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学園都市ウィスリス西部。
なんだかんだでやっぱり存在するお金持ちのための区域で、噴水やらベンチやらの類もピカールあたりで磨いている人でも居るのかやたら艶々と輝いていてなんとも高級感がある。
もちろん道を行き交う人々の服装も高品質なものが多く、町並みとあわせてみればいろんな意味で世界が違うなんて感想を抱くのも致し方無し
そんな日本で例えるのがちょっと困難なほどの高級住宅街の中の一つが今回の目的地であり、僕の頭を悩ませる最大の問題でもあるのだが……
「あぁ、どう言い訳しよう……」
「別にそんなことする必要があるとは思えんのだが」
「あれだよ? 今回の件だけでトータル金貨68枚も使ってるんだよっ!? こういうと悲しくなっちゃうけど僕がこっち来て働いて得たお金の合計の数倍なんだよ、数倍。これで言い訳の必要が一切無いって言い切るのは何気に難しいでしょ」
「なに、ファルメラ卿だって立派な貴族の一人だ。これくらいは笑って流してくれるのではないか?」
「……ライフル見せたときは顔が引き攣ってたけどね」
「さあ、主。もたもたしている暇は無いぞ。時間に遅れてしまう」
エルに背中を押されるようにしてしばらく歩くとようやくアリアの“別荘”が見えてくる。
建物は何に使うのか三階建て、壁面はツライチの石造りで紙を差し込む隙間も無い、バレーくらいなら余裕で出来てしまうほど広い庭。
門の前には執事っぽいタキシードライクな服装をした男性と、その脇にはどう見ても戦闘能力を十分以上に保持していると見られる警備さんが二人。
どう見ても豪邸です。本当にありがとう御座いました。
「お待ちしておりました。ユート様、エルシディア様。本日はオルネリー家主宰の懇親会にご参加頂きありがとうございます。さて、お客様であるお二人をこのような場所で立たせるわけには参りませんので、まずは客室まで案内させていただいてもよろしいでしょうか」
「え、あ、はい、ありがとうです。お願いします」
門に近づくなり執事っぽい人が極めて丁寧な挨拶と、有無を言わせぬ力を込めた口調にややタジタジとしながらその後ろを着いていけば、これまた内装も悪趣味にはならない程度に豪華で段々と気が滅入ってくる。
もともと僕は極々普通の一般人だったわけなので、いきなりこんな超高級ホテル(なんて行ったことも無いけどテレビで見たことがある)みたいな場所だと凄く居心地が悪い。
激しく贅沢な物言いなのは重々承知とはいえ、自分自身にウソをつくのは不可能だ。
「なんか意味も無く緊張するよね。こう、胃がきりきりするような」
「そうか? 妾としては結構快適なのだが。特にほら、このクッションなんてふっかふかでさらっさらだぞっ!」
「ちょ、ちょ、そのクッションがぶっ壊れかねないからちょっと落ち着いてっ!?」
この国の技術水準でふっかふかのソファなんてどうやって作ったのか想像するのも恐ろしいし、ローズウッドのような色合いの重厚なテーブルなどに傷を一つつけただけで無一文どころじゃ済まなくなる可能性が存在する。
先ほど屋敷のメイドさんが持ってきてくれたお茶だって普段の陶器とか木製カップなどとは異なり、ロイヤルコペンハーゲンも真っ青な、傷どころか染み一つ無い茶器が使われていてカップをソーサーに置くことすら躊躇われるほど。
とにかく、根が貧乏性なのである。悲しいことに。
むこうとしては最上級のサービスを提供しようとしているのが分かるので凄くありがたいのだけど、その結果落ち着けないのだから残念過ぎる。
その点エルは見た目も大変に宜しい上、服装も普段使いのアッパーを取っ払ってしまえばどこぞのお嬢様ちっくなワンピースでそれっぽいし、そもそもこういう雰囲気に物怖じしない性格なので現状をかなり楽しくやっているようで羨ましいったらない。
「普段の宿が悪いというわけじゃないが、こんな機会めったに無いのだから主ももっと楽しんだほうが良いのではないか?」
「楽しむってもなぁ……」
「実際今回の件では金額にだけ目を瞑っておけば完璧な仕事をしたわけだからな。もっとこう、堂々としておけば主は格好良いし、妾としても満足なのだぞ?」
