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朝の8時にリディーナを出た馬車は3時間も掛からぬうちに次の町であるキームへ到着。
昨日はちゃんとした宿で寝たもんだから元気もあったし、まだ午前中なら次の町まで移動しても夕方前には着くからいいだろうということでカーダス行きの馬車に乗ったのが失敗だった。
途中からぽつぽつと雨が降り始め、あっという間にバケツをひっくり返したような雨に変わってしまったせいで道はデロデロ。馬車はノロノロ。
おまけにゴブリンとその巨大バージョンのホブゴブリンという生物にエンカウント。
迎撃自体は大口径の魔術をぶっぱするだけで大した問題もなく完了したのだが、そいつら謹製の落とし穴に引っかかった馬が怪我。
これをエルが治療術で治すまでに1時間。
雨と馬の怪我という二点の問題が発生した結果、カーダスに到着したのは日も落ち始めた午後6時。
幸い、一緒に迎撃作業を行った女性に宿の場所を教えてもらったので宿無しの憂き目には遭わなくて済みそうだ。
もしこれで何の情報も無いままに馬車からほっぽり出された日にはとんでもないことになっていたのだけは間違いない。
「えっと・・・。この辺のはずなんだけど」
「主、たぶんあれだとおもうぞ」
エルの視線の先にはベッドと小麦が描かれた宿屋っぽい看板。
中に入ってみると大学時代に頻繁に行った大衆居酒屋とよく似た雰囲気で、客の数がかなり多い上にお酒の力も相まって結構うるさい。
一応、こぢんまりとした宿屋のフロントっぽいところがあるので間違えて居酒屋に入ってしまった、ということはなさそうだ。
「こんばんは。宿を一晩借りたいのですけど空きってありますか?」
「いらっしゃい。一人部屋が二つなら銀貨1枚と半分。二人部屋なら銀貨1枚だけどどうする?」
「二人部屋でお願いします」
人受けしそうな笑みを浮かべるどっしりとした店の主人に銀貨を渡してキーを受け取る。
ああ・・・。宿が取れて本当によかった。コレで満室ですなんて言われた日には僕は泣く。
「部屋は階段上って右手側の202号室だ。綺麗にはなっていると思うが気になるところがあれば言ってくれ。それと食事はどうする?」
「あ、是非いただきたいです」
「それなら先にそこらへんで座って待っててくれ、すぐに注文を取りに行かせるから」
「わかりました。よろしくお願いします」
店の主人が指差すあたりに座ってまずはメニューを確認。
・・・うん、酒以外なんも書いてないわ。なんぞこれ。
「これさ、見出し部分に酒って書いてあるってことはメニューの中身は全部お酒なのかな?」
「あー・・・。どうやらそのようだ。ま、どうせオススメで適当に頼むのだから問題あるまい」
「確かにその通りで」
こちらの様子を伺うボーイさんを見ながら手を上げるとすぐにこちらに向かってやって来てくれるあたり、教育が行き届いてるなって思う。
「いらっしゃいませ。注文はお決まりですか?」
「料理はなにかオススメの肉料理と野菜料理をそれぞれ二人前ください。お酒は・・・正直あまり詳しくないのですが、果実酒は少し苦手なのでオススメのビールなんてあります?」
「ございますよ。ローデルキューやカルディアなどは香りがよく、少し甘いために比較的華やかで食前酒としてぴったりです。肉料理とあわせるならシクラやカルティなどがどっしりとしていて良いですね。料理に負けません」
おうふ。
固有名詞が連続して出てくるとわけがわからん。
えっと、どうしたもんかな。とっさに覚えきれたのがローデルキューくらいなんだけど。
「じゃあとりあえず食前なのでローデルキューを一つで。エルはどうする?」
「む~・・・。妾も主と同じのにするぞ」
「かしこまりました。それでは料理をお作りして参りますのでもう少々お待ちください」
そういってにこやかにキッチンの方へ向かうボーイさんを視線で追いながらため息を一つ。
「ちょっと聞いただけであれだけしゃべられると内容を理解するだけで精一杯。固有名詞を覚える余裕がないよ」
「そうだな。メニューに酒しかない時点である意味お察しなのかもしれないが、どうやらここは酒飲みのための店のようだぞ」
「っぽいね。ビールだけであれならワインなんかも含んじゃうとどれだけの種類があるんだろう」
「無数に、という言葉がもっとも正しいのではないだろうか。これだけあるならここの常連はさぞ楽しい思いをしているのだろうな」
エルの言うとおりほかの客を見ればみんながみんな凄く楽しそうだ。
左手に金属製のカップで右手には大きな肉と野菜が刺さった30cm近い串をもって騒ぐ男性。
1リットルは入りそうな特大の陶製ジョッキを逆さにして一気飲みをしている女性。
そしてそれをやんややんやと囃し立てる周りの男性達。
きっと普段の生活で溜まった鬱憤の類を酒の力で一掃しているのだと思う。
こういう場に居ると、少し、大学生のときの友人に会いたくなる。
あいつら元気かな。今でも酒飲んでるかな。
「主?」
「どした?」
「なにかあったのか? なんだか遠い目をしていたが?」
「普通の大学生だったときはよくこんな場所に呑みに来てたからさ、友人を思い出しちゃって」
「そうか・・・。やはり早く帰る方法を見つけたいものだ」
「ん、大丈夫だよ。そんなに焦っても結果は出ないし、僕は僕なりにゆっくりと確実にやってくから」
あーっ! もうっ!
