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「んっ……ぅう……。あれ。主?」
「おはよ、エル。体調はどう?」
つい半日ほど前まで高熱にやられていたというのに、エルの顔色は決して悪いものじゃなくなってるあたり解熱剤は説明書通り精霊にも効果的だったらしい。
「そう、だな……。倒れたときに比べたらかなりマシな感じか。まだ不自然なところが残ってはいるが、少し体を動かすくらいならきっと大丈夫だ」
「どれどれ……。うん、確かに良い感じに熱が下がってるね」
額に掛かった髪を軽くよけて額に手のひらを乗せれば、顔色に見合った程度の熱を感じる。
手のひらの変わりに額をくっつければもうちょっと詳細にわかるのかもしれないけど、それはちょっとだけ恥ずかしいのでパス。
「ふなっ! ぁ、主、一体なにをっ!」
「え? 熱をチェックしただけだよ。まさかわきの下とかに手を突っ込むわけにはいかないでしょ」
「だ、だからってそんな額にくっつけぅ、くっ付けるなんて」
「そんな顔赤くするようなことじゃなくね?」
前にエルの髪を手で撫でたときも額に近い場所を触っていたような気がするんだが、この反応を見た限り、どうやら髪を触られるのと額を触られるのの差は想像してた以上に大きなものらしい。
わたわたと慌てるその体で毛布が飛ばないようにやんわりと抑えていると
ぐぎゅるるるぅぅぅ
鳴った。それも盛大に。しかも僕じゃない。
盛大に鳴らした本人は先ほどまでの暴れ方がウソのように静まり返ってしまった上、毛布で顔を隠してしまったが、そんなことしたところで鳴ってしまったお腹の音を隠せるはずも無く。
「……くぅ」
「エルは倒れてから軽く見積もっても半日近い時間が経過してるからね。そりゃおなかも減るよ」
「だからってこのタイミングは無いだろうっ! いろいろ台無しだっ!」
「まぁまぁ。スープが余ってるからそれ食べてちょっと落ち着こうか」
起きたときに食べるだろうと思って用意しておいたキャベツとバラ肉のコンソメ煮はすっかり冷えてしまったせいでバラ肉の油が白く固まって酷い見た目だが、魔力コンロ――グリル台の下で魔術を使っているだけ――にかけてしばらく暖めるとその油が溶けてコンソメ特有の良い香りが辺りへと広がりだす。
我慢できなかったのか、途中で鳴ってしまった二度目は聞かなかったことにしよう。
「ほら、熱いから気をつけて」
「……うぅ。ありがとう」
顔を真っ赤に染めたエルがゆっくりとカップを手に取り、はふはふとスープを食べだす。
一度温度が下がったおかげでコンソメがバラ肉やキャベツの奥深くまで浸透し、その代わりにコンソメスープにはバラ肉のうまみやキャベツの香味が染み出すのでアウトドアで食べられるようなものの中ではそれなりに上等なメニューだと思うんだ。
「凄く、美味しいぞ。体に染み渡るようだ」
「良かった。しばらく無言だったから口に合わなかったのかと思ったよ」
「主が作ってくれたのだからそんなことがあるはず無かろう。それより主は食べないのか?」
「僕はちょいと前にリュースさんと食べちゃったから大丈夫」
「そうか。それならもう一杯貰っても?」
「もちろん」
今度は先ほどより多めに注いだスープを渡し、僕はポケットから取り出した軍用懐中電灯で利用するリチウム電池を取り出してため息を一つ。
「ため息なんて珍しいな。妾が寝てる間になにかあったのか?」
「あのさ。今まで僕はこのバッグが現代日本のものだと思ってたんだけど。ひょっとするとそれは正しくないんじゃないかと」
エルが倒れてからおよそ半日ほど。
リュースさんはひたすらに資料を読みながら何かのレポートらしきものを書いていたので邪魔をすることも出来ず、解熱剤の件があったので自分の持ち物の再チェックをしていたのだが、自分の世界のものと言い切るにはちょっとしんどい文言が多々見受けられてしまったのだ。
携帯用浄水器の裏面やリチウム電池のラベルには非常に小さな文字で“爆発しかねないから魔力を込めて使うな”というような文言が記載されていたり、スティック状のケミカルライトには“魔力を注ぐことで持続時間と明るさを向上させることが出来る”などと、現代にはありえないような魔力に関する記述があったのだから。
