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黒焦げハウスから古代遺跡まで、実際に走った距離はおよそ15キロメートル弱。
これは元々アウトドアが好きだった僕にとってそれほど長い距離でもなく、仮にこっちに来てから知らぬ間に増強された体力が無かったとしてもそれほど時間が掛かることは無かっただろう。
とはいえ今回みたいに日が落ちきる前に到着しようと急いで走ればエルはともかく僕とファムの二名は結構な量の汗をかいてしまうし、軽量化最優先でろくな着替えも携行しない一般的な冒険者装備を持つだけに過ぎない僕らのアウトドア生活では、二日目以降不快な思いを我慢する必要がある。はずだった
「はふぁ……。まったくここは極楽だぞ。まさかこんなに気持ちよく汗を流せる場所があるとは思いもしなかった」
「色々考えなければ快適で寝ちゃいそう。特に昨日なんて疲れたからもう」
「ふふ、川のせせらぎにきらきらと光る木漏れ日なんて風流じゃないか」
「ほんとめっちゃ贅沢な温泉だよコレ。当たり前だけど誰もいないから開放感もぐっど」
じゃぶじゃぶと贅沢に流れ出す源泉。
ここ半年ほどで徐々に聞き慣れてきた異世界の野鳥の声。
ただ、エルは温泉で泳がないでくれ。それはたぶん風流な行動じゃないぞ。
ファムは……先ほどから源泉に突っ込んだ卵を眺めてはうねうねと体を動かしている。たぶんもうすぐ出来上がる温泉卵が楽しみなのだろう。
ともかく僕らは今、おそらく噂されていた秘境の温泉に入ってそれぞれの楽しみ方をしているわけだ。
だからこの小旅行の目的は完璧に達成されたと言っても過言ではない。湯加減最高です。
温泉発見の経緯はこんな感じ。
予想通り洞穴の奥にあった遺跡の入り口でキリキリ警戒しながら一晩を明かす。
疲れたので肉が食べたいとごねるエルと一緒に川魚を探しに行く。
魚の変わりに湯気の立つ支流を発見、さらに明らか人の手の入った形跡がたっぷりの池までが用意されていたという話。
「ビールの類が無いのが残念でならん。きっと凄く美味しく飲めると思うのだが」
「持ってくると温くなっちゃうから僕なら日本酒が良いなぁ。ぬる燗を露天風呂で飲むっていうのを僕は一回で良いからやってみたくて」
「むむ、確かに日本酒も香りが良くて美味しそうだ。でも主や妾の鞄の容量を考えるに完全な嗜好品を持ち歩く余裕はやっぱ無いな」
「うぅむ、夢の無い話だ」
ため息を温泉に吐いてぶくぶくと泡を立ててから、空中に魔力を集中して作り上げた水をごくりと飲み干す。ぬるい水もお風呂で火照った体には冷たくて美味い。
「でもやっぱどうにも個人的な思いをぬかすと工業廃水に浸かってるようでイメージ悪いよコレ」
「言うな。水質に問題が無いことは魔術的にも科学的にも確認して大丈夫だったではないか」
「いやまぁ、そりゃそうなんだけど」
湯量も、温度も、風景だって抜群だ。間違いなく。ただし――。
湯気の立つ支流がコンクリ製のU字溝で構成された排水路だったことと、源泉がどう見ても排水管だったことに目をつぶる必要があるのは果たして温泉といえるのか甚だ疑問であるし、水質調査の出来ない旅人が楽しむには少しばかりハードルが高すぎる気がしてならない。
「確かに水質とかどうのってよりはこの後の遺跡のことのほうが幾分建設的か」
「全くだ。なんたって半開きのドアの向こうからは僅かながらの血臭が漏れ出していたわけだからな。前回やその他資料から想定するにあまり好ましい状況ではあるまい」
先ほどからずっと源泉に沈めた鶏卵に夢中のファムに気を使ったのか、小さな声でそっと耳打ちされた事実が僕の中に圧し掛かる気がした。
明らか危険が存在するような洞窟へ大した装備無しで突入して、大したことないメリットを目指すような奴は英語圏でスペランカーなんて呼ばれちゃってるわけで。
えぇえぇ、良く死ぬアクションゲームとして有名なアレの元ネタですよ。
幸いにも僕は自分の身長の半分ほどの高さから滑落しても死ぬことは無いが、魔術で身体をぶち抜かれたり刃物ですぱっと切断されたりすると必ずではないが場合によって死んでしまう。
「どしたもんか……」
「何を悩んでるのかわからんがとりあえず入ってみれば良いのではないか? ドアが開きっぱなしという事は退路がなくなるなんてことはあるまい」
「そう思う?」
