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王都を見たときに都会的な印象を持った人がこの都市を見たとしたら、その第一印象はきっと大学の構内を見た、というようなものになるのだろう。
住民の息を詰まらせたりしないように配慮したのか建物の類はかなり分散されており、その結果生まれたスペースには花壇やベンチ、噴水といった設備があちこちに用意されていてその美しさに思わず目を奪われる程。
そういった内向きのインフラにお金が使われているわりに、外向けの設備は見た感じ少ない。
所々に防衛用と思しき石造りの塔が建っていたりするものの、ほかの都市とは異なり全体を市壁で覆っていないのだ。
魔物が跳梁跋扈するこの世界、無防備都市宣言は安全保障上の不安を感じなくも無いのだが、この都市が長い歴史を生き残ってきたということは何らかの見えないシステムがあるんだろう。
「うわ、凄いね」
「今までの街とは比べ物にならんな」
「そうだろう、そうだろう。なんたってこの国唯一にして最大の学園都市だからな。住民も大半が学生だし、ほかも俺らみたいな研究職の奴らが集ってるから年齢層やら職種やら、何もかもがほかの場所とは違うんだ」
リュースさん言葉を受け、街並みそのものではなく街路を行き交う人々の姿を見てみれば確かに学生くらいの年齢層が非常に多い。全体の六割くらいか?
ほかには商業系の人達がベンチで談笑していたり、地面を使って学生の質問に答えながら講義を始めてしまっている教授などを見ることが出来るが、夕飯の材料を求めて店主としばきあうご婦人の姿などはほとんど見られない。
「ほら、こんなとこで呆けてないで喫茶店でも行こうぜ。アレだけの魔物から守ってくれたというにはいささかショボイお礼だがおごるからさ」
「それは嬉しいな。ついでに宿の場所も教えてくれないか? 主もまさかとんぼ返りするつもりはないのであろう?」
「もちろんそのつもり。前の依頼で一緒だったウィル達と会う約束もあるし、しばらくは観光かな」
「ふふっ。楽しみだ」
喫茶店で奢られるケーキを頭の片隅に浮かべているのか、にやにやとした表情のエルと共に向かった先はなかなかの高級感を持ったところだった。
パステルカラーをフル活用した明るい店内は木の温もりを感じさせつつも落ち着いた印象で、ケーキやクッキーの焼きあがる香りとの相性も良い。
店内は午後のまったりとした時間を喫茶店で過ごすことに決めたらしい学生グループがいくつかある程度、座席の埋まり具合がまばらなのは店主的にはともかく僕らには嬉しい。
「ここのベークドチーズケーキが美味いんだよ。ユートやエルもこれでいいか?」
「オススメされたからには選ばない理由がありませんね。美味しいならなおさらです」
「うむ。主の言うとおりだ」
席に座るとメニューを見る間も無く注文を取りにウェイトレスがやってきたのでこれは助かった。
周りのグループを見ても同じメニューっぽいのでもっぱらこれを頼む人が大半なんだろう。いかにも学生街らしいなぁ。
「にしてもケーキなんて奢ってもらっちゃっていいんですか? ガルトや王都じゃクッキーみたいな単純な焼き菓子ですら高級品でしたし、ケーキとなるとエラい値段がしそうなんですけど」
「そうじゃなきゃ格安で護衛を受けてくれたお礼にならん――って言いたいんだが、ぶっちゃけここ学生街だから安いんだよ。ここのケーキも一個銅貨5枚なんだ」
「なんですと」「なんだとっ!」
いかん、思わず机に手を突いて顔を近づけてしまった。
「うわっ、近い近い。最近の話だが砂糖を精製する魔道具が開発されたおかげで手軽に使えるようになりつつあるんだ。研究開発した製品の恩恵が最初に得られる、まさに学園都市って感じだろ?」
「主! これはしばらく滞在してこの都市を食べ尽くす必要があるぞっ!」