そんなことをぺらぺらと掻い摘んで話したのだが、よくよく考えればエルは英語が読めないのでリチウム電池を渡したところで渋い顔をされただけで終わってしまった。
ちなみにケミカルライトに関しては試しに一本折ってみたところ全く光らず、首をかしげたところでパッケージを確認したらカラーがIR(赤外線)だった。
そりゃ光らんし、本体の樹脂も妙な赤紫色だったワケだ。
「仮に主が言っていたことが正しいとしても最終目標を考えるとこれからやるべきこと自体は変わらないのではないか?」
「うん。エルの言うとおり僕の取れるアクションに関しては全く持って換わらないんだけど、こう、なんだ、心の拠り所的ななにかがガラガラと崩れちゃった気がして」
「なぁ、主よ」
「どした? 塩っ辛いスープでのどが渇いたのなら水もあるよ」
「主のスープはそんなことなくて美味しい。ってそうじゃなくて、心の拠り所というのはだな、その、妾じゃ駄目なのか?」
凄い。
何が凄いって熱のせいか薄く染まった頬と潤んだ瞳、そんな普段と違った印象のエルにそんなことを言われると普段とのギャップが凄い。
思わず抱きしめてしまいたいなんて思ってしまったのを何とか留める。
「心の拠り所というのは頼れる相棒ということだろう? 確かに妾は今回の依頼でマヌケなミスを犯したせいで依頼失敗の直接的な原因になってしまったと思う。だが、だがだぞ? そんな意思も持たないようなモノのほうが主は良いというのか?」
「待って待って、なんで“心の拠り所的な何か”の意味が頼れる相棒になっちゃうんだよ。前にも言った気がするけどエルは僕にとってベストで無二の相棒だかんね」
「そ、そうか? でも今回の依頼は妾のせいで失敗してしまったぞ?」
「それ言っちゃうと僕のほうがミス出しまくりなんだけど。それに依頼自体は失敗だったけど室内のオーガを倒して今後の安全に貢献したということで報酬はむしろ増えてるんよ」
「……それ、大丈夫なのか?」
「いいんでね? 失敗は失敗だからギルド内での評価は気持ち程度あるかもしらんけど、もともとノーミスを維持できるような冒険者なんて限られた上位さんだけだから土台僕らにゃ関係ないし、これから頑張ってけば全く問題にすらならない程度のモンでしょ」
「そうか、そうだな。うむ、妾も頑張るぞ」
「頑張るのはいいけどまずは寝てくれ。さっきの感じだと熱も残ってるし、体だってまだまだかったるいところがあるんだろ?」
くるくると表情の変わるエルの頭をぐりぐりと撫でながらいつの間にか吹っ飛んでいた毛布をエルの体にかける。
「主、ありがとう」
「ん、どういたしまして」
◆
翌朝、意外と早い時間に到着した迎えの馬車に乗り、さくさくとガルトまで帰って依頼失敗の報告を入れるとカーディスさんはかなり驚いた顔をしていたが、その後の報酬を見たときはさらに目が点になっていて笑ってしまった。
ま、細かいことは全てリュースさんがぺらぺらと対応していたから具体的に何を話したのかとかはわからんけど、あの表情を見た限りそうとしか思えない。
その後はゆっくりする間も無く、とんぼ返りのように再び馬車へ乗り込みウィスリスめがけて出発。
病み上がりのエルには多少キツイかもとは思ったが、本人曰く元気満点で今すぐ全力で活動が出来ると言い切ってくれたのでそれを信じることにした。
実際、昨日の姿が実は幻だったんだよ説が頭の中に浮かぶほどなので心配は要らない気がする。
そんなエルは相変わらずがたがたと揺れる馬車の屋根の上で揺られながらもガルトで買ってきた謎肉入りの揚げパンを齧りつつ、周辺の警戒をしてもらっている真っ最中だ。
「いやはや、まったく。この街道は“やや危険”だったっけ?」
「少し考えれば“やや”で済むはずが無いことは主だってわかっていただろう?」
「本当に二人を雇ってて良かったわ。こりゃ想像以上にヤバイ」
ガルトからの場合、ウィスリスへのルートは二本あるそうだ。
一本は王都を経由して向かうスタンダードなルート。
もう片方はガルトからウィスタ大森林を突っ切るようにしての直通ルート。
前者は7日程度、後者の場合は2日程度で到着できるのだから確かにその価値は大きい、それは認める。
だが、最近ウィスタ大森林の外側辺りに魔獣の集落が出来ており、それを制圧するために冒険者を集めているような状況下で後者のルーティングをとるメリットは果たしてあるのだろうか?
