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ただいま調査二日目のお昼過ぎ。
エルによるとどうも結構前からチェネスに入っているらしいのだが、昨日から変化の無い景色が続いているためにそれがどこからなのかが僕には全くもってわからない。
この世界では一体どういう基準で地図を区切っているのだろうか?
謎は深まるばかりなり。
「風が気持ちいいね」
「そうだな、天気といい気温といい実に清々しくて良い感じだ」
居室の上で涼やかな風を受けながらまったりと和んでいると、ヒョコっと頭だけを出したウィルがこちらを見つめてくる。
なにか言いたげなその様子はまるで小動物かなにかのようでなんとも微笑ましい。
・・・男の子に対してこの表現はどうかとも思うのだが、思ってしまったのだから仕方が無い。
「そろそろ調査目標の洞窟が近いです。ここからは徒歩になるので馬車は留めちゃいますね。・・・ほら、アリアも準備して」
「あれ、この辺だったっけ? ごめんごめん、すっかり忘れてたわ。先に準備してるわね」
そういうとウィルはその辺にあったちょうど良い太さの木に馬車を留めて居室の中へ。
30秒もしないうちに似たようなバッグを斜めにぶら下げた二人が居室から降りてくる。
おそらく杖もバッグも学校指定の何かだと思う。ややデザインが異なるのは男女の差かな?
それにしても準備が早いなぁ。
僕らと違ってきっちり居室内に荷物を置いているのにこの速度。
旅慣れっていうのはまさにこういうことを言うんだろうね。
「エル、準備は・・・って荷物もないし大丈夫か」
「うむ、妾はいつでも良いぞ」
僕らは基本的に準備というものがないのでそのまま降りるだけ、非常にイージー。
精々手に持っていたバッグを斜めに掛けるくらいか。
「洞窟までは遠くはありませんが、なにかあったときはよろしくお願いします」
「了解、任された」
大自然の森の中を歩くのはとても健やかな気分になれて非常に良い感じだ。
主にブナのような木で構成されたこの森林は意外と明るくて開放感があるし、木漏れ日の光はまるで乾麺のような一筋の光となって大地を明るく照らし、森全体がキラキラと輝く様はまさに圧巻の一言に尽きる。
こんなの日本で見ようと思ったら白神山地とかの奥まで行かなくちゃだぞ。
それをこんな手軽に見られるなんてっ!
途中にやたら太い木があったり、どこかの配管工を彷彿とさせるようなキノコがあったりとかなり新鮮な風景が広がっているのだが、学生二人組みからしてみれば別にどうでもいいものらしく、さくさくと歩いていってしまうのであまりゆっくりと見ていられないのが残念だ。
「そういえばさ、ウィル達は目的地の洞窟で一体なにを調査したいの?」
聞く機会がなかったのでなかなか聞けなかったのだが、実は結構前から気になっていた。
ギルドで話し込む彼らに割り込むようにして依頼を受けてしまったから詳しいところは良くわかっていないのだけど、ギルドへ報告を入れなくちゃいけないようなゴブリンの群れに襲われているにもかかわらず再びその場所に足を踏み入れて調査をしたいって言うくらいなんだからそれなりの理由はあるんだろう。
「あー・・・。笑いませんか?」
「大丈夫。笑わない」
これは本当。
僕の事情を考えればこの世界ではどんな非常識なことがあったとしても全くおかしくないし、それを馬鹿にせずに受け止める自信がある。
なにより考え込むような表情のウィルを笑うとかまずありえない。
「えーっとですね。今回の調査の目標はですね・・・」
「なにを言いよどんでるのよ。ほかの荒っぽい冒険者達ならともかくユート達なら笑わないでしょ」
アリアに背中を押されたウィルは何かをつぶやくと意を決したように口を開く。
「今回の調査の目標は、“チェネスの洞窟には精霊がいる”という噂の真偽を確かめることです」
「ハッキリ言ってしまうと私たちはその噂を事実だと思ってここまで来たの」
・・・なんと、まあ。
「すっごい興味があるんだけど。なにか理由とかあるの?」
「実はこれだという根拠はありません。ただ、洞窟内にある湖には大量の魔力が集まっているので昔からそういう噂があって、僕はそれを実際に見てみたいんです」
「誰か遭遇した人とかいないの? それだけ昔から噂になってるなら誰かしらが知ってるんじゃない?」
「たまに酒場とかで話題になっているらしいのですけど、まともに調査されたことなんて一度もないんです」
「調査されたことないんだ・・・」
「ええ、お金も掛かりますし、確度の低い情報だとどうしても優先順位が下がってしまって・・・」