「そりゃ贔屓目に見すぎだよ。……しかし格好で思い出したけどさ、ドレスコード大丈夫なのかな? 周り全員が礼服だったりするとポロシャツとカーゴパンツの組み合わせとか論外なんだけど」
「大丈夫ではないか? 聞けば騎士達も平服どころか普段着を使うとかと聞いてるし、普段使いのマント姿ならともかく、今みたいに脱いでおけば特に目立ってしまうようなこともあるまいて」
「ん、ならいっか」
ホッと一息ついたところでお茶を一口。
今回のはフレーバー入りの紅茶らしく、チョコレートのような甘い香りとタンニンの渋みがよくマッチしていて素晴らしく美味い。
水色がやや薄めなので最初はこんな濃いものだとは思わなくて思わず面食らってしまったが、慣れてしまえばこんなに美味しいのも少ないだろう。
「ほら、茶菓子も食べよ。まだ一つも食べてないではないかっ!」
「エルが早過ぎるんだよ。なんでもう無くなってるのさ」
「……その、やたら美味しくてだな。うん」
「そんなもの欲しそうな目で見なくても食べていいってば」
茶菓子の乗った小皿を軽くエルのほうへ動かせば、ひょいとクッキーを一つ取ってぱくり。
甘いものでにやける顔を必死に抑えようとするその感じがやたらと可愛らしくて思わず吹いてしまったのはたぶん、仕方がないことだと思う。
◆
貴賓室という名前に十分過ぎるほど見合った空間で待機することおよそ二時間程度。
懇親会の準備が整ったということで案内されているときには既に夜といっても差し支えない頃合となっていた。
電気や蛍光灯もないとはいえ、しっかりとそれ用の魔術が存在しているので会場はそれほど暗いということも無く、むしろシックで落ち着いた雰囲気に一役買っていると感じるほど。
内装は想像していたのと大差ない感じに豪華で、蛍光灯の代わりにシャンデリアが吊られてる空間なんてホント生まれて初めて来た。広さは一般的なパーティー用の部屋という感じで、大雑把にたとえてしまうとたぶん学校の教室二つ分くらいだと思う。
入って左奥の方はお酒を提供するためのスペースとなっており、あちこちに散在している丸テーブルには果物だったり何かの丸焼きだったりが乗っていて実に美味しそうでたまらない。
しかしまあ、なにより最大の驚きといえば――
「なあ、なんでもう始まっちゃってるんだ?」
「さあ、僕にはサッパリ。でもまあ最初から居てアレな扱いを受けて衆目を集めるよりは良いかな。お酒入っちゃえば部外者で不審者な扱いを受ける可能性も減るんじゃない?」
――既に懇親会が始まっていたことだ。
高貴な雰囲気をかもし出してしまっている男性や、明らかに金の掛かったドレスを身に纏う妙齢の女性達がぶどう酒を片手に立食形式で談笑しているところにぽつんと放り出されてしまった気持ちはなんと言っていいのか良くわからないが、意外と悲しい気持ちではないのだけは確かだ。
「まずは……やっぱりアリアとウィルに一言挨拶でもしておかなくちゃマズイよねぇ……」
「うむ。あそこでイチャイチャしてるのに水を差す勇気があればだがな」
ウィルとアリアは、出来上がっていた。多少は予想が出来てたけれども。
それが酒によるものなのか、それとも違う原因によるものなのかは判別のつけようがないが、とにかく無事にカップルになれたようで個人的には何よりである。
「おおう、主。今の見たか?」
「見た見た。あーんってやってたね。終わってから二人とも真っ赤になってて微笑ましいんだけど」
「全く青春って奴は素晴らしいな。なんとも甘酸っぱい気持ちになれる」
「でもこの分だと割り込みは無理そうだし、折角だから料理と酒でも取ってくるか」
後で二人を存分にからかうことを心に決め、マズはそのために腹ごしらえと行こうじゃないですか。
良い感じにお酒で脳みそがとろけだした周りは僕らのことをどこかの貴族の関係者と勘違いしているみたいで、わりと皆様僕らに対して良くしてくれる。
小皿を持って歩いていると貴族っぽい男性が「このチキンの丸焼きは最高だ」といって、どかっと料理をもってくれたりとか、女性からは「お肉ばかりじゃなくてお野菜も食べなくちゃ駄目ですよ」などといわれ、こんもりと野菜が持った中皿を渡してくれたりとか。
