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あらかたの準備を終えた三日後、僕らは現在山林を縦走中である。
ふと、暗闇の中で腕時計を確認すると、放射性物質によって輝く短針と長針によって現在の時刻が20時18分であることを知らせてくれた。
プリピャチなどの緯度が50度オーバーの地域ならともかく、この地方でこの時間となればとっくに日も落ちてしまい、森の中での光源なんていうのは月の光くらいしかない。
最近ではすっかり見慣れた二つの月のおかげか、少なくとも日本の森に比べれば幾分明るくて歩きやすいのだが、その分被発見率も向上してしまうので素直に喜べないのが残念だ。
こんな綺麗な満月、何にも無ければエルと二人でテラスのあるバーにでも行って月見酒としゃれ込んでたに違いないというのに、これから僕らがやるのはそういう文化的な行動とは間逆なんだから泣けてくる。
「全く、この距離を歩くのはなかなかに疲れたな」
「そりゃどうしようもないでしょ。まさか馬車を使って移動するわけにも行かないし」
彼らとの取引場所である山間に存在する廃屋までは馬車で一時間弱、徒歩に換算するとおよそ三時間ちょい程度の距離なんだけど、ある程度周囲を警戒しながらゆっくりと歩いていたせいで想定していたよりもかなりの時間が掛かってしまった。
予定じゃ七時前には着いてご飯を食べつつ、ゆっくりと武器の調整を行ってから事に望むつもりだったはずが、この分だと大雑把な調整しか出来ないかもしれない。
せめて疲れた体に回復をと、スリングバッグから某製薬会社謹製のエネルギーバーを二つ取り出し、一つをエルに渡してからパッケージを開封する。
「ちょっと遅れたけどまだ相手さんは到着してないみたいだね。今のうちにご飯食べておこうか」
「そうだな。でもこのエネルギーバーを食べちゃっても良いのか? もうこれで最後なんだろう?」
「こんな重要な場面で冒険者印の携帯食なんて食べたくないよ。クッキーとかでも悪くは無いけどこの先の集中力の維持を考えるとこういうののほうがたぶん安定するから」
もしゃもしゃとフルーツの香りがするクッキーライクなエネルギーバーを齧りつつ、バッグの横に括り付けるようにして持ってきた武器を取り外して近くの木に立てかける。
「何度見てもむちゃくちゃな形状だ。妾の常識からすると考えられん」
「えー、でもエルもハンドリングしてから納得してたじゃないか」
「確かに握れば分かるこの扱いやすさなんだが、こんな携行性の無い形だと一般の魔術師にはほとんど受けないぞ。そもそも主みたいな射程が無い限り安定させてから撃つ意味が無いってのがネックだな」
「確かに携行性は全然だね。ちゃんとしたスリングがあればいいんだけど……」
満月の光を受けて鈍く銀色に光る杖のシャフトは長く、僕の身長ほどもある。
ガーツ鋼という魔力伝達能力に優れた金属から造り上げられたこの杖はたった一本で高級車とほぼ同等の価値を持つとんでもないものだった。
しかし、本来美しかった杖はあちこちにパラコードが引っかかるくらいの傷をつけて無理やりサムホールタイプのライフルストックが取り付けられていて、杖の先端部にあった細やかな装飾が刻まれた飾りの部分はばっさりと切り落とされてしまっている。知る人が見たら卒倒するに違いない。
もともとの杖の長さのせいでアンバランスな印象を受ける人も居るかもしれないが、ロングバレルはその長さのおかげで銃身の振れがスローになってタイミングが取りやすくなる上、重量の面からも手振れを軽減する効果があるので、ここを切り詰めてカービン化みたいな真似をする気は毛頭無かった。
――もう、いまさら説明するまでも無いが、これは杖ではなくて僕専用の狙撃銃なのだ。
本音を言えばもともと僕が使っていたフルアジャスタブル極まりないストックが欲しかったのだが、まともに樹脂を加工する技術すら存在しないこの世界でそんな便利なものが手に入るわけも無く。あえなく木材加工で一発勝負という凄まじいことになっている。