「うむっ! 今回は前回と違って何かありそうだからワクワクするなぁ」
「僕は結構びびってるよ。マジで」
「大丈夫、妾が守るぞ。ただし瘴気らしきものだけは勘弁して欲しいが」
「前にも言ったけど守られるよりは守りたいってば。あと瘴気の類を確認したら全力で撤退の方向で」
◆
かしゃん、かしゃんと妙ちくりんな機械が壁の向こうで動いてるらしき音。
不規則に点滅する蛍光パネルが織り成すローライトコンディション。
低温低湿で快適極まりない室内。
生きた遺跡だからと最初は音が鳴るたびにみんなで障壁を展開していたものの、探索開始から既に二時間が経過した今では誰も気にしないこの状態は果たして良いのか悪いのか。
「涼しくて気持ちいい」
「遺跡ってこんな涼しいんだね」
「そりゃ地中に埋まった建物だからな。一部地方なんかじゃこういう保存施設を立てて野菜を保存していたりもするんだぞ」
「野菜を地面に埋めちゃうの?」
「うむ。施設で塩漬けされた野菜は独特の味わいで葡萄酒との相性が最高なのだ」
涼しくて快適な施設の話を振ったつもりなのにどうして漬物談義が始まってしまうのだろう。
こっちのは塩漬けに酢が加えられてるおかげですっぱしょっぱくて、日本の漬物と同じ気持ちで口に含んだときの落差が半端じゃないんですよ。美味しかったけどさ。
「こんな話をするとこの前タルノバで主が作ってくれた生魚の酢漬けを思い出しちゃうな。あれは美味しかった。また作ったりしないのか?」
「あれをタルノバ以外で作ったら腹を下して上下マーライオンの憂き目に遭うかんね」
「マーライオンの意味はよくわからんが言いたいことはわかるぞ。でもこの辺なら川魚が獲れるではないか」
「川魚を生で頂くのは健康面のリスクがでか過ぎ。胃袋が丈夫な僕やエルなら何とかかもだけどファムが倒れちゃうよ」
「うぅむ、残念だ」
「それよりほら、またドアだ。開けちゃうからカバーは任せた」
「ん、任された」
最低でも数百年は過去の遺物というには綺麗なドアノブをひねり、ゆっくりとドアを開いていく。
その先には
「休憩所っぽい?」
「ベッドと安楽椅子か。ずいぶんと贅沢な場所だ」
「あっちには椅子もいっぱいあるね。寝る人はうるさくなかったのかな」
「たぶんうるさかったんじゃない? こういう場所で寝るときは僕も耳栓を自前で用意してたし」
「ユートもこういう場所で寝たりしたことがあるんだ」
「そりゃあるよ。船旅とか最安プランだと雑魚寝になっちゃうもん」
「なんだか意外」
こういうときにファムが微笑むのを見るとちょっとうれしい今日この頃。
この調子で行けば社会復帰もそう遠くはあるまい。
反面僕の社会復帰、もとい学生生活はどうだったっけか。
たしか、学則で一年間単位ゼロの場合退学だったような?
げぇ、あと半年も残ってないじゃないですか。受験頑張ったのに。
このままじゃ安定した企業に入ってかわいい嫁さんもらって幸せに暮らす僕の人生設計が非常にマズイ。
「どしたの? なんか顔青いよ?」
「いや、大丈夫。こっちに来てからはいつだって健康。ほら、向こうのドアを開けて次の部屋の探索に移ろう。……エル、なにかあった?」
若干挙動不審になりながらドアへと向かう僕に対してエルがストップのハンドサイン。
ただ、エルの表情があんまりにも真剣だったものだから頭が冷めるまでに時間は掛からなかった。
すぐさま杖に魔力を装填、馬鹿馬鹿しいまでの殺傷力を秘めた金属棒が出来上がるまでわずか数秒。
可能であればSWのライトセーバーみたいに滑らかな光が放たれてくれれば、蛍光灯の代わりになって便利だというのに物騒な光は紫電が跳ねてチカチカするものだからとてもそういう用途じゃ使えない。
「こう、軽い雰囲気からあっという間に準戦闘状態に移行できる主はなんだかんだ凄いと思うぞ」
「それ、褒めてないでしょ」
「むぅ、妾としては褒めたつもりだったのだが……。ともかくさっき主が進もうとしたドアの先から物音だ。敵の可能性がある」
エルの言葉に頷いてからドアに左壁に張り付く。
「いつでもいいよ」
「ん。では、3、2、1」
エルがドアを蹴り破ると同時に内部へとフラッシュバンを投擲。
五感を塗りつぶす猛烈な光の奔流と炸裂音が収まると同時に内部へ突入、床にうずくまる生き物に向けてライフルの照準を合わせて。……っておい。
「エルっ! すとっぷすとっぷ。中に居たのは人間だっ!」
「うむ、まずは無力化だな」
え?
