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タルノバはもともとフマース城塞都市に物資を供給するための軍港だった。
だから国全体で見ればかなり辺鄙な場所にあるというのに、港の水深は軍用の補給艦が余裕をもって運用できるようになっているし、そもそも規模だって全国の港と比較してもかなりデカイ。
クシミナ聖王国との戦争が終わって数百年が経過した今、ほとんど破壊されずに残ったインフラは民間で大いに利用され、貿易および漁港の両面から利用可能な数少ない港として地域住民だけでなく、国内外の商人たちにも重要な拠点として愛されている。
主だった生産物は魚介類とその加工品、そして海外から輸入した陶器や紅茶などとなっており、特にガルドラ地方の繊細な意匠がこらされた磁器は貴族たちの間で人気があり、国内で手に入れようとした場合は目玉が飛び出すような価格を支払わなくてはならないことで有名。
と、ウィスリスの図書館で読んだ地理の試験対策本には書いてあった。
実際に街路を歩けば確かにその通りで、王都並みに広く作られた道を馬車が定期的に行き交ってたり、露店やその他一般の店舗でも見たことが無いような異国の品物がこれまた手の届きそうな値段で販売されてたりするので、ただそれらを眺めているだけでも何日か潰せてしまいそうなほどの観光都市ってのも間違いじゃない。
あぁ、言うまでもないが今もっとも重要な事実は、今居るフードコートライクなメインストリートで朝取れたばかりの新鮮極まりない魚介類があちこちで焼かれて美味しそうな煙を立てているということに他ならないんだけど。
「おっちゃん、そのホタテみたいな串三つ」
「まいどありっ!」
網の上で焼かれたホタテっぽい貝からは零れ落ちたエキスが木炭の上に落ち、じゅうじゅうと香ばしくも美味しそうな香りを立てて周囲の人間の食欲を著しく刺激する。
直径5センチはあるだろう焼きたてのそれを一本の串に二個刺して販売されるお値段なんと日本円換算で300円ほど。
冷凍物でよくあるような水っぽさを感じさせない魅惑の貝柱は、噛むたびに旨味の詰まったエキスが溢れ出てくるおかげで少ない調味料による寂しさを一切感じさせず。非常に、美味しい。
「むぐ……。採れたてだから繊維もしっかりしてて歯ざわりもいいし、言うこと無い。幸せだ……」
「バターを乗せるなんて脂っこいかと思えば全然そんなことも無いな。これなら幾らでも食べられる自信があるぞ」
「……むぐ」
もそもそとホタテを食べる彼女の姿は相変わらずで、目に光も無ければ声も無く、そして表情すらも無い。外見から年齢を予測するに10歳前後だというのに、だ。
性別が分かったのだって全身が薄汚れたのを鬱陶しく思ったエルがすっぽんぽんに彼女を引っぺがして上から下までじゃばじゃば洗ったときにあるべきものが無かったから気づいたくらいなのだから。
現在はもともと僕が羽織ってたセージグリーンのクロークを頭からすっぽりと被り、ぼさぼさだったハチミツ色の髪の毛もエルがそれなりに手入れをしたおかげで随分とマシになったと思いたい。
「ほいうか、んぐっ……ギルドには行かなくて良いのか? その子の話をしなくてはなるまい」
「まだいいんじゃない? どうせって言っちゃうとマズイ気もするけどこの様子じゃ自分の町に戻ってきたってワケでもなさそうだし」
「そうか、その辺のハンドリングは主に任せる」
「ん、了解。ということで次はあそこのエビにしようか。さっき向こうのほうから今年のエビは例年よりも丸く肥えてて美味しいって話し声が聞こえたから楽しみだ」
「……その聴覚って他に役立てたらもっと役に立ちそうだな」
結局――
丸々と太った剥きエビを二串、ホタテを三串、あわびみたいな食感の微妙に香りとかが違う貝を一枚、ニシンくらいの大きさの魚の干物を丸まる一匹、油の乗った牛肉のような串を二本、アンチョビのような味わいの塩蔵魚類を使ったサンドイッチが一つ、近くで取れたキノコを大量に使ったチキンスープが二種類あったのでそれぞれ一杯ずつ。
――以上、僕とエルの朝食兼お昼ご飯でした。
途中から元奴隷の彼女が食べなくなったせいで、いつもよりハイペースに食べ物を消費したような気がしなくも無い。
「うはぁ……。おなか一杯……」
「久しぶりの海の幸だったからな……」
胃の中にどっさりと美味しい食べ物が詰まった多幸感に包まれながら、ベンチに背中を預けてぐったりするのは冒険者の数少ない贅沢だと僕は本気で思っている。
