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奴隷商人兼盗賊団のアジト襲撃から既に三日。
あの時、なんで彼らが買い手側の連中と揉めてたのかは未だに良く分かってないが、スイークとフィーリアが捕縛した組織メンバーの中にはそれなりの地位を持った人物が居たらしくて政治的な圧力が掛かったとか掛からなかったとか。
……僕自身関係者だっていうのに我ながら酷く他人事のような表現になってしまった。
いや、実際その手の会議そのものには参加させてもらったし、確かにそんな感じに圧力をかけようとした脂豚みたいなのが居た記憶もあるのだが、そもそも僕らはヒートアップする話題のバックボーンをろくすっぽ理解することなく参加してたため、雨後の筍のようにぽこぽこと現れる初耳の人名や勢力名が登場しても全く理解できなかったのだ。
ぶっちゃけてしまえば僕らにとって変わった事なんてスイークやフィーリアと仲良くなり、お互い名前で呼び合うようになったことくらいなんじゃなかろうか。
その後も僕らは空気のような存在となって流されるままに話が進み、強引な力押しを含む何件かの面倒な事後処理が完了したところで本案件は無事に収束した……と思う。
ならばそう、当然発生するのが部署どころか全体を巻き込んだような宴会であり、現在僕らが居るのはタルノバ警備隊の面々がこよなく愛する居酒屋なんていうのもおかしな話じゃないだろう。
「じゃ、無事に違法奴隷商の隠れ家を制圧できたってことで。――乾杯っ!」
既に手元のお酒を飲みたくてどうしようもない様子のフィーリアがいつの間にか壇上に躍り出てそう叫んでグラスを掲げれば、周囲の参加者達も同じようにグラスを掲げて周りのテーブルのメンバーとグラスを重ね合う。
「主も乾杯するぞ」
「うん、乾杯。ほら、ファムもせっかくだから」
「中身は柑橘系の果実を浮かべただけの水なんだけどな」
「そりゃしょうがない。未成年だもん」
分厚いガラスで出来たゴブレットを軽くエルのとファムのに当ててからまずは一口。
凍る寸前まで冷やされた金色の液体が舌の上で温まると共にホップの香りが鼻腔をくすぐり、苦味の中に見え隠れするシナモンらしきフレーバーの味わいがまた美味い。
アルコール度数はおそらくビールとしてはやや高め、しゅわしゅわとした滑らかな泡と液体がのどを流れていくのがこれまた爽快で、乾杯のビールとしてはおそらく最適の一言に尽きる。
「さすが地元民推奨の飲み屋じゃないか。アテも美味い」
「納得。特にこのパテなんてほら。たぶんチーズが練りこまれてるんだろうけど後味はスパイシーで肉の旨みも凝縮されてるなんて。これ以上ビールに合うものとか有り得ないよ」
さらにそれだけじゃないっ! なんて言った日にはまるで店の宣伝みたいだけど、あれこれ食べても美味しいのだからどうしようもない。
海草と小エビのサラダだって変な臭みを感じさせないように工夫されたトマトベースのドレッシングがまた非常に良い具合で、小鉢に入ったナッツは……まぁ、これはどこで食べても同じか。うまいけど。
これでまだ前菜だけなのだからこの先を期待しないはずもなく、ひょいひょいと進むグラスの中身が見る見るうちに減っていくのだって当然だ。
「なんてことだ……。もうビールがなくなってしまったぞ」
「大丈夫。明日は仕事するつもり無いから存分に飲もう」
「なるほどそれは名案だっ! ならば足りなくなったビールをもらってくるから少し待っててくれ」
「ありがと」
そう言ってエルが席を立とうとしたとき、木製の分厚いテーブルを大型のデキャンタで叩く景気のいい音共に肩を叩かれる。