「世知辛い現実を考えるのはやめよう。せっかくのロマンにあふれる探索なのに悲しくなってくる」
あれか、まともな調査機関がチェックしてないってことは扱いが徳川埋蔵金レベルなのか。
うーん・・・。そんな扱いだと正直そこで精霊が見つかるとはとても思えないなぁ。
『エルはどう思う?』
『どうだろうな? 精霊なんて全員好き勝手にしておるしな。ただ、魔力が集まっている場所を好む者は多いからひょっとするといるかも知れぬぞ』
『精霊が好む場所なのに確率の表現が“ひょっとして”なの?』
『うむ。そういう場所はほかにも沢山あるし、何より妾たちは数が少ないからな』
『なるほど。じゃあ会えるかどうかは完全に運しだいってことか』
『そうなるな』
まあ会えればラッキーくらいでいいのか。
幸いこの辺の風景を見ながら歩くのは楽しいし、仮に何一つ見つからなかったとしても無駄足ではないんじゃないかなんて思うよ。
お、あの花綺麗だな。5cm弱の細長い花弁の先端は深い蒼なのに中心に近づくにつれて白くなっているのがいい感じ。
この風景を心の中でしか保存しておけないのはすごく残念。
バッグにコンデジが入っていればなぁ。・・・んにゃ、あっても電池ないし駄目か。
そんな風に楽しみながら歩くことたぶん一時間とちょっと。
僕の目の前には広くも狭くもない洞窟の入り口。
岩と岩で挟まれるようにして作られたそれは暗く、明るい外から中を伺うことは出来そうにない。
さすがに蛍光灯とかが設置された日本の鍾乳洞とかとは違うからなぁ。
「どうしたの? ひょっとしてユートって暗いところが怖いとか?」
「そんなことないよ。ただ、崩落したらどうしようかなーって思っただけ」
「・・・そんなこと言われると入りたくなくなるんだけど」
「昔からある洞窟みたいだし、たぶん大丈夫でしょ」
「じゃあなんでそんなこと言ったのよ?」
「特に意味はないけど」
「「・・・・・・」」
さすがにここからは僕とエルが先頭だ。仮にも護衛だしね。
まずは杖の先端に魔術による照明――便宜上松明と呼ぶことにしよう――を作成して光源を確保。
最初は軍用懐中電灯でも使おうかと思ったのだけど、アレはあまりにも明るい上にスポットがきついのでそこしか見えなくなってしまうのでたぶん駄目。
洞窟の中で明かりを使うたびに暗順応を待つとか面倒くさ過ぎる。
ついでに視界を熱感知式に切り替えるとか、光を増幅して視界を確保するのも駄目。
あれをやると遠近感が無くなるので洞窟内では歩きづらいし、それだといざって時に動けないので非常に困る。
「んじゃ、先入るね」
洞窟の中に足を踏み入れるとひんやりとした空気が僕を包み込む。
二人はここに来る途中でゴブリンの集団に襲われているわけだし、こういう洞窟に危険な化け物が潜むのはある意味お約束だから注意深く進まないと危ない気がする。
「暗いね」
「そうだな、今のところ魔術の照明の範囲以外はほとんど見えないぞ」
「何かに襲われて怪我するより、つまずいて怪我する可能性のほうが高そうなんだけど」
とりあえずこの入り口の辺りは安全そうだ。
化け物に出待ちする知能があるとは思えないけど、同時にやられたら一番危険な場所だから何もなくて良かった。
「こういう洞窟なんて始めて入ったけど涼しいね」
「そうね。これで湿気がなければ完璧なんだけど」
二人は杖の先ではなく空中に光源を設置して明かりを確保しているようだ。
ふよふよと浮かぶそれは20W電球程度の明るさもなく、闇を切り裂くとはとてもいえないが同時に必要十分。
おまけに彼らの動きに追従するので利便性は相当なものだと思う。
「明かりとかも含めて大丈夫そうだね。先に進もうか」
「わかりました」
ようやく目も慣れてきて薄暗いながらもなんとか辺りを見渡せるようになってきた。
松明を直視しちゃうとまた見えなくなっちゃうからその辺は注意して、と。
洞窟内部の横幅は比較的広くて四人が並列に歩けるくらいなのだが、いかんせん足元が悪くていけてない。
30cm程度の石(岩?)が無造作に転がっていたりするので油断すると転んで捻挫とかになりそう。
こういう場所でそういう怪我はヒジョーにかったるいので極力注意して進まねば。
「きゃぁっ!」
「アリアっ!」
思った舌の根も乾かぬうちにこれだよ。
原因はわからないが何かにつまずいたのは間違いない。
隣にいたウィルがあわてて体を支えたおかげでひざを打ったりとかそういうことはなかったものの、足を捻ったりしてないか微妙に心配。
「大丈夫? 足とか捻ってない?」
「大丈夫、全然問題ないわ。体支えてくれてありがと」
大丈夫そうで何よりなんだけど一応見たほうがいいかな?
