分水嶺その2
定子さまの悲劇は、急速に訪れた。
まず、お父上が長徳元年(995年)にまだ43歳の働き盛りで亡くなってしまう。すると、関白は、兄上の伊周さまでなく、叔父の道兼が就任。ところが、ほんの一週間で、道兼さまが亡くなってしまう。
次の関白は、誰が?
今度こそ、定子さまの兄伊周さまか?叔父の道長さまか?
これは、我が家の婿殿道長さま、我が娘倫子にとって一大事。
私は筆を執り、一条帝の母君藤原詮子さまに文を送る。
いかに、道長さまのお心映えが素晴らしく、政治力をお持ちで、一条帝にとってなくてはならない支えとなることか。伊周さまは、傲慢で(もっとぼかしたけれど)、一条帝をないがしろにされる恐れがあること。
ここは、世のため人のため、(倫子のため)、詮子さまをお頼り申し上げております。云々。
一条帝の心は、愛する定子さまの兄君に傾いていた。
しかし、詮子さまはあきらめない。東三条殿に道長さまを置き、不退転の決意で、一条帝に会いに赴かれる。
実は、伊周さまは、かねてから自分の敵になりそうな詮子さま、道長さま(叔母・叔父)の悪口を一条帝に吹き込んでいらっしゃることがお耳に届いていたらしい。詮子さまは、一条帝を語気荒く説得される。
どうして、そんなことをお考えになるのですか。伊周を道長より先に大臣にしたのは、まあ、亡き道隆の強引な身びいきに押し切られてのことでしょう。でも、関白を道兼にご命じになったのですから、次は道長に命じられるのが筋というものではありませんか。筋を通さないことは、帝としてのあなたの落ち度と世間では噂するに違いありません。
一条帝は、返事もされず退席してしまわれる。何度呼んでも、母の前に現れない。
そこで、詮子さまは、自分から一条帝のご寝所まで行かれて、泣き落としをされる。これには、一条帝も降参されたようだ。ついに、詮子は、道長の関白を手に入れた。諸事情から、関白ではなく、内覧となるが、結果は同じである。
分水嶺で、水は道長に流れ、伊周は、この後枯れはてる。定子の運命も下降していく。
ここの文章は、『大鏡』(日本古典文学全集 小学館)を参考にしています。(見てきたように書いてあるので、多分『大鏡』作者の創作ですが。)