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Gear-14 フラフラのジカン

 寂しいホテルで一晩を過し、カナタとミサキは日の出とともにそこを後にした。


「ぶえっくしょい」

「カナタ! カナタ! 大丈夫カ!?」


 メッセンジャーバッグから顔を出したスイが主を見上げて声を上げた。カナタは自分の体を抱くようにして震える。顔には若干白いような青いような色が差しており、そこにほんのり赤も混じっているようでよく分からない状態になっている。


「君、大丈夫か」

「へ、平気ですよ。朝からやってるお店でご飯食べて、博物館に行きましょう。久坂さんにバーへの連絡は不要だと伝えないと……」


 もう一度大きくくしゃみをする。朝起きた時点で「様子がおかしい」とミサキに言われ、何度も何度も確認された。しかしその度にカナタは「平気です」と言い続けていた。通りを並んで歩きながらミサキは改めてカナタの顔を覗き込むようにして見つめる。


 開店前のソーセージ屋から準備をする音が聞こえていた。新聞を手に駆け回る少女の姿や、牛乳を運ぶ男の姿も見られた。ポーラ駅前に伸びる通りは一日の始まりを象徴するような爽やかな景色に包まれている。


 一瞬、カナタの体が大きく傾ぐ。が、踏み止まってすぐに体勢を立て直す。揺れるメッセンジャーバッグの中からスイの驚いた声が漏れた。


「カナタ、顔色が悪い」

「大丈夫。平気ですから。本当に。早く博物館に……」


 自分のことを見つめているはずのミサキが消えたようにカナタには感じられた。世界が回った。


「カナタっ!」


 地面に膝を着き、カナタは自分の体を抱く。ミサキはその肩に手を添えたが、力の抜けきったカナタの体を片手で支えることは難しい。左手に持っていた煎餅などの入ったバッグを下ろし、両手で支えてやる。


「おい、しっかりしろ」

「ミサキ、さん……。ごめんなさ……」


 カナタの耳に聞こえたのは、慌てたミサキの声とスイの羽撃く音だった。その音が、ぶつんと途切れる。





 昨晩のホテルは随分と寂しいところだった。堅い布団に薄っぺらい毛布。風呂場はあるもののドライヤーの風は非常に弱い。


「疲れが溜まっていたところに体の冷えも加わって、体調を崩してしまったんでしょうな」


 耳に音が戻ってきて、カナタが最初に聞いたのはこんな言葉だった。大人の男の声。それもかなり年を取っていそうだ。足音が遠くなり、ドアの開閉音が聞こえる。自分の額に何かが触れたことを感じ取ってカナタは目を開けた。


 手拭いだった。山猫のイラストが染め抜かれている手拭いだ。


「カナタ、気が付いたかい」

「……ミサキさん?」

「よかった……」


 ミサキは手拭いでカナタの顔を拭ってやってから、彼の頬を包み込むように軽く撫でた。シュウイチの話をしている時に少し似た顔をしているな、とその様子を見て思ったものの、カナタは黙っていた。余計なことを言って攻撃されては堪らない。


 二人がいるのはベッドと小さな机が置かれているだけの簡素な部屋である。淡い黄色のカーテンが隙間風で僅かに揺れている。ベッドに横になっているため部屋の全貌を見渡せないカナタはスイを探して視線を彷徨わせたが、見える範囲にカワセミロボットの姿はない。起き上がることを自分の体に拒まれ、観念したようにベッドに沈む。


「ここはどこですか」


 毛布を掛け直してあげていたミサキは手を止めた。答えることなく、毛布から手を離すともう一度カナタの顔に手拭いを押し当てる。


「いたたたた痛いですよう」

「カナタ、私は怒っているよ」


 いつもと変わらない余裕に満ちた静かな声。長い睫毛で縁取られた目はカナタを睨みつけている。


「いつから具合が悪かったんだ」

「具合……。いえ、問題ありません。出発しましょう……」


 ミサキが掛けてやった毛布を引き剥がし、カナタは強引に体に言うことを聞かせて起き上がった。顔色は悪く、目は虚ろだ。少し長めの髪は汗で顔や首に貼り付いている。体の向きを変えて床に足を下ろし、ふらつきながら立ち上がる。しかし一歩踏み出したところで体から力が抜けてしまった。咄嗟に正面に躍り出てきたミサキに支えられてゆっくりと座らされる。


