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危険は見えないところにある。
これは冒険者の標語というわけではなく、都の運転免許センターに張り出されていた手作り感溢れるポスターに書かれていた言葉なんだけど、今の状況には良く合っていると思うんだ。
敵の存在が明らかだというのにその具体的な位置が分からない。というのは想像以上にストレスが溜まるものらしくて、もしこれが長時間に渡って続いたとしたら日常生活その他もろもろに大きな影響が出ることは間違いあるまい。
「クリア。室内廊下共に安全だ」
「次は突き当たり右のドアで」
「了解」
足音に気を払い、壁に張り付き、ドアノブをゆっくりとひねって内部を確認する。
内部は来たときと変わらずガランとした広間のまま。だけど……。
「ん、エル。なんか聞こえた」
「何がだ?」
「たぶん魔術が発動する音だと思うんだけど。遠すぎてちょっと良く分からなかった」
「良く聞こえるな。妾じゃ直接面と向かった状態でようやく聞こえるくらいなのに」
「あれ? ほら、ファンが高速回転したときに鳴る風切り音みたいな感じなんだけど聞こえない?」
「うむ、わからん。あと主のとこに行ったら見たいものがまたひとつ増えたな」
「ファンの風切り音なんてそんな良い物でもないんだけど……。ともかく音は出口のほうだったからそのうち当たっちゃうかも」
排熱のために耳障りな音を周囲にプレゼントするサーバPCを前に、悦に浸ったような表情をするエルを脳裏に浮かべてしまった。
たぶん、僕は今微妙な顔をしていると思う。
軽く首筋を叩いて意識を再集中。
神経を澄ました状態で広間、ストレージ、休憩室と来た道を戻るにつれて魔術の発射間隔は長くなり、代わりに血臭がしてきたのだからこれはもうタダ事じゃない。
『物音無し、血臭有り、トラブルは……あるかも』
『うむ。すていしゃーぷだな』
意を決してドアをオープン。
「うへ。こりゃまた、酷いな」
「なんとかここまで逃げてきたみたいだが」
「ど、どうしたの。……って、わわっ! 見えないよっ!?」
「エル、目隠ししてもしょうがない。光景が教育的じゃないのは間違いないけど」
廊下には少しばかり生暖かい死体が二つ。
どちらも腹に直径数センチの穴が開いているものの即死はしなかったのか、血を流しながら這いずった痕が向こうのドアから一直線に伸びているのが見えて、昔やったホラーゲームと良く似ていた。
むしろ気になる点といえば薄汚れた姿格好や保有するアウトドア用品の少なさか。
生きていれば印象が違ったのかもしれないが、ぱっと見じゃ野盗だと判断されるのも仕方なし。
「もしかして僕らを追ってきたのかな。こいつら」
「どうだろうな。もしそうなら運の無い奴らだ」
「すっかり魔術の音も聞こえなくなっちゃったし、後ちょっとで出れるから頑張ろう」
「それで、死体より正面のはどうする?」
「へ?」
おそらく気づいていなかったのは死体を検分していた僕だけだったのだろう。
エルも、ファムも、セーラさんも杖を握りながら正面の奇妙な女性と対面していた。
顔つきそのものはエルと良く似ていて、信じられないくらい整っているにも関わらず、顔の筋肉が無いんじゃないかと思うほどに無表情なおかげでよく出来た人形のようにしか見えやしない。
何より右手に血のついた金属棒と左手に簀巻きにされた男性を持っているのが不気味だった。
「えっと、こんにちは?」
「……」
「念のため聞きますが、同じ冒険者の方ですか?」
「……」
「大変失礼ながら僕は皆様方を野盗か何かだと思っているので、このまま無視して帰ろうかと思っているのですが」
「た、助けてくれっ! まだ死に――」
男性の悲鳴染みた声が強制終了。
ブスリ
言葉にすると冗談みたいな音だけど、僕らの見た光景そのものだって負けちゃいない。
女性の指先から伸びた光の筒が男の額に突き刺さり、おまけに脳みそでも啜ってるのかじゅるじゅると水音を響かせてくれる。トラウマになりかねないから止してくれ。
やがて女性は満足したのか、ようやく口を開き
「新たな脅威を発見しました。警告します」
「セーラさんっ! 僕の後ろにっ!」
畜生。相手は思いのほか好戦的だった。
大慌てでセーラさんの前に移動してから展開した魔力障壁に音を立てて光の矢が突き刺さる。
あぁくそ、なんで警告だってのに殺傷力のあるモノをこっちに向けてぶっぱしてくるんだよっ!?
