第二話 春ではないけど出会いの季節のようです
え⋯⋯うえ! な、何が起こった!? よ、夜だった⋯⋯はずだ! 何で昼に! それに⋯⋯ここはどこだ? 私は確かに帰宅途中だったはずだ。こんな森の中を歩いてなんかいない。おまけになんだか暑いような。雪も降ってない。つ、つまりは、き、季節も若干違う! なんだこの状況は! どうしてこうなった!
私はただただ驚愕していた。いや、するしかなかった。考えてもみてほしい。急に見知らぬ土地に放り出されたのである。まともな思考ができる奴はよほどの楽天家か、凄まじい胆力の持ち主くらいだろう。結局、私が冷静さを取り戻したのはかなりの時間が経ってからである。
冷静に考えてみると、自分がどれほど危険な状況に立たされているかが分かってきた。
何故ここにいるかは置いておくとし、なにより解決しなくてはならない問題は食事である。周りを見てみると、果物は無さそうだし、コンビニやスーパーはもちろん名無さそうだ。動物は居るかもしれないが、狩りのやり方が分からない。それに、火を熾す手段が無い。なので、狩りは最終手段にしておこう。幸いにして買い物帰りなので、二食分のお惣菜と二リットルの水と炭酸飲料がある。つまり数日ならば行動が可能ということである。その数日で少なくとも達成しなくてはならないこと。それは人(悪いのは除く)に会うことである。言葉が通じるかはともかく会うことができなければ話にならない。後のことは会ってから考えるとしよう。今はどうやってもそれ以上のことはできそうにない。
さて、現状の危機を確認し、目的を決めた後は、周囲の状況の確認だ。え? そんなことより行動した方がいいんじゃないかって。いや、それは早計が過ぎるというものだ。なにせ生き延びるために行動を選択するのだ。慎重過ぎるぐらいのほうがいいだろう。
少し周りを見ればそれなりに情報は集められる。まず、森の中ではあるが一本の道らしきものがある(整備はされていないが)。ここから分かることは多少の人通りがあるということだ。これはこれからの行動を決定するときに重要な情報である。というより、決定できる情報だ。選択肢は三つある。
第一案。それは待つことである。動かずに人が来ることを待つ。私はこの案が最良なのではと思う。人通りはあるようだし、うごかなくていいので少なくとも半月は生きられるだろう。危険がなければだが⋯⋯
第二案そして第三案。ずばり、移動する。私から見て前か後ろに。今見える範囲では一本道なのだから、歩いている途中で人に会えるかもしれない。ただ、数日もすると動けなくなるだろう。
待つか前に進むか後ろに進むか。選択によっては自分を生かしも殺しもする。そう思うと、お腹の中に重い物があるように感じてしまう。しかし、今は自分が生き残れる確率を上げるために考えなくてはならない。
道、森の中、それ以外に分かることは日本ではないということくらいだ。そういえば、なにも異世界だという訳でもないだろう。先程はあまりの混乱のせいで突飛な考えをしてしまったようだ。神隠し的な何かが起き、どこかに移動したと考えた方がまだ現実的だ。ただ、そうだとしても日本ではないし、それどころか北半球でもなければ緯度も相当違うのは確実だ。それでも帰れる可能性はある。そうだ。そのはずだ。そうならば、英語で多少は言葉も通じる。それに、人の住んでいる所も見つけ易いだろう。よし、元気が湧いてきたぞう!
ーーふう。
すいません。現実逃避してました。いや、ここが南半球のどこかだとは結構本気で思っていましたよ。しかし、もう異世界だと認めるしかない。同時に非常に危機的状況であることも。え? そんなことは分かっているって? いえいえ、食料ではない危険です。まあ、具体的には第一案を捨てざるをえないような危険です。
いる。
私から見て右、明らかに地球にはいないであろう動物がいる。横目で見ているのであまり詳しい特徴は分からないが、言ってしまえばトカゲである。ただし大きさがアホである。確実に二メートルを超し、三メートルに迫るほどの大きさだ。絶っっっ対にこんな生物地球にはいない。幸いまだこちらに気付いてな⋯⋯
あっ。目が合った。
そこからの私の行動は迅速だった。目が合った瞬間、前方に走り出した。だせる全力で。後のことなど考えず。まあ、実は逃げる必要はなかったらしい。後から分かったことなので、この時点では、それだけでなく結果論として逃げたのは最良の選択だといえるだろう。
しばらく走った。運動がそこまで得意ではない私がよくこんなに走れたと思う。それぐらい走った。人間危険が迫ると普段できないこともできるようになるらしい。不思議と疲れもない。
気づくとあの化け物トカゲはいなかった。どうやら撒けたらしい。ふふふ。私の運もまだまだ捨てたものではないな。奴はどうやらそれほど足が速くないようだ。
ん、あれ? し、しまった⋯⋯食料を置いてきてしまった。ぐっ、追ってきてない訳だよ。野郎(メスかもしれないが)食ってやがるな。
まずい⋯⋯それにしてもまずい⋯⋯限られていた私の時間がさらに短くなってしまった。
進むしかない。そして、なんとしても人を見つけなくては。どうやら狩りで食い繋ぐのは甘い考えのようだしな。