「本当に安請け合いしなくてよかった。これをいつも通りのコストで受けてたら割に合わない」
「妾としてはたまにならこんなのを受けるのも悪くないと思うのだが」
「……女の子にこういうのもどうかと思うけどさ、エルって本当にたくましいよね」
「妾を女の子扱いしてくれるのは嬉しいが、それは本当に言うようなことじゃないぞ」
ジト目で見つめてくるエルに笑い返しながら進行方向右手より突撃してくるオーク二体に対して氷柱による射撃を試みる。
.338lapua並みの破壊力を持ったそれは小枝や葉っぱなどで構成されたブッシュをティッシュのごとく突き破り、十分なエネルギーを維持したままオークの大腿部へと命中する。
デカくて白いシルエットが地面とお友達になって悲痛な叫び声をあげたので追撃の必要はあるまい。
続いて二匹目のターゲットへと氷柱を射出。
先ほどのズレを調整してから放った結果、狙い違わずオークの頭に突き刺さって脳漿を撒き散らしながら地面へと転がる。当然ながら悲鳴は無し。
「ほれ、主。10時方向から狼の類がわっさわっさと出てくるから早く迎撃の準備を。数が多いので爆発物の投入を薦めよう」
「了解。距離は――120くらいか。魔力障壁は任せた」
「任された」
全くもう。多過ぎるだろう。
異世界初日だったらゲロをだらだらと吐き出してしまいそうなことですら、十分な数をこなせば何も感じなくなってしまう。
グレースケールの視界の遥か向こう、複数の動体によって揺れるブッシュの先へと狙いを定め、ライフル弾の数倍以上の魔力を込めて作られた40ミリグレネードを放り込む。
――吹き上がる閃光と白煙、一瞬遅れて聞こえてくる爆発音
ハッキリと目で追えるほどの速度で放物線を描きながら飛ぶ光の弾は狙点通りの命中となったが、残念ながら移動目標の中心に命中することは出来ず、敵グループに対する決定打とはならなかった。
それでも大多数は深刻なダメージを負って行動不能なので残りに対して氷柱を叩き込んで終了。
「ざっと見回した感じほかには居ないけどとりあえず一息つけそう?」
「そうだな。周囲200メートルくらいに敵は居らんからオールクリアといえるだろう」
「おっけ、それなら買ってきたクッキーの封をあけよっか。魔術をばすんばすん撃ったからおなか減っちゃったよ」
「お疲れさん。それなら紅茶が荷台においてあるからあわせて飲んだらどうだ?」
「ありがたく頂きます。リュースさんのカップは同じとこにあります?」
「いや、茶器はその隣の木箱に入ってるからそれを使ってくれ」
僕らの戦いは一般的な冒険者と異なり、血の臭いがほとんどしないのがせめてもの救いか。
これで血みどろだったらおちおちこうやってクッキーを食べることすらままならないのだから。
馬車の居室からポットを取り出して紅茶をざくっと投入。
グリル台に置いたクッカーの上に水を注ぎ、その下で魔力による小さな炎を作ってお湯を作る。
この手の作業はエルのほうが圧倒的に上手く出来るんだけど、周辺の精霊を利用してAWACSのような真似をしている以上僕がやるしかない。
何度か馬車の床を焦がしそうになりながらなんとか作ったお湯をポットへと注いでからクッキーを取り出すと思わずぺろりと舌なめずり。
いや、食べないけどさ、でも袋の中に入ってた粉なら……。いかんいかん、子供じゃないんだから。
