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千夜小話  作者: 藤田 暁己
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過去と涙と男と女(仮)

サリュウの過去話です。

 

 サリュウは、泣いている女を見るのが嫌いだ。

 いや、正確には女の涙が苦手なのだ。男はどうだっていい。

 涙というのは不思議なもので、似たような成分で体から分泌されるにもかかわらず、涎や汗とは破格の待遇を受ける。肉体の分泌物というと他にもあるが――大人な話はさておいて。

 ともかく、サリュウは女の涙が苦手だ。唯一の弱点と言ってよい。

 苦手な原因は、養い親にあると彼は考えている。


「――サリュウ」

 腰まで流れ落ちる漆黒の巻き髪。涙を宝冠のように飾る長い睫毛。つややかに濡れる黒い瞳。

 口紅を差さずとも紅い唇を震わせ、時折彼女は泣いていた。気丈な彼女がそうやって涙を見せるのは自分の前だけだと知っていたから、なおさら幼い胸が痛んだ。

 その涙を止めるには、自分の手はまだ小さすぎた。それでも。

「だいじょうぶ? るな」

 舌足らずな声で彼は慰め、女の長い髪をゆっくりと撫でる。自分がいつもそうやってもらっているように。

「サリュウ……」

 そして彼女は、彼の小さな体を抱き締めて泣き咽ぶのだ。

「また男に振られちゃったようぅ……っ!」

 彼女は、ルナ・アサギ。

 サリュウの担当医であり養母であり、初めて知った〝女〟という別の生き物だった。


* * *


 えぐえぐと喉を引きつらせ、ルナは、まだ上背がおのれの半分にも満たぬ少年の胸で子どもみたいに泣いた。ぽふぽふ、とサリュウがその頭を優しく叩く。

 えぐえぐ、ぽふぽふ、と言葉のない会話がしばらく続き、落ち着いてきた女を彼は首をひねって覗き込む。

「るな、もうなくな。るなをなかしたやつ、おれがぱんちしてきてやるよ。てれぽーとなら、いっぱつだ」

「……サリュウはいい子だね」

「あたりまえだ。おれはるなのおとこだからな」

「ふっ……生意気だねえ。ま、あたしがそう育てたんだから、当然といえばそうか」

 ルナは微笑み、ふっくらとした彼の頬を指先でつついた。

「ほんと、かわいいわねぇ。食べちゃいたいくらい」

「おれをたべると、るなをまもれなくなるぞ?」

「いいんだよ。あたしは誰にも守ってもらわなくても」

「……るな。おれがきらい?」

 不安そうな瞳。茶とも碧ともつかない瞳は、幼子とも思えぬ老成した光を湛えている。

「嫌いなわけないじゃないか。サリュウはあたしの最高の男。いつもそう言ってるだろう?」

「じゃあ、るな。なんでなくんだ? るなにはおれがいる。ほかのおとこにふられたって、いいじゃないか」

 ぷう、と丸いほっぺたがふくれる。〝ほかのおとこ〟に〝ふられる〟ことが何なのか明確に理解していなくても、大事な養母が奪われそうだということは感覚的に分かるらしい。

 ましてやこの子は、類稀な力の片鱗を現わしている。

 胎児であるころからすでに意識をもち、研究者たちの会話や心までも見聞きし続けてきた彼は、言葉を発するようになるともう〝小さい大人〟の風情であった。

 それでも時折見せる年齢そのままの仕草に、ルナは心底嬉しげな顔になり、そして泣きそうになった。

――この先一体誰がこの子を守ってやれるんだろう……。

 大きすぎる力。稀人ではないルナには、それを正しく育てることも導くことも出来ない。

 それでも、手放したくはなかった。この小さな手を。

「サリュウ、いい男になるんだよ。最高の男にね」

「いいおとこ?」

「そうさ。おまえならきっとなれる」

 淡い褐色の額にかかる黒髪を、そっと指先で整える。

「いいおとこって、なに?」

「そうだねえ……まずは強くなくちゃいけないね。人の後ろに隠れるようなやつはだめだ。体のぶよぶよも却下。それと、頭がいいこと。勉強ができるってだけじゃいけないよ。きちんと周りのことや人のことを考えられないとね」