「少し休憩じゃないけど止まろうか。エルはアリアの足を見てあげてくれない?」
「了解だぞ。・・・ほら、そこらへんにアリアは座ってくれ。そうじゃないと足が良く見えないのだ」
「え、ええ。わかったわ」
洞窟の地面が乾いてて良かった。
これでジメッとしてたらなかなか座り難かったと思う。
目を閉じて集中するエルが何かをつぶやくと杖の先端に緑色の光が灯る。
その光がゆったりとアリアの両足首に流れていく様子は薄暗い洞窟の中ということもあってなんとも神秘的な光景だ。
「うむ、大丈夫そうだな」
「ありがと。エルシディアさんのおかげでもうばっちり大丈夫よ」
「それは良かったぞ。こんなところで怪我をして進めなくなったらつまらぬからな」
「そうね、もうちょっと気をつけるわ」
ん、どうやらすっかり大丈夫らしい。
本当に治療術ってチートだよね。
山歩きでマメが出来たとしてもまったく問題なく一瞬で治療出来そうだ。
この世界の外科技術って下手をすれば僕の世界より優れてるんじゃないだろうか。
「ユートさん、アリアも大丈夫みたいですしそろそろ進みませんか?」
「そうだね。進もうか」
それからは特に何か変わったこともなく順調に進み、10分もしないうちに目的地の地底湖に到着。
僕は一般的な地底湖を予想していたのだが、さすが異世界。レベルが違った。
サイズは直径30m程度の楕円形。
深さは不明。底が見えないのでおそらく相当深いかと思われる。
「・・・・・・」
「驚いた・・・」
「綺麗、ね・・・」
「こんなに精霊が集まっているのは久しぶりに見たな」
この地底湖には驚くべき点が多い
まず一点目、小さい光の玉が無数に存在している。色は様々だが、薄い蒼の光が一番多い。
次に二点目、おかげでこの辺だと松明がなくとも十分な視界を確保することが出来る。
さらに三点目、エルの発言からこの光の玉は精霊であるらしい。
さらにさらに四点目、変な男が湖のそばに座って精霊と戯れてる。
いやいや、こんな水が精霊のおかげで文字通り蒼く輝く幻想的な光景で精霊と戯れるのは何かの巫女っぽい人と僕の中の常識では決まってるのだけど。
「よお、久しぶり」
「へ?」
この間の抜けた返しはいったい誰がしたんだろう。
僕がしたような気もするし、アリアもしたような気がする。
「誰か知ってる人?」
「「「・・・・・・」」」
ちょ、え? 向こうは久しぶりって言ってるんだから誰か知ってなきゃおかしいでしょ。
身長180cmくらいの茶髪の男は端正な顔をゆがめた上で額に指を当てて苦悩をアピールしているが、少なくとも僕はこんな人を知らないぞ。
「エル、さすがにその反応は傷つくんだが。俺だよ俺、覚えてない?」
「・・・・・・・・・あっ! お前アーウェか。確かに久しぶりだな」
「そうそう。思い出してくれた?」
「なんとなくだがな。というかこんなところで何をしているのだ?」
「今までいたところが飽きてきたから移動してぼけっとしてただけ。何をしていると聞かれても何もしてないとしか」
なんだこのニートは。
何もしてないとかドンだけなんだろう。
それにしてもエルのこと知ってるということは・・・。
「ねえ、エル。ひょっとしてこの人って・・・」
「こいつはアーウェ。一応精霊といわれる存在だな」
「さっきの忘れさりっぷりとか、今の表現とかなかなか傷つくんだけど」
ああ、やっぱりそうなのか。
じゃあ精霊と戯れてたのも不自然ではないんだな。ちょっと納得いかないけど。
「大体エルはこんなところで何をやってるんだ? 人間を連れて歩くなんて珍しいじゃないか」
「なに、妾は主と契約しておるからな」
「はぁ~? エルが契約? あれだけ縛られるのを嫌がってたじゃん」
「主は妾を縛ったりしないし、美味しいものは食べられるし、パートナーがいるというのは心地よいぞ? 少なくとも一人で旅をするよりはずっと良い」