わずか一瞬でテーブルの雰囲気がしんみりしちゃったよ。
実際問題それほど気にしてるわけじゃないんだけどな。ちょっと感傷的になっちゃっただけで。
酒よ早くカモン。このままじゃ場が持たないぞ。
そんな僕の願いが通じたのかボーイさんがトレイを持ってこちらにやってくる。
なんていいタイミングなんだろうって思ったけど、ビールだけならそりゃ1,2分で来るわな。
「お待たせしました。ローデルキューです」
「ありがとうございます。それじゃあエル、乾杯しよっか。主に今後の旅行の成功を祈って」
「う、うむ」
よどんだ雰囲気を壊すように軽くかんぱ~い、とカップをぶつけてからビールを一口。
ローデルキューはややオレンジがかった明るい黄金色のビールで、花のような香りがしてとても華やか。
味わいは柔らかな甘みが主体ながらややスパイシーな風味だけが後に残るのでクドくないのが素敵。
前に飲んだベルビュークリークみたいなのとは違って果物っぽくない甘みが非常に新鮮で面白いビールだ。
「ぷはっ、これはなんというか旨いの一言に尽きる」
「食前には最適といえるな。軽いから肉料理には合わないかもしれないがジュースのように飲めるぞ」
「だね。これはほかのメニューが楽しみになってきちゃうな」
がぶがぶとビールを飲みながら少し待ってやってきたのは野菜料理が二品。
何かのチーズが乗ったグリーンサラダと薄黄色のみぞれが掛かったなにか。
ついでにビールの御代わりを適当に要求してからフォークでグリーンサラダをバクっと頂く。
サラダのドレッシングは薄めだけどその分チーズの塩気が濃いので意外としょっぱい。
今の僕のビールはやや甘いのでちょっと相性が良くないが、日本のピルスナー系のビールと合わせればかなりの肴になるんじゃないかと思う。
「この黄色いのなんだろ?」
「たぶんラファーナだと思うが本命はその下の卵焼きだぞ。キノコとひき肉が挟んであるおかげでうまみが加算されて実に良い感じだ」
ラファーナという黄色のみぞれはぴりぴりとした唐辛子に近い辛味が特徴的で、その下に隠されたキノコとひき肉を巻いた卵焼きとの相性が素晴らしい。
しっかりと火が通ったせいで卵自体はやや淡白なのだけど、きのことひき肉のエキスが混ざり合って実にジューシー。
「ん~っ! この店の酒が多いのも良くわかるよ。これは酒が進む」
最近は肉々しいものばかり食べていたもんだから余計に美味しく感じて仕方が無い。
やっぱり人間肉ばかりじゃ駄目だね。他のものも食べないと。
「やめてくださいっ!」
美味しい料理とお酒を出すお店に響き渡る女性の声。
はあ・・・。
なんかトラブルの予感。
後ろを振り向けば僕と同じくらいの男女のペアがガラの悪そうな男二人に絡まれているようだ。
「そういわないでさ、そんなのと呑むより楽しいよ」
「そーそー。そんなん置いといて俺らと遊ぼうよ」
うわ、ナンパでももうちょっとやり方があるでしょうに。
なんでどう見ても彼氏持ちの人に声を掛けるのかな。
それとも奪うのが好きな下衆だったりするのかな。
「主! 主! あの組み合わせはまるで演劇のようだぞ」
「僕らに限らずテーブルの上の料理に被害が出なければいいけど」
「なんだ、あまり興味がなさそうだな。助けに行ったりしないのか?」
「男女のペアにしゃしゃり出るとかどう考えても泥沼になるから駄目でしょ。見た感じ男性のほうは落ち着いてるし放置でいいんじゃないかな」