歩いた。ずっと歩き進み続けた。一日ほど経ったぐらいだろうか⋯⋯ん? おかしい? なにが? ああ。一日も歩き続けられるはずがないだろうと。いやいや、先に言った通り危険が迫ればと言うやつだ。本当に。不思議と眠くもならない、お腹もそこまで空かない。逆に聞こう。あんな生物のいる森で眠れるか? 私は無理だ。いつかは眠らなくてはならないだろうが今でなくていいだろう。
まあ、一日ほど経ったときのことだ。要するに、日が沈み、昇り、昨日ここに来たときと同じぐらいの位置に太陽が来るほどの時間が経ったとき。
音が聞こえた。
野生の生物が上げる音ではない。金属がぶつかるような音だ。私は迷わず聞こえた方向に走り出した。人が居る。それだけで希望が見えた気がした。だからだろうか。失念していた。いや、平和な日本育ちだからと言うべきか。金属がぶつかり合う状況とはどういうものだろう。
森の中、その開けた場所。そこで、一人の少女と三人の男が戦っていた。
劣勢なのは少女の方。当然だろうと思えるが、考えてみると、劣勢なだけであって戦えている。少女の能力は相当のようだ。パッと見でも分かる。身の丈ほどの大剣を二本操る少女を普通とは言えないだろう。
対する三人の男たちは優勢ではあるが個々の力は少女に及んでいないように見える。筋骨隆々なのは片刃の斧を狐っぽいのは片手剣を鼠っぽいのはナイフを使っている。こちらはまだ常識的な装備だ。ただ、妙に武器が眩しい。そういえば周辺も眩しい気がする。
私は飛び出していくべきか迷った。薄情だから、臆病だからという理由ではない。これでも小学生から高校生の間、古流武術を習っていた。おかしい人が運営するおかしい道場だったので殺気も経験したし、最低限身を守る自信もある。力が足りないにしても、ここで何もできないなら私でいられない。
ただ、どちらに味方するべきか分からなかった。普通なら少女の方だろう。しかし、見るからに普通ではない。事情も分からず踏み込んで、味方すべき人物を間違え痛い目に合ったこともある。だから、判断できなかった。
迷っている内に戦闘に変化が現れた。少女が膝をついた。怪我ではなく疲労のようだ。
「そろそろ観念してくれたかよう。お嬢ちゃん」
筋骨隆々が少女に顔を不気味な笑みで歪めながら問いかけている。驚いた。日本語を話している!
「いいえ。⋯⋯まだまだです。⋯⋯ここで死んではいられませんから」
少女はどう見てももうまともにあの大剣を振れないだろうというくらい疲労しているように見える。それでも少女は片方の大剣を杖替わりに立ち上がった。
「別に殺すわけではありませんよ。ただ、捕まっていただきたいのです。そして、役立っていただきます。大丈夫。あなたなら重宝されますよ。戦場でも夜でもね」
「その通りだぜ。だいたい今の状況はどうしようもねえだろう。ここいら一帯に『聖別』の儀式魔術がかけられているし、俺たちの武器も聖属性が付与されている。あんたにゃ毒だろう」
なるほど。味方すべき相手は決まり切っていたわけか⋯⋯
だが、
足が動かなかった。臆病ではないなどと言っておきながら足が震えていた。覚悟が全く決まっていなかった。暴力が振るえないなんてことはない。必要なら、ためらいなく人を殴れる。それでも、今踏み込むのは喧嘩でもいじめでもない。殺し合いだ。私には命をかける覚悟がなかった。
しかし、私はまだまだ捨てた人間ではないらしい。必要な覚悟は少女が作ってくれた。
「ふふふ。死ななくても人生の終わりのようなものですね⋯⋯ふざけないでください! こんな所で終わってしまっては父にも母にも申し訳が立ちません!」
その言葉は私の覚悟を埋めるには充分すぎた。私はその言葉を聞いた瞬間飛び出した。
私は少女を背に隠す位置に立ち、三人の男たちに対し左半身で構えた。斧なんかの相手は初めてだが、日本刀ならあるので、まあ、大丈夫だろう。
男たちは一歩引き、身構えた。
「「「「『ステータス』『確認』」」」」
少女を含めた四人の声が重なった。気になる言葉である。多分直接的な効果のある言葉なのだろう。より一層警戒しなくてはならない。
念の為、後ろも警戒しながら男たちを見据える。そのとき、男たちの顔色が劇的に変わっていることに気が付いた。
「転異者か⋯⋯」
筋骨隆々が警戒を強めた様子で呟いている。また気になる単語だ。
「どうしてこんな場所に。ええい。厄介な」
「やべえ。やべえよ。アニキ。『魔眼』も持ってやがる」
どうやらこの中で一番の実力者は筋骨隆々のようだ。警戒を続ける筋骨隆々に対し、狐と鼠は浮足立ってしまっている。
「なあ、どいてくれねえかな。兄ちゃん。無料でとは言わねえ。ここで俺たちに恩を売っておけば後でおいしい思いができるぜ」
私の返答は否だ。それは態度で示した。もう一度しっかりと相手を見据える。
「ちっ。ずらかるぞ。流石に転異者の相手はきつい」
「い、いいんですかい。アニキ。か、確保しねえと⋯⋯」
「くどい! 転異者ってだけで厄介なのに、効果の分からねえ『魔眼』を二種類持ってんだ。逃げる他ねえし、多分お叱りはねえよ」
男たちには上の人間がいるようだ。その人がこの少女を捕まえることを命じたということだろう。理由はさっぱり分からないが⋯⋯
「おい。てめえ。後悔するぞ」
「全くその通りです。愚かな真似をしましたね」
「やめろ。とっと行くぞ」
なんだかテンプレートな台詞を残して男たちは去っていった。
その瞬間、気が抜けてしまった。そう。一日以上張り続けた気を抜いた。それは、思ったよりも自分が無理していることを理解させられることになった。
私は強烈な眠気に抗えず眠りに落ちた。