依る神
神は降り、世界の空気を楽しむ。
さて、依代を決めたは良いが、
わしの活動できる範囲には限りがある。
まずは、大前提として、依代がなければ、意識体として固まることができぬ。
固まるというのは、わしがわしとして、意識をはっきりと持つ、ということかの。
依代に宿らぬ漂のときは、頭もぼんやりとしておるでのう、いろんなものが見えてはおるのじゃが、印象にはあんまり残らん。時折は刺さるものもあるが、寝起き直後の感覚に似ておるのでわないかのう。
寝起き直後は、何もかもがどうでもよかろう?
で、いざ依代を決めたとしても、動き回れる範囲には縛りがある、それが玉の緒じゃ。
わしらは人形には宿れん。
できてせいぜい、神威を残すことくらいじゃの。
玉の緒には糸のようなものがあり、わしらはそれにつながることでその範囲内で意識を保ったまま、自由に動けるようになるが、糸の長さにもよる。
まぁ凡そ一町程度しか離れられんがの。
依代から切れると、途端に意識が朦朧として、あらゆるものに対する執着が薄れる。
さすればまた漂となりて、風に流れどこかの地に降りるじゃろうが、次は幾年の先になるであろうな。
しかしここは気候が良い。
手入れもされておるし、適度に人の子の生活感が出ておって、なんとも居心地が良い。
この空気の気持ちのよさを自覚できることが、降る醍醐味というものじゃよ♡
久方ぶりの人の世の空気を吸い、神はご満悦。