始まりは彼方でも、/-Hello,World-
柊零司の朝は早い。
彼の一日は近所の自然公園をランニングすることから始まる。
春先の澄んだ空気の中、いつもと同じ十キロを走り切る。
まだ日が昇りきらないうちに帰宅し、次は朝餉の用意。
昆布と鰹で出汁をとり、豆腐と菜の花の味噌汁をつくる。
高野豆腐と人参、切り干し大根の煮物を小鉢に盛る。
それから一夜干しにした鯵を皮がパリッとなるまで焼き、その横で玉子焼きを巻く。
大根おろしも忘れない。鯵に添えても、玉子に乗せても旨い。
最後に板海苔を炙って焼き海苔をつくり、納豆の上に薬味ネギを散らす。
さすがに朝から白米を土鍋で炊くことはないが、これでも十分立派な朝食の出来上がりだ。
ちょっとした一手間で料理の味は大きく変わる。
一日の活力となる朝食であるからこそ、手は抜けない。
素晴らしき人生は常に美味い飯と共に在る。零司は常々そう思っている。
ちょうど朝食の仕度が終わったところで階段を降りる音がした。
祖父母も両親もいない現在の柊家に家族と呼べる存在はただ一人だ。
しばらくしてリビングのドアが開き、寝巻き姿の弟、一真が顔を出す。
「おはよう一真」
普段と何一つ変わらない言葉。
「おはよ兄貴」
そして返ってくるのは同じく普段と何一つ変わらない笑顔と……。
「おはよう零司。いい匂いね」
「お、おはようございます。それと……は、初めまして、私、フェリクスの第一王女であるセレスフィア・フェリクス・オーリシアと申します。以後、お見知り置きください」
「姫様、そこは『これからお世話になります豚野郎。でもそれ以上視姦するならその目ん玉えぐり抜いてやるぞ』が正しいかと。あ、私は姫様の完璧メイドことルーアです」
謎の自己紹介が終わる頃には、零司の表情は弟に向けた爽やか笑顔のまますっかり固まっていた。
見慣れた光景が広がるはずだったそこにいたのは弟と。
腐れ縁の女が一人、ドレス姿のお姫様が一人、メイド服を着たおかしな女が一人。
共通しているのは全員が文字通りアイドル顔負けの美女だということ。
おまけに付け加えると零司と一真も誰もが認める美青年である。
異様な美男美女空間がここに出来上がったわけだが、そんなこと零司にはどうでも良かった。
ここで重要なのはなぜ彼女たちがここにいるのか。不法侵入しているのか。
「つまり、えーと……」
かつて世界最高峰とも評された零司の頭脳が瞬時に最適解を導き出す。
「ウチはいつの間にか定食屋になっていたということか!」
三十畳を超える広々としたリビングに零司の声が響き渡った。
天才と馬鹿は紙一重と人は言う。
ここで零司の出した答えは彼の残念な部分が惜しみなく発揮された明るい特殊解だった。
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