第六話 女か、男か
数日が経った。
セレンは軍事学校の生活に少しずつ慣れ始めていた。毎朝の点呼、厳格な授業、容赦ない訓練。アルデリアで学んでいた魔法とはまるで違う。だが、身体を動かすことも、知識を詰め込むことも、セレンにとってはある種の救いだった。色々なことを考えすぎずに済むからだ。
「セレンくん、今日の格闘訓練、すごく動きよかったよ。あの横回避、教官も褒めてた」
放課後の帰り道、リアムが隣に並んで歩いてくる。
彼はいつも自然にセレンのそばに現れ、笑みを浮かべて話しかけてくる。悪意はまったく感じない。むしろ、穏やかで優しい。ただ──少しだけ距離が近い。
彼は一体何がしたいのか、自分に何を期待してるのか、セレンは訝しんだが、彼の笑顔の前でその質問はできなかった。
「……ありがとう。でも、まだ力が足りないところもあるし、実戦には耐えられそうにない」
「ううん、そんなことない。君の動きは綺麗だよ。」
さらりと、リアムはそう言って笑った。
セレンは言葉に詰まる。そういうことを言われるのは、初めてではなかった。アルデリアでは、自分の“少女”としての外見に言及されることはあっても、それは同性同士の間での軽い褒め言葉だった。
だが、今のリアムの視線は──どこか、違っていた。
「……その、僕、君のこと、最初に見た時から気になってて」
足が止まる。
リアムの声も、わずかに低くなっていた。今までとは違う、真剣な色が滲む。
「セレンくんって、すごく綺麗な顔してるよね。最初、女の子かと思った。……いや、もしかして、そうだったりする?」
「……っ」
セレンの心臓が跳ねた。
何かがばれたのか? まさか、声のトーンや所作で……?
でも、リアムの顔は柔らかく、探るような好奇心で満ちているだけだった。敵意も、詮索の意図もない。ただ、純粋に興味と、好意。
「ごめん、変なこと言った。でも……」
リアムが一歩、近づいてくる。
肩が触れるほどの距離。セレンは思わず半歩引いた。
「……僕、君のことが、もっと知りたい。そう思ってる。男とか女とか、関係なく。ここではそういうのって、普通のことでしょ?」
確かに、──男の国でも女の国でも、同性同士の恋愛はごく自然なことだ。娯楽小説にも、当然のように同性同士の恋が描かれる。
むしろ異性愛のほうが“敵国の人間を愛する恥ずべき嗜好”として扱われる。
だがセレンは、自分を“男”として見られることに、まだ強く戸惑っていた。
(私は……)
思わず胸に手を当てる。
心はまだ“女”で、細い身体は、どちらつかずの仮初めの殻。
それを、リアムの真っ直ぐな視線が、やさしく突き破ろうとしてくる。
怖い。
「……ごめん、リアム。少し、一人にしてくれないかな」
「あ、うん……!」
逃げるようにセレンは歩き出した。
追ってこないリアムの気配に、安堵と、申し訳なさがないまぜになる。
仮面を被ってここに来たはずなのに、それでも誰かのまなざしに心が揺れる。そんな弱さを持った自分に──少し、驚いていた。
闇深まる夜。
寮のベッドの上で、セレンは天井を見つめていた。
“好き”って、なんなんだろう。この国での男性同士の恋愛は、アルデリアの女性同士の恋愛感覚とは違うものなのか。それとも、自分のなかにある感情の未成熟さが、すべてを複雑にしているのか。
(リアムは、悪くない。むしろ、やさしい。あんなふうに、僕を見てくれた人なんて──)
頭の中に、リアムの笑顔が浮かぶ。
セレンは枕に顔を埋めた。
(……困る。どうしたらいいの、こんなの)
仮面を守るだけのはずだったこの場所で、心の仮面まで剥がれかけていることに、セレンはまだ気づいていなかった。