「それ、おれとくい!」

「はは、確かにそうだ。あとは……金払いがいいことだね」

「かねばらい?」

「けちけちしないってこと。それから服装もきちんとして、歯もきちんと磨いて、片付けもちゃんとできるといいねえ?」

 途端おかしな顔になって、サリュウが両手で口を押さえる。歯磨きが嫌いなのだ。

「それから……仕事を一生懸命にして、友達を大事にして、礼儀正しくて……」

 なんだか条件がどんどん増えていく。いい男になるには大変そうだ、とサリュウがしかめ面をしていると、突然ぽんとルナが両手を打った。

「ああ、大切なことを忘れていた」

「たいせつなこと?」

「そう。いい男の絶対条件だ。――優しいこと」

「……やさしいって、なに?」

 率直な問いに、女の黒い瞳が様々な想いに揺れる。大人の答えで煙に巻くのか、彼にも分かるように噛み砕くか――結局ルナは、どちらも選ばなかった。

「優しいってのはね、女を泣かせないことさ」

「るなみたいに?」

「そう。泣かせずに、その涙を受け止めてやれる。それが男の優しさ、だよ」

「じゃあ、おれ、やさしい?」

 ルナはくすりと微笑んだ。

「ああ、やさしいよ」

「でも、るなもやさしいよ。るなはね、やさしくてつよくて、ごはんもつくってくれるし、いっしょにねてくれるし、ほんもよんでくれるし……えーと、えっとね」

 指折り数えていたが、途中で混乱したようだ。両手を拳にして、ぐっとにぎる。

「るなは、いいおとこだね?」

 あ、ちがったおんなだ、と呟く幼児に、ルナは噴き出し、彼が嫌がるほど両腕にきつく抱き締めた。

「本当に……サリュウ。おまえはいい子だよ」

 頭のてっぺんに唇をつけ、やわらかいアルトが囁く。

「サリュウ。いい男におなり。誰もがひれ伏すぐらいの男に、ね……」

 ルナの言った言葉は十数年の時を経て、まったく別の意味で成就されるのだが、そのことを彼女は知らない。

 二年後、ルナは仕事中に眩暈を訴えて倒れ、そのまま還らぬ人となったのである。

 脳幹出血。その病名が何かを知るには、サリュウは幼すぎた。

 実験番号一〇七二八 サリュウ・コズミ。人工子宮から誕生後五年三ヶ月と二十六日。

 彼は初めての〝母〟を失った。


* * *


 倒れたルナの意識はなかった。即座に異常を察したサリュウが周りの制止する間もなくテレポートで駆けつけた時には、もう心肺蘇生が始まっていた。

《ルナ……》

 テレパスで呼びかけても何の応答もない。微弱なエンパスを持つ彼女は、彼が力で悪戯をするとすぐに気付いて、いつも容赦なく叱り飛ばすのに。

 彼女の意識は真っ暗だった。覗いても、何も視えない。深い底無しの穴へ吸い込まれるような気がした。

――恐い。

 サリュウは思わず意識を切り離した。あの暗さが〝死〟というものなのだと、教えられなくても識ってしまった。

 ルナの体が人工心肺装置につながれ、ナノマシンによる走査と手術が開始される。他の医師が連れ出そうとしたが、サリュウは頑強に彼女の傍を離れなかった。

 二日後、ルナが突然目を開けた。脳波に変化はない。だがサリュウは、意識の底で呼ぶ彼女の声を確かに聞いたと思った。

《……サリュウ》

 茫洋と開かれた瞳の縁に、きらりと光るものが滲み、流れ星のように伝い落ちる。

 それが最期だった。

 彼は、泣かなかった。



 泣かなかったのは、幼くて〝死〟というものを理解していなかったからだとは、サリュウは思わない。死は、いつも彼の身近にあった。

 ともに人工の海でまどろみながら、つぎつぎと息尽きていく仲間たち。運命を操作するために間引かれる生命。使い捨てられる数多くの動物たち。苦しいともがきながら亡くなる人々。

