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完璧に密閉された空間でない限り、掃除もしないで放置された場合には大量の埃が溜まってしまうことは避けられない。
当然、今回入った遺跡の内部もその例に漏れることなく、キャビネットあたりを人差し指でさっとひと拭きすれば指紋が見えなくなるほどの埃が溜まってしまうわけで……。
「うわ、埃っぽいなぁ……」
「ちょ、主。やめ、……は、はっ、ハックシュン!」
「ごめん、やり過ぎた」
手に持ったコクヨ製のフォルダに溜まった埃を吹き飛ばそうとして発動した魔術は、魔力のハンドリングが正しく行われていた場合はエアダスター互換となるはずだった。
結果としては残念ながら投入した魔力が多過ぎたせいで効果が大幅に向上してしまい、フォルダと本棚上の埃が全て吹き飛んでゲームの散弾銃のように拡散し、さらに運のないことにその先にはエルが居て――
「いきなりなんて事をするのだ」
「いや、ほんと申し訳ない」
「まあ今回ばっかりは主が焦ってしまうのもわからなくはないが、少し落ち着いたほうが良いと思うぞ? この間の妾じゃないが今の主は酒に酔っても居ないのに魔力が漏れ漏れだ」
「ごめん、それはちょっと難しい。後少し、後少しなんだ。ドキュメントさえあればきっと帰る為の手段か、もしくは……帰れないのかがはっきりするんだ」
「……まったく仕方のない主だな。なら妾はあっちの本棚でも漁ってくるか」
「うん、ありがと」
変に気負わず、場を明るく保たせてくれるエルには本当に頭が下がる。
何かを返せるほどのものを僕は持っていないけれど、せめて今日の夕飯は頑張ろう。
そう心の中で強く決意してから、手に持ったフォルダを開いて中身を確認する。
日焼けするような環境ではないからか意外なほど綺麗なそれの中身はやはり、空だった。
思わず破り捨てたくなって実際に実行したのが一回目、二回目は魔術でバラバラに、そしてそれ以降はちゃんと元の場所に戻している。
……もし次に来る奴が居たら同じ感情に囚われるといいや、などとは思ってない。
むしろ僕と同じで懐かしいロゴを見て感動してくれ。って思ってるよ。たぶん。
微妙な気持ちになりながらもこの周辺の本棚を丸々調べ終わった頃、同じくエルもひと段落着いたのか戻っては来たもののその表情は今一つ。
「駄目だ、この本棚には紙の一枚どころか羊皮紙すらないぞ」
「こっちも同じですっからけ。古代遺跡と僕の世界に関係性があるのはもはや疑いようがないけど、こうまで情報管理を徹底しているとなると調査は難航しそうだ」
見慣れた国内メーカー製の見慣れない本棚に残った各種ドキュメントケースはそれほど多くは無い。が、それでも文書一枚残っていないこの場はどう考えたってまともじゃない。
施設に保管した全ての文書を廃棄しろなんて命令が下されたのか、それとも第一発見者の日本人が潔癖症パワーを炸裂させて物を回収したのか。
どちらにせよドキュメントがないという事実だけが僕に残されたものであり、出来ることはこの場所の更なる調査以外には何も無い。
「とりあえず次の部屋に行こうか。ここに居ても時間がもったいない」
「ん、そうだな」
恐らくではあるが、あの馬鹿に重いマンホールの先は紙ベースのストレージとして利用されていた区画だったのだろう。
その次に入った部屋も、その更に次に入った部屋も同じようなパーティションを切られた空間で、同じように何一つ発見物も無し。
「ま、まぁまぁ。こんなこともあるよね」
「イラつくことに変わりは無いがな」
手探り感とはゲームだから面白いものであって、現実でそんなことになってもまるで面白くないという事実を生まれて初めて知った気がする。
空箱だらけのストレージエリアから歩いて階段を下った先、ややモダンなデザインに変化した扉の中身は個人用の寝室のようで、サビだらけのパイプベッドや洗面台などが用意された殺風景な部屋がかなりの数用意されていた。
二時間以上にわたる細やかな調査の結果、白骨が転がっていたベッドの下には保管庫が一つだけあったので気合を入れてベッドを動かして中身を確認したら、大量の空き瓶と一枚のメモが転がっているだけとか本当にありえんわ。
――ハズレです!
一体これは何年越しのイタズラだったんだろうか。
埃まみれになりながらあちこち探して、重い思いをして頑張った結果がこれだよ。
思わず、手が滑って焼き払ったところで何の問題もないんじゃないでしょうかね?
