Gear-9 ヒロバとハクブツカン
チェロ弾きのバーには様々な客が訪れる。
話を訊くと、ネズミの親子のように大型の飛行船を見たという者は結構いるようであった。いずれも、近くで見ようとしてロボットに追い返されたのだと言う。飛行船の持ち主、もしくは乗客に何かしらの秘密、隠し事、それに相当するものがあるのだろうとミサキは言った。
「叔父さん、変なことに巻き込まれてないといいけど……」
「件の大型飛行船がどこへ向かったのか分かればいいんだがな」
昼間の店内は夜と比べると客は少ない。シュウイチも二人にコーヒーを出すとチェロの手入れを始めた。チェロも、客の談笑もなく、蓄音機から流れる静かな音色だけが店内を満たしていた。
カナタはカップにミルクを少しだけ入れてかき混ぜる。ほんの少しだけ色の薄くなったコーヒーを口に含んで、砂糖を少し足す。その隣でミサキはブラックコーヒーを飲んでいた。
「もうしばらく金星に留まって情報を集めた方がいいかもしれないな」
下手に動いて警察に見付かっても困る。ここにいれば数多の客から数多の情報を手に入れられるだろう。カナタはミサキの提案に頷くが、アカヤのことが心配だった。できることならば早く動いて叔父に会いに行かなくては、そう思っていた。今回の事件のことも、父のことも、叔父は知っているかもしれない。そして、何よりも、無事を確認したかった。
肩に乗ったスイが小さく鳴き声を漏らす。カナタはその頭を撫でてやる。
「ミサキ、一度博物館へ行ってみたらどうかな」
チェロをケースにしまってシュウイチが言った。自分の分のコーヒーを入れているのか、その顔はコンロの方へ向けられている。
「博物館?」
「面白い学芸員がいるんだ。前にうちの店に来たことがあってね。彼は飛行船や飛行機に関心があるそうだから、何か話を聞けるかもしれないよ」
「もっと早く教えてくれればいいだろう」
ミサキは形のいい目を細めてシュウイチを睨みつける。対するシュウイチはカップにコーヒーを注ぎながらわざとらしく声を上げて笑った。
「本当は君に『何か知らないか』と訊かれるまで黙っていようと思っていたんだけど、何だか急いでいるようだったからな」
「はあ?」
「前に進言したら君、怒っただろう。『この番条ミサキの頭脳ならばそんなこと分かっていた。訊くまで言うな、愚民よ』『そうしようと今思ってたんだ。おまえ如きに言われずとも分かっている、我が下僕よ』『シュウ君の馬鹿』って」
シュウイチはいたずらっぽく笑う。
「いつの話をしているんだ! 気が付いたことがあったらすぐ言え!」
真っ赤になってカウンター越しにシュウイチの胸倉を掴むミサキを見て、カナタは目を丸くした。今の彼女は男の子にからかわれて怒っているただの女の子と変わらない。いつも余裕そうで偉そうなミサキも普通の女の人なんだな、とカナタは思った。
シュウイチが教えてくれた博物館があるのは、カナタ達の暮らすハナゾノ市から鉄道で一時間ほどのポーラ市だ。花ノ宮らしくない異国情緒のある街の名前は、クラムボンの災厄からの復興の際に力を貸してくれたネルケジエへの感謝を込めた命名だという。キャロリング大陸の北東部に位置する花ノ宮から見て、中央のワンダーランドを挟んで向かいにあるのが南西の国ネルケジエである。
揺れる蒸気機関車の中、車窓を流れていく景色を見ながらミサキが思い出したかのように呟いた。
「私は幼い頃鉄道が好きだったんだ」
「今は嫌いなんですか?」
「……いや、大人の女がはしゃいでも恥ずかしいだろう?」
「かわいいと思いますよ」
「……君は意外とそういうことをさらりと言うんだな」
ミサキににやりと笑われて、カナタはちょっぴり赤くなった。
「べ、べつにミサキさんのことをかわいいって言ったわけじゃないですよ。世間一般的な意見です。鉄道好きの女の人だっているでしょう」
「ははは、何を必死になっているんだい?」
「もう!」
警察に見付からないよう細心の注意を払いながら、二人は一時間の鉄道旅を終えてポーラへやって来た。
ポーラ駅前広場に設置された記念碑には、「ネルケジエとの友好の証」と説明が付けられていた。花ノ宮とネルケジエの間で結ばれた黄の同盟を象徴する碑なのだろう。積み上げられた本の上に花が咲き乱れるオブジェが添えられている。
駅前の街並みは石造りの建物が目立つ。「Wurst」と看板の掲げられた店を見て、ミサキがカナタを振り向いた。
「ネルケ文字だな。この店では肉の腸詰が売っているらしい」
「読めるんですか?」
「ちょっとだけだよ。帰りに買って行こうか」
カナタは周囲の商店を見回す。
「ソーセージ屋さん、多いみたいですけど」
「ネルケジエの影響だろう。学芸員におすすめの店でも聞けばいいさ」
駅の案内所から持ってきた簡易地図を開き、ミサキは博物館の位置を確認する。否、しようとした。地図を回し、辺りを見回し、カナタを見つめる。視線に気が付いたカナタが顔を上げると、目の前に地図を突き付けられた。
