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雲ひとつ無い美しい夕空の下に広がるのは草原と小さな川、そしてその向こうには低い山と森。
蝶のような昆虫がパタパタと花から花へと飛び交い、小川を眺めればたまに水面を跳ねる小魚を見ることが出来る。
後ろを向けば王都やガルトと比べると大分地味な家々が立ち並ぶ。
おそらく権力者のものと思われる家だけは石造りである程度立派だが、それ以外は塗装などをしている家も少なく、どれもが木の色の落ち着いた佇まい。
「王都やガルトと比べるとのどかでこてん、と落ち着いちゃうなぁ」
「確かにこの雰囲気は・・・のんびりとしたくなるものがあるな」
僕らは今、王都から馬車で5時間ほどの距離にあるトリビットという町(村?)までやって来ていた。
「にしてもやっぱり馬車はお尻に優しくない構造だと思う。ウィルたちのあれに乗ったあとだから余計に感じちゃうんだけど」
「そればっかりは仕方があるまい。ウィスリスは技術的にも優れているからああなっているだけで馬車なんていったらどこもあんな感じだぞ」
王都から発車した乗合馬車は僕ら以外に4人の乗客を連れて出発したのだが、荷馬車じゃないので速度がエラク速くてその分振動もきつい。そして当たり前のようにサスはナシ。
当然ケツの辺りが痛くなってくるわけで・・・。
ほかの4人はぶらり途中下車だったし、こんなに長く乗るというのは馬車の運用上考えられていないのかもしれない。
「あのシステムを売ったら大分儲かりそうなんだけど売ったりしないのかな」
「たぶん売っても作れる場所が少ないのではないかと思う。金属製の板で衝撃を吸収しているようだったが、あんな風に綺麗に金属を加工できる職人はおそらく少ないぞ」
「貴族とかお金持ちはどうしてるんだろ? さすがにアレに乗ってるとは考えにくいんだけど」
「大方何かしらの魔術でも使って緩衝しているのだろう。魔術師とかなりのお金が必要になるが衝撃吸収能力としては最優秀だからな」
ここでも魔術か。
もう少し不便ならば技術が発展するというのに・・・。
世の中ってやつは権力者の不便がないと技術にお金が流れないから発展しないのよね。
僕もそれが出来ればいいのだけど、うまく出来ないのが最大の問題か。
仮に空気のクッションみたいなのを作った日にゃ魔力のハンドリングを終えると同時に中に詰まった魔力が大爆発してしまう。
そんないちいち魔力障壁が必須でデンジャラスなクッションなぞ全くもって欲しくない。
そもそもそんなものをクッションと呼んでいいのか甚だ疑問である。
攻撃手榴弾とでも名前を改めてしまおうかと馬車の中で無意味に悩んでしまった。
ちなみにエルがやっても同様の結果になるらしい。ナンテコッタイ。
「しかし主よ。どうするのだ? 確かに風景は綺麗だし落ち着きたくなる気分もわかるが現実逃避をしても始まらぬぞ」
「僕も悩んでる。どうしようか、どうしようもないんだけどさ」
このひじょ~にのどかな場所では僕らにとってクリティカルな問題があった。
ここは観光名所もなく、ギルドも無い。完全に片田舎。
馬車の駅があるものの外部から人が来るというよりはココの人たちが帰ってくるためのものだ。
ガルトへの最短ルートでもあるのだが、そもそもそのガルトに向かう人間なんてほとんど居ない。
そんないくつかの事実が重なった結果、この町には宿屋が無い。不要だから。
もちろん僕みたいな奴も多少は居るので完全に100パーセント不要というわけではないのだが、明らかに需要と供給のバランスがつりあわないので利益にならず、誰もやりたがらないようなのだ。
一応、近隣住人の協力の甲斐あって宿屋を併設している飲食店を見つけることは出来たのだが、店主が旅行に出かけていて一時閉店中。オーマイガッ!
