Gear-11 ハンバーガーのオミセ
カナタの視線に気が付いたのか、ロクロウは右手を背に隠す。
「お兄さん、その手」
「す、すみません。気にしないで、ください……」
大きな斬り傷だった。盆を手にロクロウはカウンターの向こうへ引っ込んでしまった。
怪訝そうな様子のカナタに、ミサキは話題を振る。
「ところでカナタ、先程久坂さんの鳥の模型を直していたけれど、あれほど腕がいいとは驚きだな」
「ああ、あれは父が設計したものなんですよ」
カナタはメッセンジャーバッグ越しにスイを撫でる。
蟹沢オトヤは優秀な技術者である。ハナゾノ土産のおもちゃの設計を頼まれたことがあり、幼いカナタはその試作品をいくつも見てきた。オトヤが死んでからも、カナタは父の開発した機械の設計図を暇があれば眺めていたため、レイが持っていた鳥のおもちゃの構造も大方把握していたのだ。
「スイが興味を持っていたし、うちの研究所のものかなって思ったら当たりだったみたいで」
「スイ?」
「父さんが設計した機械には共通の機構が使われているみたいで、たまにスイが反応するんですよ。感じ取ってるんですかね。同じリズムを刻む歯車でも入っているのかもしれないです」
君のお父さんはこだわりを持っていた人なんだね。とミサキは笑う。
ほどなくして、ロクロウが盆を手に戻ってきた。二枚の丸いパンで具材を挟んだ、ポーラバーガーだ。わくわくしながらポーラバーガーにかぶりついたカナタだったが、反対側からレタスが飛び出してきた。レタスに引っ張られるようにして豚肉も出て来てしまう。
「んぐう」
「カナタ、気を付けたまえ。こういうパンは逆さまにすると零れないと聞いたことがある」
そう言って綺麗に食べるミサキのことをカナタは羨ましそうに見た。ソースが付いて手はべとべとである。試行錯誤を続けるカナタを横目に、ミサキはぺろりとポーラバーガーを食べ終えてしまった。食べるのが速いわけではない。カナタが戸惑っていて遅いのだ。
他のテーブルを拭いたり、カウンターを拭いたりしていたロクロウに、ミサキは声をかける。しかし、駆け付けたのはやまねこはかせだった。腕をくるくる回してご機嫌な様子の猫型ロボットはミサキに注文を促す。
「違う、追加注文ではないんだ。ロクロウ君に話があってな」
やまねこはかせが首をくるくる回す。布巾を手にしたロクロウが二人の座る席に歩いてきた。
「な、何でしょうか」
「君、その傷痕はどうしたものなのかな」
「え、えと……」
はぐらかそうとするロクロウを見て、ミサキは身を乗り出す。肩にかかっていた長い黒髪がさらさらと流れた。
「誰に斬られたのかな?」
「ち、違い、ます。これは僕の不注意で……」
「私は探偵なんだ。話を聞かせてはもらえないだろうか。警察にも知り合いがいる」
「探偵……さん……」
勝手にユウスケのことを持ち出していいのだろうか、カナタはそう思ったが、口いっぱいにポーラバーガーを頬張っていたので何も言えなかった。ロクロウはしばし考え込む。カナタがようやくポーラバーガーを食べ終えた頃、布巾をぎゅっと握りしめた。
「け、警察には言ったんです……。でも、任せてくれって言われて、それだけで……」
「ふむ。詳しく聞かせてくれるかな」
ミサキの瞳が好奇心に満ちた輝きを宿す。紙ナプキンで指を拭いながら、帰りが遅くなりそうだとカナタは溜息をついた。シュウイチが心配するかもしれない、後で金星に電話をしておこう。
店主に相談をすると、客は少ないので少しくらいなら抜けても良いと許可がおりた。会計を済ませ、カナタとミサキはロクロウに連れられてスタッフルームへ案内される。
ロッカーの前に置かれた机にネズミのおもちゃが載っていた。背中から小さなぜんまいが出ている。
「何週間か前なんですけど……。外を歩いている時に知らない男の人に突然斬りつけられて……。ああ、そうだ。札を落としましたよって言われたから振り向いたんです。そしたら……」
「君、花番は何かな」