ライフルストックに関しては自分で作り出せるとは到底思えなかったので、ファルメラさんに形だけ説明して職人を探してもらったところ、非常に良い品質のストックが手に入ったのは非常にデカイ。
その分工賃も材料費も目玉が飛び出るほど高かったが、この体に張り付くような感覚すら覚えるストックはライフル射撃において非常に重要なファクターとなるので無視するわけにはいかなかった。
……だからこのストックの工賃だけで金貨を四枚も使ってしまったことを許してください。必要だったんです。本当です。お願いします。
「主、どうかしたのか? そのライフルをまじまじと見つめているのは気味が悪いのだが」
「いや、なんでもないよ。お金使っちゃったなぁ……って思ってただけだから」
「ファルメラ卿の顔が引き攣っていたのを妾は覚えているぞ?」
「……さて、向こうさんが出張ってくる前にライフルの準備をしようか」
「……うむ、了解だ」
廃屋辺りを漏れなく監視できるような少し小高い、それでいて自分らのシルエットを隠すことが可能なブッシュにも恵まれた立地を何とか見つけ出し、スリングバッグとは別に持ってきた大き目の巾着袋から硬めに綿を詰めたマットを取り出して二人分のスペースを確保する。
あれこれと手が込んでいる分これも低コストとは口が裂けてもいえないが、その分効果も大きい。
地面の冷たさや石ころなどが肘に当たることによる痛みなどが軽減されるために集中力が向上し、結果として精度向上に繋がる。
副次的な効果として服が汚れなくなるというのもあるが、これはまあ、オマケみたいなもんだ。
最後にスリングバッグの中へ巾着袋を押し込み、膨れたそれを土嚢代わりとすることで狙撃の準備は完了した。
◆
ゆっくりと、人が歩くほどのペースでやってきた荷馬車が廃屋の前で止まる。
幌馬車などとは異なり、荷馬車には隠れるようなスペースが一切存在しないため、今そこに居る人間は御者であるウィルだけだ。
陰になってしまって表情はよく読み取れないが、先ほどから何度も水筒に手を伸ばしているので重度のストレスを感じ取っているのは間違いない。
その周囲には恐らくウィルの護衛と思われる集団が10名ほど。
さすがに草むらに隠れてはいるみたいだが、時折草木が揺れているのであんまり迷彩効果がなさそうでちょっと心配なんですけど。
「廃屋の中からアホ共がやって来たぞ。数は七名でアリアは真ん中だ」
「こっちでも確認した。タイミングを見計らって撃とう」
普段使いのサーマルスコープだと本人確認が出来ないので、今回ばっかりは暗視モード。
さすがに第四世代クラスの暗視性能だとはいえないだろうが、それでも第三世代のそれとほぼ同等の視界を確保できているので十分に実用的ではある。
そんな緑の視界の向こう、ターゲット達が下衆っぽい笑みを浮かべながらウィルの持ってきた荷馬車の中を漁りながら騒ぎ立てているのがとにかく不快だった。
今すぐあそこに居る全員を撃ち殺してやりたくなるが、まだその時じゃない。
やるのはアリアの安全を確保した後でも全く問題ないのだから。
「あいつらなにを言ってんだろ」
「少なくともまともな台詞じゃあるまい。アリアの首に刃物を押し付けおって……下衆が」
エルが忌々しげにそう吐き捨てるが、僕も似たような気持ちなのでちょっと共感してしまった。
ライフルは構えている。距離は200メートルしかない。
肉眼で見れば人間の大きさなんて小指の爪の先くらいしかないが、拡大された視界に映るターゲットの姿は十分に大きく、普段どおりの射撃を行うことが可能ならば目玉どころかその中央の黒目に命中させる事だって難しくない。
それでも、失中してアリアに当たったらなんて思うと手が震える。
昔読んだ小説でFBI所属の狙撃手がたった100メートル弱の狙撃に失敗して人質が死んでしまうエピソードがあったが、今になってその理由が理解出来た。