びっくりして見上げればスイークがこっちへと来ていたらしい。最初から見通しの悪い端っこに居たから全く気づかなかった。
「よう。飲み足りなさそうだったから持ってきたんだがちょうど良かったな」
「あれ、サージンさんとフィーリアは?」
「サージンは上司に酌をしながらひっそりと飲んでる。フィーリアは向こうで一気飲み対決してるから近づきたくねえ」
「あー……」
「別に他人に注ぎ続けるってわけじゃないんだが……。二十にも満たないような女が一気飲みで次々空けちまったら周りだって飲まないわけにはいかないって雰囲気になるもんだ。後はお察しなんだがな」
飲み会で周囲に居ると危険なタイプですね。わかります。
お酒は自分のペースでゆったりと。これが倒れず吐かず後に残させず楽しく飲むためのコツであり、常識なのはこっちの世界でだって変わらない。
が、この手の打ち上げにおいてそれが守られることはほとんどないのもまた事実。
「どうせ暇になったら向こうから来るだろうし、まずは飲めよ。それ一杯目だろ?」
「ほいよ。今日はもうどんどん行っちゃうよ」
「酒も飲むが肉も食べるぞ。ついでに魚も野菜もな」
エルがまだ出来てから間がたっていない肉の丸焼きにナイフを差し込むと、透明な肉汁がじゅわりとあふれ出し、同時に香辛料の食欲を掻き立てる香りが僕らのテーブルを包み込む。
思わずあふれ出た唾液をそのまま飲み込むのもなにかに負けた気がするので、スイークに注いでもらったビールをごくりと飲めばまたこれも香りが良くて大変にグッド。
色が黒に近い茶色なだけあってどっしりとした味わいと苦味が特徴的で、単体で頂くには少々濃いぃが塩っ辛い味付けに仕上げられた焼き物との相性は大変に良さそうだ。
「む、これ何の肉だ?」
「なんかしゃりしゃりするね。砂肝っぽくて不思議」
「それはあれだ。もうちょっと先の国境を越えた辺りで取れる魔物の肉だったっけな。たぶん今日昨日あたりで冒険者が持って帰ってきたんだろう」
「野生生物の肉がこんな美味いとかちょっと衝撃的」
「主や妾が狩ってきたところで調理出来んしな」
「鶏くらいならともかくそれ以上となると知識が足りん。どっかで教えてくれるといいんだけど」
「……驚くのって家畜の肉じゃなくて魔物の肉ってところだと思うんだが」
「あんま変わらなくね? 肉になっちゃえばどれも一緒だよ」
「うむ、美味しければ問題あるはずなかろう」
全くなにを驚いているのやら。
それより駄目、どろりとした真っ黒なソースにどっぷりとつかったさっきの肉が美味すぎてビールの消耗速度が速すぎる。
誰かに注いで貰うまもなく自分でツライチまで注いでさらにもう一口。
あぁ……。至福だ……。
「まあ、良く飲み良く食べるってのは冒険者らしいけどな」
「ただしやってることはほぼ観光。仕事は安全確保の上で最小限、趣味は旅行です」
「いいんじゃないか? 一攫千金狙いで無茶する奴らなんて掃いて捨てる勢いで増えつつ居なくなるし、知った顔が居なくなるってのは分かっててもキツイから俺らの精神上もそうだと助かる」
「そう思うならこの間みたいな無茶は避けようよ」
「あんなの取り逃がす危険はあっても命の危険なんてありえないだろ」
「人って斬られれば血も出るし場所によっては小指ほどの穴が開いただけで死ぬんだけど」
「大丈夫だ。山賊崩れのナマクラなんて寝てても当たらん」
ケラケラと笑うスイークに対して“寝てたら避けようがないだろ”なんて突っ込んでやろうと思ったのだが、この間の戦闘の光景を思い返してみると意外と有り得そうで笑えなかった。
なにせ背中に目玉がついてるとしか思えないような変態機動だったもんな。
そうそう、変態といえば――
「スイーク。ちと知ってたら教えてほしいんだけどさ」