気づけば立食テーブルの上には三人前分くらいのサラダとメインの類がぎっしりと。
言うまでも無くエルだって料理を並べてしまっているので合計するとたぶん五人前くらい。
実は大食いな二人だから特に問題になることはありえないけど、もしこれが普通の人だったら結構大変なことになってたかもしれない。
「んじゃ、随分一杯あるけど食べよっか」
「うむ。頂きます」
胃腸を考えた上で重い食事をする場合、最初に頂くべきはサラダである。ということをどこかで聞いた記憶があるのでカラフルな野菜スティックに付属のソースをディップしてぱくり。
バターの香りと味の素がだばだばと入った、という表現がぴったりな不思議味のソースはシャリシャリとした野菜に良く絡んでなかなかぐっど。
確実に言い切れるのはバーニャ・カウダが近い料理だけど、あれって確か冬料理だったような。
……あ、でもソースは常温で特に温められたりしてることもないからそうでもないのか。
ちなみに、黄色いスティックはかなり甘みが強くてたぶんあんまり相性が良くない。
もしこの世界に訪れることがあるのなら避けることを推奨します。
「さすが貴族の食事なだけはあるな、どれもこれも一級品じゃないか」
「確かに。野菜スティックも美味しかったよ」
「……なんで主はさっきから野菜しか食べてないんだ? 折角の機会なのだから肉も食べたほうが良いぞ?」
「いやいや、ちゃんと肉も食べてるよ。ほら」
「それ、肉みたいな見た目してるだけでガンガ芋という野菜を加工したものなのだが」
「……マジで? 完全に鶏肉だと思ってたんだけど」
たった今口にした茶色い物体は噛み切れば細い繊維が見えるし、よく味わったところで鶏肉をコンソメで煮付けたものとしか思えない。
信じられないものを見つけた気持ちでポカンとしているとエルも気になって仕方なくなったのか、それをフォークに突き刺してぱくり。そしてポカン。
「……主、これは肉だろう。知らなければ」
「だよねだよね。完全に肉だよねこれ。日本で売れば超売れるからっ!?」
などと二人して盛り上がっていると、こちらに近づいてくる気配が二つほど。
なんていうと格好良く聞こえるのかもしれない。が、タネを明かしてしまえばこちらに近づく影が二つ見えただけなのでなんてこともありゃしない。
「近づいただけで反応するとかどんだけだよ。普段から後方警戒用の魔術でも使ってるのか?」
「さすがの二人ね。クリムなんてあの時のことをベタ褒めしてたくらいだもの」
「いえ、その……。ありがとうございます?」
……事実を言うと場がしらけそうなのでやめとこ。
「今回はほんと二人のお世話になっちゃったのに色々ごめんなさいね。本当なら今回のパーティも最初から参加してもらって、ちゃんと表彰みたいなこともしたかったんだけど……」
「あ、やっぱり遅れていたのには理由があったんですね?」
「ええ、平民に対して酷く高圧的に振舞う奴が今日も来ててね。今回来てもらってそんな扱いを受けさせるわけにはいかないからちょっと退場してもらったんだけど、それに手間取っちゃって」
「あんまり心配しなくても酒を注いで潰しただけだからな? ファルメラの言い方だと何をしたんだって気分になるだろうけど」
少なくとも僕がこの屋敷に来たとき懇親会は始まっていなかった。
となると最長で二時間程度のディレイというわけになるが、それで人一人を潰すとは一体どれだけのアルコールを投入したのだろうか。
いくら僕ら平民に対して残念な扱いをするであろう人とはいえ、急性アルコール中毒とかが心配です。
「ま、そんなどうでもいいことは置いといて、二人はお酒大丈夫かしら?」
「ええ、僕もエルも頻繁にってワケではないですが飲みますよ」
「良かった。今日みたいな祝うべき日に開けるべき葡萄酒があるのよ。グラスと合わせて持ってくるから少しだけ待っておいて」
ファルメラさんはそれだけ言うと楽しげにカウンターへと向かい、さっきまで色々な人にお酒を提供していた人と共に姿を消してどこかへ行ってしまった。
先ほどの話を考えれば恐らくワインセラーから一本何かを持ってくるのだろう。
「そういえば結局二人って何をしたんだ? ファルメラとクリムっていう現場に行った奴から話だけ聞いたんだけどあんまり意味がつかめなくてさ」
