第4文節 強姦となぜか女性の社会進出とさらになぜか科学と哲学の関係の話
エロくはないですよ? たぶん
強姦について
いじめについて触れたのならばさらなる犯罪――強姦に触れなくてはならないだろう。だが基本、ほ乳類の場合、女性が発情しなければ男性はその女性に欲情を持たない。現在の研究では強姦を行うのは類人猿の一種と大型海洋ほ乳類だけとされている。どちらも欧米人が愛して止まない生き物というのが私に猿のような笑みをもたらすが――それはどうでもいいことだろう。これからの研究で覆るかも知れないし、おそらく覆る事柄であろう
残念ながら人類は類人猿の一種や海洋大型ほ乳類に近い頭を持っているようだ。そしてほ乳類全てがその嗜好を持たないと言うことは本能ではなくおそらく知性の問題なのだろう。つまり本能ではなく知性で強姦するのだ男達は! つまり強姦する男達に向かって けだもの! というのは正しくはない。逆にあまりに知性的で野蛮な行為なのだ。強姦は!
野蛮と知性は反語ではない。レヴィ=ストロースを読みたまえ
男性は強姦を行うが、女性もまた男性を強姦する。男根が立った立たないの問題ではない。バルトリン腺液の有無も然りである。陵辱は知性の問題である。前に男性は女性を知性とその野蛮さで犯すのだと言った。女性が男性を犯す時にもまた同じことが言える、それだけだ
当然男性と女性でリスクの差はある。簡単に言えば妊娠させるか妊娠させられる側かと言うことである。これは生まれから来るものでどうしようもないことだ。これは不平等ではない、単なる権能の違いであり、現状埋めようとしても無駄なことである
私は強姦によるもの、あるいは医学的見地で母体に危険が認められる場合以外の中絶に基本的に反対する。二人とも若く貧乏で夫婦として子供を育てるのが無理なら母方の両親に面倒を見てもらおうと良い。最初は渋るかも知れないが、孫の顔を見ればそんな態度も一変するだろう。
夫はどうするか? 気まずいながらも妻の両親と一緒に住むか、あるいは平安時代の通い婚を復活させればよい
昔から言うではないか、亭主元気で留守がいい、と
可能であれば女性は早め――結婚適齢期に育児をすべきである。理由はほとんどの勉学は後からでもできるが、子供を産むのは必ずしもそうではないからである。しかしそれを支えるシステムは必要であろう。例えば高校や大学中途から育児へ入り、子供が育ちその女性が望むなら復学や就職を目指すというキャリアプランを形成すべきである。高校、大学にも育児休暇を! それには各学府の協力も必要だが政府が奨学金を制定しても良いだろう。しかしずいぶん具体的になってしまったな! 私としたことが!
少女への強姦への対処方は男性は睾丸に強い衝撃を受けるとしばらくの間行動不能になることを義務教育の保健の授業で教えることで物理的に対応できる場合があるかも知れない。その場合は手加減せずに思いっきりやるように指導すべきだ。うまくいけば去勢の手間が省ける
原初女性は太陽であったというのは正しいかも知れないが、それは子供を産んだ女性についてのことであろう
科学について
哲学の方は科学は友達だと思っているが、科学の方は全くそう思っていない。なぜなら科学が一個の堅牢な哲学だからである
また科学は自分の来歴を消したがっているようにも見える。かつて科学ではなく自然哲学と呼ばれていた頃のことを
科学の古の師はアリストテレスやギリシアの古代哲学者だ。科学者は彼らの今では間違いだらけの彼の自然哲学に関する著作を読む必要はないが、それを刷新し続けたことによって今の科学があると言うことは知っておいても良いだろう
ホワイトヘッドは西洋哲学とはプラトンとアリストテレスの注釈に過ぎないと言ったが、正しいと私も思う
プラトン型とアリストテレス型の哲学者の見分け方は簡単である。名前と著作の方が主に残っているほうがプラトン型で、功績の方が主に残っている方がアリストテレス型である
プラトン型の哲学を愛するものを政治の座につけてはならない。手ひどい失敗に終わるだろう。なにせ彼自身も政治に手を出して失敗しているのだから。アリストテレスがアレクサンドロス大王の師であったことを考えればどちらの思想が政治に向いているかは一目瞭然であろう。あるいは「国家」と「アテナイ人の国制」を読みくらべてみるといい。暇があればの話であるが
追記
なに、ジャンルが違うって? そのジャンルの違いこそが問題なのだ!
またプラトン型の哲学は科学にも向いていない。では何に向いているのか? 特に何も。しかしただただ愛おしい。それがプラトン型の哲学の特徴である。何か大きなことをなそうと思うのならば、ゆめゆめこのような哲学に幻惑されないことだ。私? 私は当然されているが