「なあ、主」
「ん?」
「この部屋だけでいいから焼き払っても良いか?」
「駄目、崩れたりしたら困る」
「ジョークだジョーク。あんまりにもイライラしたからつい、な」
「なまじ出来る能力があるだけ冗談に聞こえないんだけど……」
ジョークといいながらもエルの表情は僕と同じように憮然としたもので、その気持ちも当然良く分かる。
既に調査開始から四時間以上が経過しているのだ。腹も減ればストレスも溜まるさ。
最初の15分で自分の世界とこっちの古代遺跡に深い関係性があるってことが分かった以降、残念ながら何一つ進展なんてありゃしない。
その結論すらウィスリスの学園都市である程度見えていたのだから、具体的な進展なんて言葉に置き換えた場合、現状得られたものなんて古代遺跡の雰囲気くらいなもの。
果たして帰れるのか、帰れないのか。
はっきり言ってしまえば、あまり認めたくはないけど、
この廃墟となった施設を見る限り、たぶん駄目なんだろうな……。
「少し、疲れた。お茶でもしない?」
「賛成。さすがに疲れた」
気づけば思考がどんどんとマイナス方向に傾いていくのが自分でも良く分かる。
こういうときは甘めのお茶と茶菓子に限るのは僕だけだろうか?
もちろん歌を歌うであるとか、音楽を聴くとか、もしくはスポーツをするなんていうのも手段としてはあるのを理解した上で、最初に出てきたのが食べ物ってあたり食い意地張ってると自分でも思う。
何せここ最近運動量の向上が著しいせいか、とにかくおなかが減るんですよ。
と、脳内で言い訳と自己正当化が完了したところでなべにお湯を沸かしてお茶を淹れる。
今日の茶菓子はニルバというやつで、味も見た目も特徴もヌガーバーとよく似ているおかげで携行性に優れ、トレッキングが混じるアウトドアではある意味定番と言っても良い。
「おなか減ってるから美味し……」
「確かに濃厚でどっしりとしてるからまるで食事を取っているかのようだな」
ペットボトルのキャップくらいのサイズが15個で昼食二回分のコストが掛かるという点に目をつぶることが可能であるならば、これはきっと最良のおやつとなりえるだろう。
砂糖の精製が可能となったウィスリスですら、ハチミツやメープルを多用したこの手のお菓子の値段は相変わらずなのだ。残念過ぎる……。
「でさ、これからなんだけど」
「ん?」
もきゅもきゅと歯に引っかかるヌガーを食べているせいか、口をあけずにエルが反応する。
「もう全部まともに調査するのめんどくさいから、まずは地図を埋めるつもりで探索しようかと思うんだけどどうだろ?」
「んぐ……。いいのではないか? 資料室らしきあの区画で何一つ物がなかった以上、それ以外を詳しく探るのは時間の無駄だ。食料も絞ったところで後二日分もない現状なら今の主の判断は最良だと思うぞ」
「そっか。じゃあお茶が終わったら気を取り直して頑張ろう」
ヌガーバーを食べたことでおなかが膨れて元気が出たのか、再び上昇傾向となったやる気を利用して探索を再開。
寝室が続く廊下を抜けて歩いた先は円形をしたそれなりの大きさの空間で、骨組みしか残っていないベンチがいくつか残っているところを見るにロビーのような扱いを受けていたのかもしれない。
わざわざ地下に広間を作る先人たちの目的に首を傾げつつ、特に考えることもなく右手側のダブルドアを開いてさらに進む。
「しかしこの遺跡、ちゃんとした入り口はどこなんだろ。まさかあのマンホールが正規ってことはありえないよね」
「恐らく崩落でもしているんじゃないか? そうじゃなければこんな居心地の良い空間に魔獣の類が一匹たりとも居ないなんてありえるはずがない」
「あぁ、なるほど」
「もしくは魔獣が入って来れないような強力極まりない防衛網がいまだに機能しているとかな」
「……さすがに何百年単位で時間が経過してそうなこの施設でそれはないんじゃない?」
こういう施設防衛用の兵器といえばやはりQuakeやDoomといったシリーズに登場するようなレーザー照準式のセントリーガンが有名だと思うけど、あんなんに狙われたら命がいくつあったところで足りないので止めてください。死んでしまいます。
「ま、どんな風な状況だったとしても出来ることなんて魔力障壁を即時展開できるようにするくらいしかないか」
「主と妾で二重に張れば大抵の攻撃は回避できるしな。あんまり気にしないことを推奨しよう」
シーフスキルをもった人間が解除判定を行ってじりじり進む。
これが各種遺跡探索におけるスタンダードな方法だと思っていたが、強力な防御能力があるならそれを当てにして突っ込むのもひょっとしたらありなのかもしれない。