「一言でまとめると誘拐犯の皆殺しだな」
「エル、皆殺しじゃない。ちゃんと二人生き残らせたから」
「……いや、あんま変わんねーから。やっぱいいや、どうせ詳細を説明してもらっても俺の理解の範疇外だろうしな」
それ以前の問題として食事を取るこの場面でそんな血生臭い話をすること自体が間違ってる気がする今日この頃。そろそろバイオレンスな内容にも慣れて参りました。それが果たしていいことなのか悪いことなのかはぶっちゃけ良く判らないけど。
エリア88の主人公のように、安全な場所に帰ってきたとしてもちょっとしたことで跳ね起きて生きるようになるのは勘弁してもらいたいが、今はそれが出来ないと死ぬかもしれないしなぁ……。
救急車のサイレンで跳ね起きる自分という嫌な想像を頭から追い払い、サラダ皿に載せてきたカプレーゼみたいなのを摘みながらしばらく待っていると、葡萄酒の入ったグラスを持ってきたウェイターさんとビンを持ったファルメラさんが戻ってきた。
「乾杯をするような雰囲気でもないし、美味しいはずだから呑んでちょうだい」
「頂きます」
ワイングラスを傾けてガーネット色の液体を一口。
およそワイン好きからぶん殴られてしまいそうな飲み方かもしれないけど、あのテレビでやってるような真似をしたところでまるっきり似合わないのが判っているので止めておいた。
味のほうも完璧に理解できるわけではないが、赤ワインらしい濃縮した果物の香りからスパイシーな味わいへとグラデーションのように変化していき、最後にワイン特有の渋みが全てをしっかりと締めることで全体を整えている。
端的にいってしまえばフルボディに近いのに飲みやすく、非常に美味しいと思う。
「これは素晴らしい葡萄酒だな。お金を払ってもなかなか飲めるものじゃないぞ」
「気に入ってくれたのなら嬉しいわね。まだ残ってるから空けてしまっても構わないわよ」
ううむ。エルはお代わりまで貰ってがぶがぶと呑みだしてしまったし、僕自身しばらくの間は喋ることなくワインを楽しんでいたい気持ちはあるが、そろそろこれは大量の金貨を使ってごめんなさいの時間ではないだろうか?
周りはそこそこ騒いでいてほかの人に声が漏れるような状況でもないし、お酒が入った現状ならわりとさらりと流してくる気がしなくもない。
いやでもしかしとウネウネ頭を悩ませていたら、先に口を開いたのはファルメラさんだった。
「ねえ、ユート君とエルシディアさんはこれからとかって決めてるのかしら」
「これから、ですか。……古代遺跡を調べるっていう大まかな目的くらいしか決まってないですね。具体的な行動内容はここで色々調べて見つけようと思ってたので」
「それなら私も協力できそうね。図書館用の許可ならいくらでも発行できるから調べモノをするなら使ってもらえないかしら」
「いいんですか? 金銭的にも作業的にも手間を掛けてしまって申し訳ないのですが……。ありがとうございます」
「これくらい気にしなくても構わないわ。それと、ユート君が作った杖のことなんだけど――」
来た。来てしまった。
総額金貨68枚という高級車が余裕で、モノによっては即金で買えてしまうような金額を飛ばした僕に対する猛烈な言葉が飛んでくるのかと身構えていると、
「――進呈するわ。少なくともユート君はそれだけの価値のあるものを使うだけの技量を持っているって我が家の警備隊長が言ってたからね」
「……え? その、“ふざけるな”とか“金返せ”みたいなことは言わないんですか?」
「無意味なことにお金を使うのは無駄以外の何者でもないけれど、意味のある行為にお金を使うのは無駄じゃなくて投資っていうのよ? 二人は結果を出している以上、私はアレが無駄だとは思わないわ。……ってなんでそんな驚いてるのかしら」
「ほらみろ主。やっぱり杞憂だったでは無いか」
僕は、あまりの驚きに声も出ない。
進呈するっていうのはつまり、えっと、どうやらアレが僕のものになるということで。
それからのことはあんまり良く覚えてない。でも、にやける顔を抑えようとした僕の姿はそこそこ面白いと後日リュースさんが教えてくれたので、たぶんそんな風だったんじゃないかなって思うんだ。