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千夜小話  作者: 藤田 暁己
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酔っぱらいとお説教(仮)

食堂が無事だった頃のある日の日常のひとコマ。

 

 当番の時間でなくとも、隊長としての仕事は多い。四時間の睡眠で体調を整え、事務作業をこなしたサリュウが一息入れるために食堂へ向かおうとしたとき、異変は起こった。

 かすかな嘆息と舌打ち。彼は迷わず宿舎のあるほうへ舞い戻り、ノックもなく一室を開けた。

「どういうことだ?」

 簡潔な問いに、中にいたマリカとフアナ、そしてシャモンの眼があらぬほうを彷徨う。

「その、みんなでお菓子を作っていて―――」

「どういう菓子を作ったら、こういう事態になるんだ?」

 あきれた隊長の視線の先では、顔面を桃色に染めた訓練生が笑いながら宙を踊っていた。


* * *


「あ。たいちょーだぁ。やっほー」

 完全に酔っぱらっているチヒロは、ふわふわと天井近くを漂ったまま、サリュウに右手を振る。その手の方向に重心がかかるのか、くるりと体が反転した。

「あ~れ~? たいちょーがさかさまだー」

「逆さまなのはおまえだ。さっさと降りろ」

「い・や・ですよー」

 うふふふ、とご機嫌な笑い声をたて、チヒロが天井に貼りつく。

「つめたぁーい」

「それはおまえが酔っているからだ。降りろ」

「いやですってばー」

「……完全に重力無視してますね。どういう力の使い方なんだろう?」

 顎に手を当てて呟くシャモンを、ダークグリーンの瞳が睨めた。

「感心している場合か。どうしてここまで飲ませたんだ?」

「飲ませたわけじゃありません」

 黒髪の女性宙尉が、キッチンカウンターにあるボウルを指差す。その隣には、香りづけ用のブランデーの小瓶が一本。

「パウンドケーキを作ってて、焼く前に味見したらこんなことに」

「まさか種ひとさじで酔うなんて思わないですよぉ……」

 がっくりとフアナがうなだれる。サリュウの口から長い溜息が吐き出た。

 赤い顔をして幸せそうに天井にほっぺたを押しつけている少女は、ワイン一杯で意識を失ったことがあるほどの下戸だ。

「どれだけ弱いんだ、あの馬鹿」

「ばかじゃありませんよぉー」

 天井から反論が聞こえる。サリュウの頭上まで、バタ足で飛んできた。

「たいちょーもたべます? おいしーですよ?」

「俺は焼きあがってからもらう。いい加減降りて来い」

「やーでーすぅ」

 空中でくるりと一回転して、また部屋の奥に下がる。休日で部屋にいたマナクが、すごぉい!と手を叩いて喜んだ。

 思いのほか器用に空中遊泳を披露する訓練生の傍で、ときおり青白い何かが跳ねる。

「……隊長。俺、アポートの才能ないんスかね?」

「才能の有無じゃないな。あいつのほうが強力だから、おまえのテレパスを察知して先回りして邪魔している」

「ほとんど開放してませんよ? 彼女」

「あいつのタコ足を甘くみるな。他人のテレパスの軌跡を追うくらい朝飯前だ」

「ほんと俺、自信なくしそうッスよ……」

 シャモンが肩を落とす。テレポート能力の器用さにかけては右に並ぶものはいない彼でも、対象を認知するためのテレパスが弾かれてしまうと、手も足も出ない。

 酔っぱらいの訓練生は、先輩の傷心など知らぬ顔で、きりもみ下降して再び上昇する。

「ちぃろ、かっくいー!」

「マナ、感心してないで降りるように言ってよ」

「なんでー?」

「このままねーさんが飛んで行ったら困るでしょ?」

「……んー」

 マナクが首を傾げる。高いところは苦手なので飛びたいとは言わないが、降りてこないといけない理由は、ぴんとこないらしい。

「あ。でも、お酒切れたら自然に降りてくるんじゃない?」

「浮かんだまま吐いたりしなければ問題はないがな」

 冷静な隊長の指摘に、女性隊員たちが蒼ざめる。

「ちょ、チヒロ。さっさと降りといで!」

「そーだよ! ほら早くしないと、ケーキみんなで食べちゃうからね!」

「……うー」

 オーブンから漂うパウンドケーキの焼ける匂いにつられるように、チヒロが高度を下げる。マリカが手を伸ばして足先を捉えようとした途端、すいっとまた宙に逃れた。

「……やっぱやだ」

「やだ、じゃないってば」

「――おまえら、全員出ておけ」

「でも」

「少し力を開放する。マナクを見ておいてやれ」

「はい」

 一級のテレパシストであるチヒロを制御できるのは、それを上回るサリュウの力の他にない。三人は心配そうな目を向けつつも、きょときょとするマナクの手を引いて通路に出た。