「君、博物館はどこだ」
「……この、市街地から離れてる……これじゃないですか?」
しかし、そこへはどうやって行けばいいのだろう。
二人が困惑した様子で見つめ合っていると、車輪状の足をしたロボットが近付いてきた。両手を振り振り、親しみやすそうな雰囲気のロボットだ。頭部は猫を模したもののようで、胸元には『やまねこはかせ』という名札が付いている。
「道行クオ方! 観光デスカ?」
「そんな感じだ」
猫顔のロボットは頭を一回転させた。内部で歯車が激しく動く音が漏れ聞こえる。
「ドチラマデデスカ。ゴ案内シマス!」
同じ形のロボットが駅から出てくる人々に声をかけている姿がいくつか見られた。おそらく観光客用の案内ロボットなのだろう。カナタは地図をロボットに見せる。
「この博物館に行きたいんだけど」
「ピー! ガガット! ハイハーイ!」
ロボットは頭をぐるぐると回した。そして駅前に停まる蒸気自動車の群れを指し示す。自家用車として使用されるものと比べると車体は随分と長いようである。
カナタは地図を裏返す。裏側にはポーラ駅前広場の詳細な地図があった。改めて見直し、ロボットの差す方を見る。そして、目を輝かせた。
「バスだぁ!」
駅から出て真っ直ぐミサキに付いてきたため、先程は気が付かなかった。ハナゾノ市では公共交通と言えば乗合馬車が未だ主流である。首都により近いポーラならではといったところだろうか。国の中心へ近付けば、より性能のよい機関を載せた車や、より精巧なロボットたちが跋扈しているのだろう。
駅前広場の地図の脇にはバスの時刻表が載っていた。ロボットは空いている方の手で時刻表を指す。
「駅前ノ停留所カラ博物館方面行キノバスガ出テマス!」
「なるほど、ありがとう。行こうカナタ」
すたすたとミサキは言ってしまう。カナタはロボットの頭を撫でてからミサキの後を追った。
バスに掲げられている行先の表示を確認してから二人は乗り込む。定員は十人程度と言ったところだろうか。並んで座席に着くと、前に座っていた老婆が振り向いて何かを差し出してきた。恐る恐るカナタが受け取ってみると、それは飴玉二つだった。かわいらしい花柄の包装紙に包まれている。
老婆は顔に刻まれた皺を更に深く深くして二人を見た。まるで自分の孫を見るように優しい目だ。
「あんた達、恋人かい」
「……姉弟だ。この街へ来るのは初めてなんだ。ご婦人、何かおすすめの場所はないだろうか」
「そうさね、ここいらには南西の文化が溶け込んでいるから、そういうのを探して歩いても楽しいんじゃないかな。ポーラはいい街だよ、楽しんでね。その飴玉はおばあちゃんからの差し入れだよ」
「わーい! ありがとうございます! ん、おいしいです!」
老婆は顔をくしゃくしゃにして嬉しそうにしながらバスの進行方向に向き直った。少しすると、バスは蒸気を上げて動き始めた。
しばらくバスに揺られて、ようやく山の麓にある博物館に辿り着く。カナタとミサキの他に、三人ほどが下車をした。バスは次の停留所を目指して発進する。
「立派な建物ですね」
博物館の建物は荘厳な石造りであり、二階建てだが水平方向に大きいため存在感がある。受付で大人二枚分のチケットを買い、二人は館内に足を踏み入れた。ホール部分はモザイクタイルの床やステンドグラスの壁で彩られており、目に美しいものであった。カナタのメッセンジャーバッグから顔を覗かせて、スイもその目に色を映す。
館内の案内図を並んで見ていると、駅前にいたものと同じ形のロボットが近付いてきた。しかし、こちらは静かに片手を上げただけで大きな声でアピールはしてこない。賑やかな駅前と静かな博物館では対応が異なるのだろう。この個体にも『やまねこはかせ』と名札が付いていたが、その文字の上に被せるようにして『パーゴ君』と書かれていた。パーゴ君は落ち着いた声で二人に話しかける。
「コンニチハ。ポーラ博物館ヘヨウコソ。案内ロボットノヤマネコハカセデス。本日、特別展ハ開催サレテオリマセン。常設展ノミトナリマス。ゴユックリオ楽シミ下サイ。何カアリマシタラ、オ気軽ニオ声掛ケ下サイネ」
頭頂部の猫の耳がぎこちなく動く。
「では早速。学芸員に会いに来たのだが……」
「パーゴ君っ、ここにいたのか!」
階段を降りてきた男がパーゴ君に飛び付く。眼鏡をかけた真面目そうな印象の若い男だ。首からは博物館の職員であることを示す名札を下げていた。
「あのー、すみません。僕達、ここの学芸員さんにお話があって来たんですけど」
男はパーゴ君に頬擦りしていた顔を上げる。
「学芸員はたくさんいますよ。誰にご用事で?」
「飛行船とか飛行機とか、大型の乗り物に詳しい方がいるって聞いて」
「ああ、それなら多分僕ですね。ようこそ、ポーラ博物館へ。僕は学芸員の久坂レイです」
そう言ってレイは立ち上がり、右手で眼鏡のブリッジを軽く押し上げる。左手はパーゴ君の頭を撫で続けていた。