「なぁ、エル。あれやばくね?」
「あぁ、かなり不味いな」
ウィルが何かを言った瞬間、今まで金貨に夢中だったターゲット達が逆上してしまって今じゃ刃物まで持ち出しているような状況となっていた。
大方、金を払ったんだからアリアを開放しろ的なことを言ったのだと思うけど、これは本当にマズい。
このままだと近いうちにウィルの護衛が登場することになるだろう。
そうなれば囲まれていることに気づいたターゲット達が何をしだすか分からない。
「主っ! 今なら撃てるぞっ!」
エルの声に反応して視線を移せば、アリアを地面に転がして頭を踏みつけるターゲットの姿がちらり。
殺した後に落下した長剣で多少怪我をする可能性は否定できないが、撃つチャンスとしてこれ以上は絶対に無い。
銃身に装填しておいた魔力から即座にライフル弾を作り上げ、照準は体の中心である心臓をしっかりと。
ゆっくりと大きく息を吸い込み、体の力を抜いて余分な空気を肺から全て追い出し、全身から余分な力が抜けたこの瞬間だけ、僕とライフルは完全に静止する。
暗夜に霜が降るごとくなめらかに、魔術を撃発。
放たれた弾丸はおよそ認識するのが不可能な速度で空間を飛翔し、大気をかき混ぜて直径30センチメートルほどの円形のゆがみを作りながらターゲットの胸へと一直線に突き刺さり、人間が生きるために必要な臓器たちを破裂させるようにして引き裂いてしまう。
「命中だ。馬車から見て左奥の一番離れた奴がやや冷静だな。次はこいつをやってくれ」
「了解」
本当にあっさりとアリアの命を脅かしていたターゲットは命を散らし、代わりに彼女の命が保障された。
エルの言葉で命中を確認し、次のターゲットへと照準を合わせる。
気づけば手の震えも無く、これなら外す理由は全く無い。
大した気負いもせずに弾丸を発射。
「命中だ。少し左にズレてしまったが恐らく即死しただろう」
「ちょっと適当だった。気をつけるよ」
「うむ。残りはどれもほとんど変わらんな。撃ちやすいものからやってくれ」
「あいさ」
相変わらずターゲット達は自分たちが僕らのキルゾーンの中に存在していることを理解しておらず、ウィルに対してとうとう暴力を振るおうとした瞬間――そいつの頭が無くなった。
高威力の弾丸は人間の頭を吹き飛ばすだけでは威力を抑えきれず、その後ろにあった馬車を貫通して積荷の金貨をあたり一面に飛び散らせる。
飛び散る金貨と脳漿が作り出す光景は果たして幻想的といえるのだろうか。
もっとも、噴水のように飛び散ったそれらを呆然と見つめているのは彼らの人生における最大の失敗となるのだが。
立て続けに三発。
ロクに音もたてることなく放たれた弾丸によって一名が死亡、残りの二人は尋問に必要かと思ってそれぞれのヒザを打ち抜くに留めた。
この場所は生命の維持に致命的なダメージを与えるようなものではないが、神経が集中しているために絶え間ない激痛に襲われることになる。
少なくともこの状態でウィルやアリアに対して何かを行うことは不可能だろう。
仕事が一通り終わった後、慌てた様子で飛び出してくるウィルの護衛たちを見てホッと一息。
「ふぅ、オールクリアだね」
「あぁ、完璧だ。近くには敵も魔獣も居らんぞ」
「それなら帰ろうか。ウィルの護衛の人達が居るから後は任せちゃっても大丈夫でしょ」
「そうだな。どうせなら少し飲んで帰らないか? もう遅いからお店は駄目かもしれないが、ギルドの物販に行けば多少は置いてあると思うのだ」
「いいね。折角だからそこらの公園で月見酒でもしよう。名目は……うん、考えるまでもないか」
「名目なぞウィルとアリアの無事を祝ってに決まっておろう。さあさあ、早くマットとライフルを片付けてさっさとお酒を買いに行くぞ」
「ちょちょ、待って待って。なるはやで片付けるからっ!」
ごく当たり前のように人を殺しておきながら平然とお酒でお祝いというのは、日本でならありえないことに違いない。
だけど、この世界でならきっとそれでもいいと思うんだ。