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ウィスリスにも当然用意された馬車の駅。
都市の性格上、想い人かそれに相当する人を迎える明るい雰囲気と、それらを見送る人のなんとも言えない雰囲気が交じり合った微妙な空間がそこには間違いなく存在していた。
「私としてはこの辺りでもうしばらく冒険者稼業をやってもらいたいと思わなくも無いけど、それじゃあ二人は駄目みたいだしね」
「ええ、すいません。次はどうやらフマース城塞都市って所まで行かなくちゃならないみたいなので」
「別にこれが今生の別れってワケじゃないぞ? 主がある程度調べて煮詰まったらまた戻ってくるのだからな」
「そうだったわね。戻ってきたらまたお茶でもしましょうか」
「本当にお世話になりました。ユートさんが居なかったら今頃僕らはこうしていることが出来なかったかもしれません」
「ん、そんなこと無いよ。たぶん元居た面子でどうにかはなったんじゃない? 僕は手伝いたかったから参加しただけだしね。そんな改まってお礼を言われるようなことじゃないって」
「それでもお礼くらい言わせなさいよ。あの時ウィルが来てくれたのは嬉しかったけど丸腰だったんだもの。私顔真っ青よ? ユートとエルが居てくれて本当に助かったわ」
「ふむ、確かに好いた男に助けられるというのはなかなかクるものがあるな。……ただまぁ、助ける側のことを考えれば今後はもう少し気を使うことを勧めておこう」
「う……。そ、そうね。確かに気をつけるわ。杖の無い魔術師の無力さを良く理解出来たしね」
「向こうは柄の悪い一攫千金狙いのゴロツキまがいが多いせいで、あんまり治安がいい場所じゃないから気をつけたほうがいい。前に出張で行ったときなんて、あちこちにある酒場で始まるケンカが数少ない娯楽扱いになってたくらいだからな。ほんとうんざりした」
「うぅん、ケンカですか。おっかないしなるべく避けたいですね……」
「ふふん、ケンカなんて主が出張るまでもなく妾が始末して見せようっ!」
「待った待った、ケンカだからこそ始末しちゃ駄目だかんね? スタンロッドだってマイナス要素が重なれば死んじゃうんだから」
「実際二人ならなんてこた無いんだろな。遺跡が多めで冒険者的には外せない場所だから行きたがるのはわかるんだけどさ、たまには顔見せに帰ってこいよ。もちろん生きてだぞ?」
「……そんな縁起でもないこと言わないでくださいよ」
客観的に見た場合、おそらく感動的だったであろう別れから早10日以上。
目的地であるフマース城塞都市への道のりはなかなかに長いものだった。
そもそも街道の整備が今二つくらいのおかげで馬車の速度もそれなりなのがマズ第一の原因。
そして何度か魔獣に襲われてしまったことが第二の原因。
さらにエンカウントのおかげで早めにキャンプ地点を探したりしてしまったせいで一日あたりの移動時間がかなり減少してしまったことが第三の原因。
僕の記憶が間違ってなければ近代の駅馬車は毎日100キロメートル程度移動できたはずなので、やはりこの世界の馬車はあんまり早くない。
文句を言ったところで代替品も無い以上なんともならんのですが、やっぱマナーの悪い人間が混じってる環境でじっとしているのはそれなり以上に神経を使うものできつかった。
例えば酒を飲んで暴れるとか――御者に蹴りだされてたけど。
例えばエルに絡んできた商人とか――僕が馬車から蹴りだしたけど。
例えば全然知らない女性を襲った馬鹿とか――近くの冒険者にボッコボコにされてたけど。
基本的に毎日毎日何かしらのイベントごとがあったのでもうおなか一杯です。
このペースであれこれあると日記帳のページがなくなっちゃうので止めてください。切実に。
「うん、結構疲れた。宿探そっか」
「賛成だ。次はもう少し静かな馬車があるといいな」
「個人で保有しないと駄目かもね。予算的に論外だけど」
「……そんな夢の無いことを言うでない」
ふてくされた振りをするエルの肩を軽く叩いてから町の中央部へと進む道を行く。
まだ日も高いし、何か美味しそうなものを見つけたら宿を取る前に食べるのだって良いかもしれない。