どうみてもここは彼女を助けるために男が頑張るシーンであって、僕みたいなのが出てってすべてを制圧して帰るシーンじゃない。ブーイングなんて欲しくはないぞ。
さすがに女性が連れ去られそうになったりしたらなんとかすると思うけど、たぶんそんなことにはならずに終わると思う。あの男性強そうだし。
「お待たせしました。カルティと肉料理のオススメとして骨付きトーブの香草焼きです」
こんな状況だというのにボーイさんは颯爽と新しい料理とビールを持ってこちらに登場。
その表情には焦りや脅えのようなものは無く、エラク落ち着いているのが不思議だ。
「店の中で喧嘩が始まりかねないのにエラク落ち着いてますね。ひょっとして日常なんですか?」
「そうですね。お酒を多く出すのでどうしてもこういう問題は増えてしまいます。私も最初は驚きましたが今となっては日常の一つです。ま、最悪は店長がシメるので大丈夫ですよ」
「あ、そうなんですか。ちょっと安心しました」
どうやら大丈夫らしいので安心してビールを一口。
今度のはやや色が黒く、ボディが強烈な味わいで単独だと苦味とアルコール分が少しばかり強い。
だけど濃い目の味付けのサラダとの相性は比較的良好で、サラダに混じったチーズのまろやかさがボディの強さを押さえて全体のバランスを整える。
全くここはビール党の僕には最適なお店だ。
明日にはここを出るのが少し残念なくらいに思えてしまう。
「ビールとチーズの組み合わせって反則だと思う」
「確かに。だがこの肉も相当に良いぞ?」
「エル、アゴにソースが付いてるよ」
骨の部分を指でつまんで豪快にかじりついてしまったせいで口元にはソースがだらり。
せっかくの美少女が台無しである。
「こういうのはこうやって豪快に食べるものなのだから良いではないか」
「まあ、そうなんだけどさ・・・」
若干変な味のするデミグラスソースのようなものがコレでもかというほどに掛かった骨付き肉を手でつかんでバクッと一口。
肉はとても柔らかくてジューシーで、噛むたびに肉の脂が溶け出して実に美味い。
さらにハーブの香りで肉の臭い部分が殺されているので野性味あふれる肉が苦手な人でも大丈夫。
さらにさらにいうならビールとの相性もバグツン。これはいい。
これで背後のBGMが人の暴れる音とイスか何かが壊れる音じゃなければ完璧だったんだけど。
「しっかしこのビールは美味いね。僕のところじゃビールなんてメーカーこそ違うけど基本的にピルスナーっていうのしかなかったから凄く新鮮」
「それは少し味気ないな。妾はなんでも美味しく頂けるほうだと思うが、それでも毎回同じでは飽きてしま――主っ! 後ろっ!」
「え?」
最初に感じたのはどろりとした何かが僕の頭にだばっと掛かったこと。
次に感じたのは香辛料が効いた美味しそうなスープの香り。
そして最後に感じたのは――――熱さ。
「うわっちゃっちゃっちゃ・・・水っ! 水っ! うわらばっ!?」
地面にのた打ち回ろうかと思ったあたりで大量の水がだばだばと全身に掛かる。
おかげでやけどはしないで、もしくは最小限に抑えられそうだけど全身ずぶ濡れ。
「す、すまぬ。咄嗟だったから加減が・・・。主、大丈夫か?」
「げほっ、けほっ・・・。うん、ありがと。おかげでやけどにはなってないと思う」
ちくしょう。ナンテコッタイ。
誰に着せられたかもわからないフィールドジャケットだけど気に入ってたのに・・・。
ずぶ濡れなら乾かせばいいけどこんな真っ赤なスープが染み付いちゃったら終わりじゃないかっ!
