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昨日の野宿――気持ちとしては野営と言い張りたい――からトリビットへと戻り、そこから馬車に乗って大体6時間とちょっと。
僕らが到着したのはリディーナという比較的大きな町で、規模感はぱっと見の評価なので間違っているかもしれないけどおそらくガルトと同程度。
この分だとギルドのほかに観光名所や名産品だってあるかもしれないのでちょっと楽しみだ。
「ふう、ようやく着いたね。とりあえず適当に観光しながらご飯でも食べつつ、ついでくらいで宿でも探そうか。さすがにこの規模の町なら宿無しとかそういうことにはならないでしょ」
「うむ。了解だぞ」
馬車の運転手に「ありがとうございました」と一言お礼をしてから正面のメインストリートへ。
街中を出歩く人の数はそれなりに多く、それに伴って露店なども多いのでご飯の種類はより取り見取りで何にしようか悩んでしまうほど。
肉類や野菜を使用したサンドイッチや謎肉の串焼き、惣菜パンにカットフルーツ。
この時間だからなのか酒をメインで販売するところは無いが、夜になればおそらく居酒屋のようなものも増加するはずだ。
もしこの町を食べつくしたいのならば一日だと確実に時間が足りないな。
「なんにしようか? ありすぎて悩んじゃうんだけど」
「妾が決めて良いならアレにしないか?」
ぴしりとエルの指差す方向にあるのは一軒の露店。
直径30cm、長さ60cm程度の謎肉を串にさしてゆっくりと遠火で焼き、それの表面をこそぎ落とすようにスライスしたものをパンに挟んで売っているようだ。
「先ほどから香辛料と肉の焼ける香りを外に振りまいておるものだから溜まらぬ」
「うん、僕も我慢できなくなった。アレにしよう」
早速お店のほうに近づくと40くらいのおじさんが人の良さそうな笑みを浮かべて挨拶してくれる。
その間にも肉を焼く手が止まってない辺りプロの仕事って感じがして実に良い。
「こんにちは、その美味しそうなパンを二つ貰ってもいいですか?」
「あいよ、御代は銅貨で12枚だよ」
ん、意外と高いな。
この世界って僕のところに比べると食料品の値段が幾分安いのに。
これだと秋葉やお祭りの露店で買うのと値段がほとんど変わらんじゃないか。
とは言ってもいまさら買いませんなんていうつもりもないのでお金を出して魅惑の異世界版ドネルケバブを二つ購入。
受け取ったそれの中には大量の肉と申し訳程度の野菜が薄い生地で包まれていて、野菜はともかく肉に関してはかなり強力に香辛料が振りかけられており、食欲を過剰に掻き立てられて涎が出るのを止められない。
受け取ったうちの一つをエルに渡してからその場で早速一口。
強烈な香辛料の香りと共に口の中に肉の脂が広がって実にジャンキーで美味しい。
申し訳程度の野菜は風味としてほとんど残らず、あまり意味が無いのが残念な所か。
「これは旨いね。こんな香辛料がカッチリ効いたのを食べたのは久しぶり」
「確かにこれは良いな、この香りが食欲をそそるぞ」
これはサルサソースベースで野菜多め、肉少なめとかにしたらまた変わって美味しいと思うんだけどな。
もしくは野菜を抜いてヨーグルトを掛けるとか。
そういえばヨーグルトって見かけないな。僕の世界だと昔からある食べ物だからこの世界でも出回ってるとは思うんだけど・・・。
「もうちょっと野菜を多めにして辛みの強いトマトベースのソースと合わせるとまた違った感じになって美味しいかもしれないけど、肉の部分の自作は無理っぽいのが残念だ」
「・・・どうしたらそんな風に新しい料理の発想がポンポンと出てくるのだ?」
「地元に似たような食べ物があったから思い出しただけで僕が発明したわけじゃないよ。そんな風にぽこぽこ新しい発想が浮かぶなら冒険者辞めて料理人してると思う」
メインを頂いたあとはデザート目指して町巡り。
先ほどからどこからともなくメープルのような甘い香りが漂ってきていてたまらない。
甘いにおいにつられてとはまるでどこかの昆虫のようだが、それも致し方ない。
ぶっちゃけてしまうとこの世界には甘味が足りないっ!