「どした?」
「ハートルード山地って知ってる? 実はファムが捕まったんだか関係があるんだかって場所なんだ」
「知ってる奴はいくらでも居るだろうが行ったことのある奴は俺含めてこの場には一人も居ないだろ。そこ」
「地図見た限りじゃ馬鹿でかい森って感じだったんだけど……。入ると帰れないとか?」
「まさか、地図見たなら分かるだろうが単純に僻地なんだよ。特に目立った産業も鉱物も遺跡も無いただっ広いだけの森。って評判なんだがファムちゃんに関係あるのか……。なんだろな?」
「地味な集落でもあるんじゃない?」
「一応国境も近いからある……かもな?」
「そこを疑問系で返されるとなるとやっぱ試しに行って見るしかないか」
「探索するなら食料とか水とか十分に持ってけよ? 馬鹿に広い自然林が相手じゃ魔獣よりも遭難のほうがよっぽどか恐ろしいもんだ」
「また冒険者印の携帯糧食が手薬煉引いて僕らを待ち受けるわけですね。わかりたくないっ!」
「そんなげっそりした顔で叫ぶなよ」
「荷物持ちは二名で馬車の類も使えないとなると食料品の携行だけで死んじゃいそう。せめてこっちにMCWがあれば……」
「なんだか良く分からんが移動中に美味いものは食えないだろ」
「それをどうにかするのが人類の英知じゃないかっ!」
「不味い飯を食べて生きるなんて死んでるのと変わらんぞ?」
「冒険者向いてるんだか向いてないんだかほんと分からんやつらだ……」
呆れ顔をしたスイークはいいとして、僕とエルのバックパックの容量を考える限り携帯糧食を利用しないならどう頑張っても三日程度が活動限界、利用したとしても一週間持てば良い方だよなぁ……。
動物や野草、キノコ類などを回収すればもう二日くらいは何とかなるんだろうが、採れるかも分からない不確定要素を最初から入れて行う野外活動は危険な上にアホらしいので遠慮したいです。
「いずれにせよ近くの町に移動しないとおちおち探索も出来やしないか」
「それなら次はラルティバ辺りがいいんじゃないか?」
「ラルティバってあの温泉で有名な? 確かに近づくけど山地まではまだ結構遠くね?」
「遠いな。歩きだと大体片道で二日くらいか。別に村があるなら探したほうがいいんだが」
「あんまり小さい村だと今度食料を分けて貰えなくなっちゃうよね」
「その辺のさじ加減はユートが何とかするしかない。そもそも僻地に行くって言うのはそれだけで結構大変な冒険になっちまうもんだ」
「でもやっぱり行かないって選択肢は有り得ないから頑張るよ」
何か嫌な経験でもあるのか、スイークは遠い目をしてそう言い切ってしまった。
わりかし直接的にやめておけみたいな雰囲気だったが、実のところ行かないという選択肢は無い。
というのも前回の遺跡で見つけた光点のうちの一つがハートルード山地にあるのだ。
だから仮にファムのことが無かったとしてもいつかは行かなくちゃならん場所ではあったし、こういう現状ならば優先度高めで動くのは間違いじゃないだろう。
「財布の中身を気にしないなら行きは馬車を御者ごと借りてしまえばいくらか楽かもな」
「予算厳しいってそれ」
「だからまあ今日は食って飲めよ。面倒なことなんて忘れちまえ」
「ちくしょう。まったく気楽に言ってくれる」
◆
現代日本での飲み会の締めが大抵の場合「宴もたけなわ」で始まるように、この手の宴会は誰かがキッチリと締めない限りひたすらに続くのも珍しくない。
羽目を外しやすい大学生なんて気づいた時には終電が無くなってしまい、友人の家に泊まったことがあるような人も少なくないだろう。
とどのつまり。
夕方に近い時間に始まった宴会はそろそろ日付が変わろうとしているにもかかわらず続いており、アルコールに耐えられなくなった人間から脱落してテーブルまたはソファでお休みモードに突入していったのだ。