「しかも魔力障壁が二枚も貫通したんですけど。信じらんない」
「私としてはさらっと複数枚障壁を展開しながら平然として居られるユート君にびっくりなんだけど」
「分厚いの一枚じゃ爆発物を刺し込まれたときにスグ割れちゃうじゃないですか。というかのんびりしてる場合じゃないですって」
無言で放たれたエルの迎撃に合わせて氷柱を2本ばかし相手へと撃ち込んでみたものの、相手側の障壁表面で氷柱が砕けるなんて有様で、火力の差が如実に出てしまった。
『むぅ、無駄に硬いな』
『面倒だからまずは逃げよう。軽く殴って足止めしてくるからその隙にファムとセーラさんを移動する感じで。二人の安全を確保したら戻ってきてくれ。僕とエルの二人でなら何とかなるでしょ』
『わずかな時間でも主を置いて逃げるのは嫌なのだが、だが、だが……。わがままを言えるような状況ではないな。絶対に無理はしちゃ駄目だぞ?』
『しないしない。痛いのは嫌だから消極的にやるつもり。ファムが居ると余計に危ないからなるはやでお願い』
『任せろ。直ぐ戻ってくる』
『よろしくっ!』
動き出したエルを視界の端に押さえつつ、相手の照準をこちらに向けるため杖を片手に相手のほうへと踏み込む。
飛んでくる光の矢を魔力障壁で防いでまた一歩。次を弾いてまた二歩。
美しさの欠片も無いごり押し戦法は近接戦闘能力に欠ける僕にとっては最適な戦術で、高火力なスタンロッドとの相性も何気に良い。
最大出力の、触れれば人が焦げるほどのスタンロッドを叩きつける。が――
「げっ、硬柔らかい……」
「主っ! 頭を下げよっ!」
スタンロッドは相手の障壁にぶつかると同時にただの金属棒へと逆戻りし、物理的な衝撃はあっさりと受け止められてたたらのひとつも踏ませられなかった。
続いて退避中のエルが時間稼ぎのために放った数本のフレシェットが魔力障壁に突き刺さるも爆発はせずに消滅する。
厄介なことに、どうも正面の魔力障壁で魔力そのものを吸収か無力化でもしているらしい。
僕の攻撃をものともせずに飛ばしてきやがった光の矢を受け止めるとコンマ数秒後に小爆発。
「あっぶな」
今のところなんとか問題は無いものの、こんな当たった後に炸裂しちゃうようなモノを受け止め損なったら目も当てられないことになっちゃうぞ。
だがこれでエル達は問題なく外へと脱出することに成功したわけなので、あとは魔術をばら撒きながらゆっくりと後退し、エルが戻り次第反撃すれば何とかなるだろう。
……最悪施設崩しちゃおうかな。
直撃させたところで無力化されるだけなので、相手の周辺に爆発性の魔力を仕込んでみる。
えぇ、仕込んだ瞬間に相手の障壁だったものが触手のように動いて無力化してくれました。
「な、納得いかない……」
相手の攻撃を受け止めればスパークや小爆発、魔力を霧散させる液体がはじけ飛んで魔力障壁をカラフルに彩っていく。特にスパークは濃い赤から薄い青までと色合い豊富で美しいんじゃなかろうか。
ガリガリと音を立てて削られていく命綱を必死に補修しつつ後退してついにはホールへと移動してしまった。たぶんまだ5分も稼げてないぞ。
エルが二人をどこまで誘導したのかは分からないが、これ以上後退してしまうと撤退が壊走にランクアップしてしまう可能性が否定できなくなる。うぅむ……。
『主、良い知らせと悪い知らせがある』
『オチがありそうなんだけど』
『そう言うな。良い知らせは無事遺跡の外まで脱出した。――っと』
『なんか騒がしくない? 悪いほうは?』
『外に盗賊共が待ち構えていた。どうやら最初からファムでは無くセーラを狙っていたらしい。今片付けている最中だ』
『こっちは後退しながら睨み合い中。……いや、ちょっと待って』
見れば女性の輪郭が淡く発光しながら薄くなっていく。
『どうしたのだ?』
『良く分からないんだけどあのヒトの姿が薄くなって。……あ、消えた』
『なぁ、主』
『ん?』
『今、主の前にはあの女は居ないのだよな?』