真っ赤に染まった自分のフィールドジャケットを脱いでからゆらりと振り向く。
コレは仕返しの一つでもしないといけないよね・・・?
「主?」
「ちょっと、仲裁でも、してこよう、かな?」
「あ、その、えーっと・・・。ほどほどに、だぞ?」
気づけば二人だったはずの原因は三人――いや、床に二人ノビてるから合計五人か――になって今もまだ戦闘中。
男性が軽やかに攻撃をかわすものだから彼らのテーブルとイスはバラバラ。
店長さん、これでもまだシメるような状況ではないのですか?
・・・なら、僕がやってもいいですよね。
「ここは美味しい料理とお酒を出すお店ですよ。暴れるなら外でやってくれませんか?」
「やってくれたなぁぁぁ!」
「まぬけ。相手は一人なんだから数で押せばいいだろうが」
「・・・・・・」
完全に無視である。
これでは暴力に出るもの致し方がないだろう。
ノロノロと動く原因1へ無造作に近づいてその腕を取って背負い投げ。
僕は別に武術の心得とかがあるわけではないので綺麗なものとは口が裂けても言えないが、それでもターゲットを無力化するという目的を十分に果たすだけの威力があったみたいだ。
「いきなり何をしや――」
間抜けにもこちらを向いて文句を述べようとした原因2はあっさりと男性にしばかれてダウン。
男性はたぶん僕と同じで20を少し超えたくらい、顔は年相応で普通な感じ。
ビターチョコレートっぽい色の髪を短めに切り揃えていて、額にはガッツリと汗が浮いているので結構疲れているみたいだ。
この世界でよく見るポロシャツっぽい服装をしているのでおそらく冒険者などの荒事担当者ではなくて普通の一般市民だと思う。
女性のほうは・・・っといけない、見てる場合じゃなかった。こっちに原因3が向かってきてるよ。
聞き取るのもいやになるような罵詈雑言を吐き散らしながらのハイキックをしゃがむ様にして回避し、軸足を払ってやると簡単に転んでしまったので軽く頭を蹴って継戦能力を奪っておく。とてもイージー。
不届き者共はコレにて制圧完了。
あとでめんどくさい事にならないように店員さんに説明でもしようかと思ったけど、やり始める前から見られてたし別に必要ないだろう。
「ありがとう。助かった」
正直、この人も問題だと思う。
そりゃ絡まれた以上どうしようもないのかもしれないけど、出来れば外で戦って欲しかった。
だけどにこやかな笑顔でそういわれると強く出れないよ・・・。
「いえ、単なる仕返しだったので・・・。それよりもまたこういうのに遭遇しないように気をつけてくださいね。次はどうなるかわからないんですから」
「ああ、重々気をつけるよ。お礼といっては微妙かもしれないが食事代くらい奢らせてくれ」
「いいんですか? ありがとうございます」
たぶん今回のお会計はそれなりの値段のはずなので嬉しい、というかいいのかな。
病気と借金以外は喜んで受け付けるつもりなので断るつもりは無いけどさ。
「ん、主。お帰り」
「ただいま。ねえ、エル」
「どうしたのだ?」
「明日は馬車を諦めて服でも買いに行かない?」
「そうだな。主の傷を抉るようで申し訳ないがそれはもう駄目だと思うぞ」
「だよねえ・・・」
はあ、中のポロシャツまで駄目にならずに済んだのを幸運と思うしかないか。
それにしても欲しくて服を買うのではなくて必要だから買うなんて経験は初めてだ。
この世界の服屋なんて入ったことも無かったし、ちょっとだけ楽しみかもしれない。
(宿の中で)
「あ、忘れてた」
「何を忘れたのだ?」
「ジャケットが台無しになる原因を作った彼らにある程度弁償してもらうつもりだったのに」
「全員連行されたのだからもう間に合わないぞ」
「服って高いんだよね?」
「主の着ていたのと同じ品質のモノを買おうとしたら金貨数枚を出す必要があるな」
「うーん・・・。それだと適当に安いのを買うしかないか」
「まあ、いいのではないか? 主ならどれを着てもそれなりに似合うと思うぞ?」
「ありがと。そういってくれると少しだけ心が軽くなるよ・・・」