愛でられる神
いつもの人の子は、
今日も変わらぬテンションで幼木を愛でる。
見られていることにも気づかずに、ありのままを曝け出す。
珍妙だが、ここに在る神においては愉快な時間となりつつあった。
ここによく通って来て、場を綺麗に整えている者がおる。
この間暑さで根を上げておった者じゃ。
今日も来ておる。
この者は、わしが宿りし幼木に話しかけながら、優しくさすり撫で回す。
ワシとしても心地は良いのじゃが、その時に語りかける言葉が珍妙でのぅ、何やら背中がぞわぞわとこそばゆくなってくるわ。
「今日もきゃわたんでちゅね〜♪また大きくなったでちゅか〜♡げんきいっぱいいっぱいだねぇ〜♪おっきくおっきくなってくだちゃいねぇ〜♡」
.........
これが今世の言葉なのか?
なんとも珍妙なる響きをしておる。
童のような、なんとも甘ったるい声色じゃのう。
それともこの幼木に話しかけている時だけの言葉かの?
実際この幼木自体は喜んでおるようじゃし、母の赤子に対する語りかけと考えればさほど変ではないか...。
いや、やっぱりそれをおいても珍妙じゃな。
とわいえ、こやつが語りかけておる時、幼木から流れ込む気は穏やかでとても心地良い。
我が依代が喜んでおるのだから、わしが我慢すれば万事済む話じゃ。
我が依代の幼木がいつか立派な若木となり、たくさんの花を咲かす時、こやつの姿振る舞いはどうなっておろうな。
少しは落ち着いておるのかの?
それとも変わらずにそのままにして在るのかの。
縁、
出逢うは偶然じゃ。
じゃが、出来た縁は嘘でも偽りでもない、真じゃ。
こやつの甲斐甲斐しい姿には、わしも好感が持てる。
わしも、近頃はこやつの行く末が気になってきておる。
この縁を楽しませてもらおうか。
おぬしが愛情持って幼木を世話すれば、わしからも手伝いができるでの、ぜひ変わらぬ気持ちで顔を出し続けて貰いたいのう。
せいぜい精を出しておくれよ。
人の子の成長も、見届けさせて貰うかの。
木を植える。
木は種類にもよるだろうが、人よりも遥かに長く生きてゆく。
木を植えるということは、自分の存在と想いを託し、未来へと運ぶ方法なのかもしれない。