じろり、とアーウェが僕を見る。
その視線がとても嫌なので思わずウィルを見る。
「え、ユートさん。その視線は何でしょうか?」
「せっかく噂の精霊に会えたのにさっきから何もしゃべってないからさ。なにか聞きたいこととかそういうのがあったんじゃないの?」
「正直こんなにあっさりと会えるなんて思ってなかったので何も考えてなくて・・・」
「それよりも私はエルシディアさんのことのほうが気になるんだけど。さっきの話しからするとエルシディアさんも精霊なのよね?」
まあ、もはや隠すことでもないよね。大々的に言うことでもないけどさ。
エルもまったく気にした様子を見せずにうなずいてるし。
「うむ。妾は精霊だぞ」
「歴史上になかなか出てこないからあんまりわかってないんだけど、契約ってどういうことなの?」
「うーむ。説明するのが難しいな・・・。単純に言ってしまえば相手の魔力をもらって魔術的なつながりを持つことだぞ。そうするといろいろ出来るようになるのだ」
ああ、ついにアーウェが放置されてエルによる精霊説明会が始まってしまった。
・・・アリアに“それよりも”とか言われて放置されてるアーウェが落ち込んでるぞ。
「せっかくなんだから普通俺に聞くんじゃないの? 俺も精霊だよ?」
「じゃあいくつか質問」
「よしきた。何でも答えよう」
フンッ、と胸を張るアーウェ。
エルと初めて会ったときもこんなやり取りだったよーな気がする。
「12,3日前に二人がこの地底湖を探索しようとしたときにゴブリンの群れに襲われてるんだけど何か知ってる?」
「・・・すまん、それはたぶん俺のせいだ。ここは魔力濃度が濃いからそういうやつらが集まりやすい。俺がここに来たときにそいつらを全員追っ払ったのが原因だと思う」
「おかげで冒険者が調査のために派遣されてるんだけど会ってないの?」
「そんなことになってるのか。そいつらには会ってないな」
「来たらどうするの?」
「適当にその辺のものに同化してやり過ごす。ここにいるほかの精霊たちも一斉に隠れるだろうな」
前にエルが“精霊は恥ずかしがりや”なんていってたけど本当にそうなのか。
エルなんてあっけらかんとして人前に姿をさらしてるし、初めて会ったときからそんな仕草しなかったからなぁ。
「エルはあんまりそういうの気にしない性格なんだよ。普通精霊っていうのはもっと人前を嫌がるもんなんだけどあいつはいろんな意味で別格。まったく気にしないで一人旅だぜ?」
「・・・まったくしゃべってないんだけど」
「さすがに顔見ればそれくらいわかる」
「今回僕らを見て隠れなかったのは?」
「エルがいるなら隠れても意味ないし。仮に隠れたとしても“そこで隠れてる馬鹿。出て来い”とかって言われて引きずり出されるだけだ」
「なんとまあ・・・」
エルの意外とパワフルな一面を見た気がする。
まさか知り合いを引きずり出すような性格だったとは。
アーウェに聞くこともなくなってしまったので一息ついてぽけーっと地底湖を眺める。
視界の端には相変わらずエルに何かを質問し続けるアリアの姿。・・・良く質問が尽きないなぁ。
「ウィル。これからどうしようか」
「とりあえずアリアが飽きるまでちょっと休んでませんか?」
「じゃあちょっとゆっくりしてようか。・・・お茶とかあればなぁ。こういうところでまったりとするには最適なんだけど」
「そうですね、でもゆっくりとこの光景を見るのもなかなかですよ。こんな大量の精霊なんてこの先もう一度見る機会があるかわからないくらいですし」
「確かに凄いよね。水の中とかが蒼く輝いてる様はまさに神秘的って感じだよ」
「大自然の驚異を感じますよね」
ああ、まったりだ。
出来ればお茶とお茶菓子があれば完璧だったんだけど。
今後の短期目標はお茶を携行出来るくらいのお金を稼ぐ、だな。