「リュースさん、お茶どうぞ」
「あんがとさん。その茶器便利だろ?」
「え? そうですね。丸みを帯びた形なので茶葉がちゃんとジャンピングしますし、確かに良い茶器だと思います」
「だろ? 水を入れるだけで自動的にお湯にしてくれるなんて珍しいよな? 同期は味が落ちるとか言って使わないけど俺は面倒だからいつもこれを使ってるんだ」
微妙に話が繋がってないのですが、衝撃の事実が発覚しました。
この茶器は水を注ぐとお湯になるそうです。信じられん。
僕の努力は一体……。
こんなくだらない事で落ち込んでいるのも馬鹿らしいので軽く頭を振ってからエルの元へ移動。
折りたたみ式のフライパンの上にクッキーを転がして紅茶を渡すと目を爛々とさせたエルが早速クッキーを一つつまんで口の中へ。
「おおっ。これはっ! ――んまい」
「確かに美味しい。前に買ったあれのほうがたぶん美味しいけど、これもなかなか」
紅茶は前に飲んだやつとは大きく味わいが異なり、水色自体は薄いオレンジ色、香りはもぎたての葡萄を思わせる強烈なマスカテルフレーバー、一口ごとに来るまろやかな甘みとそれに続く切れの良い渋み。
前回飲んだ高級なダージリンに匹敵するようなお味な辺り、やはりリュースさんはそれなり以上の立場の人なんだろう。
クッキーのほうだって負けてない。
カントリータイプ特有のしっとりとした食感は良くあるような渇きを感じさせずに滑らかな甘みと香りを楽しませてくれる。
やや値段が安かったせいかバターの香りがいまひとつなところはあるが、香料として追加されたリンゴの香りがそれを補ってなお素晴らしい。
「しっとりなめらかで美味しいのだ」
「この食感は紅茶との相性もいいよね。ちょうど舌の上に残る野暮ったさが流されて良い感じ」
「しかも種類があるのが良いな。これなんてカターラの皮が入ってるおかげで凄く良い香りだぞ」
カターラは柑橘系の香りがする果物で、単価も安いので庶民に愛されている逸品だ。
今回はクッキーの中に仕込まれているので酸味がまるで目立たずに香りだけが出るので大変美味しい使い方だと思う。
「これで銅貨15枚はなかなかお値打ちだと思うんだ」
「良い買い物だった。ってこれが最後の一枚か。ちょっと無くなるのが早過ぎないか?」
「あんまり数入ってなかったからこんなもんでしょ。最近は収入も安定してきてるし、次はもうちょっとたくさん買おう」
「そういえば、ちょっと疑問だったんだけど」
「なにがだ?」
「冒険者で弓矢を使う人を見た記憶がないんだけど流行ってないの?」
「弓矢? ああ、あの微妙な武器か。一部の狩人達が使うくらいでほとんど使われてないぞ」
「なんで? 剣とか槍とかに比べればめちゃめちゃ射程が長いから便利だと思うんだけど」
「そりゃ便利ではあるがあれって難しいからな。まともに扱えるようになるまで何年も掛かることを考えたら同じ時間を使って魔術を覚えたほうがよっぽどか効率的だ」
「あぁ……。なるほど、理解した」
「おまけに連射も効かない、魔力障壁はまず抜けない、魔獣を相手にするには火力不足といいとこ無し、なんていうと使ってる者に怒られてしまいそうだが実際そんなもんだ。……ただ」
「ただ?」
「毒と併用して暗殺者が使うことは結構多いと聞く。おっかない話だな」