第十五話 兄妹
パチパチとたき火の火が音を立てている。
二日目はもう終わりに近い。
濃かったな⋯⋯
「おい。これもう食べられるんじゃないか?」
「さあ? 食べられるんじゃない? お腹壊しても知らないけどね」
「おお! 美味いな」
聞いてやがらねぇ⋯⋯
今夜の食事には一人の客人がやって来ている。ドナトだ。
彼は結構心配してくれたようだ。魔族を倒し、皆が集合した後すぐにドナトは来た。かなり急いでだ。
雷の音を聞いて私たちに何かあったと思ったらしい。何故私たちだと思ったかについては彼はこう語った。
『こんなおかしなことが起こるのはお前らがいるところぐらいだと思ったんだよ。お前らでなくても何かはあるんだからつっこまねぇとな。それが冒険の醍醐味ってもんだろう』
なんだかんだ言っても私たちを心配して来てくれたんだ。歓迎しないわけがない。そういうわけで一緒に食事をとることにしたのだ。
「にしても魔族か⋯⋯こりゃあ俺の負けか⋯⋯」
「高いの頼んでやる」
「美味しいの食べたい」
「クロもクロも」
アマリアとクロウスは小さい体だがよく食べる。食へのこだわりも相当だ。美味しいもの食べたい気持ちはよく分かるがな。
「おや? 私の作るご飯は美味しくありませんでしたか?」
レナリーがからかい半分に問いかける。からかい半分だ。そう半分。半分は結構剣呑なものを感じさせる。
「そ、そんなことないよ。美味しいよ」
「うんうん。他の人が作ったのも食べてみたいと思っただけだよ」
おいおい。青ざめているじゃないか。
レナリーは自分の料理に自信があるようだ。自信に見合うだけの味だがな。だからその辺の店の料理では満足なぞできん。必然相当な価格の店に行くことになる。ドナトご愁傷様⋯⋯
「食べてる途中に寝ない」
「む⋯⋯すまん」
今回の功労者であるエルギルは疲れたのだろう。さっきからうつらうつらしている。そして、目が閉じるたびにカレンに起こされている。
夜も更けてきた。そろそろ子供たちは寝てもいいころだ。
「エルギル、もう寝なさい。疲れただろう? できればカレンもアマリアとクロウスを寝かしつけてくれるかな?」
子供たちは寝る準備を始める。皆も疲れていたのだろう。あほみたいな量のゴブリンとオーク。そして、魔族。疲れないほうがおかしい。
「おーい。ギョクト、少し付き合えよ」
私も寝ようかと思っていたのだが⋯⋯
⋯⋯少しならいいだろう。
「ちょっと行ってくるよ」
「あまり遅くならないようにしてください」
「分かったよ」
私も少し眠いしね。少し話したらすぐに帰ってくるさ。
ドナトは森の中の小さな湖の傍で胡坐をかいていた。
私もそれにならって足を崩して座る。
「こんなところがあるなんて知らなかった」
「俺も今日初めて気が付いたよ」
澄んだ湖だ。私の知っている日本の湖とは比べるまでもないほどに。
「こういう澄んだ湖には主がいるらしいぜ」
そういえば、惑いの森の湖にも主がいたな。見てはいないが。
「ただ、もうこの湖にはいない」
「どうしてだ?」
「新しい森の主が生まれたからさ。湖と言っても森の一部に変わりはない。今まではこの湖の主が森における主でもあったんだろうが、新しく生まれた主にもう殺されてるだろうな。頂点は二つにはならないもんさ」
ドナトはずっと湖を見ている。いつもの少し軽そうな感じがすっかり息を潜めてしまっている。その目はどこか遠くを見ているような感じがする。
「どうした?」
「いや、この湖が澄んでいるのはもう少しの間だと思うとな」
「そうか⋯⋯」
少しの静寂が私とドナトの間に生まれた。
静かだ。しかし、昨日とは違う。森の生命の音がしっかりとする。ふと、そんな風に思った。
「⋯⋯妹と暮らしていた場所の近くにこんな感じで澄んだ湖があったんだよ」
「主がいたの?」
「ああ⋯⋯」
故郷を思い出していたのか。
「そう。主がいなかったからかな? 私の故郷にこんな湖はなかった」
「そうかもな。一定以上の強さの魔物は環境に影響を与えるからな」
元の世界に魔物がいたら環境問題もいくらか解決したかな? もっとも、アビリティもスキルも魔術も無い世界ではそれどころではないかもしれないが。
「どうして冒険者になろうとしたんだ?」
「⋯⋯冒険者になることが目的じゃないんだ。妹を助けたくてな」
「私が聞いていい話か?」
「ああ。聞いて欲しい話なんだ」
ドナトは⋯⋯なんというか⋯⋯何とも言えない⋯⋯複雑な顔をしている。
「妹はよく出来た子でな。兄としては負い目があったよ」
その気持ちはよく分かる。私の弟妹もよく出来ていた。
容姿がとびきりで、頭も良く、運動もできる。
私はアニメとかラノベが大好きだったからな⋯⋯三人の中なら一番の負い目だった。家事も全くできないから家のことも弟と妹にまかせっきりだった。
あいつら元気かな⋯⋯
「両親は事故で数年前に亡くなってしまってな。そこからは妹との二人暮らしだった。最初のころはかなり悲しんでいたんだが、段々と慣れていくものなんだな。生活は落ち着いていったんだ」
それも分かる。私の場合は片親は残ったが、父親が亡くなったときは確かに悲しかった。
妹は生まれたばかりだったし、弟もまだ小さかった。だから、それが日常になるまでそうは時間がかからなかったけど⋯⋯
「魔物を狩って、素材を売り、獣を狩って、食べる。慎ましくはあったし、変化も無かった。それでも幸せを感じるには充分だったさ」
「⋯⋯」
過去形なんだな⋯⋯私はその一言を呑み込んだ。
私も、そしてドナトも話している間、一切顔を合わせない。ずっと湖に向けている。
「いろいろなことの基礎はなんとか両親に教わっていたからな。魔物を狩りながらそこそこの実力は身につけられたよ」
ドナトはなんのためにこんな話をしているのだろう? 私に聞いて欲しいと言っていたが⋯⋯その理由は? 聞けば聞くほど分からなくなってくる。私が人情は理解できないだけなのだろうか?