 抱き付くようにしてカナタはミサキに体を預けていた。怒りと心配と愛おしさに揺れるミサキの顔は見えていない。彼女の肩に頭を載せて、カナタは肩を上下させて息をする。


 ぼさぼさになってしまっている髪を撫でてミサキはカナタを抱き寄せた。


「私は怒っているよ」

「ごめんなさい……」

「いつから具合が悪かった」

「夜、ミサキさんが寝た後で、すごく寒かったんですよね、すごく。朝起きたら体が怠くて、頭も、働かないし。でも、迷惑かけられないから……」

「馬鹿、倒れられる方が迷惑だ」


 カナタはミサキの服の袖を掴んだ。縋り付くように強く掴む。


「でも……僕はっ」

「何を焦っている。事件のこと、叔父のこと。事務所にも金星ヴィーナスにも警察が来たこと。私だってどうしたものかと思っているさ。しかし、体を壊しては意味がないだろう。時には休むことも必要だ、少年」


 ミサキはカナタの頭を撫でる。子供扱いしないでください、と振り払うこともできないほど弱り切っているようだった。


 ドアが開いて青年が部屋に入って来た。肩にはスイが留まっており、手には食事の載せられた盆を持っている。カナタとミサキの様子を見て、眼鏡の奥の目が驚いたように見開かれる。


「あのぅ、番条さん。お粥できましたけど」

「すまない、眠ってしまったようだ」


 ミサキに抱き付いたままカナタは寝息を立てていた。しかしそれは規則正しい呼吸ではなく、時折呻き声のような音が漏れている。


 盆を机に置くと、青年――レイはカナタをミサキから引き剥がしてベッドに横たえた。『ポーラ博物館』と山猫の下に描かれている手拭いで止まらない汗を拭ってやる。


「ありがとう久坂さん。感謝するよ」

「いえ、そんな……」


 カナタが倒れた時、人通りの少ない早朝の道でおろおろとするミサキに声をかけてきたのがレイだった。家はこの辺りなのだ、と言ったレイがカナタを背負って運んできて今に至る。一人で暮らすには少し広いようなアパートの一室、普段は使っていないという部屋にカナタは寝かされている。窓の枠には埃が光っていた。


 レイは「ちょっとごめんね」と言ってカナタの額に手を当てた。


「熱もありますし、今日は調査をお休みした方がいいんじゃないですか。さっきのお医者さんが言っていたように、疲れてるんならおとなしくしているのが一番です。……探偵さんって、忙しいんですか?」

「……久坂さん、カナタのことを頼んでもいいだろうか。同性の君の方がカナタも安心するだろう。あまり私に……弱っている姿を見せたくないだろうしな」

「構いませんけど……。昨日知り合ったばかりの男に大事な助手君を任せてしまっていいんですか」


 視線をカナタに向けたままミサキは返答する。


「君は金星の客だ。シュウイチさんの店に悪人は入れないからな」


 私はリビングにいるよ。そう言い残して彼女は部屋を出て行った。


 レイが枕元の椅子に腰を下ろすと、肩に乗っていたスイがベッドへちょこんと降りた。心配そうに主の顔を覗き込み、小さく鳴き声を漏らす。


 緑がかった青い羽が窓から差し込む日差しに煌めいた。カワセミロボットはシーツの上を滑るように歩き回る。その様子を見てレイは微笑んだ。


「君は本当にご主人のことが大好きなんだね」

「カナタ好キ! 優シイ! イイ子!」


 椅子の背もたれが軋む。


「僕もね、昔ペットロボットを飼っていたんだよ」

「昔?」


 首を傾げるスイの頭を撫でて、レイは椅子から立ち上がる。すぐにカナタの方へ顔の向きを変えたスイには、レイの表情は見えていなかった。見えていたとしても、寂しげな顔の人間にどのように声をかければいいのかスイには分からない。「頑張ッテ」「ドウシタノ」という言葉を選び取って発言することはできるものの、できることはそれだけだ。小さなペットロボットの頭の中では思考機関がぐるぐる回り、それだけでは相手の力になれないと判断される。だから、声をかけることはできない。


 カナタの顔の横に腰を下ろし、スイは小さく鳴く。「大丈夫?」と言えばいいのだろうか。しかし、大丈夫でないことは見れば分かる。「ソバニイルヨ」と言ってあげるだけでいいのだろうか。


 単純な作りのロボットであればすぐに励ましの言葉を伝えることができるだろう。プログラミングに従って言葉を発すればいいのだから。


 時代を重ね研究が進められたイーハトヴの機械達は深く考えるようになった。昔のロボットはもっと素直だった、と語る老人もいるという。人間の言うことをただ聞くだけのロボットは今はもう古いと言われ、考えるロボットが主流になっている。


 思考機関が激しく稼働し始めたスイに手が伸ばされた。


「スイ」

「カナタ!」

「……そばにいてくれたの?」


 スイの向こう側、机の近くにいたレイが振り向く。


「カナタ君」

「久坂さん? じゃあ、ここは久坂さんの……」


 部屋をぐるりと見回したカナタの視線がレイの手元に釘付けになる。


 博物館の学芸員の手に載せられているのは、真っ赤な目をしたハチドリのロボットだった。









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