第五話 灰と鉄の学び舎
初日から数日が過ぎた。
ヴェルンシュタール中央軍事学校での生活は、想像を遥かに超える厳しさだった。
朝五時起床。点呼。冷水の洗顔。三十分の体力訓練の後、ようやく朝食が与えられる。授業は軍事理論、戦術史、工学、射撃と続き、夜までびっしり詰め込まれていた。
最も苦戦したのは格闘訓練だった。魔法での鍛錬とは異なる、筋力と瞬発力の世界。
しかしセレンは、黙って食らいついた。
こんなところで、置いていかれるわけにはいかない。
魔法という支柱を失ったいま、彼に残された道は、前に進むことだけだった。
ある日、組手の授業でラインと当たった。
「おら、こいよ!お嬢ちゃん!」
ラインは笑いながらも、容赦はしなかった。拳が鋭く振るわれ、体格差も歴然だ。
何度も倒され、鼻血まで出した。それでもセレンは立ち上がった。彼は震える拳を握り直した。
「……まだ、終わってないよ」
「へぇ。やるじゃねえか」
その後、ラインは初めてセレンを「お嬢ちゃん」と呼ばなかった。
放課後、射撃訓練の場でセレンが黙々と銃を分解していると、隣にリアムが腰を下ろした。
「ねえ、君ってさ……戦いたくてここに来たの?」
その問いに、セレンは一瞬、手を止めた。何かを見透かされたような気がした。
「……わからない。ただ、逃げてきた先がここだった」
「正直だね」
リアムは目を細めた。
リアムの射撃の成績は平均以下、体力も中の下。けれど、妙に器用で観察力がある。誰よりも早く教官の癖を見抜き、誰よりも早く他人の弱点に気づく。
「僕はね、戦うこと自体が嫌なんじゃない。……でも、この国が語る正しさには、時々むず痒さを覚えるんだ」
「……むず痒さ?」
「そう。例えばさ──“戦争は、帝国の正義による鎮圧によるものである”とか。“女が魔法を使うのは本能であって理性ではない”とか」
その言葉に、セレンの指先がわずかに強張った。
「じゃあ……リアムは、アルデリアをどう思ってる?」
リアムはしばらく黙った。そして、周りを気にするように、小声で口を開く。
「……綺麗な国だったよ。少なくとも、僕が見た光景は。山の向こうに灯ってた光は、こんな灰色の空とは全然違った。あれが“狂信者の街”だなんて、信じられないな」
セレンは、何も答えなかった。ただ、小さく頷いた。
沈黙が、ふたりの間に流れる。
けれどその沈黙は、居心地の悪いものではなかった。
それから数日後。
実弾訓練が始まり、銃火器の扱いが許されるようになった。
セレンは驚かされた。初めて手にした銃にもかかわらず、標的を外さなかったのだ。
「……初めてと言ってたはずだが」
射撃場で教官が眉をひそめた。
「……はい」
「この感覚は……まるで“身体が勝手に動く”というやつか」
魔法を使っていた頃、魔力の流れに集中する感覚がある。今の“呼吸を合わせる”感覚は、それにどこか似ていた。
魔法じゃなくても、私、戦える……?
その事実は単純に嬉しかった。自分はこの国では異端であると思い込んでいたが、それが逆に役に立ったからである。
帰寮後、リアムがこっそり声をかけてきた。
「ねえ、セレン。君って……本当に、男?」
その一言に、セレンの心臓が跳ねた。
「どうして、そんなことを……?」
「……勘、かな。僕、人の“違和感”に敏感なんだよね。君、どこかの国の訓練を受けてたでしょ? 銃の構えも、歩き方も、ちょっと変だもの」
セレンは言葉を失った。
処刑、その言葉が頭に浮かんで離れない。
だが、リアムの瞳は優しいままだった。
「でも安心して。僕は君を“敵”だとは思ってない」
リアムはふっと微笑んだ。その微笑みにつられセレンもまた少し安心したように微笑んだ。