ここは状況を聞いてから場合によっては脱出をって話じゃないの?
混乱する僕をよそにエルは生き物の背中を踏みつけてから腕を縛り上げてミノムシを作り上げる。
「こういう場所に一人で居るなんて怪しすぎるだろう。盗賊の類かもしれぬ」
「言われてみると確かに。すいません、荒っぽくなっちゃいましたけど所属を伺ってもよろしいですか?」
「あいたたたた……。光が収まったと思ったら抵抗する間もなかったわね。ウィスリス第一研究所ハフマン分室所属のセーラよ。あまり痛くないようにしてもらったのは嬉しいけどもう少しお願いできるならこの拘束は解いてもらえないかしら」
「第一研究所の所長さんの名前はご存知ですか?」
「クズ……じゃなくてクーヴ・ダリア・パルミルよ。私の身元が心配なら向こうのバッグを漁ってもらっても構わないわ」
クズって言った。
絶対今この人自分のとこの所長をクズって言った。
思い返してみるとリュースさんもあんまり良い言い方してなかった人だけどさ。どんな人なんだろ?
「あ、その。試すようなことをしてしまって申し訳ないです」
「大丈夫。こんな怪しい人間を見たら私だってそうすぅ、けど、……ぐっ、も、もうちょっと優しく」
「何度も何度もすいません。タイラップははめる時はともかく外すのが難しいんです」
「あだだだだだぁっ!?」
指でぐりぐりやって外してから思ったけど、刃物を使って取ったほうが痛くもなけば安全だったかもしれん。
ようやく外し終えたときには二人の指が真っ赤になっちゃったんですけど。
「はぁ、ようやく人心地つけたわね」
「しかし何でこんな辺鄙なところに。まさか一人ってことはないと思ってますがほかのメンバーはどうしました?」
「全員死んだわ。たぶんね」
「奥に何か危険なトラップでも?」
「奥にもあるんでしょうけどまず遺跡に入るなり光の矢に貫かれて一人目が死亡、二人目は女性型のオートマトンに襲われて。それ以降はこの部屋に逃げ込んだからわからないけど無事に逃げ出せたのかしら……」
セーラさんは目を伏せてそう言うが、なんかちょっとおかしいぞ?
『この話し方だと死体を担いで移動なんてとてもやってなさそうなんだけど入り口に死体なんて転がってたっけ?』
『骨すら無いな。入り口付近に残っていたのはリザードマンの死体くらいだ』
『危険なオートマトンに関してはともかく、こんなすぐバレる様な嘘をつくは意味あると思う?』
『無いぞ。なんだか嫌な予感がひしひしとしてきたのだが』
『……こりゃ悔しいけど撤退の方向で。話が聞けてよかった』
『異議なし』
「セーラさん、幸い僕らが入ってきた段階では光の矢も無ければそのオートマトン?も居ませんでした。撤退するなら一緒に行動しますか?」
「三人は冒険者なの?」
「僕とそっちのエルはそうですよ。一番奥で入り口を警戒してるファムは僕らの教え子なんで違いますけど」
「行きの冒険者を見捨てて逃げたような人間がお願いするのもどうかと思うけれど、帰り道までの護衛をお願いできないかしら」
「探索とかをせずにこのまま帰るなら構わないです。僕らとしてもこの遺跡を探索できないのは悔しいですけど命あっての物種なので今回はあきらめます」
「ありがとう。本当に恩に着るわ。報酬に関してはウィスリス到着後に上に掛け合うから期待して頂戴ね」
いや、めっちゃ頭下げられちゃったけどさ。
状況のせいで気づいてないみたいだけどさ。
どっちかっていうと冒険者を見捨てたっていうよりこの人が見捨てられた気がしてならんぞ。
なにせ死体とか無かったし、戦闘の痕跡なんて全く無かったし。
この人を連れて逃げ帰ることには何の反論も無いけれど、後で気づいたときにどうやって言い訳したら良いのだろうか。
そこだけがちょっと不安だ……。