『たった今消えちゃったね』
『……』
嫌な予感がする。
『エル?』
『どうも、最優先攻撃対象はこちらだったらしいぞ。たった今、目の前に現れおった』
『ちょっとそれヤバイんじゃ』
『ん、主。非常に申し訳ないがファムを守りながらアレと交戦するのは不可能だ。周辺の野盗を盾にしつつ一度撤退をしたいのだが』
『もちろん撤退で。こっちは一人で身軽だからどうとでもなる。集合地点は黒コゲ抜けた先の休憩所。それも駄目ならキッカ村まで戻ろう。エルも気をつけて』
『主も気をつけるんだぞ。なにせで――』
『エル、聞こえないんだけど。……エル?』
『ある――だ―――えないぞっ!? しんじ――――』
特小無線を使ってぎりぎりの範囲で会話をしているような、ノイズが多すぎてまともに聞き取ることが難しくて使い物にならないのは初めてだった。
雰囲気から察するにエルが致命傷を負ったなどではなさそうだったが、たぶん急がないとやばい。
ホールのベンチを飛び越え、階段を駆け上がり、ドアを蹴り飛ばせば出口までは1分も掛からない。
飛び上がるように遺跡を出れば、おそらくエルが散々打ち込んだのだろう、あちこちに魔術による破壊の痕が残り、築地のように死体が転がり、そして……例の化け物が無表情のままこちらを見つめていた。
あー……。エルや野盗を追ったりするわけじゃないのね。
集合地点を黒こげハウスなんて遠くにするんじゃなかったか?
いやでも、あんまり近かったら意味ないし、やっぱ駄目か。
でもでも、これでエル達の安全はほとんど確保できたようなもんだから何でもかんでも悪いわけじゃないよね。
杖を落とさないように手のひらにぎゅっと力をこめて魔力を再装填。
これで体の外に展開した魔力とあわせれば極短期間だけ魔術を速射できる。
そのまま撃ったって無力化されちゃうけどさ、それでも防御網の範囲外から高威力の爆発物で削りきってしまえばいいと思うんだ。地面の小石とかが刺さればなおベターなり。
手元に魔力を引っ張り出して爆発物に変換、さらに威力を高めるために――
「当施設の安全確保が完了いたしました。これより再度スリープ状態へ移行します。[##UserID##]は施設法381により、速やかに自室へ戻ることを推奨いたします。守られない場合、死亡する恐れがあります」
……なにそれ? 既に死亡する恐れがあった気がするんだけど。
ユーザIDとか言ってるとこだけ口調がまるで別人だったのも気になるし、施設法なんてものを僕は知らないし、自室なんてものがあることだって知りゃしないんですがそれは。
あまりの事態にぱくぱくと口だけが動いて声を出すことも出来ないまま、化け物の輪郭が薄く光ながら姿が薄くなり、結局文句のひとつも言う間もないまま見えなくなった。
…………。
………。
……。
…。
一回目、エルが倒れて撤退
二回目、オリエンテーリングのようにほかの施設の座標をゲット
三回目、化け物に追っかけられて何とか撤退
まだ探索してない遺跡が沢山あるのに、あんまり行く気がしなくなってきちゃうな……。
いいや、今後はエルと相談しよ。
『あるじっ! 大丈夫かっ!?』
『お、ようやく聞こえたか。こっちは大丈夫だよ。そっちは?』
『……無事で良かった。こっちも大丈夫だ。被害といえば妾の腹に多少穴が開いたくらいか』
『いや、それ、無事じゃなくね? ほんとに大丈夫?』
『妾は治療術のエキスパートだぞ。敵に追われてないならこのくらいなんてことは無い』
『まだ敵が居たらまずいってことじゃん。ちゃんと逃げれたんだよね?』
『もちろんだ。こう、妾が敵をちぎっては投げ、ちぎっては投げするとこはなかなか爽快感のある光景だったと自負している』
『物理的にちぎってないよね?』
『…………』
『ちょっとエル』
『あ、あまり気にしないでくれ。ところで今日の夕食は出来れば肉以外が良いとセーラが言っていたな。逃げる途中で野菜を確保できたから今日は色鮮やかなパスタが食べれるぞ』