こんなに食べても今のとこ肥える事も無く、運動量が大量に増加したおかげもあってむしろ体つきは引き締まってきた今日この頃。
食べたいだけ食べての異世界ダイエットとかどうだろう。
多少の命の危機とトレードオフになるが確実な痩身効果があると分かればやりたがる人は意外と居るんじゃなかろうか。
「このままお昼寝なんて、っていうのもいいんだけど」
「いい加減ギルドに行くべきか。あんまり遅くなって担当者が居なかったりすると面倒だからな」
◆
タルノバのギルドは海に面した通りから少しだけ離れたところに存在していた。
近くに宿が無かったり、外郭から意外と遠かったりするのでその他の都市のギルドに比べるとアクセス面で宜しくなくて不思議だったのだが、どうも最初はこの辺りが一番端っこだったらしい。
戦争終了後に利便性を認識した商人達やそれに釣られて移動した一般の人達が増加し、その結果収まりきらなくなった外郭を崩して新しく作り直し、そしてまた人が増えてなんてループを百年単位で繰り返した結果だといわれると非常に感慨深いものがある。
「あら、いらっしゃい。依頼の方かしら?」
「こんにちは。突然なんですが少し調べてもらいたいことがありまして……」
想像していたよりもずっと重い内開きのドアの先はギルドらしからぬ清潔感のあるものだった。
内壁はストーブの煙で多少あれだが、落ちる汚れは綺麗にふき取られているおかげか汚いというよりも燻されたなんて表現がぴったりで、格好いいイメージが強い。
室内では食べ物も扱っているのに床は綺麗でゴミも落ちてないし、掲示板もどこかと違って整然とまとめられていて好印象。
ぶっちゃけ潮風で随分とやられていた外壁や看板から想像していたものより遥かに綺麗で、それを顔に出したら心象がいきなり最悪になりそうだったのでポーカーフェイスを維持するのに苦労した。
「なになにっ!? 三人とも可愛いから依頼ならなるべく安く受け付けてあげるわよ?」
「……いえ、そういうのじゃないんで」
珍しく年若い女性のギルドマスターらしき人だったから思わずじっくりと見てしまったから気づけたが……。
にこやかな笑みを浮かべて声も楽しげなのに、目だけはこちらを探るように上から下まで見られるとか……少し、不愉快だな。仕方ないんだけど。
「じゃあ少年の知りたいのは奴隷の取り扱いとか管理とか?」
「よくわかりますね」
「その子の姿を見れば大体ね。がりがりに痩せた、酷い扱いを受けた奴隷にしては着てる外套の品質が高過ぎるわ。まあ、あちこち回る冒険者が拾ってくるのはそう珍しい話じゃないから予想できたっていうのもあるけど」
「なら、まずはこの子についての話を進めさせてもらっても良いですか?」
「構わないわ。あんまりほかの人に聞かれたいものじゃないから奥まで着いてきて」
「お願いします」
「……ん」
カウンターの向こう側へと歩き出したギルドマスターの後ろを着いていこうとすると、彼女が無表情ながら不安げな様子で僕のポロシャツを掴んできたので、安心させようかと思って頭を撫でようとしたら全力で逃げられて今度はエルに張り付いた。
ぁぅふ、ショック……。
「主、こういうのはゆっくりと慣れさせなくちゃ駄目だぞ」
「精進するよ……」
たぶん、外から見て分かる程度にはがっくりと肩を落としながら到着したのは防音性を十分に感じさせるほどの重厚な扉の先、十畳ほどの空間には三人ほどが座れるふかふかの本皮製ソファ――たぶん魔獣の革だけど――が二つ、間には飴色で重そうなローテーブルが一つあって茶菓子まで用意されていた。
「さてさて、じゃあどういう理由でこうなったのかを聞かせてもらおうかしら」
「先に言っておくとこれは僕らの視点の話なので、正しいかがイマイチ判断つきません。なのでその辺りも加味しながら聞いていただければと思います」
「任せなさいっ。伊達にギルドマスターを20年もやってな――いやいや、うそうそ。伊達にギルドマスターになれたばかりじゃないわよ」
「……」
燃え上がるような赤髪は軽くウェーブがかったセミロング、瞳も同色で見た人に活力を感じさせるような印象が非常に強い。
どことは言わないけど出る所もでてるし大変に女性らしい体つきをしていて、顔やあちらこちらの肌のつやを見ても年齢を感じさせるような要素は無い、のだが。
『こうも年齢を感じさせないとか精霊みたいなんだけど』
『向こうは間違いなく人間だがな。ギルドマスターということはあれで四、五十台の可能性が高いんだから恐れ入る』
『やっぱり……』
