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「――と、いうわけなのよ」
「なるほど、こりゃ確かに僕ら捕まるわ」
「先の警備員には謝らねばならんな。こんな事情があれば剣に手を掛けるのも頷ける」
アリアから聞いた大雑把な概要はこうだ。
二日前にアリアを含む三人で実習用の森からの帰還中、ちゃちな暗殺者四名とエンカウント。
魔術師相手だというのにロクな防備も持たないで襲ってきた彼らをアリア達が一掃して全員逮捕したのだが、次の日には全員が脱走というトンでもない事態に。
当然警備主任はブチ切れ寸前で探せとわめいているようで、そりゃあ警備室の雰囲気も悪くなるわけだ。とても納得できる。
そもそも学校の警備部なんて小さな部署が重大な犯人を保持し続けることに問題を感じなくもないんだけど、その辺は郷に入っては郷に従えってことなんかな。
気になるけどさすがに当の警備室の中で堂々と聞くのはあれだからあとでいいや。
結局、この事件が発生したせいで周辺の警備は物々しく感じる程度まで強化され、IDを持たない僕らなんかが人気の少ない路地を歩けば後はお察しという状況だったわけだ。
――そう、この都市にはIDを用いた入退管理システムが存在するのだ。
やり方はぶっ飛んでるがいたって単純で、ユニークIDを保有する魔道具と市壁の変わりとして用意された非常に薄っぺらな魔力障壁チックなものを組み合わせることで実現している。
何かが魔力障壁を通過するタイミングでIDチェックを行い、当該ユーザが存在する場合はそのユーザ名を出力し、そうでない場合は状況に対応した応答を出力する。
この応答を管理するのが門番という役職でなかなかに競争率の高い職らしい。
なんでも仕事の負荷が軽いのに高給金などといった噂と事実が入り混じった話が関係各位に広まってるのが原因だそうで。学生のうちからそれとか世の中世知辛いです。
データセンタのインターンに参加した一つ上の友人の様子を見る限り監視という職務は決して楽な仕事ではないと思うのだが、夢を見るのは学生の特権ということか。
僕らとしてはそんな巨大な魔力障壁をどのように展開しているのかが気になって仕方ないけど、非常に高レベルの軍需機密であることは疑いようが無いので諦めた。
「とりあえずここに居るのは息が詰まるわね。場所変えましょ」
「ん、了解」
その意見には激しく同意。
こんな空気の悪いギスギスとした環境に長居してたら気分が悪くなりそうだ。
さくさくと迷い無く歩くアリアの後ろをひな鳥のように着いていくことおよそ10分強。
多少という表現では生ぬるいほど広大な面積を持つ学校には恐らく多種多様な施設が存在することが容易に予測できるが、たどり着いたのは何処の学校にも存在するごく当たり前の施設だった。
……要するに図書館のことなんだけど。あまりにも学校が広いのでこんな表現をしてみたくなったのよ。
図書館はちょうど大学の施設のような感じで、物凄く広いということも無ければ海外のみたくむやみやたらに荘厳ということも無いがその分利便性は高そう。
オーストラリアのミッチェル図書館とか本を持ってくるだけで一苦労だったからな、ああいうのじゃないのは良いと思う。
なんで図書館なのかといえばそれは単純で、パブリックかつウィルが居るから。
「相変わらず真面目ねえ。ウィルってばそんなんで息つまらないの?」
「長期休暇明けであんまり頭がサッパリしてないからね。こういうときこそ勉強が大事――って、ええっ!? ユートさんにエルシディアさんじゃないですかっ!」
「久しぶり、っていうほどでもない気がするけど」
「あれから一月も経ってないからな。でもまあこういう再会の表現としては間違って無かろう」
ウィルの机の上には平積みになった参考書と開きっぱなしになったノートがいくつか。
ノートにはカラーペンで彩られた小さな字がみっしりと書き込まれていて努力のほどが伺える。
僕らが来たことで勉強する気がなくなったのか、手に持っていた本をパタンと閉じてから参考書の上に重ねると僕らにも席を勧めてくれた。
「でね、ウィルのとこに来たのは例の事件でユート達にも協力してもらおうと思って」
「あのさ、アリア。確かに僕も会えたのは嬉しいけど協力してもらうのはまずいでしょ」
「え、でも」
「冒険者の二人に払えるお金は……実家に頼めば確かにあるんだろうけど、僕らの範囲では前みたいな額しか払えないし、なにより何をしてもらうつもりなのさ」
確かにウィルの言うとおりだ。
まさか学生である二人についているわけには行くまい。授業参観じゃあるまいし。