「非常に同意できる意見だっ!」
「……おまえら真面目そうな顔つきに似合わず意外とノリがいいよな」
そりゃあもちろん食べるために生きてる二人ですから。
おいしいものがあるならたとえ火の中水の中、瘴気溢れる危険地帯にだって行ってみせる。
「お待たせしました。チーズケーキと紅茶になります」
「あぁ、ありが――」
「どうかされましたか? リュース教授。職務を完全に放棄して学生と遊んでいたことなら、怒っていませんよ?」
ケーキと紅茶を持ってきた人は先ほどのウェイトレスの人とは違う人だった。
特徴は――鬼の形相でリュースさんに対して怒りを振りまいているところか。
切れ長の目はエルと同じ緑色で薄青の髪は肩までのセミロング、全体的にキツそうな雰囲気をかもし出しているものの美人、だと思うんだ。たぶん。
所々赤茶けたシミのある白衣を身に纏い、女性としては平均的な体全てを利用して怒りを表現している姿は確かに恐ろしいものがある。
ただし、なんだろうこの違和感は。
ほのかに香るラブコメ臭とでも言えばいいのか。
確かに鬼の形相で怒っているし、リュースさんが口答えをするたびに頭を引っ叩いているのだけどその勢いが少ないというかなんというか。
怒りの裏に見え隠れする好意みたいなのがチラついてるような気がしてならないのだ。
「ちがっ、二人は俺の護衛の冒険者で――」
「そんな格好をした冒険者が居るなんて本気で言っているんですか? どう見ても魔術科中等部の学生でしょう」
「ユートからも何か言ってやってくれ!」
『なあ、主よ。これはひょっとして痴話喧嘩ってやつじゃないか?』
『実は僕もそうなんじゃないかと思ってる』
もてる男は限りない苦労をすればいいのに。
なんて思わなくも無いのだけど、これ以上あれがエスカレートするのは頂けない。
スープの次は紅茶を頭から浴びるとか避けたいし。
「リュースさん、これどうぞ」
そういって渡したのはギルドカード。
これを見ればそこの人も僕らが学生ではないことくらい納得してくれるはずだ。
学生が冒険者ギルドに所属可能な場合はその限りじゃないが、僕らの身分証明書ってそれくらいしかないからなぁ……。
「助かったっ! ほら、ミレイ。これでも二人は一流どころの冒険者なんだって」
鬼の形相をした女性――ミレイさんはギルドカードをちらり、そして僕とエルをちらり。
再度ギルドカードに目を通してから再び僕をちらり。
「信じられません……」
「わざわざカードまで出してもらった二人に悪いから最低でもそこは信じてくれ。大体どうして俺の居場所がわかったんだよ」
「門番のタイラルがすぐに連絡してくれましたよ」
「くそっ、あいつなんてことを」
「しっかしホント美味しい。こりゃ本格的に食べ歩きが必要でしょ」
「この町にあるかは知らんが、妾としては主が前に話してたフランボワーズのクリームチーズケーキが食べたいな」
「なるたけ探してみよっか。見つからなかったら僕が作るよ」
「いいのかっ!?」
「うん。フランボワーズはこっちだとフリアって名前で売ってるのはもう確認してるし、フィルチーズはたぶんクリームチーズに近い感じっぽいから何とかなると思うんだ。そういえばゼラチンってあるんかな?」
「えっと、ゼラチンというと確かスープとかを固めたりするときに使うアレのことだよな?」
「そうそう、その様子だとありそうだね。クッキーは結局作る時間が無かったから駄目だったけど、今度は長居する予定だから適当に時間を見つけよう」
「なんでこの状況でケーキの話で盛り上がってんだよっ!」
「むしろ食べ物の話をしないで何をしろと? 甘味が気軽に食べられるというのは恐ろしいまでのインパクトを秘めた事実なんですよ?」
「いや、そんな風に力説されても良くわからんし、たぶんそうじゃねーから……」
◆
「さて、俺らは帰るけどユート達はどうする? 古代遺跡のことをあれこれ聞きたいんであれば一緒に来てもらっても構わんけど」
