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Gear-13 ツイオクのヤワ

 豆煎餅の袋を手にカナタとミサキは駅前広場で呆然としていた。駅構内の案内所は既に閉まっている。日はすっかり落ち、植樹桝で虫が鳴いていた。


「ははははははは、参ったな」

「抑揚のない声で笑わないでください。不安になります」


 ミサキは腕組をしてポーラの駅舎を見上げる。


「どうする、カナタ」

「どうするもこうするも、どこかに泊まらないと。野宿なんて嫌ですからね。もうだいぶ涼しくなってきているのに」


 ユウスケと別れ、二人はポーラの街を散策していた。夜風を凌ぐ場所がない、と気が付いたのは日が暮れてからで、情報を求めて駅に着いた時には案内所が閉まっていた。夕食のために立ち寄った食堂で訊けばよかったと後悔しても遅い。そこももう閉まっている。カナタのメッセンジャーバッグからスイが少し顔を出してミサキを見た。


「ドースルノ。ドースルノ」

「探して歩けばどこかにあるだろう。行くぞ」


 長い髪を夜空のもとに翻し、ミサキが踵を返して歩き出した。スイをメッセンジャーバッグに押し込んでカナタは後を追う。


 ポーラの駅前にはいくつかホテルがある。ネルケジエ仕込みの荘厳な造りのものから、客がいるのだろうかと心配になるぼろぼろのものまでピンキリだ。ポーラグランドホテルと大きな看板を掲げている建物へミサキが入る。しかし、すぐに出てきた。名の知れた立派なホテルはどこも満室で、辿り着いたのは寂しい雰囲気の小さなホテルだった。


 フロントに立つくたびれた様子の女はカナタとミサキを交互に見て汚い笑みを浮かべた。


「部屋は空いているだろうか」

「お二人ですかぁ?」

「シングルで二つ頼む」


 ミサキの返事を聞いて女は一瞬残念そうな顔になった。しかし、すぐににやにやと笑い始める。


「あと一部屋しか空いてないんですよ。ツインでいいですか」

「えっ、同じ部屋……?」

「仕方ない。それで頼む」


 フロントの女は不快感を抱くような笑顔のまま、「ごゆっくりどうぞ」と言って鍵を差し出した。


 鍵を手に歩き出したミサキの後を追い駆ける。カナタがフロントを軽く振り向くと、女はフロント内にかけられた部屋番号の札を一枚ひっくり返した。まだひっくり返されていない札はいくつかある。それを不審に思ってじっと見つめていると、ミサキに手を引っ張られた。引き摺られていくカナタを見てフロントの女は口角を吊り上げる。


 部屋のドアと鍵に付けられたタグを見比べ、ミサキは小さく頷いた。鍵を差し込みドアを開け、部屋に入る。


 小さな床に無理してベッドを二つ詰め込んだような部屋だった。ベッドとベッドの間に隙間はほとんどない。ほんの少し空いたスペースには傷だらけの机と椅子が一式鎮座していた。


「他にも部屋空いてるみたいでしたけど……」

「私達のことをカップルか何かだと思ったのだろうな。反論するのも面倒臭いから従った方が楽だ」


 ミサキは髪を掻き上げる。カーテンのない窓からは月明かりが差し込んでいた。黒髪に光が散り、茶色い瞳が妖しく揺れる。


「私が隣で寝ているからといって変な気を起こすなよ、少年」

「ば!? は!? な、何言ってるんですか……。今更じゃないですか。事務所でお世話になってたんですし、金星ヴィーナスでも隣の部屋でしたし。ね、ねえ?」

「はははははは、何を焦っているんだい?」

「ミサキさんのいじわる!」





 壊れそうなドアの向こうにあったシャワーを浴び、ミサキはベッドに腰を下ろした。十分な設備が整っておらず、部屋にドライヤーは備え付けられていない。ごわごわのタオルで髪を拭うが毛先から水が滴り続ける。後ろを見ると、一足先にシャワーを浴びて眠りについたカナタが薄っぺらい毛布にくるまっていた。枕元にはスイが座っている。


「カナタ、お腹が出ている」


 毛布を引っ張りかけ直してやろうとミサキが手を伸ばす。


「んっ……。ミサキさん……?」

「ああ、すまない。起こしてしまったかな」

「いえ……。まだ半分起きてたので……」


 カナタは身じろぎをして毛布を自分でかけ直した。


「明日はまず博物館に向かってレイに話をしよう」

「はい」

「おやすみ」

「おやすみなさい」


 カナタに背を向けてミサキは横になった。堅い毛布に包まれても暖かさは感じられない。大陸の北東部に位置するイーハトヴはやや寒冷な気候である。秋の深まった今の時期は南のエメラルドキングダムと比べると随分と気温が低く、冬に片足を突っ込んでいるようなものだ。野ざらしにされるよりはマシだろうか、とミサキは毛布の端を握る。