アチコチ回りながら帰るのも悪くないと思ってた数時間前の僕を今すぐ殴り倒しに帰りたい。
「たぶん、現状二つの選択肢があると思う」
「うむ」
「一つ目は町の中で野営というわけにはいかないので一度離れた森に移動してから野営するという案。暗くなると準備するのが大変だからやるなら早い段階でやったほうがいい」
「二つ目の選択肢にもよるが、選択肢としては悪くないと思うぞ。街中でそんなことをしたら衛兵に連れられてしまうからな」
治安のよくないこの世界の森で野営なんていうのは出来れば避けたい選択肢だけど、街中でホームレスのように過ごすよりは世間の目を考えたときに幾分気が楽だ。たぶん。
・・・衛兵の詰め所とか宿貸して――いや、無理か。
「二つ目はさっきの人すら知らない併設の宿屋を探して歩き回る」
「時間的に見つけることは困難かも知れぬ。それに地理に明るくない主と妾では店を探すのだけでも一杯いっぱいになるな。妾の意見を言わせてもらえるならば悲しいが野営が良いのではないか?」
「ぶっちゃけ僕もそれが良いと思う。幸い雨も降らなさそうだし、準備は早いほうがいいからとりあえずそこらのお店で夕飯の材料を集めつつ向かおうか」
「うむ。日があるうちに準備などをしてしまおう」
今日の夕飯はどうしよう。すっかり定食を食べるつもりだったから何も考えてなかったよ。
ジャガイモとベーコンとサラダでジャーマン風とでも言い張ることにでもするか。
地味に定番なカレーとか作りたいんだけど香辛料が手に入らないんだよなぁ・・・。
「こんばんは」
「いらっしゃい。見ない顔だね。旅人さんかい?」
先ほどの黄昏てた場所からすぐ傍、年季の入った古ぼけた看板のもとで八百屋を開くのは同じように年を重ねたお婆さん。
だが商品は見るからに新鮮でそのどれもが美味しそうだ。
特にそこのレタス(赤)は瑞々しさが半端じゃないし、土のついたジャガイモは芽が出てないところをみるに取れたてっぽくて大分良さそうな感じ。
「ええ。今さら夕飯の材料の買出しです」
「材料の買出しって今から外に出るのかい? いくらこの辺りの治安がいいからといってわたしゃやめたほうがいいと思うがねえ」
「しょうがないですよ。たまにはこんなことだってあります。・・・あ、これとこれください」
「はいよ。でも野営するなら気をつけなさい、世の中なにがあるかわからんからね」
エル以外に心配されるのってすっごい久しぶりな気がする。なんかちょっと嬉しい。
「心配してくださってありがとうございます」
「うむ、主と妾ならこれぐらいどうってことはないぞ」
お代の銅貨6枚を出してから商品を受け取り、にっこり笑ってからその場を退出。
さて、お次はベーコンでも買いに行くか。
おそらく規模的に不要なのだろう。ガルトや王都などとは違い、この村には市場“も”ない。
一応辛うじて僕らが居るこの辺りは商店が並んでいるものの、都内のコンビニくらいの間隔なのでおよそ市場には見えないのが悲しいところ。
近くのお店でベーコンとチーズを購入して野営の準備はとりあえずレベルで完了。
まだ辛うじて日が残っているので今のうちに向かって出来れば野営の準備もしてしまいたい。
◆
買い物を終えてから町を出て歩くことおよそ30分。
若干予定が変更になったものの、ほぼ予定通り森の入り口まで到着。
既に日が落ち始めているので準備を急がねば。
「そういえばなんで森の中でやるのだ? 安全を第一に考えるならば草原でやるほうが良いと思うぞ」
「いくつか理由があるんだけどさ、最大の理由は草原でやった場合町の人たちから僕らが見えるじゃない?」
「そうだな」
「“なんであの人たち町のすぐ傍で野営してるんだろう”って思われるのが嫌でさ。この辺りの危険度はそれほどでもないらしいし、それならこの辺で人目につかないように野営しようかな、と」
「なるほど、確かにそれならこの辺りでやったほうが良さそうだ」
とりあえず納得した様子のエルを見ながら僕は野営の準備。
まずはテント――といいたいがツェルトを広げてからパラコードで木と木の間に吊るして組み上げる。
この世界の良くわからない皮で作られたものと違い、僕の世界謹製の高性能ツェルトは軽くて水も通さないし畳めば信じられないくらいコンパクト。
ロゴなどが無いのでメーカーは不明だが、役に立つことは間違いない。