化粧の技術が凄まじいのか、はたまたファンタジックな魔術的要素が凄まじいのか。
いずれにせよ相手さんが洞察力に優れていることを省みれば、おそらくこれ以上考えるのは今回の事件を片付けるためにプラスでないことくらい分かるので、これ以上は止めとくが吉か。無駄だし。
「えっと、事の始まりからですが……」
――カチャリ、とカップを置く音が僕らしか居ない室内に響き渡る。
その場に居るのは僕とエル、そしてギルドマスターであるアナッサさんの三人だけ。
首輪の調査のために最初は別室であれこれしていたのだが、それが終わった辺りで緊張の糸が切れたのかベッドに倒れこんでそのまま眠り込んでしまった。
微妙に脱線しつつある空気をなんとか戻そうとしたせいで、しっかりとした説明用のストーリーが頭に浮かぶ前から始まってしまった解説ではあったが、しばらく話せば相手側の聞きたいことや想定したいことも見えてくる。
途中でお茶と茶菓子の交換――蜂蜜をたっぷり使ったラスクで、非常に美味しかった――した頃にはすっかり打ち解けながら必要なの情報の伝達くらいは出来ただろう。
「なるほど、大体つかめたって感じかしら」
「……質問の大半が僕とエルの個人情報ってところに不安を感じてしまうのですが」
「だってこんな可愛い子が冒険者やるなんていわれたらそりゃ気になってしょうがないでしょ。正常よ正常。これこそが普通っていうか結局全部は喋ってくれないのね」
「世の中には個人情報保護法という比較的最近出来た法律があってですね」
「少なくともファルド王国にそんなもの無いわよ。全く何処の国の人なのかしら」
「まずそういう時は僕が嘘ついてるってことを考えましょうよ」
「私にはそう見えないわね。ユート君が童貞なのは間違いないみたいだけど」
「……微妙に悲しいのでそういうの繰り返すの止めてもらえません?」
「全くだ。主が童貞であることの何が悪い」
もう帰りたい。三割くらい冗談だけど。
「もう、もういいですから……。それで、奴隷刻印の確認って取れました?」
「たぶん模造品ってとこまではね。実際に確認して首から取るのに専用の技術者を呼んどいたから。大体一週間くらいは待ってもらえるかしら」
奴隷刻印の首輪を無理に外した場合、中に詰まった魔力によって体内の各器官に重篤な障害を与えるということで、その致死率は非常に高い。
確かに密着状態では魔力障壁もさして役に立たたんし、体内で発動する魔術だった場合は防ぐことすら不可能なので良く考えられている。
最悪奴隷をいびるために利用するコマンドを見つけた上で連呼して、首輪の魔力を完全に消費した状態で無理やり取るなんて手法しかない可能性もゼロじゃなかったので、ちゃんとした技術者が来てくれるというのは正直、ホッとした。
「後、違法奴隷商に関して警備隊に連絡するときユート君とエルちゃんの話しもしちゃったから、もし向こうから何か聞かれたらなるべく協力してあげてくれないかしら?」
「了解です。僕らはそろそろ彼女を連れて出発するので、何かあれば……あとで宿の場所を連絡するのでそちらまでお願いします」
「ええ、もろもろよろしくね」
長いようで短かったギルドでの打ち合わせもこれにて終了。
思えばノントラブルで依頼の話を出来たのって今回が初めてだったような気がする……。
フマースでも言われたとおり、初見のギルドに行く場合はある程度実力を証明した上で話すのが極めて有効というのは嘘じゃなかった。万歳。
「夕食のチキンソテーは美味しかったよね」
「……」
「ねえ、いつまでも君とかじゃよろしくないし名前を聞いちゃ駄目かな?」
「……」
「その、無視とか酷くね? 僕泣くよ?」
「……」
「……」
「……」
「駄目だ。全くコミュニケーションが取れないっ……!」
「なんせなんの反応も無いからな。喋れないなら首を振るとかあると思うのだが、それすらもしないなんていうのは妾も初めてだ」
「体に触ろうとしたときに嫌がられる以外だと基本無反応なんだもん。半ば無理やり負ぶって来ちゃったから嫌われてるんだろうか……」
「こればっかりは時間が解決するのを祈るしかあるまい。とりあえずいつまでもあの子とか君なんて呼び方も良くないからあだ名くらい必要なんじゃないか?」
「確かに、それは僕も思ってた。でもなかなかいいのが思いつかんのよ」
「うぅむ……。あんまり変なのは駄目だし、意味が無い名前なんて酷いし、そう言われるとどうしたものか……」
「あとで思いついたの言ってぴったりなのを見つけよっか」
「ん、了解だ。きっといい名前をつけて見せるぞ」