なんせ蜂蜜か果物くらいいしか甘いものが見つからないのだ。
蜂蜜は製造コストの都合凄まじい値段がするし、果物ベースのフルーツソースも蜂蜜ほどじゃないが一般人である僕が手軽に食べられるほど安くは無い。
たぶん上流階級の方々が紅茶などと合わせて楽しんでいるのだろう、そんなものは一冒険者に過ぎない僕には高級すぎて話しにならない。
「うーん、さっきからメープルっぽい甘い香りがするんだよなぁ・・・。どこからだろ?」
「確かに言われてみると何か甘い香りがするな。これをメープルというのか?」
「僕のところだとね。たぶんこっちじゃ別の名前になってるはず」
僕の嗅覚が間違いじゃないならばこれは久しぶりにメープルシロップとご対面出来るはずだ。
・・・僕の世界では高級品のメープルシロップが果たしてこの世界で僕の手が出せる範囲の値段に収まっているかというと甚だ疑問だが。下手すりゃ蜂蜜より高いかもしれない。
メープルの香りを追いながら街中をフラフラと歩くと徐々に香りが強くなってくる。
目的地に近づいているのは嬉しいんだけど、まるで犬か何かのようだ。
「ど、どうしたのだ? なんだか落ち込んでいるように見えるぞ?」
「んにゃ、なんでもないし大丈夫」
自分が犬みたいなんて考えを頭の中から削除してから再び歩くと随分と高級そうな雰囲気のパン屋を発見。開け放たれた窓からメープルの香りがするので目的地はここで間違いない。
「なんかやたらに高級そうなんだけど、これ僕入っていいのかな」
「そんなしり込みしていても仕方あるまい。ほら、主。行くぞ」
エルに連れられて店に入るとやはり雰囲気がほかと違う。
なんていうんだろう、見れば中の店員さんもお客さんも縫い目の綺麗な高級そうな服を着ていて、お金持ちな雰囲気を纏っているせいか凄く落ち着かない。
だけど店の中はメープルの良い香りで包まれていて、売っている物も実に美味しそうだ。
だが
『ちょっと、高すぎる、かな?』
『・・・このバターカップケーキというのはどうやら一個で銅貨40枚だそうだ』
エルが指差すマドレーヌ(商品名:バターカップケーキ)は直径10cmほどの白い陶製のカップに入ったまま売られていて、バターとメープルの溶け合ったなんとも甘くて美味しそうな香りがする。
自作してた頃は一個300円もしないで作れたのにここだと銅貨40枚。日本円でおよそ4000円。
『何も買わないのは悲しいからどれにする?』
『そうだな、一番安いのはクッキーのセットがひとつ銅貨24枚か。これなら二人で食べられるしちょうど良いのではないだろうか』
おそらく現代日本でも探せばこの値段のカップケーキやクッキーを見つけることが出来るとは思うが、まさか異世界に来て最高級品のお菓子を食べることになるとは思わなかったぞ。
小さいが随分と洒落た紙袋に入ったバタークッキーをひとつ購入してすごすごと退場。
あの雰囲気に長居は無理だ。僕という存在はあまりにも場違いで居心地が悪すぎる。
さすがにあの店の傍で袋を開けて中を食べる気にはなれなかったので、クッキーを食べるのにちょうどいい場所を探して歩くとメインストリートの真ん中に比較的大きな噴水とベンチが用意されていたので二人で腰掛ける。
「凄い場所だったね」
「妾もあんなところ初めて入ったぞ。まさかこんな小さなもの一つで銅貨24枚とは」
「でも美味しそうだ。封あけてみよっか」
紙袋をちぎると中には3cmくらいの小さなクッキーがおよそ10個。
うわぁ。これで銅貨24枚かよ・・・。確かに良い香りはするけどさ・・・。
「ほら、エル」
「う、うむ」
エルは恐る恐るという感じに紙袋の中のクッキーに手を伸ばして一つを口に入れると、黙ってむしゃむしゃと噛み砕く。
するとエルの表情からいつもの凛々しい感じが消え、にへらぁという表現がもっとも正しいと思われる蕩けたものになる。
「これは、凄く、美味しいな。果物よりもずっと甘くて香り高くて蕩けるようだ」
エルの感想を聞きながら一つ手にとって口に放り込むと確かに手の入ったバタークッキーであることがわかる。
口の中でクッキーがぼろぼろになって崩れるということはきっちりとサブラージュしてから生地にしているということだし、その結果メープルの香りと甘み、そしてバターの風味が全体に広がってなんとも美味しい。
特にクッキーというのはバターの比率がかなり高いタイプの菓子なのにべたついた感じが全く無いのはどういうことなんだろう。さすが高級品と言わざるを得ない。