道を行く人々は学生メインだったウィスリスから一転、冒険者が非常に多いせいかそれに関係した道具を扱う商人も多く、露店をちら見すると刃物を扱ってないところのほうが少ない程。
そんな僕の男の子の部分を刺激するお店が多い反面、町自体の飾り気は少なくて、先ほどから既に結構な距離を歩いているのにも関わらず公園どころかベンチの一つもないのはちょっと残念だ。
「なんかさ、あんまり飾り気がないよね。都市って言われてるくらいなんだからもう少し生活インフラ系があってもいいと思うんだけど」
「もともとこの都市は隣のクシミナ聖王国との戦争で利用するための砦から始まったものだからな。大方実用的ではないものは敷設しない風潮でもあるのだろう」
「あー……。そういえばそんなことがウィスリスの図書館の本に書いてあったような気がする」
「いつもなんだかんだで観光を優先してしまっているし、たまには遺跡探索を主目標にして動くのも悪くは無いと思うぞ? 珍しくちゃんと目的もあるのだしな」
「ん、そうだね。たまにはこんなのもアリか」
そもそもこの都市に来る目的が普段とは異なり明確である以上、エルの言う通りあまり観光している時間は無いのかもしれない。
昼は冒険者として雑事をこなし、夜はウィスリスの図書館に篭る生活を続けることおよそ40日。
ようやく見つけた二行の文字を確認しに来たのだから。
――北緯43度59分49秒、東経36度48分58秒。
――GPSは裏蓋を開けて電池に魔力を注入しろ。
随分と薄汚れた古代遺跡の考察本に挟み込まれるようにして、一枚の黄色くなったルーズリーフの切れ端にはそんな走り書きが日本語で残されていた。
◆
「マスター。おかわりだ」
「お嬢ちゃん、もうそれくらいで止めときな。倒れちまってもウチじゃ面倒見切れん」
「こんなアルコール度数の低い酒で酔うはずが無かろう。妾を酔い潰したいのなら蒸留酒でも持ってくるんだな」
「エル。そろそろ飲み過ぎだって。さっきから魔力が乱れてるのか外に漏れちゃったりしてるし、危ないからっ!?」
「主まで何をいうか。妾はまだまだ正常で大丈夫だ」
明らかに目が据わったエルを見ると思わず頭を抱えたくなる。
エルがこんな風になったのは半分くらい僕に責任があるとはいえ、まさかこんなに酔っ払うほど飲み続けるとは思わなかった。
「大体な、主はもっと怒るべきなのだ。そうじゃないと周りに舐められてばっかりになっちゃうんだぞ? 実力的には誰にも負けてないのに、たかがギルド如きにあんな扱いを受けてたまるものか」
「目標の遺跡探索の許可はちゃんと出してもらえたんだからあとはどうだっていいじゃない。変に絡まれるよりはよっぽどマシだって。たぶん」
「だからってギルドカードを出したのに信用されずに仕事を振ってもらえないなんてあんまりじゃないか。いまさら雑用系の依頼でも受けろとでも?」
あぅ、これはもういい感じに駄目だ……。
こうなった酔っ払いに言葉が通じないのは短かった大学生活でも十分に理解してるつもりですって。
到着してからとりあえず宿を確保し、じゃあ次は遺跡探索ついでに受けられる仕事でも貰おうと思ってギルドに立ち寄ったのは後にして思えば良くない選択肢だった。
入るなり受けたのは久しぶりの友好的ではない視線といくつかの声。
リュースさんの言っていた通り、近くに一攫千金の危険地帯がゴロゴロしているせいか層が宜しくなく、力こそ全てのような雰囲気すらあって感動してしまった。
……いや、僕が罵られ好きなMとかそういうわけではもちろんなく。
ギルドの雰囲気が当初僕の思ってた冒険者ギルドという感じのものだったのだ。
初めて入ったガルトの雰囲気もそう“悪い”ものではなかったが、ギルドマスターであるカーディスさんの性格からか人を含めた管理が行き届いていて、その結果空気も言うほどそれっぽくはなかった。
ただし、フマース城塞都市のギルドは違う。
タバコの煙で薄汚れた壁面にはよく判らない飾りが並び、
もともとは飴色だったかもしれないテーブルは酷く汚れてべたべたとした輝きを放ち、
小汚い掲示板にはさらりと命の危険を感じさせる依頼が貼り付けられており、
昼間から酒を飲む冒険者の姿からは澱んだ空気を感じ取ることすら出来る。
これぞ……。これぞ、冒険者ギルドって奴だろう……っ!