死屍累々。
この状況を表す言葉としてこれ以上のものはきっと無い。
フィーリアはペースこそ落ちたものの相変わらず飲んでるし、スイークは早々に耐えられないからといって宿へと一人帰っていった。
サージンさんは僕の隣のテーブルに突っ伏して眠りながら時折厳しい現実をうらむような寝言を吐いているのが聞こえてなんとも言えない気持ちになる。
例の全身タイツの変態さんにも挨拶くらいしておこうと思ったのに、スイーク同様自宅へと帰ってしまったせいでそのタイミングも逃してしまい、次はいつに会えるのかも分からない。
今のところこの場所に居ながら平然としているのは飲むペースを制限した僕と最初から飲んでいないファム、そして嫌な顔一つしない店の従業員くらいなもので、楽しげにがぶがぶと飲んでいたエルも今では僕の肩を枕代わりにしてうつらうつらと意識があるんだか無いんだか。
「さて、そろそろ僕らも帰ろうか」
コクン、と頷いたファムは両手で持っていたグラスの中身を飲み干してから席を立ち、シンプルなデザインのポシェットを肩に掛けなおすとくるりと振り向いた。
たぶん、話すことの出来ない彼女なりの準備完了の合図だと僕は思ってる。
「ほら、エルも」
「もう少しだけ……」
「こんなとこで寝てたら風邪引いちゃうよ。ほら、おんぶしてあげるから」
「ぅ……」
なんとか体を起こしたエルを背負ってから外へと出る。
初めてこの世界に来たときと比べれば随分と暖かくなったものの、そこまで季節での気温に上下がないこの地域の夜は結構涼しくて気持ちがいい。
「ファム、辛いと思うけどもう少し頑張ろう。そしたらきっと変わるから」
「……」
「状況がわからないから快刀乱麻に問題解決ってわけにゃ行かないかもしれない。それでも僕らはファムのことを見捨てないし、最後まで手伝うから」
「――して」
え?
「どうして、そこまでしてくれるの?」
「ファム?」
「きっと私にそんな価値は無い! ユートもエルも優しいけど私はきっと何も返せない。それが悲しくて苦しいの。なのに捨てられるのも怖い」
そういえばファムの症状って失語症だっけ、それとも失声症だっけ?
どうでもいいんだけどいきなり話しかけられるとむしろ僕がパニックで頭真っ白でどう返してやればいいのかがさっぱり思いつかないのでどうしたらいいんだろこういう時って慰めるべきか窘めるべきかほんとに――
「主、背負ってくれてありがとう。だがこの体勢だとちと格好がつかんので降りるぞ」
「あ、うん」
「ファム、おめでとう。喋れるようになったではないか」
「……」
「レスポンス――じゃない。反応が無いのは悲しいな。……と、とにかく妾とて主にみたく驚いてるし、心の琴線に触れる一言を都合よく口に出せるほど優れた頭の持ち主ってわけでもない。だがな、自分自身の価値なんて誰にもわからん。それだけは間違いない」
「でも、私、二人みたいに戦えない」
「ならば妾がファムを鍛えよう。もしも魔力が無いなら妾と簡易契約をつないでしまえばいい」
「……いいの?」
「もちろんだ。簡易とはいえ世間ではむやみやたらに神格化されちゃった上位精霊の契約だぞ? なかなか素敵だと思わんか?」
「――っ!」
瞳に涙を浮かべ、再び声を出せなくなったファムのことをエルは優しく抱きしめる。
時折聞こえてくる嗚咽はきっとこれからの彼女を強くするのだろう。
願わくばハッピーエンドを。柄にも無く、そう思ってしまった。
※1 MCW(Meal Cold Weather):
寒冷地でも食べられるようにフリーズドライで構成された軽量糧食。ビーフ照り焼きライスが美味いらしい。食べたい。