「お金のことはともかく置いといて、アリアには“手伝えることがあるなら手伝うよ”って言った手前言い出しづらいんだけどさ、この事件って僕らの関わる余地がほっとんど無いよね……」
「もう事件として認識された上で専門の機関が動いてしまっているからな。専門技能を持たない一介の冒険者に出来ることといったら護衛代わりにくっついて回ることか、指定された目標を吹っ飛ばしに行くことくらいしかないぞ」
「むしろ僕としては折角ウィスリスまで来てもらえたんだから名所の案内とかしたいですよ。こんな事件に関わってあれこれするよりも絶対楽しいです」
「あ、それ僕ら助かる。でもそれだけだとやっぱ悪いから今回の件でなにかしら協力できることがあればすぐ言ってもらって構わないよ」
「なんだか割に合ってない気がしますけどユートさんがそういうなら……」
それなら早速行きますかというウィルがてきぱきと参考書を本棚に戻していき、“さあ向かうぞ”というところで図書館のドアががらりと開いて一人の男性が入ってきた。
しばらく何かを探すような目つきで見回した後にこちらを発見すると視線がロックアップされたのでウィルかアリアに対してなんらかの目的があるようだ。
「グレイ……」
「こんなところでまた勉強か? あまり意味があるとは思えないな」
「そんなのウィルの勝手でしょ。私ら今から遊びに行くんだからほっといて」
「大体その後ろの見慣れない二人はなんだ。まさか神聖な学び舎に冒険者風情を入れたというのか?」
「ここは学び舎じゃなくて図書館、一般の人も入れるのよ?」
あの、会話からは少しも同級生、もしくは同学校のよしみってもんが感じられないんですが。
施設の性格を考えるとグレイという少年の年齢はウィルと同じくらいだと思うのだが、独特の偉い人オーラが漂っているせいでやや高めに感じられる。
暗めの赤髪に青い瞳、顔つきは鋭く眉目秀麗という言葉がバッチリ来るほどなんだからもう少し愛想を見せればいいのに。
こちらを見るときの蔑んだような目つきもなかなかにレベルが高いと思うよ。
この世界に来てからいつもいい人にばかりに会ってきたけど、今度こそ外れを引いた気がする。
さすがに21年も生きてればこんなの笑って流せるくらいのものだけど中学生かそこらのウィルやアリアにはかなりの負担になってしまうだろう。
「アリア、あまりそういう低俗な人間と触れ合うのはオススメしないな」
「それこそ私の勝手ね。ほら、ウィルも引っ込んでないで行きましょ」
いらだった様子のアリアが彼を無視して進もうとしたところで手首が掴まれる。
「待ちたまえ」
「はぁ……。もう面倒だから用件があるなら全部言ってくれない?」
「この間の件で暗殺者の逃げた先が分かった」
「で、それは警備主任に言った?」
「あんな間抜けに任せられるはずが無いだろう。俺達で捕らえに行くほうが良いに決まっている」
「今から遊びに行くんだけど」
「そんなことよりも優先されることがあるのが分からないのか?」
『これはいきなり僕らの出番じゃない?』
『うむ、これはまさしく主と妾の出番だな。いつまでも付きまとわれるとおちおち観光もしてられんし、さらっと済ませてしまおう』
『全くだ。警備の人には伝えなくても大丈夫かな?』
『一夜にして逃亡させるような存在がどれだけ役に立つか分からん。案外そこのグレイとかいうのの言葉は正しいのかもしれないぞ』
「二人ともそれ受けちゃいなよ。案内代金ということで僕らが前に出るから。本音を言えば警備の人に話して一緒に行くのがいいと思うけどそっちの彼はそれが嫌なんだろ?」
「ちょ、ユート?」
「確かにユートさん達が一緒に来てくれるなら幾分気楽ですけど……」
「なら決まり。僕らとしてはさらっと流してさっさと観光の案内をお願いしたいからね」
◆
僕らに対しては「冒険者風情がっ」なんて態度を取るグレイ君だが、どうもアリアには弱いようでいまひとつカッコがつかなかったりするのには笑ってしまう。
本人の実力がどの程度かは想定しかねるが、少なくともウィルやアリアよりも攻撃魔術に優れた素質を持つとは本人談。
やってきたのは学園都市の北端ギリギリ、この辺りになってくると利便性の低さから人の流れもかなり減少してくる上に建物のデキも悪く、半分崩れてしまった家なんかも結構目立つ。
単体で見ればきっと魅力的な廃墟だと思うのだけど、なまじ中央部および南部の整然とした都市がある分かなり不気味な印象が強い。
嫌々といった様子のグレイに案内されて到着したのはそんな寂れた区画に存在する一軒家。
大きさは日本の二階建ての住宅くらいで、ほかの建物とは異なり人が住んでいてもおかしくない程度まで整備されている。
門のところに“売り家”の看板が掛かっていたのと、これ自体がグレイの一家が保有するものでなければ入ろうとも思わなかっただろう。