ロクロウはロッカーを開けて鞄から札を取り出す。机の上に置かれたのは紅葉に青短冊だった。その際手が当たってしまいネズミのおもちゃが床に落ちた。衝撃でねじが回ってしまったらしく、ネズミは甲高い鳴き声をあげて走り出した。驚いたスイがメッセンジャーバッグから飛び出す。
スタッフルームに挿し込む日差しに、スイの青い羽が煌めく。ネズミを追っていたロクロウの目がスイに向けられ、見開かれた。
「鳥の……ペットロボット……。男の子……。……ハナゾノから、来た……」
カナタは慌ててスイをバッグに収めたが、時すでに遅し。走り回るネズミを掬い取り、ロクロウは二人から飛び退く。おろおろしていた先程までと表情が一変し、警戒心をむき出しにする。
「もしかして、ハナゾノの連続殺人事件の……。な、何をしにポーラへ来たんだ! まさか、僕を襲ったのはおまえの仲間か!」
「ちっ、違っ、違うんです! 僕はっ!」
カナタは助けを求めてミサキを見るが、彼女は一歩引いて様子を見ているだけだ。あくまでも無関係を装うつもりらしいが、一緒にいたのだからそれは無理だろう。ロクロウはミサキのことも睨み付けている。
ネズミのおもちゃを手に、ロクロウはスタッフルームから駆け出そうとした。
「殺人鬼だぁっ!」
「わああああああ!」
カナタはロクロウに飛びかかる。
「違うんですよ!」
「離せ! 僕のことも手にかけるつもりなんだ!」
「誤解ですよ!」
揉み合いになる二人のことをミサキは面白そうに見ている。無実を訴えるカナタと、それを振り払おうとするロクロウの攻防が繰り広げられている最中、スタッフルームのドアがノックされた。呼び掛けてくる声は店主のものである。
これは好機、とロクロウが顔を上げる。店主に助けを求め、通報してもらおうというのだろう。そうはさせまいと、カナタはロクロウの口を押さえる。
しかしドアを開けて現れたのは店主ではなかった。それはエプロン姿の中年男性ではなく、スーツ姿の青年だった。カナタは目を丸くする。
「警部……? たっ、助けて下さい」
「やあ、蟹沢君」
ユウスケは微笑みながら片手をあげて挨拶する。放り出されたメッセンジャーバッグの中からスイの鳴き声が漏れた。
店主はユウスケの後ろに立っていて、揉み合う二人を見て何事かと仰天していた。身を起こしたロクロウがユウスケを見遣る。
「警部ってことは、警察の人ですよね」
「そうだよ」
「この人達っ……」
「君が長谷川ロクロウ君かな? 先日の傷害事件の被害者……で、あってる? ちょっとお話聞かせてくれるかな」
「え……」
後はユウスケに任せるつもりらしく、店主は店の方へ戻っていった。ユウスケは警察手帳をちらりと見せる。
「園原ユウスケです。いいかな?」
カナタとロクロウは立ち上がり、互いをちらりと見てから目を逸らした。二人の少年を見て二人の大人は苦笑する。
床に落ちていたカナタのメッセンジャーバッグを拾ったユウスケは、顔を覗かせたスイを見て薄く笑みを零した。それに対してスイが小さく鳴き声を漏らす。そのやり取りに気が付いたのはミサキだけだった。長い睫毛で縁取られた目を少し細める。そして、振り向いたユウスケと目が合う。ミサキがにやりと笑うと、ユウスケはわざとらしくきょとんとして見せた。
バッグを受け取ったカナタは布越しにスイを撫でる。その様子を見てユウスケは再び微笑んだ。
警戒心を解かないままに、ロクロウはユウスケのことも睨みつける。
「刑事さんもこいつらの仲間ですか」
「うん?」
「鳥のペットロボットを連れた男の子って、殺人事件の……」
「その子は違うよ。俺は君に用事があって来たんだ」
先日の傷害事件について訊きたいんだ、とユウスケは言う。ロクロウはまだ怪訝な目をしていたが、警察官に挑むつもりはないらしくぽつぽつと話し始めた。
「さっき探偵さんにも言ったんですけど、札を落としましたよって言われて振り向いたら斬られたんです」
「君、花番は?」
再び床を走り始めてしまったネズミを掬い上げてから、ロクロウは札を机に置き直した。紅葉に青短冊。改めてそれを確認してミサキは頷く。カナタはぼんやりとそれを見ていたが、ユウスケはなるほどといった具合に頷き返した。