 医療と研究の世界に満ち溢れる死を、彼は常に肌で感じ続けていた。ひとつそれを感じるたびに凍りつく心を和らげるのは、ルナの温かい肌だけだった。

 それが無くなる。永遠に、消え去ってしまう。

 彼女の死を悟った瞬間、心を占めたのはそんな想い。ルナに視たあの暗闇が自分の心身までも侵食する気がして、サリュウは哀しみよりも激しい恐怖に包まれた

 どうしたらいいか途方に暮れた彼は、簡素な葬儀が執り行われる中、一人そっと隠れた。いつも意識で寄り添っている弟からも、今は離れたかった。

 巨大な三風の研究棟の片隅でうずくまっていると、ふと誰かが近付いて来た。

「――君、泣いてるの?」

 泣いているはずはない。頬は冷たく乾いていた。

 誰の眼からも消えたくて誰も眼に入れたくなくて、彼は背をついた器材と同化するように抱えた膝小僧に顔を押しつけた。

 見たくない。聞きたくない。触られたくない。

 それなのにその人影は、スリッパを履いた爪先をくるりと回し、彼のいる場所の少し離れたところに腰を下ろしてしまった。甘い香りが鼻孔をくすぐる。

 しばらくの無言。鈍い機械のモーター音が響く中、空気に染みついたついた薬品の匂いを花の香りが中和していく。

 あまりの気配のなさに、隣の人影が人間ではないのではないかとサリュウが疑いはじめたころ、ぽつりと声が響いた。

「……ねえ、君。一人で泣いちゃだめだよ」

 涼やかなソプラノ。ルナと反対の明るく澄んだ声に、サリュウは顔が上げられなかった。

 うつむいたまま、自分の頬に指で触れる。やっぱり濡れていない。

――このひと、なにを言ってるんだろう。

 訝しむサリュウの横で、独り言のように呟きが流れる。

「わたし、ね。恐くてときどき泣くの。一人で、誰にもばれないように泣くんだ。布団被って、声出さないように我慢して泣くの。だけどね……そうしてたら怒られちゃった」

 さらりと音がして、眼の隅で黒いものが揺れた。ルナとは違う、まっすぐな長い髪。

「一番大切な人にね、怒られたの。一人で泣くもんじゃないって。涙はね、心が痛いって、もうこれ以上無理だって訴えてるんだから、一人で抱えちゃだめなんだって。

 そのために、俺がいるだろうって」

 長い髪が、音を立てて服の上を滑った。香りと同じ甘さを纏う声が続ける。

「だから、ね。君も一人で泣いちゃだめだよ。涙は、誰かに伝えるために流れてきてるの。この――心の深いところから」

 細い指先が、そっとサリュウの胸を差す。折れそうな指。透けるような白。手首にはタグ。

――ああ。このひと、もう死ぬんだ。

 サリュウは分かった。弟のような予知はもたないが、その白さをもたらす肉体の脆さを、彼の眼は視抜いてしまった。

「……ルナが、言ってた。女を泣かせない男が、いいおとこだって」

「そうね。だけど、その男だって泣きたいときもあるでしょ? 泣けない人に、人の涙を止めることなんて出来ないわ」

 ふわりと花の香りが近付き、華奢な腕が彼の肩を抱き寄せる。驚くほど質量の感じられない身体。それでも不思議とやわらく、温かかった。

「泣いていいんだよ。涙が流れるときは、絶対に受け止めてくれる人がいるから」

「そう……かな」

「そうだよ。ほら、今わたしがいるじゃない」

 これまで彼の涙を受け止めてくれていたルナはいなくなった。この女性も、じき亡くなるだろう。

 その後に誰がいるというのか――望まれて創られたわけでもない、寄せ集めの自分に。

「おれ……かなしくないんだよ」

「……え」

「おれ、おかしいのかな。ルナが死んで、みんな泣いてた。だけどおれ、涙でないんだ。なんでだろ。これって、かなしくないからなんだよね?」

 自分に言い聞かせるように呟きながら、サリュウは女の胸に寄りかかった。

 生まれる前から囁かれる大人たちの本音。自分は〝こうなるはずじゃなかった、ヨソウガイのサンブツ〟なのだと。

 特別なんていらない。ただ――ルナの特別であればよかったのに。