 窓側のベッドを陣取ったミサキの目には外の景色が映っていた。高い建物の隙間から夜空が見える。


「あの、ミサキさん」

「どうした。眠れないのか」

「こうしてゆっくりと話をすることって意外となかったなって思って。ちょっといいですか」

「いいよ」


 後方から毛布が擦れる音が聞こえた。カナタは軽く身を起こしてミサキの後ろ姿を見ている。


「ミサキさんは、どうして探偵になったんですか」


 いつか訊かれるとは思っていた。ミサキはぐるりと寝返りを打って体の向きを変えた。いくつかボタンを開けていた寝間着から胸がちらりと見えたらしく、カナタが一瞬目を逸らす。平均よりやや大きな胸を横向きの重力に従わせて、ミサキはカナタに向かい合う。まだ乾いていない湿った髪が顔や体にくっ付いていた。


 艶やかな唇がゆっくりと開かれる。


「子供の頃に事件があってね」





 番条ミサキはハナゾノのそこそこ裕福な家に生まれた。力強い父と優しい母に見守られ幸せな少女時代を過ごしたが、それはほんの一瞬のことだった。体の弱かった母が流行り病で命を落とした。どんなに機械技術が発達していても、どんなにロボットを修復できても、生き物の体を治す技術そのものには限界があった。医者を手伝うロボットがいる。体の機能を助ける機械がある。それでも、治せないものは治せない。


 悲しみに暮れるミサキを支えてくれたのは二つ年上の幼馴染である本郷シュウイチだった。まだまだ拙いチェロを聞かせて、彼なりに慰めようとしてくれた。


 母が死んで数か月後、父は新しい母を連れてきた。新しい母は初めのうちはミサキに優しく接してくれていたが、異母妹いもうとが生まれてから態度が変わった。父の目に付かないところでミサキを痛めつけ、彼女は笑っていた。そんな時でも、シュウイチの下手くそなチェロを聴くと安心できた。


 イーハトヴに古くから伝わる習慣に、お盆というものがある。夏、先祖の霊がこの世に戻ってくるとされるものだ。野菜で先祖が乗るための動物を象ったり、提灯を川に流したり、踊ったり、各地で様々な祭りも開かれる。ハナゾノでは提灯で飾った小型の船を流す。


 ある年のお盆祭りの時、同級生の安座間あざまネルが川に落ちた。





「彼は私のことをいじめていたよ。嫌なやつだった」


 長い睫毛が伏せられ、少し濡れた瞳に影を落とす。


「彼は言ったんだ。『犯人を追い駆けようとして土手を踏み外した』と」

「犯人?」

「大事にしていた根付を盗られたんだよ。ネルの家も立派なものでね、羨むやつも多かった。人混みに紛れて誰かが盗ったんだろうね」


 カナタはミサキの話に聞き入っていた。身を乗り出すように、上半身を曲げる。毛布を握りしめた手に力が入る。


「私が犯人を見付けたんだよ。学校でネルに羨望の眼差しを向けているやつらの中からね。そうしたら彼はくるりと掌を返した。『番条はすごい』ってね。ネルに言われたんだよ。『探偵みたいだ』って。それまで探偵小説になんて興味はなかったんだけれど、気になってしまって読んだんだ。とても面白かった。私もなれるだろうかってわくわくした。シュウイチさんのチェロ以外にも楽しいことができたんだ」


 ミサキは寝返りを打ってカナタに再び背を向ける。思い出されるのは、何年も前のこと。近所で起こる謎を次々と解決へ導いた。皆に褒められて嬉しかった。


 人気者になったミサキのことを継母は良く思わなかった。それまで以上に痛めつけられたミサキは堪らなくなって家を飛び出した。逃げ込んだのはネルの家だ。さほど裕福ではないシュウイチの家に迷惑はかけられなかった。


「父が問い質しても継母は本当のことを言わなかった。妹はまだ小さかったし、継母の家と……それなりに金のある家同士での争いは避けたかったから、父は私を救う為にイシオカにある全寮制の学校へ行かせてくれたんだよ。ハナゾノに戻ったのは大人になってからだね」

「それで、探偵に? 近所の人達に喜ばれていたから?」

「そうだね。楽しいから。家には連絡あまりしていないんだ。父はいい人だけれど、継母に気が付かれたら困るしね」


 ミサキは窓に向かって手を伸ばす。


「ずっと答えを探している謎があるんだ」

「ミサキさんにも分からない謎ですか?」


 カナタの問いに答えることはせず、ミサキは毛布の中で丸くなった。「ミサキさん?」「ちょっと」「あの」という声が聞こえてくるが、ミサキは目を閉じてしまう。


「君となら、見付けられるかもしれない」


 小さく零れた声は、戸惑うカナタには届かない。









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