と、地味な感動を胸に秘めながら最低限必要だった遺跡への調査許可――Cランク以上の冒険者なら特に審査も無く発行してもらう権利がある――を貰って帰ってきたのだが、それがとにかくエルのお気に召さなかったらしいのだ。
あれこれと理由を見つけてはプリプリと怒るエルを静めようとお酒を勧めたのは更なる失敗だったといえるだろう。
怒りを理由にがぶがぶとハイペースに飲みだすエルを止める手立ては結局見つからず、居酒屋の中ジョッキとさして変わらない容量のそれをいくつ開けたのか、もはや数える気にすらならない。
「ともかくエルはそろそろお酒飲むの止めないと。明日辛くなっちゃうってば」
「このストレスを吹っ飛ばすには酒しかあるまいっ! ほら、主の分も頼んでおいたのだぞ」
「よう、仕事も振られない新米冒険者のわりには随分と金回りがいいな。俺らにも分けてくれよ」
「ありがと。でもそれでオシマイね。今日はもう帰るよ」
「むむむ、折角美人が酌をしているというのになんてことだ。普通そんなにあっさりと流すか?」
「自分がそういう存在だと理解しているならもう少しセーブしようね。お酒飲む機会だって今回がラストってワケじゃないんだから」
……ん?
いまなんか誰かに話しかけられたような?
「しかしだな主。たぶん今日を過ぎると明日からは遺跡の探索をするわけだよな?」
「うん。なんだかんだギルドには言われたけどモノは売ってもらえたから探索準備はレディだし」
「距離は確かかなり遠かったよな?」
「うん。目的地までは直線距離で27キロメートルも離れてる」
「となると毎日は戻って来れないよな?」
「うん。戻れないね」
「お前ら人のこと無視してるんじゃねぇよ」
「それじゃあある意味今日がラストではないかっ!?」
「うん。……って違う、そんな縁起でもないこと言うんじゃないっ!?」
明日から何が起こるかわかりゃしない遺跡に行くっていうのになんてことを。
神様なんてなんとかの大予言ほども信じてない僕とはいえ、さすがにこっちに来てからはゲンくらい担ぐつもりだったのにっ。
「あと後ろ」
「あ?」
「やかましいぞ。妾は今、主を説得するので忙しい。声を掛けるなら後にしてくれ」
「クソ……ッ、人が下手に出てれば付け上がりやがって。裸にひん剥いて輪わしてやろうか?」
「その態度のどこに下手に出た要素があるというのだ? まあ、いい。妾が酔っ払いではないことを証明するいい機会か」
くるりと振り向いたエルが不敵な笑みを浮かべ、右手には人間を殺傷するのに十分な魔術を構築可能な魔力がぐにょぐにょと蠢く。ちなみに、左手にはもちろんビールジョッキである。
いつの間に来たのかは良くわからんが、随分といらっとした様子の相手さんもエルと同じく酔っ払ってるとかそういう理由あたりで魔力の知覚能力にかなり劣っているようで、チェックメイトも大幅に過ぎたようなこの状況でもやる気満々なんだから救えない。
……いかん、このままだと文字通り致命的な失敗に繋がってしまう。
町のおまわりさんに激しく問い詰められるという嫌な妄想を頭から振り払い、今すぐにでもピンク色のシェークが作り出せそうなエルの腕を軽く押さえて席を立つ。
「折角の見せ場だというのに何をするのだ」
「まずはその物騒な魔力を抑えてくれ。そして今の行動でエルが完全無欠の酔っ払いであることが明らかになったので今日はもうとにかく何をしても終わりです」
「ば、馬鹿な……。妾の完璧なる作戦が……」
再度イスに座りなおしてからテーブルに肘をつけて打ちひしがれるエルは放置するしかないか。
さて、こちらに向かって小汚い顔でガンを飛ばしてくるはこの街ではあちこちで見かけるような男性三人組の恐らく冒険者。
どこかの遺跡でも潜った帰りなのか、動物の革で作られた鎧には黒く変色した血液が付属していてなんとも生々しくて気持ち悪い。せめて食べに来る前に着替えるとかあると思うんですが。
「そろそろ僕は彼女を連れて帰ろうかと思うんですが」
「そうかい。なら提案があるんだがな」
「その顔で提案なんていわれましても困っちゃいますね」
――っ!