「それはそれで興味アリですがまずは宿を取らないとなのでそっち行ってきます」
「そうか。ま、第三研究所なんていつも閑古鳥が鳴いてるような泣ける状況だからな、適当に暇になったら遊びに来てくれ」
「ええ、それではまた」
馬車に乗り込んで中央の研究所に向かうらしいリュースさん達に手を振ってさようなら。
あの様子だと帰ってからもきっと大変だろうな。きっとビシバシやられるに違いない。
「んじゃ、僕らも行こっか」
「そうだな」
きっちりとした区切りはないが、この都市の北側は研究所および学校が集中して乱立したコア部分となっており、南側の一部区画にのみ一般人が利用するための宿屋などが用意されている。
また、一部区域は事実上貴族専用らしいので都市観光を行いたいならその辺に気を使わないと非常にめんどくさいことになってしまいそうだ。
リュースさんからオススメされた宿はいくつか存在していたが、その中で選んだのは南区の中級クラス。
一泊銀貨一枚半と決して安くは無いが、バックパッカー向けですかと聞きたくなる様な安宿に泊まるのは治安衛生その他もろもろの都合で嫌なのでほかに選択肢は無かった。
「なかなかいいところではないか」
「同感。リュースさんがあんまり綺麗じゃないって言ってたけど十分過ぎるほどだよね」
推薦されただけあって内装が充実していたのは嬉しいところ。
イスもテーブルも用意されているので前みたいにベッドの上でリンゴをむいたりする必要も無く、埃まみれの室内を自分で掃除する必要も無いし、水浴び場がカビだらけということだって無い。
「一階に下りれば浴場もあるし、一通り必要なものは揃ってるっぽい?」
「うむ。強いて言うなら食堂が無いな」
「それは食べに行く楽しみがあるということで――とうっ」
毎度おなじみふかふかのベッドに向かってダイブ。
うつぶせに突っ込むとさらりとした清潔なシーツの肌触りがめちゃめちゃ気持ちいい。
ベッドも綿がしっかりと詰まったグッドな品質で、体を包み込んでくれるのが快感だ。
「ぬぁー……。快適だ……」
「確かに気持ちいいのはわかるがちょっと行儀が悪いぞ?」
「ん、確かに」
もっともな意見なのでベッドに足をつけないように注意しながらぐるりと体を反転させて起き上がる。
「さて、これからどうするのだ?」
「んー……。野宿になる危険性も無くなったところでウィルのところに顔出しに行く? ついでにこの都市の見所でも聞いちゃおっか?」
「それはいいな。何も知らないであちこちを回るより、ここを良く知る者に見所を聞いてから歩くほうが何かと楽だ」
楽しげなエルの同意を得られたところで貰った地図を頼りにウィスリスの街路を歩く。
これ自体は非常にわかりやすく作られていて、実際途中までは非常にスムーズに歩くことが出来た。
「おかしい、この辺のはずなんだけど」
「確かにこの向こうは建物なんだろうが……」
最後の一歩――ウィスリス魔術学園中等部正門――が見つからないってどういうことなんだろ。
カーナビでいうならそろそろ“目的地に到着しました。案内を終了します”なんて音声が出力されてもおかしくないほど近づいているはずなのだが、一向にその右折ポイントが見えてこない。
なんせ、右に入ろうにも豪邸としか思えないの施設の生垣がずーっと続いてるのだ。
入るに入れん。
「通りの右手側に入り口があるらしいけどさ、最後の目印曲がってから生垣以外に何も無いんだけど」
「一体入り口は何処にあるのだろうな。……大体この生垣って何の意味があるのだ? 超えたところで森が広がっているだけではないか」
「きっと中は遊歩道になっててお金持ちたちが安全にネイティブな環境を楽しめるようになってるんじゃない?」
「おい、そこの二人。こんなところで何をしてる」
警戒心というものをあらん限りに詰め込んだ印象の呼び声が聞こえて足を止める。
