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娘たちの縁談

土御門邸で大君(後の倫子)を産んだ後、雅信さまの次郎君、三郎君、八郎君、中の君と、三男二女に恵まれる。しかし、なぜ、末のお子が八郎君なのか。(やっぱり、雅信さまは、光源氏ほどでないにしても、プレーボーイだった。)

とはいえ、正妻は私である。


予想通り、大君は絶世の美女に育ち(親バカ)、見目麗しく色白で、髪はつやつやしく、教養にあふれている。天皇の后にぴったり!!にお育ちになった。

ところが、状況が思わしくない。

冷泉帝は、気の病があり、大君が生まれて間もなく円融帝に譲位してしまわれた。冷泉帝の后になるのは、パス。円融帝は、冷泉帝の皇子が天皇になるまでのつなぎにすぎないからパス。冷泉帝の皇子花山帝は五つ年下だが、まあそれくらいなら、と思っているうちに出家してしまわれた。これでは、どうしようもない。次の一条帝は、十四歳も年下だ。適齢期になられるまで待っていたら、倫子がおばあさんになってしまう。

さて、どうしたものか。


自慢の娘が、天皇の后になる未来が見えず、私も雅信さまも、頭を抱えていた。


そうこうしていたら、仲の君のところに藤原道綱様が通ってこられるようになった。中の君は、大君と違って、ほどほどの美人で、ほどほどの教養を持つ、ほどほどの姫だ。そして、道綱様!!


前世で何度も読み返し、研究していた『蜻蛉日記』の作者が「道綱の母」と書かれていた。その道綱さま。まさか、お会いできるとは。

日記の研究はしていたが、歴史はそんなに興味なかったので、平安時代の貴族は、兼家さまと「藤原道長」しか知らない。

あの美人で歌の名人の「道綱の母」と超上流貴族の兼家様のご子息、さぞ、立派な人物であろう。と思ったが、所顕ところあらわしの日に会ったら、中の君にぴったりのほどほどの貴公子だった。


しかし、道綱さまのおかげで「道綱の母」様とのつながりができ、お文を取り交わしたり、道綱さまからお話を聞けたりしたので、大満足。よくやった中の君。「道綱の母」様の歌は、本当に素晴らしい。こちらからも負けじと凝った歌を送っている。


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