まさかいきなり無言で殴りかかってくるとは思わなかった。
何より初日でいきなり絡まれることになるとも思わんかった。
リュースさんの言っていた通り、ここはヨハネスブルグのガイドラインが出来そうなほど酷く治安の悪い地域らしい。
「おい、なに外してるんだよ下手糞」
「馬鹿、ワザとだよワザと」
ちらりと後ろを見れば店のマスターは居なくなってるし、エルはこんな状況で眠りだしたのかすぅすぅと上下に肩が揺れてるしでどうしたもんか。
幸いなことに夜も遅く、僕ら以外にお客は誰一人としていない。
過剰防衛すらロクに取られないこの世の中、鎮圧するのはきっと悪い選択肢じゃないだろう。
のろまなパンチを外したにもかかわらず下卑た笑みを浮かべたままの間抜けにステップイン。
そのまま勢いを落とさずに男性の大事な部分をサッカーボールか何かのように蹴り上げる!
「ぁ……がっ……!」
「女の子に手を出そうとしたんだからこれくらい仕方ないですよね」
「ふざっ……ぁ、ぅ……」
例のアレは比較的簡単に潰れてなくなると聞いたことがあるので全力ではもちろんやってない。
それでもケブラーと硬質ゴムで構成されたトレッキングシューズは先端付近が下手すりゃ安全靴並に固くなっているのだ。
そんな危険物で蹴りつけられた彼の悶絶っぷりと来たらいくつかの意味で言葉に出来ない。
残りは二名。
個人的には僕に敵意を向ける前にノックアウトな彼をどうにかしたほうが良いと思うのだが……。
(彼にとっても)残念なことに相手側はまだまだやる気という意味では十分らしい。
「やってくれたじゃないか。こりゃ手足の一本は覚悟してもらおうか?」
「最初からそのつもりだったくせに」
軽く姿勢を下げてからの体当たり、よくレスリングなどであるようなものかと思いきやランプによって輝いたのはギラリと煌く白刃が一つ。
慌てて魔力障壁を展開して刃物を止め、カウンターのつもりで入れたハイキックはあっさりと回避されてしまった。
「ちょっ、危なっ……!」
「どうした。反撃が甘いんじゃないか? そりゃそうか、魔術師だもんなぁ?」
風切り音を立てて振り回されるナイフを避けて、避けて、避けられないものを障壁で弾く。
畜生、こうなる前にスリングバッグから杖を取り出しておくんだった。
あ、でも仮に魔術がおーけーだったとしても殺傷するのはまずいから結局あんま変わらんね。
大体もう一人はどこに行ったのかと視線を横に走らせれば、信じられないことに動けないエルのほうへとゆっくり近づいているじゃないか。
カッと頭に血がのぼる感覚がして、気づけば腰の軍用懐中電灯からスタンロッドを展開していた。
――ふざけるな。叩き潰してやる。
まずはナイフを振り回す一人の手首にそれを叩きつけ、バチリという音と共にひざを突いたので側頭部めがけてのやくざキックで地面へと押し倒し、さらにぐしゃりと顔面を踏みつける。
これで二人目もしばらくは動けなくなっただろう。仮に動けたとしたらもう一回スタンロッドでも押し当てておけば良い。
二人目が倒れたのを見て慌ててエルの方向へと向かいだしたが、もう遅い。
飲食店ならではの豊富な投げ物のうちの一つ、つまりイスを右手で掴んで敵の方向へと全力で投擲。
「なにエルに近づいてるんだ、よっ!」
小さな悲鳴とイスがバラバラになる比較的と大きな破砕音の反響音がなくなったとき、残った音はうんざりするような三人組のうめき声だけだった。
(翌日の宿で)
「ぬわぁぁぁ……。失敗した。また失敗してしまった……」
「そんな頭抱えて呻かなくてもいいんでね? こんなの普通の大学生からみれば失敗にすら入らない些細なことなんだけど」
「だからって主の危機にただ寝ていただけなんて……主が許しても世間体が駄目だめじゃないか……」
「あ、うん。確かに世間体って意味じゃ失敗だとは思うけど、僕としてはちょっと嬉しかったりもしたんだよ?」
「……え?」
「ギルドとか実力主義のところで馬鹿にされるのは、見た目が子供っぽいから仕方ないってあきらめてる所もあるにはあるけど結構うんざりするのは事実だもん。エルが怒ってくれたからこそ冷静になれたってところもあるわけで」
「そうなのか?」
「もちろん。というわけで気が楽になったら下でご飯食べて遺跡に向かおうか」
「う、うむ。了解だ。今度こそ頑張るぞっ!」