「ほかの理由としてはちょっと弱いところがあるかもしれないけど、僕の世界の一品をあまり見せびらかしたくないっていうのと、久しぶりにちゃんと魔術の練習がしたいってくらい」
「主の世界の一品はどれも非常識だから見せびらかさないほうがいいのはわかるが、魔術の練習?」
「そそ、最近はすっかり練習してなかったからそろそろ練習しないと腕が落ちる」
射撃の精度っていうのは撃った数に比例するし、撃たなくなればすぐ落ちる。
僕はトイガンによるマッチでそれを嫌というほど経験しているので練習量が落ちるのは怖い。
マッチなら負けるだけで済むが、この世界の戦闘で負ければ待っているのはろくでもない事実のみ。
「あれだけ高精度な魔術を放てるにもかかわらず練習か、主って意外と細かいのだな」
「こういうのって言うのは日々練習だと思うよ。焦らず急いで精確にっていうのが魔術に限らず閉所での射撃の基本だから」
「・・・妾からすればそれは無茶を言っているようにしか聞こえないのだが」
「そうでもないよ。たぶん」
会話をしながらグリル台を組み、フライパンとクッカーを準備。
クッカーに水を注いでお湯を作ってジャガイモを投入、ベーコンを炒めるのはこれが茹で上がってからじゃないと冷めちゃうので後回し。
「ん、エル。適当にそこの野菜を水洗いしておいてくれない?」
「了解だぞ」
エルが両手でレタスを持つと40cmくらいの水球が現れてジャブジャブと空中でレタスを洗う。
僕にも出来るとはいえ、なんと非科学的な光景だろう。現代の物理学者が見たら頭を抱えて倒れるに違い無い。
「これでいいか?」
「ありがと、ばっちりだよ」
水を吸って十分に膨らんだレタスを受け取り、適当な大きさにちぎってから魔術で作った氷の皿に並べる。
今回のソースは超絶手抜き版なので粉末状にしたパルミジャーノのようなチーズを上から掛けて終了。
既にソースというかフリカケだが、最後にカリカリに炒めたベーコンチップを掛ければ十分に美味しいので時間が無いならコレで十分だろう。
ジャガイモのほうも大体良い感じに茹で上がってきたのでそろそろベーコンも炒めようか。
この世界のベーコンは当たり前だがスライスしてパッケージングされているわけではないのでなんとも迫力があって美味しそうに見える。
これを適当な大きさにスライスしてフライパンで炒めるといい香りがして美味しそうなのだけど、これを単体で食べるとなると少し悲しい。
一応細切れのベーコンはサラダと和えるつもりだが、やはりなにか一手間足りてない気がする。
「おっけ、とりあえず出来た。用意の時間が無かったからあれだけど明日はうまいもの食べよう」
「そういいながらもサラダは結構いい感じに出来ているではないか」
「ありがと。でもチーズとベーコンしか入ってないからやっぱり手抜きだと思うよ」
「いいではないか、美味しそうなことには変わりないぞ。食べてもいいか?」
「うん。召し上がれ」
早速エルがサラダを食べるのを見ながらジャガイモに手を伸ばす。
収穫されてからほとんど時間がたってないと思われるそれはメークインと男爵芋とサツマイモを足して三で割ったような感じで、ホクホクさには欠けるところがあるものの特有の甘みがあったりして地味に美味しい。
そういえば冷蔵庫とか無いから買ってなかったけど、バターとかがあればおやつとかにちょうど良いかもしれない。
いつもより大分さびしい食事を終えてから食器を洗えば太陽はすっかり沈み、辺りは闇に包まれる。
光源となるのはぼんやりとした魔術による光と動物対策の焚き火だけ。
バッグの中にはガスランタンも入っていたのだが、ガス欠になると同時に捨ててしまったので今はもう無い。
「毎回見ても飽きないな・・・」
「主は星を見るのが好きなのだな」
それでもこの満天の星を見れるのは結構良いところだと思う。
元の世界では天文系に対してほとんど興味が無かったのが悔やまれる。
恥ずかしながら北斗七星の場所もわからない、もう少し知識があればエルに小話でも出来たのにな。
「僕のところじゃ星なんて全然見えなかったから新鮮で、なんか圧倒されちゃう」
「むしろ妾からすれば星が見えないというのが不思議なのだが。瘴気でも溜まっているのか?」
「瘴気?」
エルの口ぶりからして異世界ジョークに近いのだろうけど、瘴気ってなんだ?
