第七話 焦燥と不安
それから、セレンはリアムと少し距離を取るようにした。
故意にというより、どう接していいのかわからなくなったのだ。
リアムが悪いわけではない。ただ、彼の真っ直ぐな視線や言葉の一つひとつが、セレンの“仮面”を揺るがしてくるのが怖かった。あまり近づけば、どこかが壊れてしまいそうで。
「おーい、セレン。今日の昼、食堂で一緒にどう?」
「あ、ごめん。課題があって、図書室に行くつもりで……」
「そっか……また今度だね」
リアムはそれ以上は食い下がらない。けれど、寂しそうに笑うその表情が、セレンの胸を痛めた。
それでも、踏み込まれるのが怖かった。
リアムのほうは──明らかに様子が変わり始めていた。
目でセレンを追う時間が増え、同じ訓練グループに入ろうとし、何かと理由をつけて話しかけてくる。しかもその行動には、以前のような自然さがなく、焦りのようなものが滲んでいた。
その日の夜、リアムはこっそり寮の部屋で一冊の本を開いた。軍事地図と歴史の記録がまとめられた、分厚い参考書。彼はその中にある一つの国名を見つめていた。
《アルデリア国》
小国でありながら、高度な魔法技術と教育制度を誇った女性国家。男の国とは、何度も戦争と休戦を繰り返しているが、最近は情報統制が厳しく、女の国の情報は入ってこない。
(セレン、君……本当に“この国”の人間?)
リアムは気づいていた。
セレンの発音には、時折聞き慣れない抑揚が混じることがあった。姿勢、礼儀作法、言葉の選び方──丁寧さと慎み深さがある。そして何より、彼の戦い方は、敵を想定した戦闘訓練で学んだ“魔女”のような動きだった。
それを確信に変えたのは、先日の訓練でのことだった。
セレンは瞬間的に相手の攻撃を見切り、ありえない角度で避けた。あの動きは普通の人間にはできない。まるで“予知”しているかのような。
(セレンが、アルデリア出身なら……)
敵国の人間。魔女。男として潜り込んでいる理由。
数々のピースが脳内で組み上がっていく。
(でも……君が敵だなんて、思えない)
リアムは震える手でページを閉じた。
セレンの秘密に触れてしまったかもしれない。けれど、その真実が何であれ、自分の気持ちは変わらない。むしろ──知れば知るほど、彼を守りたいという気持ちが強くなっていた。
自分だけが知っている彼、いや彼女の真実。その秘匿性に心を揺さぶられながらこう思った。
誰にも、渡したくない
翌日。
セレンが訓練場に行こうとすると、背後からリアムの声が響いた。
「セレン、ちょっとだけ話せない?」
「……いまから訓練が」
「それ、休んで。頼む、君に……聞きたいことがあるんだ」
真剣な眼差し。
その中に、焦燥と不安、そしてどこか狂気じみた熱が滲んでいた。
セレンの背中に、ひやりとしたものが流れた。
バレている。今までのやりとりから完全に敵国の出身だと気付かれている。
これから、脅されるのだろうか。それとも軍に引き渡されるのだろうか。
でも、優しいリアムがそんな事をするはずがない、とセレンは信じたい気持ちがあった。