相手さんが逃げ出したときのことを考えて学生三人組には正面入り口に待機してもらい、僕らは裏口へと移動。
残念ながらバックドアも無ければ窓も開かないので窓ガラスを割る許可をグレイに貰ってから侵入開始。
かんぬきで閉ざされた換気用の窓の一部を炎でめらめらと暖め、次に冷水を利用して一気に冷ますと小さな音を立てて窓ガラスが砕けてピンポン玉ほどの穴が出来る。
あとは怪我をしないように注意しながら手でかんぬきを外せば簡単に窓が開く。いっついーじー。
『さくっと侵入しますかね、っと』
『こんなやり方を知っているなんて……主は本当に学生だったのか?』
『失敬な、僕は間違いなく情報系の学生だったとも』
するりと体を滑らせるようにして室内へと侵入。
入った部屋はどうやら調理場みたいなのだが、売り家にも関わらずベーコンや小麦などの食料品が詰まった袋があったりして、既に誰かがここを利用していたことが見て取れる。
ただし、このむせ返るような血の臭いだけは頂けない。
腰のホルスターから軍用懐中電灯を引き抜いて調理場のドアへと向けながら右手の指先に魔力を集中、いつでもショットガンを発射可能な状態にする。
『エル、引いてくれ』
『うむ』
調理場のドアをエルに引いてもらえばその先は地獄のような光景が待っていた。
初めの内はそれ理解できずに趣味の悪い内装くらいに思ったのだが、よく見ればあちこちが黒ずみ始めているせいでそれが血液だとようやく理解できた。
壁という壁、床という床の全てに赤黒い血痕が飛び散っている。
一体どんな神経をしたやつならこんな光景を生み出せるというのか。
『エル、こりゃマズイ』
『腐臭が無いということはごく最近だな』
『暗殺犯があっさり逃げ出したことや居場所が簡単に分かったことも含めるとこれ自体が学生を狙ったトラップだったかもしれない。エルは一度戻ってくれ』
『了解だ。……主なら大丈夫だと思うが、気をつけるんだぞ』
『ありがと、こんなとこで死にたくないから重々気をつけるよ』
急いで学生達の所へと戻るエルを見送り、再び僕は室内へと踏み込む。
『エル、そっちは大丈夫だった?』
『全く問題ない。せいぜいグレイがわめき散らしてるくらいか。そっちはどんな感じだ?』
『階段の段々まで全て血まみれな件について。一体何をやったらこんな風になるんだろ』
『世の中には血を塗料代わりにして楽しむような悪趣味極まりない危険物が居るってことだろう』
薄暗い室内を軍用懐中電灯の光で照らしながら二階への階段をゆっくりと上る。
上がった先は左右に二部屋で、死体を引き摺ったような後が左の部屋へと続いていた。
「うわっ……」
覚悟を決めて左の部屋のドアを開けると二段ベッドが二つ。どうやらここは寝室だったらしい。
右のベッドは全く使われておらず、左のベッドには抱き合った男女の死体が転がっている。
どちらも首の辺りがばっさりと切られているせいでギャグのような首の向きになっていて余計に気持ち悪い。勘弁してくれ。
正直正視に堪えないので隣の部屋を見たが、こちらには何も無しでがらんどう。
血もなければ死体も無く、気持ち血臭も薄い気がして思わず深呼吸してしまった。
再びねちょねちょとした階段を降りて調理場の隣の部屋へと移動。
暖炉にテーブル、イスが六脚。小さな本棚にはいくつかの娯楽小説が詰まっているところをみるとここはリビングか何かだったのか。
安楽イスにはこちらに背を向けた男性が居るが生存は絶望的だろう。
ショットガンからフル出力のスタンロッドに切り替えてゆっくりと近づき、男性の肩を叩くと予想通り冷たくて安心してしまった。
その後全ての部屋を確認したが多少血が飛び散っている程度で何も無し。
『三名確認した。全員死んでる』
『これ以上はどうにもならんな。一度戻ってきてもらっても良いか?』
『了解。すぐ行く』
入るときとは違って玄関の鍵を開けてそのまま退出。
急いでエルのほうへと走ると学生らの顔色は全くもってよろしくない、グレイにいたっては顔面蒼白で見てるこっちが心配になってしまうほど。
「エルから聞いてるかもしれないけど中は血まみれでそこらに死体が転がってるとんでもない有様だったよ。教育上よろしくないので中の見学は諦めてもらっても?」
「こんなことに巻き込んでしまってすいません……」
「ウィル、これは自分で関わりに行ったことだから気にしてないよ。それよりも今は皆が危険だから急いでここから離れよう」
「それがいいわね。――ほらっ、グレイもしゃんとする」
「あ、あぁ……」
これからのことを考えるとため息を吐きたくなってしまうが頑張ろう。
まずは警察相当の人らに懇切丁寧な状況説明からだな、きっと。