「おれ、できそこないだから、かなしくないのかな? なんで涙でないんだろ……」

「――なんで」

 ふと見上げると、彼を覗き込む女の顔が歪んでいた。

「なんで君、そんなこと言うの?」

 声がほそく震える。彼の代わりに泣いているみたいだ。

「なんで君は、今にも泣きそうな顔して、そんなこと、言うの……?」

「泣きそう……おれが?」

「そうだよ。君の心は、さっきからずっと泣いてる。ずっと……」

 ぽつり、とあたたかい雫が、サリュウの頬に落ちた。同時に彼の左目の縁から、なんの前触れもなくほろりと転げ落ちるものがあった。心。それとも――。

「……なみだ」

「だから言ってるでしょう。君、泣いてたって」

「……うん。おれ、泣いてたんだね」

 泣けてたんだ。

 そう思った途端、サリュウの心にあった熱い何かが、ぶわっと音を立てて弾け出てきた。

 唸り、嵐となって吹き荒れる感情。そのすべてを解き放って、サリュウは泣いた。

 かつてサリュウの腕で泣いたルナのように。まがいものの子宮から出た幼き日のように。

 大声をあげて、彼は女の胸で泣いた。

 そして、いつのまにか深いまどろみに落ちていた。


* * *


「――こんなところにいたの? もう、探したわよ。心配しちゃったじゃない」

「タキちゃん。ごめん、なんだか放してもらえなくて」

「あら。この子……泣いてたの?」

「さっきまでね。泣き疲れて、眠ってしまったみたい」

「無理もないわよ。まだ子どもだもの。……あー眠ってるときはかわいいわねえ。天使みたい」

「ええ、ほんとね」

「起きてるときは悪魔だけどね。ほんっと生意気なんだから」

「タキちゃん、きっと慕われてるのよ。初めて話したけど、悪い子じゃなかったわ。ただ、ちょっと不器用なのね」

「他に関しちゃ、大人顔負けなくらい器用なんだけどね。ルナ博士が亡くなって、ますます人間不信にならなきゃいいんだけど」

「娘さん、やっぱり医者志望みたいね?」

「らしいわ。あれだけ犬猿の仲だったのに、同じ道を選ぶんだから。親子って不思議ね」

「親子、か……。ね、タキちゃん」

「なに?」

「わたし――彼のプロポーズ受けようと思うの。彼の子どもを、産みたい」

「……そう」

「反対、しないんだ」

「反対は先生たちに任せる。どうせあんたは反対してもするだろうし」

「ごめん」

「謝るくらいなら、子どもの行末見届けるまで絶対生きなよ」

「……うん」

「あーあ。あんたの子どもは頑固な子になりそうだねえ」

「そうかも。――ね。この子は、誰に似てくのかな?」

「イイ男になりゃいいけどねー」

「あら、予兆はあるわよ」

「どんな?」

「だって、女を泣かせない男がいい男だって言ってたもの」

 ひそやかに響く、甘い笑い声。

 明るく温かく、やさしい春風となって辺りを包み込んでいく。

 ささめく長い髪。抱き締めるやわらかな腕と胸。

 女の泣き顔は嫌いだ。

 女は、泣かせるものじゃない。笑っているほうが、断然いい。

 手の届かないところへ逝ってしまった月の女神を想う。


『――いい男におなり、サリュウ』


 俺はきっと、最高の男になる。

 だから、もっと笑顔を見せて。その明るい声を、光を守りたいんだ、ずっと。

 ずっと――いつまでも、俺の傍で笑っていて。

 笑っている貴女が、好きだから。



* * *


 あのとき彼を抱き締めた、名前も顔も知らぬ女性。

 その子どもと彼が、実に二十年の歳月を要した後に出逢おうとは、まだ誰も知らない。そんなころのお話。



Fin.


ちょうど今(12-7まで掲載済み)ならUPしても大丈夫そうだということで、むかーし書いたのを引っ張り出してきました。

サリュウの性格形成には、ルナの教育が大きく影響しています。ユノ・アサギの母親ですが、性格・容姿ともに真反対。

最後に出てきた二人に関しては、ご想像通りです。。

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