力している人物がいるという。少年は鳥型のペットロボットを連れており、それに協力していると思われるのは二十代くらいの女だそうだ。
食材と日用品を分けていたレイがニュースに手を止める。
「怖いですね。早く犯人見付かるといいんですけど……。……あれ」
鳥のロボットと、女の人。そう呟いてレイはミサキを見た。眼鏡の奥の目が見開かれ、瞳が震える。
「同じ……ですね。あっ、ごめんなさい! 失礼なこと言ってしまって!」
「久坂さん。科学技術省の飛行船について何か分かったら教えてくれ。分かったら、早急にここを去るから」
「……番条、さん。貴女達は……」
戸惑いながら見つめてくるレイの目からミサキは逃れた。「夕食はなんだい? 手伝おうか」と言いながら台所へ向かう。その背に、レイは献立を告げることしかできなかった。