納期寸前のシステムエンジニアやプログラマが吐き出すものとして扱ってる人が多い気がするけど、正しくは病気の原因となる悪い空気だっけ?
昔Webで読んだ携帯電話の開発部隊の話なんて文面からも瘴気があふれ出していたような気がする。
「黒い霧のように見える気体で、発生原因は良くわかっていないが、一説によると大気中の魔力が変質したものらしい。大半の生き物に有毒なのだが同時に攻撃魔術の媒体としては有効なために好事家の間では瘴気を利用した杖などが凄まじい値段で取引されているな」
「利用して杖にってことは瘴気を回収する部隊とかが居るんだ?」
「うむ。国の騎士団などが住民のために行ったり、もしくは死んでも戦死者リストが不要ということで冒険者を利用することもあるぞ」
戦死者リストが不要ってそれどこの民間警備会社なんだろう。
あ、でもそうか。考えてみれば昔の戦争って結構傭兵とか使ってたもんな。
別に考え方が現代風ってわけでもないのか。
「報酬は良さそうだね。危険度も半端じゃなさそうだけど」
「危険度は極めて高いな。瘴気で気が狂った魔獣は普段よりも恐ろしく戦闘能力が上がるし、未制御の瘴気は攻撃魔術を暴発させやすくするからこちらの戦闘能力が下がる。おまけにさっきの通り有毒だ。妾は冒険者として動いたことが無いからわからぬが、おそらく報酬のほうもそれ相応だろう」
「魔術の暴発ってちょっと人事じゃないんだけど」
「確かに魔術が使いにくくなると戦闘能力が落ちる主と瘴気の相性は最悪だ。基本的に瘴気を見つけたら逃げることを推奨するぞ」
全くその通りだと思う。
魔術が使いにくい環境下で普段よりも強化された敵と戦うとか命がいくつあっても足りないがな。
「全力で逃げるから大丈夫。さて、僕は魔術の練習でもしてるから先に寝てて良いよ」
「良いのか? じゃあちょっと失礼して・・・」
光の粒子と化したエルが僕の中へと入り、同化完了。
最近は宿もお金もあったからこの感覚も随分久しぶりだ。
『相変わらず主の中はあったかくて気持ちがいいな。おやすみだぞ、主』
『おやすみ、エル』
時刻は9時前だから交代まで5時間くらいかな。魔術の練習時間としては十分すぎるほどだ。
まずは近くの木と木の間にパラコードを張ってそこから木の枝をぶら下げ、それを魔術で凍らせて円形のターゲットを5枚作成。
このときターゲットの氷は魔術を当てても割れにくいように魔力でコーティングして強化しておく。
同時に複数の魔術を扱うのも訓練になるし、何よりいちいちターゲットを作り直すのは面倒くさすぎる。
光源は上空に照明弾を打ち上げて確保。これでおっけー。
準備は完了、あとはひたすら撃つだけだ。
目的は焦らず急いで精確に撃てるようになること。
両手を挙げた姿勢でカウント開始。
心のカウントがゼロになると同時に素早く射撃の姿勢へ。
右手の人差し指と中指に魔力を集中、左手は右手を包み込んでそれを安定させる。
一番左のターゲットに照準(なんて物はないけど)合わせてからイメージ上のトリガーを引く。
気の抜ける音と共に撃ち出された氷柱がターゲットに命中。軽い音を立ててターゲットが跳ね上がる。
続けて一番右のターゲットに照準を合わせて射撃を行うが、ゆれるターゲットに混乱して失中。
気にせずもう一度、今度はきっちりと命中してターゲットに氷柱が突き刺さる。
同じように残りのターゲットにも命中させ、掛かった時間は5秒くらい。
氷柱は大体一秒に二発程度の射撃が可能なので理論上は2.5秒が最短。
もちろん早いに越したことは無いが、3秒を切れば相当に早いといっても良いんじゃないだろうか。
今後はそれを目指して頑張ろう。
あとは精度もか。
現実では撃てるチャンスは今よりも遥かに少ないし、そういう場面で外したら目も当てられないことになってしまう。
今回は早速一発外してしまったが、これからはなるべく精確に当てていきたい。
最後に最も重要なのはコレを定期的に行うことなんだろうなぁ。
一日でどうにかなるほど上手くなれるとはとても思えないし、継続こそ力なりって言うもんね。