「俺は父親似で、妹は⋯⋯母親似と言っていいかな」
「ははは。なんだよそれ?」
どうしても話に引き込まれる。
ドナトの話し方に技術があるわけではない。話はあっちこっちに飛ぶし、纏りも無い。それでも他人事には思えなくて、聞き入ってしまう。
「狩りは俺と妹の二人で行っていたんだが、狩りも妹には敵わなかった。どうも俺は小動物に警戒され易いみたいだった。大きいのを仕留めた回数は俺の方が多いが、やっぱり総合的には妹に軍配が上がるだろう。その上、家事はほとんど妹がやっていたからな。兄として立つ瀬が無かったよ」
「私も家事はからっきしだったよ」
「ははは。そうか」
中身の無い会話だ。意味はあると思う。私には分からないがドナトにとってはあるのだろう。ただ、会話の中に感情が不思議と無いのだ。だから、色の無い空虚な会話だと思ってしまう。
「俺は戦うことぐらいしか役には立てなかった。強い魔物を倒して金を稼ぐ。それぐらいしかできなかった。だからこそ、剣の腕をあげたんだけどな」
私も暴力を必要とすると思ったから武術を身に着けようと思った。
本当に似ているな。
「妹もそこらの冒険者よりは強くはあったが、俺はそれでも不安でな妹を何からでも守れるくらいには強くなりたかったんだよ」
⋯⋯今のドナトの妹はどういう状況なのだろうか。
「ドナトは結構強いだろう?」
「いや、妹を守れるほどではなかったんだよ」
自分の力不足が原因。一体何があった?
「妹さんは⋯⋯?」
「一応元気だぞ。お前もよく分かっていると思うけどな」
「⋯⋯は⋯⋯?」
何を言っているんだ?
「まぁ、かなり負担を強いてしまっている。全部俺が不甲斐無いせいだ。あいつは今結構楽しそうにわらってんだけどな」
「近くにいるのか?」
どういうことなんだ?
「おう。近くにいるな。ああ。あと、俺はお前に結構感謝しているんだぜ」
「⋯⋯?」
私はもう何を言っているのか分からなかった。そんな私を無視してドナトは話を続ける。
「意味が分からないって顔をしてるな。すぐに分かるようになるさ」
「どういうことだ?」
思わず厳しい口調になってしまう。
頭が回らない。何が言いたいのか分からない。
私はドナトの方に顔を向けた。ドナトは湖に視線を固定して動かさない。その横顔を見て、一つの可能性を思いつくが、だけど、それでも、納得がいくように説明できない。
「幸せだったんだよ。刺激がなくてもな。人里離れた場所だったから本当に二人だけの暮らしだった。友人もいなかった。それでも幸せだった。凪のような日常が。その中の少しの波もいいアクセントになっていた。だから、変化なんて無くてよかった」
ドナトは一度口を閉ざした。そして、少し深く息を吸って吐く。
「それでも変化は起きた。俺も少し油断していたんだよ。境界が近いのは分かっていたが、西側だってことで安心していたんだよ。俺は」
熱を帯びてきた。色がついてきた。中身が生まれてきた。今の話が最も重要だ。
ただ、あまりいい方向には向かないようだが⋯⋯
「狩りに出て戻ったときには手遅れだった。妹は捕まっていた。助けようとはしたが、妹が人質だったし、それを抜いても『氷輝の聖騎士』は強かった。俺は負けた。だが、役に立ちそうだという理由で命は助けられた。逃げだすチャンスを伺ってはいたんだが、俺たちはお互いに監視をつけられてしまってな。お互いがお互いの人質になった」
ドナトは立ち上がった。
「お前に感謝しているのは本当だ。それに気が合うとも思う。多分、友人ってのを言うんだとしたらお前のようなの言うんだろうなってぐらいにはな。だから⋯⋯」
ドナトはおもむろに剣を抜いた。そして、こちらにそれを向けた。
「投降してくれないか? 絶対に悪いようにはさせない。だから⋯⋯頼む⋯⋯」
私も立ち上がる。そして、ドナトの方を向く。
この対話が始まって、初めて正面にドナトを見据えた。
「悪いが⋯⋯それはできない」
ドナトは少しうつむいた後、顔を上げ、少し後ろに下がった。
「そうか⋯⋯いや、そうだろうな」
私は半身になって構える。
ドナトも剣を構えた。
「そういえば、名乗っていなかったな」
緊張が増していく。空気が鋭くなり、気温が低くなったように感じる。
「俺はドナト・クエストだ!」
今日最後の戦いが始まった。
お読みいただきありがとうございます。
初めて評価をいただいたのですが、なかなかテンションが上がります。
これからもよろしくお願いします