僕らを呼び止めたのはこの都市の警備員と思しき若い金髪の男性。
丈夫そうな皮で作られた上下に銀色の胸当てがアクセントになっててなかなかカッコいいんじゃないかと思うのだけど、お腰に付けた刃物に手を掛けながら話しかけられるとなるとなかなかシンドイ。
「何って言われても友人に会いに来たくらいですけど」
「証明できるものはあるのか?」
「んなものあるわけなかろう」
「……エル。あんまり攻撃的な切り返しはマズイでしょ」
「主だって普段と違ってイラっとした様子で返していたではないか」
「そりゃあんなどう見ても“お前盗人だろ”みたいな目線で呼び止められたらああもなるよ」
刃物に手を掛けた男性がこちらに近づいたときの感情が恐怖ではなく怒りになってるあたり随分異世界慣れしてきたなぁ、なんて。
「悪いが少し来てもらおうか」
「ええ、構いません」
ふと思ったのだが「証明できるものはあるか?」という問いかけは身分証明書のことだったんじゃなかろうか。
もしそうだとしたらさっきの回答はこちらに対する警戒心をイタズラに上げるだけの結果となってしまった気がする。失敗したかもしれん。
覆水盆に返らずな気持ちになりながら男性の後ろについて歩いてくと――警戒してるのかしてないのか良くわからん――やがてたどり着いたのはウィスリス魔術学園中等部の警備室。
良くある中学校の用務員室のような感じの室内には掃除用具もあったりするのであながち僕の想像とそう変わらない目的で利用されていてもおかしくはない気がする。
――ちなみに、僕らの目的地はウィスリス魔術学院中等部である。
何故僕らが目的地に到達できなかったかというと、恥ずかしい話なのだが曲がる場所を間違えていた。
“テルミラ魔術用品店”ではなく“テルミル魔術用品店”で右折してしまっていたのだ。
なんともマヌケなことで。
「こりゃなんかあったのかもね。いくら僕らが不審者に見えたとはいえこれはやり過ぎだよ」
「確かに。詰め所の中も妙にピリピリとしたいただけない雰囲気を感じるぞ」
「来るときは魔物の列を突破してついてからもこれとか、タイミング悪いなぁ……」
セキュリティ意識が欠片ほどもなさそうな先ほどの男性は僕らをイスに座らせるとどこかへと消えてしまったのが他人事ながら心配でならない。
もし僕らが悪意あるユーザーだったとしたらとんでもないことになりかねないぞ。
実際にはそんなことせずにおとなしく待っているとドアの向こうでなにやらやり取りが始まった。
片方は間違いなく先ほどの僕らを連れてきた男性で、もう一人はどこかで聞いたことのある少女の声。
「なあ、主。この声ってまさか」
「うん、たぶんそうだよね」
「大体呼んどいて危険がどうのってそれこそどうなのよ。そもそも自分で何とかできたくらいなんだからこれくらい大丈夫に決まってるじゃない」
「で、ですが」
「ですがもしかしも――って、ええっ!?」
ガチャリとドアを開け放った少女には確かに見覚えがあった。
「ひょっとして、アリア?」
「ええ、私だけど」
「こんなところで会うとは思わなかったぞ」
「私も思わなかったわ。っていうか何で捕まってるの?」
「僕らも良くわかってないんだよ。二人に会いに行こうと思ってウィルの地図を参照しながら歩いてたらとっ捕まった」
「……ごめん。それ、私のせいだと思うわ」
苦虫を噛み潰したような表情を浮かべながら肩を落としてため息をつくその姿を見て「僕らに手伝えることはある?」なんて聞いてしまったのはきっと仕方が無いことだと思うんだ。うん。
拝啓、今も茨城で脳みその研究に勤しんでいるに違いないお父様、お母様。
どうやら僕は、この都市でも若干ながらトラブルに巻き込まれにいってしまいました。
たまには何のトラブルも無く観光を楽しみたいと思っているのですが、なかなか世の中上手くいかないみたいです。