 宙にいるチヒロが首を曲げる。ついでに体もぐるりと回った。

「あ~れぇ? なんでみんな出てくの?」

「おまえが素直に降りないからだ」

「たいちょーおこってるんですか……?」

 熱を帯びてうるむ黒い瞳が、不安そうに見下ろす。

「酔っぱらい相手に怒っても仕方ないだろう。ほら、来い」

 犬猫でも招くように、おいでおいでをする。

 天井の片隅で身を縮めていたチヒロは、唇を少しとがらせ、ふよふよ泳いでやって来た。彼の手の届かない上空で正座する。

「言いたいことは分かるな?」

「……でもぉ」

「俺を怒らせたいのか?」

 おかっぱの髪が左右に振れる。

「だって、やっとみんなより高いところにいるのに……」

「見下ろしていい気分か?」

「はい。とっても」

 人一倍小柄な訓練生は無邪気に笑う。サリュウの頭上に人差し指を向け、

「たいちょーのつむじが見えます。はじめて見ました」

「じゃあ、そのまま見ていろ」

 サリュウは、その伸ばした指先を右手で軽く取った。チヒロが身を引こうとした刹那、力の波が解き放たれる。

「眠れ」

 簡潔な言葉が指示となり、思考を奪う。

 くたりと力を失い、落下する小柄な体を男の左腕が抱きとめた。

「――終わったぞ。入れ」

 隊長の声に室内に戻ってきた部下と妹は、彼の腕の中で幸せそうな寝息を立てる訓練生の姿を見、ほっと胸を撫で下ろした。

「こいつは起きるまで俺の部屋に入れておく。当分かかるはずだ」

「チヒロには今後アルコール入りの食べ物を一切与えないよう、皆に言っておきます」

「そうしてくれ」

 まるで動物の飼育でもするようなやりとりを交わし、両腕に少女を抱えた男が出て行く。

 なぜ彼が寝入った訓練生を自室に連れて行く必要があったのか、という疑問が隊員たちの脳に湧き上がってきたのは、しばらく経ってからのことだった。


* * *


「……えっと。なんでわたし、こんなところにいるんです?」

「ケーキで酔っぱらったからだ」

「す、すみません……」

「二度と食べるな」

「焼きあがったのはまだ食べてないような気が……」

「この状態で言うのか?」

「う~周りがぐるぐるします……頭いたいぃ」

「自業自得だ、馬鹿者。薬を飲め」

「うぅ。すみません」

「飲んだらおまえに言いたいことがある」

「……お、おこってないはずじゃ……」

「素面のおまえには怒りたいことが山ほどある!」

「…………うううぅ、頭に響くー」

 希代の稀人であるサリュウの部屋は、ある一定量の力の放出を感知すると発動する、失制者の簡易牢並みの保護システムを完備しているとは、あとで聞かされた話。

 チヒロがその後、彼の自室を〝説教部屋〟と呼ぶようになったのは言うまでもない。



Fin.



 サリュウが来る前。


「――さてと。あとは焼くだけね」

「ちょっとブランデー入れすぎじゃない?」

「焼くとアルコールが飛んで、ちょうどいいくらいになるのよ。……うん、いい感じ」

「あ、ほんとだ。舐めるとそうでもないかも」

「焼く前に味見するんですか?」

「だってここで調整しないと、焼いちゃったら終わりじゃない。ほら」

「……うーん。粉っぽい? でも美味しいかもです」

「マナもー」

「マナはこっちのお酒抜きのほうね」

「お口ぐにゅぐにゅするー」

「あんまり食べるとおなか壊しちゃうよ。じゃあこれで型に流して、予熱したオーブンに入れて……っと。チヒロ、どうしたの? 顔赤いけど」

「え、チヒロ、アルコールダメだった?」

「んー……なんか、ふわふわ、します」

「…………ちょっと、あんた、足」

「足、浮いてる……」

「ちょ、チヒロ! 抑えなさい。あんたヤバいって! 浮かんでるから!!」

「やーだーもー! なんで浮いてくの?!」

「マナ、そっちの腕持って! ファ、あんた誰か幹部生呼んできて!」

「わ、わかった」

「たいちょーはー?」

「「ぜったいダメ!!」」


 ってことで呼ばれて来た、人のいい先輩・シャモン。


「で。これを俺にどうしろって?」

「なんとか、捕まえてもらえませんか……?」

「いや無理だろこれ」

「そこをなんとか!」

「お願いしますっ!」

「一応やってみるけどさー」

「「お願いしますっっ!!」」


 というところに隊長登場という状況(笑)。

 きっとこの後「チヒロの取扱要項」みたいなものができたと思われます。


 お粗末さまでした。


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