「高級なだけはあるよやっぱり。メープルの香りとバターの香りがこうもマッチするなんて」
「凄く凄く美味しいのだ。もう一ついいか?」
「せっかく買ったんだしどんどん食べちゃっていいよ」
「そ、そうか。なら頂くぞ」
エルはすっかりクッキーに毒されていてなんとも蕩けた表情。
女の子は甘いものが好き、というのは全国共通どころか異世界でも共通らしい。
気づけばクッキーはすっかり消えうせてエルと僕のおなかの中へ。
満足げなエルの表情を見れてとても嬉しい。
いっつもお世話になってばかりだもんな、こういうので少しずつでも返していければいいのだけど。
二人で高級クッキーを貪って満足してから宿探し。
何件か見つけた上で最終的に決定したのはメインストリートから一本入った所にある二階建ての宿で、外観がかなり綺麗なのに二人部屋が一晩で銀貨1枚と比較的リーズナブルな上に食事まで付いているとくればほかに選択肢は無かったというのが正直なところ。
宿の女主人にお金を払ってキーを受け取り、部屋に入ってばたんとベッドに倒れ込む。
ポケットコイル式のベッドではないので少し硬いが、それが今では逆に気持ち良い。
「んぁ~・・・。なんというか、ちと、疲れたな」
「昨日は野宿であんまり寝てなかった上に馬車での移動までしたのだから仕方ないぞ。先に水浴びでもしてきたらどうだ?」
「そう、だね。このままだとベッドを汚しちゃうから先にちょっと浴びてくるよ」
当初驚いたのだが、この世界のお風呂事情はそれほど悪くない。
入浴の習慣こそ無いものの水浴びをする習慣くらいはあるし、石鹸もある程度普及しているのでにおいが気になることも無い。
全身とついでに衣類を洗ってから宿のガウンに着替えて再びベッドに倒れ込む。
実は客商売の冒険者家業をやる以上、少なくともある程度の清潔感は必要不可欠だ。
「エルも入ってきたら?」
「うむ。行ってくるぞ」
ガウン片手にシャワールームに向かうエルを見送ってしまうと、話し相手が居なくなってしまうのでやることが無くて結構暇だ。
こういうときに携帯電話とかがないこの世界だと手持ち無沙汰で困る。
何かしようかと思いつつも結局何もせずにごろごろとベッドの上で過ごすと10分もしないうちにガウンを羽織ったエルがこっちにやってくる。
その動きはどこかぎこちなくフラフラとしていて、傍目にものぼせたのは明らか。
「熱いのだ~・・・」
僕がお湯を浴びると快適なことを教えてからはエルもお湯を使っているようなのだが、ちょっとやり過ぎな気がしてならない。
なんでシャワーしかないこの世界でこんな状態になるんだろう?
とはいえ放置しておくのも良くないので、エルのカップをバッグから取り出してそれに水と氷を注いでから渡してあげる。
「ほら、水でも飲んで」
「ありがとう、冷たくて美味しいな」
しばらく二人でお風呂の余韻をボケッと楽しむ。
たまにエルが魔術を使って冷たい風を発生させるのだが、それがまた大変に気持ちが良い。
あー・・・。なんて贅沢な時間の使い方なんだろう。
「そういえばギルドには行かないのか?」
ふと、エルが思い出したかのように呟く。
「うん、今のところ仕事が必要な状況じゃないし、それならガルトまで急ぎたいかな」
「そうか、確かにそうだな」
「正直ガルトまで戻る意味ってあんまり無いんだけどね」
あれこれ考えたところでガルトでのTODOっていうのは結局のところ二つしかない。
一つ目はカーディスさんに文句の一言でも言って今後こういう仕事の振り方をやめてもらうこと。
二つ目はリーナさんにある程度付き合うといっておきながらほとんど挨拶も無しにこっちまで来てしまったことを謝ること。
「意味なんてどうでもいいではないか。妾は久しぶりにリーナに会いたいぞ」
「そうだね。僕もあの落ち着いた宿に行きたいな。あとはあの人生史上最高に旨いパンが食べたい」
そしてその後は本格的に古代遺跡の調査――の前にテューイに行ってから魚料理を堪能だな。
・・・あれ? プライオリティが古代遺跡の調査よりも食事が上になってる気がする。
ま、いいか。美味しいご飯というのは明日への活力につながるしね。
※1 サブラージュ:
冷えたバターと小麦粉をすり合わせて砂状にしたもの。こうすることでグルテンになりにくくなるのでボロボロと崩れやすい生地になる。バターの比率が高く、香り高いのでクッキーやタルト台に向く。
タルト台として使用する場合は砂糖を少なめにしておくほうがアパレイユとの相性が良い場合が多い。