そもそも僕らに出来るトラブルへの対処はごり押し以外存在せず、ゆえに先ほどと明らかに雰囲気が異なるような場所に来たとしても行動自体が変わることはない。
つまり、どう見ても爆破によって無理やりこじ開けられた分厚い扉の向こうを探索しに行く場合でも、特に下調べなどをすることなく中へと突入してしまうわけだ。
「へぇ、やっぱりここってなんかの研究所だったんだ」
「何でそんなことが分かるんだ?」
「そこの看板に日本語と英語で“ナッツエイド第八研究所”って書いてあるんよ」
「……妾は主の世界の文字が読めないのが残念でならん」
「何かあれば共有するから大丈夫」
「しかしだな。この分だと主の世界に着いてったとしても言葉の壁が分厚過ぎて素直に楽しめないではないかっ!」
「喋れるんだからそこまで影響ないと思うんだけど……」
大方定食屋のメニューが読みたいとか、テキストベースのインターネットでレシピが調べられないとか、たぶんそんなんなんだろうけど目がマジだ。
つい、とエルから目を逸らして遺跡の内部を確認してみると、恐らくここは製品開発を行う人らの居室だったのか、十字に切られたパーティションが数十人分用意され、壁の端には打ち合わせ用のフリースペースがいくつか並んでいる。
どうせ何も入ってないだろうし、キャビネットの中まで探索するのは面倒くさ過ぎるので早々にあきらめ、机の上だけをさらりと見回しても埃の層くらいしか残ってない。
せめてクリスタルガラスで出来た文鎮とかそういう高値で売れそうな小物があれば今回の調査費用のいくらかが補填できるというのに……。
ダラダラと益体もないたらればを頭に浮かべつつ、隣の部屋へと移動。
大概こういう場所には会議室が併設されているために期待はしていなかったのだが――
「あら? なんだこれ?」
「どう見ても冒険者用の外套とクッカーの類だな。ただし、凄く古いぞ」
「こっちには空のガス缶とエネルギーバーのパッケージも転がってるよ」
部屋の大きさといい、見慣れない形のスクリーンがあったりといい、ここがもともと会議室として利用されていたのは間違いない。
それを元居た人が生活用の空間として利用していたわけだ。
「主、この赤いところって押せそうなんだが押してもいいか?」
「今、押してから聞いたよね?」
「……すまん。興味が先行した」
幸いというか当たり前というか、生活空間に爆発物があるわけないので心配していたようなことは起きず、ちょうどプロジェクタが起動するような音と共にスクリーンが輝いて何かを映し出す。
しかも自己発光式。カッコいいけど現代にこんなもんなかった気がするんだけど……。
「地図?」
「地図だな」
最初は何が出力されているのか映像がブレブレで全く分からなかったが、しばらく待つと徐々に画質が鮮明になってくれたおかげで辛うじてそれが何であるか分かった。
緑色のラインで精密に描かれた大陸が三つ、前にウィスリスで見た世界地図と大体似たような形なので間違いない。
「なんというか、恐ろしく正確な地図だな。この黄色い光点は恐らく現在位置か」
「僕もそうだと思う。となると残りの緑とオレンジ光点が分からんね。片方はここと同じような性格をした重要拠点だと思うんだけど……」
「何の説明もない以上全部周るしかあるまい。幸い主用に各座標がちゃんと載ってるぞ」
「丁寧なんだか投げっぱなんだかよくわからん。わざわざここの座標を書いて本に挟むくらいならここの使い方もメモとして残してくれればいいのに」
「もしかしたら有ったんじゃないのか?」
「あー……。有り得そう。ウィスリスの図書館にあったメモとか僕も持ってきちゃってるもんね」
僕と似たような境遇の人が複数、しかも数百年も前から居るのは間違いないので、ここの第一発見者が僕である可能性はかなり低い。というより物品の持ち去られ具合を見た限りゼロといっても良い。
そしてこの施設の情報が行き渡っている以上、この地図上の施設類は全て探索されてる可能性も決して低いものじゃない。
あれ? 全然気づいてなかったけど急いで探索する意味って全くないような……。
「この分だと急いで周ってもまるで意味がない気がする。既に周回遅れの身で探索してもお金にならんし、それだと旅が続けられん」
「うむ。主はのんびりといろんな場所をめぐりながら手近な場所から探索すれば問題あるまい」
「ふはぁ……。入る前の意気込みが馬鹿らしくなってきた……」
「ふふ、そう腐るでない。頑張る主はカッコいいぞ」
「あんがと。これからは切羽詰らない程度に頑張るよ。冷静に考えればそりゃそうだよね……」